Ep.08 天使が地獄に落ちるまで
その後、何人か引っ掛けてもう日暮れ近くなった頃だった。
「そろそろ引き上げよう」
アルバートがそう言い、次が最後の一人にすることになった。アルバートと離れ、僕はまた街に立っていた。
「お嬢さん、お花を売ってくれる?」
「ええ、喜んで」
声をかけてきた男はあいにくターゲットではなかったが、僕は変わらず応対する。こういう事はよくある。事前に調べておいてもアクシデントはあるし、計画を直前で変えることもある。臨機応変に対応する為には、まず計画とズレていても顔に出さないこと。
「おいくら?」
「銅貨二枚ですわ」
女言葉も慣れてきた。僕はこれでこの恥さらしなお仕事も終わりだな、と安堵する。これでこの服を脱げる。
その時だった。
「……あ……がっ」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
男の右腕が自分のみぞおちを深く突き刺していて、自分の身体が地面に崩れ落ちた。その落ちていく身体を男は受け止め、あろうことか自分の方に引き寄せる。
花籠が地面に落ちて――、中の花が散らばった。
「大丈夫ですか?」
日暮れ近いとしてもまだ大通りには人が疎らにいる時間だ。多分親切にも花を拾ってくれたおばあさんの声だろう。僕は声だけしか聞こえなかった。
「平気です。……妹は貧血気味でして」
僕は男の懐に顔を埋めていた。抵抗しようとして声を出そうとしても、声が出なかった。やられたのは喉か。ヒューヒューと風切り音みたいな変な音しか出ない。
そんな声では、おばあさんには聞こえない。
男は僕の頭をがっちり押さえて動けなくしていた。僕の馬力が小さいとしても、かなりの力技だ。
「……なにっ……が」
「大丈夫、大丈夫。抵抗しなければ痛くはしないから。抵抗しなければ、ね」
抵抗するに決まっているだろ。
「……ゲホッ」
遠くで僕を常に観察しているアルバートも、これを見ていただあろう。が、きっと遠くからでは僕が男の財布を抜き取る途中にしか見えなかっただろう。
「……ちょっとお兄さんについて来てくれればいいだけだから」
「やめっ……ろ」
ダメだ、視界がぐるぐる回っている。さっきから息が上手く吸えないせいもあって、手足が痺れてきた。それに男の服から匂ってくるこの甘ったるい匂いはなんだろう。香水にしては甘すぎるし、吸えば吸うほど頭が痛くなる。
息を吸うにもこの匂いを吸い込むし、外の空気を吸おうとしても男に頭を抑えられてしまっている。
「……」
酒だ。それもかなり強力な類の。
「おやすみ坊や」
裏路地に引きずり込まれる。
そこでようやくアルバートは様子がおかしいことに気づいただろう。僕が男に抱えられて移動しているし、僕の意識は飛んでしまっている。アルバートがいる場所は僕からちょっと離れているから、この時点で気付いても間に合わない。
でも僕はアルバートがここで気づいたことに感謝している。もしアルバートが気づいたのが早く、男が僕を気絶に持ち込む数分の時に現場に駆けつけていたとしたら。男にもう一人の仲間がいたらアルバートも捕まってしまうし、いなかったとしても男にアルバートの居場所がバレてしまうから。
「大人しくしていてね」
この男は人攫いに慣れている、僕はそう確信していた。僕は昔から何度かこういう目にあっているのだけれど、こんなに堂々と攫われるとは思いもよらなかったのだ。まだ大通りには人がいる時間だった。それに通行人は崩れ落ちる僕を見ているだろう。
男は通行人から見て僕たちがどう見えるのかさえも計算して僕を気絶まで持ち込んだのだ。
「酒で堕ちるのは子どもだからかな」
アルバートこいつはダメだ。来ちゃダメだ。今、出てきちゃダメだ。お願いだから今、出てこないで。
「貨車持って来たのに案外軽いからいらなかったかもね」
それにこの男。
「暗くなるまで待ってよかったよ」
細身の外見で人が良さそうな顔をしているのに、どうやら僕をずっと付け狙っていた、顔に似合わず随分と狡猾なやつみたいだ。
「さてと」
急に目の前が暗くなる。
男の声がくぐもって遠くで聞こえる。僕はズサっと麻袋を投げるみたいに落とされてそのまま――、しばらく気を失っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます