Ep.09 僕の心が折れるまでⅠ

「イテッ」


 頭を強く打ち付けて目が覚めた。筋肉がピクッと動いた時の反動で壁に当たっただけだから、刺客が来たわけではない。


 寝転がされたまま薄ぼんやりと開く目で辺りを見渡す。腕が動かなかったから手首が後ろで縛られている。足首も同様。腰の辺りを太い縄で縛られているのも感覚で分かる。


 口は開く。目も開けられたから目隠しはされてない。僕は腹筋の力だけで上体を起こす。


 床に座る体制まで身体を動かした。


 縛られている手首をなんとか動かして袖口に短剣が入っているか探ったが、どうやら入ってないみたいだ。僕が短剣を袖口に隠しているのは、攫われた時にせめて手首の縄くらいは自分で斬れるようにする為。何度も人攫いに遭い、その中で身につけた嫌な習慣である。


 落としたわけではないだろう。あの男に見つけられて抜き取られたと考えるのが妥当。


 次に手首の縄が取れるか試してみたがどうやら無理みたいだ。気絶して身体の力が抜けまくっている時に縄で縛られただろうから、キツく固く締められている。


「どうするか……」


 人攫い、だよな。


 この状況でも冷静に頭が働くのは、こちらも攫われ慣れているからだろうか。あんまり慣れたくもないものだ。


 僕は辺りを見渡した。


 甘ったるい匂いがするとは思っていたが、案の定ここは酒蔵だった。そこまで広くない部屋に酒樽がゴロゴロ置いてある。何個か液垂れしているのが見えるのは管理があまり良くないからだろう。――赤黒い液体。


 そこからなんともいえない悪臭が漂っている。


「最悪だ……」


 狭い分、その臭いは部屋中に充満している。


「臭っ」


 ドアを見るとおそらく外から錠がかかっている。臭いだけで酔いそうだが、さっきといい、おそらく男の狙いはそれだろう。


 この劣悪環境で酔わせて眠っている間に売り飛ばす。


「頭痛い……」


 空気孔は一番上に小さいものがあるが酒の臭いはそこから出て行かない。


「あ」


 見るとワンピースの裾に濡れた液体がかかっている。それは酒樽の中の葡萄酒と同じく、赤黒いもの。


「まさか……な」


 いや、まさかな。


「ゲホッ」


 吐き出すと液体が出てきた。吐瀉物は血が混ざっているのではないかというほど赤黒い。それはドロドロと粘っこくて、吐き出したことによって喉が酸っぱくなる。


「頭痛いのは……どうやら臭いだけで酔ったわけじゃなさそうかも」


 呑まされたかもしれない。


 無理矢理、眠っている間に口に流し込んで吐くまで何度でも。長く深く眠らせるために、多めに、長い間。


 口の周りが濡れている感覚はなかったから拭いたのだろうか。そういえば少し遠くに床がじっとり真っ赤に濡れたところがある。


 そこで僕が何をされたのか、考えるだけでゾッとする。


「あっ」


 ドアが開いた。入ってきたのはさっきの男だった。


「ゲホッ……てめっ」


 僕が男を見上げて咳き込むと、男は汚いものを見るような目で僕を見下ろした。僕をモノみたいに見るような眼だ。


「ジャック、そんな名前だっけ」


「なんで僕の名前を」


 それになぜこの格好を見てそんなことを言うのだ。


「やっぱり男の子だよね? ……変だと思ってたんだ。最後の服屋から出てきたのはワンピースの女の子と服が変わってない男の子。入った時と出た時で違うんだもの」


 ずっと見てきたような口ぶりだ。


「気づいてた? ずっと尾行してたの」


「……あの時の」


 間違いない。広場に行く前に物陰から僕を見ていた目。品定めするようなあの目の男だ。


「そうそう、やっぱり気づいてたんだ。勘がいいとは思ってたよ。この状況でも喚かないし、頭いいでしょう」


「でもなんで僕を」


「分かってるんじゃないのか。君、この状況に慣れてるでしょ。きっと過去に何度かこういう目に遭ってるんだ。理由は言わなくても分かるよね」


 きっと髪だ。この黒髪だろう。

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