Ep.32 貴族街のお茶会Ⅱ

「カンタレラでいいかしら」


「あの。僕はお茶飲むなんて一言も」


「そう?」


 言葉とは裏腹にロドルはアンジェリカが勧める前にカウンターに座り、羽織っていたコートを脱いでいる。


 ロドルはアスルの隣に座り、


「アスルさんはまたココで道草ですか」と聞いた。


 アスルは出したコーヒーにいつも通り砂糖とミルクを入れる。ここに来て二杯目のコーヒーだ。琥珀色の液体にミルクが溶けて沈んでいく。渦巻くように、スプーンを入れるとからんころんと液体は混ざり濃いダークブラウンになる。


は大人デスからね。仕事の合間に一休みしてもいいでショウ」


 アスルの一人称が『私』に戻っている。仕事モードだ。


「カップの底に砂糖が固まっているような甘々のコーヒーじゃ説得力がありませんよ」


「糖分がないと、この仕事キツイんデスよ。君みたいに此岸に縋り付くような人も少なくはないデスし」


 アスルが言うとロドルは苦い顔をした。淹れた紅茶は苦くはないはずだが。


「アスルさん、僕のことをさっきのように言っていたくせにそう言うんですか」


「聞いてたんデス? 盗み聞きデスかぁ、趣味がよろしくない」


 アスルの声にムッとした様子のロドル。


「盗み聞きじゃなくて!」


「貴方の癖デスよね。使用人は主人に断りを得なければドアを開けることは許されない。だから、ドアを開ける時は一瞬待ってから開けるのが癖。そうすれば中の会話を否が応でも聞いてから入ることになりますカラね」


 知っていたかのように、面白おかしくアスルが笑う。ロドルは悔しそうにむくれている。


「……知っているんなら黙っていてください」


 その答えでそれが図星だと分かる。


「あらそうだったの? じゃあ、デファンスちゃんがああ言った時も聞いていたって事に……」


 アンジェリカが呟いたのをアスルは聞き逃さなかった。


「何かあったんデスかぁ?」


 アスルがさも面白そうに聞く。アンジェリカも同じくニヤリと笑った。ロドルだけが不満そうだ。


「えっとねぇ、デファンスちゃんがねぇ……クリムちゃんのことを……」


 アンジェリカが言いかけると、ロドルが驚いたように目を見開いた。まるで、その後に何を言うのか分かっているみたいな、幼い少年がからかわれた時のような、ほほを赤らめたそんな顔で。


 アンジェリカは彼のそんな顔を見てニヤリと笑う。


「あーっ! もういいだろ! というか、その話デファンスに悪いとか思わないのか!」


 ロドルが大声を出し、アンジェリカは更にニヤリとする。ロドルはそこで自分が失言したことを知る。言わなければ墓穴を掘ることはしなかっただろう。


「ロドルちゃぁん? やっぱり聞いていたのね~? 盗み聞きなんて、なんて悪い子~」


「だから! それはその……」


 しどろもどろになるロドルを更にニヤニヤしながら見つめるアンジェリカ。アスルはアスルで、天界に帰った後の話のタネになるかもしれないと思って聞いている。


 ロドルの味方は今やいない。


 頼みの自分のメイドでさえもここにはいない。彼女はカポデリスで給仕をしているだろう。アンジェリカの代わりに。


 ここはカポデリスではない。入る者を拒む高い塀の中。隣国の貴族だけの国――ノービリス。


 アンジェリカの店。テ・ドゥ・ソルシエーテの二店舗目。


「いいじゃない。私はここの魔法陣を貸してあげたでしょう? いきなり店に来て『理由を聞かず貸してくれ』だなんて。借りるなら借りると予約すること! これ鉄則!」


 アンジェリカはニヤリと笑った。


「で、何しにこの国に来たの?」


 アスルは優雅にカップをすする。


 テ・ドゥ・ソルシエールはカポデリスとノービリス二店にあるが彼女はその間を行き来するために足ではなく、空間転移魔法陣を使っている。それをロドルは知っていた。今回使ったのもそのためだ。


「――言えないのなら貴方の本職でショウねぇ」


 アスルは独り言をいう。ロドルにもアンジェリカにもアスルの独り言は聞こえなかったようだ。


「アンジュはまた旦那様の話していたね!」


 ロドルはむすっと頬杖をつく。アンジェリカは「いいじゃない」とロドルの頬を突いている。ロドルは仕返しとばかりに彼女を強く叩いた。


「クリムちゃん。ムカつくとはいえレディを叩いてはなりまセンよ。ムカつくとはいえ」


 アンジェリカは構うことなく話し続ける。ロドルは自分の言葉が引き金になったことを悔いた。


「今でも思い出すわぁ。私がまだ少女だった時、真夜中歩いていたらあの人がいてぇ。一目惚れだったわぁ」


「アンジュののろけ話は聞き飽きたよ……」


「誠にそうでごさいマスねぇ」


 アスルはここに来て何度目かののろけ話に相槌を打ち、ロドルは更に多く聞いた同じ話に飽き飽きしている。


「アンジュの話はもう聞きたくないよ」


 ロドルはため息を吐く。それを見ていたアンジェリカは彼にそっと呟いた。


 戻らないあの人の、のろけ話はしてはいけないのか、と。


「だってお坊ちゃん、私の旦那様のしてくれるんでしょう?」


 アンジェリカがいう『あの人』はもうこの世にいない。

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