非偶然特殊体質Ⅰ
「アルバート君、まずは試験管にこの薬品入れてください」
ナンシーの指示でアルバートは薬品を使う。薬に詳しいナンシーがやればいいと思うのだが、あいにくこの作業は自分にしかできない。というものの――。
「いつもはお坊ちゃんがやっているんですが、私には魔力がありませんので――、貴方にお願いしようと思います」
「ああそっか、ナンシーさん。幽霊だったっけ……」
「ええ。生前の魔力があればまだ出来るのでしょうが、私には生前も素質ゼロですから。アンジェリカ様は強すぎてコントロールが効きません。と、いいますのもあの人は、魔女を名乗っているくせに薬を作るのは昔からドヘタですし、不器用の極みですし、家事洗濯、なんにもできない人ですから」
ナンシーがそう忌々しく語るのを、アルバートは聞いていた。確かに過去も現在も、見た限りでは、アンジェリカがそういった類のものをしているところは見たことがない。
「薬というのは魔力のコントロールが抜群に上手く素質を卓越したものでないと難しいものなのです」
「……俺は? 薬なんて作ったことなんかないぞ」
「貴方には素質ありです」
「……なんでだ」
ナンシーは試験管をアルバートに渡してこう言った。
「普通――、人は亡くなれば死霊となり、天界から声がかかれば天使になり、無ければ幽霊となり彷徨います。そして、ほとんどの者は生まれ変わりの輪廻の輪に加わります。ですが、貴方はそれらのどこにも属してはいません。幽霊どころか死霊にもならず、亡くなったその時のまま、魔物になりました。その時点で、魔力コントロールの素質は十分です」
アルバートは怪訝そうな顔をする。
「それは貴方にとって幸も不幸も、原因は分かりますね?」
ナンシーの試すような視線に耐えきれなくなったアルバートは彼女の顔から目を逸らした。
「確かに俺はそうだけど……魔力なんて」
「なるようになります! お坊ちゃんを助けられるのは貴方しかいません。ですから! お願いします!」
やるしかなさそうだ、アルバートは覚悟を決める。
「私の指示に従ってくれれば、後は大丈夫です。順番さえ間違えず呪文も間違えなければ――、完成するはずです」
曖昧な表現なのが気になった。完成しなかった場合の『保険かけ』をしているような、そんな口調が。
そういえばと、ふと思う。壊れて姿が戻るような魔法道具を、あいつはなんで一つしか持っていなかったのだろう。なぜ予備は持ってこなかったのだろう。頭のいいこいつのことだ、壊れて姿が戻らなくなることは想定できると思うのだが――。
そして考える。
こいつでも作るのが難しいから、一つしか持っていなかったのではないのか。
「アルバート、安心して。僕の魔力をもらってもいいから」
身体に擦り寄る黒猫。アルバートは彼の頭を撫でて、ロドルは気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「ナンシーさん、こいつを使い魔として使っても大丈夫?」
「ええ。お坊ちゃんのそのお姿は、魔法や魔術を使うよりも魔力を溜め込むことに特化しています。お好きにお使いください」
ナンシーは周りの準備をしてくれている。ロドルは少し不安そうな顔でアルバートを見上げていた。アルバートはロドルの目線の高さまでしゃがむ。
「……協力してくれるか?」
「うん!」
「よし、いい子だ」
素直に頷くロドル猫は普段よりも言動が幼い。
本能のうちの甘えの部分がより強調されている。普段は頭を撫でると怒るのに、今じゃ逆に擦り寄るほど。これはいわば、人よりも猫の方に精神が寄っていることを意味する。極論を言えば、このまま行くと戻れなくなる。自分が人だったことも忘れて、猫のまま猫として人ではなくなってしまう。普通に黒猫の姿を保つ退化魔法を発するよりも、月光瓶が壊れたことによる退化の方が圧倒的に精神を壊すのだ。
先ほど思った「脳みそが小さくなるのだろうか」という疑問は、冗談でも疑問でもなく本当にそうなのだろう。
「アルバート君」
ナンシーがこっそり耳打ちをする。
「ご存知の通り、お坊ちゃんのあの状態は二日が限界です。分かっていますね? あの悪魔にかけられている呪いは、普段は笑い話で済ませられる程ごくごく小さく、たいしたことがないものですが、非常事態の場合は違います。月光瓶はかなり精密で頑丈に作られているため、壊れる事はほぼほぼありません。……そもそも作るのがかなり難しいので、量産ができないことが難点なのですが――」
アルバートは思い出す。
こいつがその例の呪いにかけられたばかりの事を。あの時はなんとかして、月光瓶を作って持ち堪えた。その月光瓶が開発できるまでの時間、あいつはずっとリアヴァレトで、長い間たった一人で研究していた。あの時は本当にリアヴァレトでしか人型を維持できなかったから、あいつもかなり精神をすり減らしたはずだ。
左眼にかけられた呪いは、解くことが結局できなかった。
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