Ep.34 枷と手錠

 ザクっ、という足音が近づいて来る。革靴の音。それは段々大きくなり、ふっと暗闇から持ち主が顔を出した。


 端正で綺麗な顔が重く暗い。


「ネーロ」


「どうした?」


「なんでここにいる」


 呼び出したのは俺。場所を指定したのも俺。


「なんでって。俺がここに来るのは別に珍しいことじゃないだろ。おかしいか? 俺がここに居ちゃ悪いのか?」


 顔を上げた彼の口はうわずり、目は恐怖に震える子どものようだった。面白い、そう思ったのは、俺が人よりも残酷な思想だからなのかもしれない。


「俺がここにいるのは変か?」


 そっと不安そうに聞いてみる。目を細めてそんなような顔に見えるように。本心はそうではないのに。彼は黙っていた。握りしめたままの両手が微かに震えている。


「……そこは僕の場所だ」


 ようやく話し始めた最初の言葉がそれか。


「そうだな、お前の場所だ」


 頷き。そしてこう答える。


「――マウォルス暦、348年、4月5日。12時の鐘が鳴る、公爵家フェレッティ家の広い広い庭園」


 ロドルの顔は段々と血の気が引いて真っ青になる。


「お前が、死んだ年号と場所。……そうだろう?」


 ここは――セント・フィーネ大聖堂共同墓地。


 五百年前、マウォルス暦877年。12月31日深夜。


 カポデリス聖戦で貴族街は戦場と化した。


 元々は魔族を追い払うための聖戦だったが、それは聖戦が始まってから五年間だけ。その後は今までの王族世襲に疑問を抱いたもの、貴族の豪勢な暮らしに不満が募ったものが名乗りを上げ、次第に魔族よりも王族貴族に不満の炎が燃え広がった。


 貴族街――は戦火に堕ちた。


 フェレッティ家はこの街道が本格的に焼かれる前日に王族と貴族をつれ共にカポデリスから出て行った。暴徒と化した国民はもぬけの殻になった屋敷を何も知らずに焼き払う。


 本当に訴えたかった屋敷はよく燃えたという。それこそ轟々ごうごうと。


 しかし、燃えたとしても煉瓦は残る。


 聖戦が終わり、もぬけの殻になった貴族の屋敷に住むところを追われた者が住み着いた。それが今の建物の骨組みだ。


 王宮は共和制になったカポデリスの議院になり、一番大きい貴族の屋敷を教会に改築することにした。教会は聖戦の前半期に跡形もなく燃え尽き崩壊してしまった。それの後任となる教会を。


 丁度良かったのだ。


 カポデリス聖戦を終わらせたフェレッティ家。


 ――その屋敷はこの国で一番大きく、一番美しかった。


 屋敷を教会に、庭は墓地に、全て壊さず造り替えた。庭の中心にあったは、元々名前が削られていて――読めなかった。


 お前がなぜ、教会の内部がどうなっているのか知っているのか。それはお前がこの屋敷に住んでいたからだ。お前が執事として働いていた生前の実家はここ。


 そしてお前が死んだ所もここだ。


「帰ってこいよ、ホルド・ルチーフェロ。また俺の支配下に来い。俺が命令するままお前は動けばいい」


 勢いよく顔を上げた彼に優しく声をかける。泣きそうな顔をそっと嘲笑う。ああ、その顔が見たかった。


「……僕は!」


 上擦った声で抗っても、振り拭うことはできないのに。


「僕は君に屈しない。絶対に!」


 あぁ、また同じことをいう。


 前にも同じことを言われた。ずっと昔、遠い、遠い昔。違うのはお前の『一人称』だけ。昔は僕じゃなくて俺だった。


 たったそれだけ。


「……違う人のはずなのに」


「え?」


「いやなんでもないよ」


 覚えてないだろう。何もかも忘れて、姿形も変わっているのに、なぜ同じことを言うんだろう。俺は全部覚えているよ。あの日、あの場所でお前はそう言った。強い意志で俺に向かって行った。そんなお前に俺は呪いをかけたんだ。


 一生、いや転生したって解けない強力な呪い。


 お前は記憶も無ければ姿形も違うけど、その呪いだけは受け継いだらしい。――俺はお前が墓石からも消した名前を憶えているよ。お前が嫌で、嫌でずっと隠し続けている名前を。


「真名を知っているものには絶対に従う」


 ビクッと肩を動かした。怯えた顔。そんな顔が見たかった。長い本名はそのためのカモフラージュ。洗礼名を隠すため、俺がかけた呪いに対抗するため、お前の家が考え抜いた忌々しい浅知恵。暴いてしまえばなんの意味もない。


「血に十字架を背負う子よ、我に従い、我に忠誠を誓え」


 おもむろに胸に手を当て、膝を折る彼。その動作は自分の意志か否か。抗うかのように耐える顔が垣間見える。


 だってお前の本名を正確に知っているのは俺だけだから。


 御意、と小さく聴こえた。絶望に歪むその顔が見たかった。


 そう言ったら、お前はどんな顔をしてくれるんだろう。


「うん、それでこそ俺の可愛い、可愛い……」


「従属だ、でしょ?」


 怯えた顔が射抜くような視線に変わっていた。立膝をついたまま、かの英雄様の面影を残すその顔を見て、俺はまたニヤリと口が緩む。今でも対抗しようとする、その姿勢はあるのに。


 抵抗したいだろう、抗いたいだろう。


 ――誰も殺したくないのだろう?


 それでも、出来ない。出来ないのを、必死で抑えて俺の命令を受け入れる。その定めに必死で抗って見せるのだ。


 それでこそ面白い。


「頼みたいことがある。なぁに、簡単な事。お前にしかできない重要なことだ」


 お前は黙って頷く。逆らう理由も逆らえる方法も何もない。


 確かに今のお前には謂れのない罪かもしれないな、俺たちが望むのはお前であってお前じゃない。


 罪を犯したのは、前世のお前だから。


 なぜかは、お前が一番よく分かっているはずだ。


 なあ――、

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