月光瓶人質黒猫Ⅰ

「猫になったら『』と鳴け」


「にゃん」


 アルバートは燕尾服の下に潜り込んでいる彼に声をかけた。シャツの下がモコっと膨れている。脱ぎ捨てられたようにあるそれの下に、もぞもぞと動く生き物。


 アルバートは彼の首の後ろをつかんで持ち上げた。母猫が子猫の首後ろの皮膚を甘噛みして運ぶみたいに。猫というのは首の後ろの皮膚が厚く、噛まれても痛くない様になっている。


 だから、この持ち方は間違ってはいないのである。


「フラグ、回収しなくても」


「なんのことだよ」


 持ち上げると彼の前足も後ろ足もダラッと垂れて、空中に浮いた。足をバタバタと動かすが、地面にはつかない。


「それより地面に下ろして。僕、この体勢きついよ。足ぶらぶらなんだもん」


 ロドルがそういうので、アルバートは彼を地面に下ろした。


「月光瓶が壊れて黒猫の姿になるって……」


「んにゃ。僕もこの姿じゃ狭いところ入るにはちょうどいいけど、人型じゃない分――、苦労が多いの」


 ベタッと地面に伏せるロドル猫。


 月光瓶というのは、カポデリスでは黒猫の姿になってしまうロドルの呪いを、打ち消す役割を持つ魔法道具だ。満月の日以外で黒猫に戻ってしまうなら、あらかじめ満月の光を貯め込んで持っておけばいい。そういう考えの元、ロドルがその昔、自分で開発した魔法道具――、それが月光瓶。


 ロドルはそれをいつも首にかけている。


 満月の力を溜め込んだ月光瓶がある時間は、猫の姿にも人の姿にもなれる。だが、月光瓶の効果が切れたり、壊れたりしてしまうとその効果を発しない。


 結果、黒猫の姿に戻ってしまいこの状態になる。


「どうするんだ」


「とりあえず部屋に戻らなきゃ。そして、月光瓶を作り直さなきゃ。材料がなかったら買いに行かなきゃ……」


 アルバートの目の前には一匹の黒猫がいた。左眼の傷は人型と変わらずついており、金の瞳を持つ一歳くらいの子猫。


 それがぺちゃくちゃ喋っている。


「薬作れるの?」


「作ろうと思えば作れるよ? 肉球が邪魔だけど」


 ロドルはアルバートの手をむにむにと肉球で押す。子猫らしくぷにぷにで柔らかい。


「服に入れて。子どもに見つかると厄介だよ。遊ばれちゃう」


 ロドル猫はもぞもぞアルバートの服の中に潜り込んだ。シャツの中がふっくら膨れる。


 ふわっとした毛が肌に触れて思わず身震いをした。


「俺がお前に話しかけたくなったら、『はい』か『いいえ』で答えられる質問にしてやるから、『はい』なら『』、『いいえ』なら『』って鳴いてよ」


「……にゃあ」


 どうやら納得がいかないようだ。


「素直でよろしい」


 アルバートはふっくら膨れたシャツを抱えるように裏路地を出た。そうして十数分後。部屋につき、彼を下ろす。


 ロドルはきょろきょろ辺りを見回した後、自分の机に向かった。


「……登れない」


 ロドルは前足だけ椅子にかけて足を踏ん張るが登れない。後ろ足はダラッとしていて空をかく。


「はいはい」


 アルバートは彼をヒョイっと持ち上げて彼を椅子に座らせた。


「無さそうだぞ」


「無い……だろうなぁ。最近こっちの薬品棚を向こうに移動したばかりだもん」


「魔法陣で魔王城に戻るのは無理なの?」


「さすがに肉球じゃペンが持てないし、アルバートに指示してやるにしても魔法公式が一つでも間違っていたら、僕らは時空の狭間で迷子だよ」


 完全に詰みである。


「……一つだけ材料が売っている場所があるの」


「どこだ?」


 ロドルは顔を暗くした。


「出来れば猫の姿で行きたくなかったの。もふもふ弄られるし、撫で繰り回されるし、アルバートが嫌いな場所……」


 その顔で察した。


「あそこか」


「アンジェリカの店だよ」


 確かにあそこは嫌いだ。この世で一番嫌いな場所。理由は、この世で一番嫌いなあの彼女がいるからだ。


 でも、今の状況はそんなことを言っていられる場合ではない。

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