Ep.35 一縷の希望
僕は見えない牢に囚われた囚人だ。
手には手錠を、足には枷を、首には首輪を、それは全て鎖で繋いであり自分の動きを拘束する。鎖は重く、無骨だし痛い。助けてくれと叫ぶ僕の声はこの鉄で出来た牢に反響して自分の耳に返ってくるだけだ。
だが、牢の外に看守は居ない。
あろうことか牢の中、僕の数歩先に自分の手錠を開ける鍵と牢を開ける鍵が丁寧にどの鍵が当てはまるかまでキチンと分かるように置いてある。
昔はもっと届く距離にあった。
今は寸でのところで届かない。
鎖が昔よりも重くなり、太くなり、自分が歩けないまでになってしまったからだ。あと一歩。目の前にある鍵を開けさえすれば自由なのに、居ないはずの看守に怯えて牢の鍵に手を伸ばせない。
だから僕は「助けてくれ」と叫ぶ。
鎖を取ってくれと、手錠が前よりも増して重いからと、たとえ声が潰れても構わないからと、鍵は目の前にあるからと。僕は手錠に繋がった鎖を引っ張りながら、壁を叩く。
きっと誰かには聞こえるから。
騒ぐ度に鎖がどんどん重くなるとも知らないで、叫び続けて声が枯れた。もう声は出なくなった。なら、壁を叩くしかない。檻の中でたった独り。狂った猛獣みたいに呻いて喚いて、目の前の鍵に手を伸ばしてもあとちょっとで届かない、そんな僕は檻の外から見たらとても滑稽だ。鍵は目の前、なのに届くことはない。
無様に倒れ決して鍵に手は届かない。
鍵という希望の前に、手が鎖で縛られている為にあと少しで届かないという絶望。これは簡単に人を壊せる。
僕は何百年もその状態だ。
もう人として狂い始めている、いや、もう手遅れだ。狂い死ぬまで終わらない。そしてそれは一体いつだ。
壁を叩きすぎて手から血が出ようとも、終わることはない。声はとっくに出なくなった。喉が渇いて堪らなくて、水を欲し悶えても、居ない看守は水も食べ物も持ってはこない。
身に覚えのない罪状。
僕ではない、そう叫んでも取り消されることはなく僕を牢に縛り、こうして目の前に鍵を置いた。
鍵は果たして希望だろうか。
僕は最近疑問に思ってきた。これは前ならもっと手前にあったというのに、いつの間にか遠くなったんじゃないか。これは希望ではなく、あと少しで届かないという僕を嘲笑う小道具じゃないか。きっとそうだ。そうに違いない。
狂えば希望さえも絶望に見える。
僕が狂い死するのにカウントダウンは始まっていて、カチリカチリと音を立てる。僕はそれに一切気づかずに、この牢に囚われたまま抵抗することももう諦めた。
死ぬなら今、死ねばいい。
諦めるということは、言わば絶望の中の希望を諦めたということだ。諦めさえしなければまだ希望あったろうに、それさえ諦めたらそれはただ死を望むだけの人形と同じこと。
人として、その尊厳を失って、牢の中で静かに待つ僕はどこかで見ている視聴者にどう見える? 面白くない? 動けと?
じゃあ鍵を取ってくれないか?
簡単だ、目の前の鍵を取って僕に投げてくれさえすればいい。僕の顔が隈で目つきが悪いだろうし、怖いっていうんなら、それは仕方ないけれど鍵を投げてくれさえすればいいんだから。簡単だろう? 子どもでもできるさ。猿でもできるかもしれない。
僕は檻の中の獣じゃないのだから、人なんだから、生きているんだから、死んだ人形ではないんだから、例え僕が鎖で雁字搦めの囚人だとしても僕は人だ。そりゃ、複雑な事情も抱えているさ。何百年も生きているんだからね。
普通じゃない。
あぁ、僕は普通じゃない。
鎖は重く首を締め付けるし、僕はこの首に絡まった鎖で自分の首を絞めることだって出来るさ。見たい? 僕が死ぬのを見たいのなら止めはしないさ。
それが僕にとって希望。絶望に堕とされ、助けを乞うても助けられなかった者に死というのは一縷の希望だ。
それは間違ってる?
あぁ、知らない者にとってはそうだろうね。体験したことないだろう?
僕の牢の外で僕を見ていただけの者に牢の中の僕の考えなんて分かりゃしないよ。誰も助けてはくれなかった。これからもそうだろう。
狂い死ぬまで終わらない。
牢の中の囚人が死ぬまでこのゲームは終わらない。
僕は多分、堕ちるところまで堕ちた。
叫び続けて声は枯れ、壁を叩いて手は血だらけ、この牢が自分の世界全てだと悟って目の前の鍵に手を伸ばすことも諦めた。初めから僕がいる世界はこの牢の中だけだ。そう違いない。そうだろう? こんな酷いことがあるか。
僕を縛ったやつはこの状況を見て満足か?
僕はここまで堕ちてやったぞ。予想してなかっただろう?
予想していたとしても僕がこうまでなるのに時間はかからなかっただろう?
なぁ。
僕は、いや僕のこの身は、僕だけのものなのにどうして僕は自由ではないのだ。
答えてくれよ。
僕はなぜ縛られている。
手錠は痛い。首輪はこの鎖で自分の首を締めない為にここにあるのか。息が苦しいんだ。足首にあるこの枷は何の為にあるの。歩けないんだ。丁寧に重りまで付いている。鎖は何の為にあるの。
僕はなんの罪でここにいるの。
答えてよ。
そしてこの鎖を、縛っているのは他ならぬ自分で、見えないこの牢を作り自分の身が縛られていると思いこんでいるのは自分の虚像なのだ。
幻を在ると思い込む、それほど僕は狂っている。
観客は僕がこう縛られているのを見て何を思う? 面白いか? 僕が悲痛そうなのを、猛獣のように騒ぎ立てるのを、絶望を噛み締めながらこの場に抗う術のない無様な様を、嘲笑いながら観ている者達よ。愉しいか?
僕の事なんて考えもしないくせに?
さぁ、答えろよ。
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