月光瓶人質黒猫Ⅱ

「仕方ない。行こう」


「うん。僕も覚悟を決める」


「俺もだよ」


 さて、外に行くにあたってやらなければならないことがある。アルバートはロドルの後ろから細い革紐状のものを首に巻きつけた。ロドル猫が一瞬動きを止めたため、巻きやすくなる。


「ん?」


「首輪つけないと、野良猫と区別がつかないから。もし子どもに遊ばれてどこかに行っちまっても、飼い猫だと分かれば戻って帰って来られるだろ」


 アルバートはロドルの首に余裕を持たせてそれを着ける。前に金具が付いており、革紐に空いた穴に金具を通して、パチンとそこで止めた。


 ロドルの顔が一瞬で、恐怖の色になる。


「イヤダァ! 首輪だけはやめて、首輪だけはぁ! 怖い。やめてぇ! 外して、イヤなの! 怖い、外してぇ!」


 首をカリカリ引っ掻いて対抗するロドルのせいで、アルバートの手には無数の引っ掻き傷がつく。


「我慢しろよ! イヤなのは俺も知ってる。だけど、お前を守るためにはなぁ!」


「イヤァッ! 嫌ダァ! 怖い、怖いよぉっ! イヤァッ」


「暴れるなって!」


「怖いっ、イヤァッ。怖いよぉ……嫌。怖い。嫌ダァ」


 しくしく泣き始めるロドルに、アルバートは仕方なしに首輪を外してやる。


「ごめんな。よしよし、ごめんな」


「怖い……首輪イヤ……怖い」


 外しても尚、しくしく泣き続ける。


「はぁ……やっぱりダメか。俺が外に出さなきゃいいだけか」


 アルバートは麻袋を取り出した。


「コレに入れて俺のシャツに入るか。首輪恐怖症は治ってないのな。首に関するトラウマ多いからな、お前」


 ロドルは、麻袋には素直に入った。


「だって怖いんだもん。ネクタイもゆるゆるにしないと締められないんだ」


 麻袋の中から声を出す。


「よし、運ぶぞ。さっきの合図を守れよ? にゃあは『はい』にゃんが『いいえ』だぞ」


「にゃあ!」


「よしいい子」


 アルバートはロドルの頭を撫でた。ふわふわの毛が手に触れる。


 そして数十分後。何事もなく目的の店に辿り着いた一人と一匹はドアを開けるのを躊躇っていた。


「着いた」


「開けないのか?」


「開けるよ」


 カランコロンとドアが鳴ると、奥にいた店主が手を挙げた。


「あら、アルバートちゃんじゃないの。お久しぶりねぇ。今日はクリムちゃん、いないの?」


「……いるけど、ちょっと問題あって」


 近づき目の前に立つアンジェリカに、アルバートは半歩下がりたい衝動になる。腕を伸ばせば触られる範囲まで彼女が近づいた時、麻袋の中のそいつを掴みアンジェリカの前に出した。


「月光瓶の材料を売ってくれないか? 黒猫から戻れなくなっ……て……」


 アルバートが言い切るのが先か、言い終わるのが先か。


「キャーッ! クリムちゃん! かわゆい! 可愛い! 可愛い!」


 アンジェリカはアルバートの手から黒猫をぶんどる。


「苦し」


「もふもふー」


「お、お腹触るな!」


「いい匂いー」


「に、匂い嗅ぐな!」


「耳の後ろのこの辺りの毛を撫でられるの猫ちゃんは大好きなのよねー」


「……うっ……ぁっう」


「きもちいでしょー」


「いやぁ……うっぁ」


 ロドルはアンジェリカの胸の中で夢現。くねくね身を捩じらせて完全に意のままに操られている。懐柔して弄ぶが如く。


「顎の下ー」


「うきゃぁ……」


「耳の後ろー」


「ううっ……あぅ」


「頭ー」


「にゃぁ……」


「頬っぺたー」


「イヤぁ……」


 猫が撫でられたり掻かれたりすると気持ち良いポイントは、だいたい猫自身ではグルーミングが出来ない地点に集中している。そういったところというのは、母猫が子猫の時にグルーミングをしてくれたところであり、猫はその時を思い出すためだ。自分では触れることが出来ないので血流のコリがほぐれて気持ちが良いという説もある。


「あらぁ、おねむ?」


 グデッと全身の力が抜けたロドル猫は、アンジェリカの手に完全に堕ちた。


「にゃぁ」


「猫みたいに鳴いちゃって。可愛い」


 アンジェリカはロドルを抱き抱え、店に置いてあった透明で金魚鉢のように丸い瓶を見つけた。そこにロドルを落とす。小さい身体の彼はスルッと中に入り、前足と後ろ足がバンザイになった状態ですっぽりはまった。ふわふわ柔らかいお腹を上にして、お尻が瓶の底につくかつかないか微妙なところで止まっている。背中はまるまるようになり、顔はお腹を見るように。


 落とされた衝撃で目を覚ましたロドルは、この状況に気づき、自分が瓶の中にいる事を知る。必死で瓶の中をカリカリ爪で引っ掻くが、つるつるの表面には爪が立たない。

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