Ep.32 貴族街のお茶会Ⅰ

 カランコロンと鐘が鳴る。ノービリスの一角のとある店。


 アンジェリカは入ってきた客を見た。若い二十歳後半くらいの男。彼は真っ直ぐカウンターに向かって歩き椅子に座った。


「マダム。コーヒー、ミルクたっぷりでお願いシマス」


「砂糖は二杯で良かったかしら」


 アンジェリカはカップに注ぎながらそう聞いた。彼が唸る。


「お見事。流石デスね」


「貴方は仕事終わったの? 頼んだのがお酒ではないから仕事納めということではないでしょう」


 その男……――アスルが、アンジェリカからカップを受け取りコーヒーを一口含む。彼がお酒を飲まないことを知っているが故のジョーク。アスルはふと笑った。


「ここは僕のお気に入りのお店だから。仕事で来たら必ず寄るのが楽しみなんデスよ」


 僕、というのは彼の仕事以外の一人称。普段は私という彼なので、今はプライベートということらしい。


「仕事は終わった、といっても危険死霊の偵察と堕天使の確保だから、仕事といっても何もすることもないんだけどな」


 こう物騒なことを語るこの男は天使である。死霊が無事天界に行けるようにサポートするのが仕事らしい。


 つまりは案内人。


 だが、私が不思議に思うのは全く違うことなのだ。


「あの子は元気そうだった?」


「あぁ、クリム君にも会いに行きマシたよ。貴方も会ったのではないんデスか」


 語尾に少し訛りがある。敬語だと訛りが強くなるのが彼の癖だった。昔あったというとある国の独特のイントネーション。


 そして、言葉の合間に引っ掛けたくなるのも私の癖だった。


「仕事は死霊の案内人なのに、貴方はどうしていつまでも迷子なの?」


「嫌だなぁ、僕が選んだ道デスよ。神に仕える天使になったのも全て僕が決めたことデスから」


 アスルはそう答えた。


 コーヒーはたっぷりのミルクと二杯の砂糖。コーヒーとしての苦味は残っていない。それを美味しそうに飲み干す。彼は相当な甘党だと思う。堕天使に落ちたあの子の天使としての契約書をいつまでも棄てないで持っているのも不思議なところだ。


「でも、自分の意思じゃない子も居るでしょう」


「そうデスねぇ、未練ない死霊はすぐに転生してしまいマスから。僕のようにどうしようもない者は引く手、数多なのデスよ。僕は未練を晴らそうにも僕の故郷はもうありまセンし、誰も居ませんカラ」


 つまり、未練ある死霊はいつまで経っても転生出来ない。


 アスルやあの子のように。


「アンジェリカは僕の故郷がここの地下に埋まっていることを知っていマスね」


 故郷が何処にあるのかはハッキリとは教えてくれなかったが、なんとなくここノービリスの跡地であったことは会話の節々に匂わせる事がある。多分、カポデリスが出来た時に例の英雄が滅ぼした国なのだろう。


「小さな美しい国デシタ。小さく美しい国だったが故、力が無かった……それだけデス」


 アスルは持ち上げていたカップを皿に乗せた。どんな顔をしているのかと思いきや、普段と変わらぬ様子で普段と変わらぬ訛りのある口調で語る。


「今は亡き、愛する母国で僕は王宮護衛隊剣士をしていまシタ」


「へぇ、昔話をしてくれるの?」


「……妻も子どももいたんデスよ」


 アスルの表情が曇った。


 なかなか表情を変えない彼としては珍しいことだ。


「みんな死んでしまいマシた。ある朝、増援に出て行って手負いで帰ってきたら国自体が無くなっていた。もちろん、家など残ってさえいない。あの時の僕は荒れてマシたね。


 ――毒を飲んで自殺するくらいに」


 アスルの顔を見ると真っ直ぐと私の目を見ていた。嘘ではない。ちゃんと真実を語っている。


「なんで天使とか死神とか、天界の使者たちはくっらぁい過去背負っているのよ」


「あははっ、僕は死ぬ直前がとくべつ暗かったですけれど後は平凡な人生デスよ? 代々王宮騎士団でしたから、それに属し、結婚して子どもを預かり、とんとんの人生デス」


 なに不自由のない人生だ。誰もなら一度は夢見る平和な一家。


 親の仕事を継いでいるから、その人生の全てを自分が決めたというわけではないだろう。けれどそれは、アスルが生まれた時代では親の仕事を継ぐことが当たり前だったからだ。


「でも、思いマス。クリム君を見ていると自分の子達は成長していたらこんな背かなとか。息子は生まれたばかりでしたが、娘は四歳になる頃で、私の妻はいいとこのご令嬢で、それは綺麗な方でシタから。もっと一緒に居たかった」


「あらあら、さりげなく自慢も入っていたわよ」


「そう聞こえマシたか?」


 アスルはカップの底に溜まっている、溶けきらなかった砂糖をかき混ぜ、また一口飲んだ。もうコップの中身は空になっていた。


 おかわりはいる? と聞くとアスルは頷いた。


「壮絶かっていうと僕は、の人生の方が壮絶だと思いマスけどね」


 そうアスルが呟いた時、カランコロンとドアのベルが鳴った。入って来た客はカウンターに真っ直ぐ進んできた。


 入って来た客は――ロドルだった。

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