千年主人使用人
ゆらりゆらりと尻尾が動く。真っ赤なリボンが結ばれているそれを、黒猫は首を傾げながら追いかける。ぐるぐると同じところをぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……――。
「なんか赤いのが見えるー」
「それ、お前の尻尾な」
黒猫になると脳みそも小さくなるのだろうか。
普段よりも幼い言動が多い。すりすり甘えてきたり、紐でじゃらされたり、おさない子どものようで危なっかしい。
「お坊ちゃん。月光瓶の材料を集めるのでアルバート君と一緒に来てくれませんか? アルバート君はお坊ちゃんを抱っこしてあげてください!」
「へいへーい」
「アルバート君。『はい』は一回です」
生前こいつの教育係も務めていた彼女は、礼儀作法にうるさい。
「ナンシーさんは厳しいなぁ」
「アルバート君は変わらないですね」
ロドルが抱っこをせがむので、アルバートは彼を持ち上げる。ロドル猫はアルバートの身体に自分の身を擦り寄せる。
「ナンシーさん、こいつ置いておきますよ」
ナンシーがいる部屋に着いた時、抱えた黒猫を机に下ろした。ぴょこぴょこナンシーの方に向かうロドル猫は、資料を見ているナンシーの右肩を前足でちょいちょいっと突く。
「ナンシー?」
「……へぇ!? あ、お坊ちゃん。あ、アルバート君、ありがとうございます」
ビックリしたようなそんな声を上げ、彼女はロドル猫をじっと見て前足をちょっと持ち上げた。ロドル猫は前足を持ち上げられ、ちょっと体が浮いている。
「?」
ロドルは半疑問。
「はぁ……ぷにぷに……」
「く、くしゅぐったい」
肉球をぷにぷにと押す使用人ナンシーに、アルバートはため息。
「ナンシーさん」
「は!」
「大丈夫ですか? 俺がやりますか?」
「あ、アルバート君は大丈夫です! わ、私が行います! 誠心誠意、お坊ちゃんを元のお姿に戻すことに努めさせていただきます!」
忠誠心の高い使用人らしい言葉。しかし――。
「ナンシーさん。そいつの前足を放してやってください。かっこいいこと言っても、肉球を触りながらじゃ、説得力がないですよ」
嫌々頭を振る主人の前足を、ずっと触って喋る使用人。
「くすぐったいよ!」
「ごめんなさい。お坊ちゃん」
大丈夫だろうか、アルバートは不安だった。ナンシーに部屋を出て行くように言われ、アルバートはカウンターに座った。座るとそれを見計らったかのように出てくるカフェオレに、アルバートは眉をひそめ、出した店主を見た。
「毒とか入ってないだろうな?」
「入ってないわよ?」
アルバートは小指をカフェオレの表面につけてそれを舐める。毒は彼女が言う通り入っていない。砂糖一杯にミルクが少なめ。
自分好みの配合である。
「相変わらず、私に心を開かないわね」
「誰が開くか」
アルバートは悪態を吐く。
「護衛騎士様……ずっと続けるつもり?」
頬杖をついて彼女が聞いた。わざとらしく顔を寄せて自分を誘惑するみたいに。彼女の胸元が自分の顔に近い。
アルバートは露骨に嫌そうな顔をした。
「お前に言うか」
「つれないわねー?」
アンジェリカはさりげなくお菓子を勧める。アルバートはその皿を押し返す。毒はなくとも睡眠薬の類は混入されてそうだ。
「お前と話す気はない」
「……そう?」
アンジェリカは口に含ませた言い方をする。
「仲良いと思うのよ。そんなに長く続く友情なんてないでしょう? でもね。私は思うのよ。一回でいいから壊してみたいなぁとか、切り裂いてみたいなぁとか。完全な純粋なものほど割れ目は目立つし、そこから壊れやすいものよ?」
「お前なぁ!」
「……気をつけなさい。完全なものほど崩壊は早いのよ」
「ッテメェ!」
アルバートが手を上げた時、ドアが開いて向こうからナンシーと抱き抱えられたロドルが出てきた。アンジェリカの顔ギリギリをアルバートの拳が振り落とされる。
それが寸前で止まった。
「アルバート君!」
「……ゆるさねぇぞ、絶対に!」
ナンシーはアルバートの腰に飛びつきバタバタ暴れる彼を押さえた。それでも暴れる彼にナンシーは叫ぶ。
「落ち着いてください! アンジェリカ様が貴方を挑発するのはいつものことじゃないですか! 落ち着いて!」
「……ッ」
アルバートはようやく動きを止めた。
「アンジェリカ様!」
「だってー。可愛いんだもん〜」
彼女はというと、反省など微塵をしていない。
「アルバート君ももう大人なんですから頭を冷やして考えてください!」
アルバートは頷いた。
「ああもう! アルバート君! 月光瓶の材料は集まりました! お坊ちゃんがこの状態ですので、お手伝いお願いします! お坊ちゃんはアンジェリカ様が貴方に悪戯なさらないようにこっちに来てくださいまし!」
床に座り込むアルバートに未だ黒猫のロドルは近づく。
「アルバ? 大丈夫?」
「……あぁ」
「抱っこして?」
「ああ」
前足を自分の胸のところに置く黒猫。そいつをひょいっと持ち上げて立ち上がった。
「心地ぃ」
「そうか」
あの日からずっと変わらない。
変わってやるものか、と自分は思う。いいじゃないか。俺を頼るものがいるならそれを支えたって。損得はもう考えてはいない。胸の中で眠るこいつを、ずっと支えてきたのは自分だ。
俺はずっとお前の護衛騎士様だから。
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