Ep.36 紅瞳のシニガミⅡ
「私に本当に忠誠を誓っているのなら」
魔王の側近。それなら出来るだろう。
それにしたって、魔王襲撃を見事に成し遂げたそのカラクリが魔王の側近だったからとは思わなかった。命令してその通り魔王を裏切ってくれるんだ。
ならこれが出来ないとは言わせない。
「魔王の首を掻っ切りなさい」
「……はぁ」
「寝首を掻っ切って持って来てくれればそれで良い。簡単でしょ?」
ロドルはしばらく黙り込む。顎に手を当て、考え込む。その動作は何度もこういう命令をした後にしていた。
今までした命令の中でもこんなに簡単なものはないだろう。ほとんど『無』と言ってもいい彼の気配と、彼が魔王側近まで託される信頼を持ってすれば成し遂げられるだろう。
ロドルにとって息をするより簡単だ。最も、彼は悪魔だから呼吸などしないし、心臓の心拍もないのだが――。
「……貴方も堕ちたものですね」
一言。たった一言だけ言いお辞儀した。それが私たちの間で決めた了承の合図だった。綺麗なお辞儀。
――と思ったのだが、
「すみません。それだけは承ることはできません」
ロドルから聞こえたのは謝罪の声だった。
「なぜ!?」
「僕が決めているからです。例え命令だとしてもそれだけはしないと僕が決めているからです」
呆れた。頑固として曲げるつもりはないらしい。ロドルは真っ直ぐ大公妃の顔を見据えていた。ロドルの黒い瞳は何もかも吸い込むブラックホールのよう。大公妃は少したじろいだ。
「……命令に背いたらどうなるのか分かって言っているの?」
魔王城襲撃という魔王を裏切る行為をして、いまさら何を。
「はい。ですがそれを貴方に言われる筋合いはありません。僕は魔王を殺さないと決めている。そして、もう一つ決めていることがあるのです」
ロドルは剣を握りそこに立っていた。
その剣は何度か見たことがある。真っ黒い刀身の不気味なオーラを放つ長剣。名は確かゲシュテルン。
運命――、という彼の愛剣。
「貴方はココで死ぬ」
彼の顔が不気味に笑った。今の顔は今までとは違う。彼の人間離れした綺麗すぎる端正な顔が、そういう顔をすると妙に迫力がある。酷く冷酷に見えるのだ。
「なぜそんなことを?」
大公妃はゆっくりと瞬きした。ロドルの口元にはうっすらと笑みが見え、身震いを感じる。冷酷な悪魔を大公妃は見る。
「それは契約者の私に対しての裏切りでしょう?」
「そうですね。ですが、僕は魔王を殺せと言われたら最後、依頼者を殺そうと決めているのです。それが引き金。僕はいま引き金に手をかけています。墜ちたものは僕が魔王側近と気づいたら誰だってそう願うんですよ。だから昔からそう決めている。魔王を殺しても自分達に利はないのに願うんだ。滑稽だろう? 僕の忠誠を知る為に僕が仕える主人の命を捧げと願う。そして貴方もそうだった。……異論は認めない」
背筋がゾッとした。
さっきまでは大公妃の方が優勢だった。たった一言で戦況が変わってしまった。後悔してももう遅い。が、大公妃だって馬鹿ではない。せめてもの抵抗。大公妃が手に入れた彼の情報。
「紅瞳のシニガミ。又の名をホルド・ルチーフェロ。禁書によると必ず依頼を遂行する悪魔。誰かを殺せと命じても必ず。魔力の高い上級悪魔で、殺される前に人は口々にこう言う。『真紅の瞳の悪魔』だと。その瞳は血染めの返り血なのか、定か気はないけれど、いま――、確信する」
大公妃がそう答える前に、ロドルはニヤリと笑っていた。手には真っ黒な長剣。妖しく光るその刃は哀しく鈍く。
嘲るような顔。
「なに言っているんだい? 僕は紅瞳のシニガミと呼ばれたことはないさ」
そして、殺気に満ちたそんな顔。
「……ほら、僕の瞳は黒いだろう?」
最期に見たロドルの左眼は、傷跡がいつも通りある以外に変わったことがたった一つだけ。傷跡の向こうにその瞳が鈍く輝いていた。傷跡はその瞳を縦に切り裂くように在った。この傷はなんの為にあったのか。今までなぜ気にならなかったのだろう。この傷跡をつけたものは見たのだろうか。いや、見たのだ。この真っ赤に鈍く輝く、人ではない瞳の色を。
その瞳は生き血を吸い取り染まったリコリスのようだった。
赤よりも深く濃く血のように染まる、その色だ。
真紅――呼び方はクリムゾン。彼の天界名はそれだった。
「あ、紅い瞳……呪われた、双子……」
大公妃は知っていた。その瞳が何を示すのか、この者が誰なのか、彼の本当の名前も、何もかも。
「――……ジャック・クロ……」
「女王陛下」
大公妃はその先を言えなかった。彼の長剣は無情にも振り落とされる。口を開けた自分の喉から彼の長く黒く恐ろしい剣が、自分の身を突き抜けるように刺さっていたからである。
「……僕、その名前嫌いなの」
ズブズブと嫌な音を立てながら、深く、深く。
ロドルが剣を抜くと水風船がはじけた。
彼は考える。つい斬り損ねた。中途半端に斬り殺されるなら、心臓を一撃で貫け。一瞬で素早く相手の懐に。
なぜなら彼は中途半端に斬られ瀕死の状態で生きのび死を待つなら、それならば殺せと願ったことがあるからだ。
「最期に大公殿下から伝言だよ――『クイーンは盤上から消えてくれ』本当に嫌われているねぇ」
だから彼は確実に突き刺す。それが斬る相手が苦しまぬ最良の手だと思っているからだ。あの時から知った事。自分の身でそれは体験している。だから、知っている。
この死に方はきっとこの世で一番苦しい。
彼はこの身をもって殺されることの苦しさを知っている。
なぜなら――、僕は死ぬ時とっても苦しかったのだから。
「ああ、もう聞こえてないか」
悪魔は独り言を呟く。
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