Ep.31 契約者
『あれでよかったのかい?』
ジャックはどこから聴こえたのか気づかなかった。
階段を降りる背後で声がした。
さきほど聞いたばかりの声。少年のような声の高い優しく響く男の声。その声は彼の耳元で確かに聞こえた。少し疲れている、そう思ったのは気のせいだったかもしれない。安堵というか労うように聞こえたのも――もしかしたら気のせいなのだろう。
「いいんだよ。それに」
ジャックがそう言うと声は黙った。
「お前が部屋に来るのにリヴィアが来ていちゃあ、話にならないだろ?」
『……まぁいいけど。僕は君の私情に興味はないからね』
彼の言葉の『は』の部分がやたらと強調されていた。おおかたこの前のことを言っているのだろう。結構根に持つ奴だ。
「それより、どこにいる?」
振り返っても人影などなく、声だけ聴こえていた。ぼんやりと黒い影が見えるだけで、他にはない。
『面倒だから、君に追跡魔法をかけてもらった。僕は一人しかいないんだよ……例え僕が君の従属でもずっと側にはいられないし、君が僕に危害を与えるようなことをされても面倒なんだ。僕にも仕事があるし、お仕えする人も居るからね』
仕事か。ジャックはクスッと笑ってどこから聞こえてくるかも分からない声に聞いた。
「仕事とは、そんなに楽しいことか?」
『……楽しくなきゃ何百年もやらないよ』
表情は分からなかったが、数日の付き合いでだいたいの性格は分かっていた。本心をいつも隠しているから、それを当てられる事に慣れていない。
きっと決まり悪そうな顔をしているはずだ。
『君は僕を調べ尽くした上でそう言うんだな?』
「そうだ。そうでなきゃ乗ってなんかくれなかっただろ?」
まぁ、そうだね。と彼が呟く。だから不機嫌そうなのだ。
『それで、次の頼みごとは』
「俺とリヴィアの護衛を頼む。俺が頼んだあの事件で、まず疑われるのは俺たちだから」
御意、と小さく彼が言う。少し悲しい目つきで。彼が言いたいことは分かる。だが、その為に彼を召喚したのに躊躇われても困る。それが最低事項であって一番の望み。
やらねばならないのだ。例え世界を敵に回そうが。
それとさっきのリヴィアの話で気になることがあった。
「お前さぁ、リヴィアと話したのか?」
『不服ですか?』
急に敬語になったのを聞いて、彼が警戒の体制をとったことを知る。そんなに身構えなくてもいいのに。
「いや。リヴィアとの接触は許可してなかったから」
『すみません。気になることがありましたので』
それ以上は言おうとしなかった。
それに兄妹だとしても普段なかなか会う機会のない家族だ。妹の行動など頭に置いてない。
『気になりますか? あんな命令を僕にした貴方の台詞とは思いませんね』
「気になるか気にならないかと言われればそりゃ気になるよ。あと、それは不敬だぞ」
そりゃ家族だもの。むしろ会う機会が少ないからこそ気になるのだ。そして、やはり根に持っている。
『では、報告致します』
彼の敬語は板についている。本業がそれとは聞いていたが、確かに完璧な礼儀作法なのである。
『始めに言っておきますが、僕はあくまで彼女の願い事を引き受けたわけではありません。君が始めに僕に命令したのは彼女に一切手を出さないこと。僕は約束を守ります』
彼が口を開くとあたりの空気が張り詰めた。思考の端っこでヴァイオリンの稽古に間に合うだろうか、と思い始めたがおそらく彼はこちらのスケジュールはすべて把握している。
「手短にね」
おそらくはじめから早めに切り上げるつもりだっただろう。
実にいい従者だ。
『存じております。一言で申し上げます。詳しくはまた後で』
耳を傾けると彼は言葉通り一言で答えた。
『ジャック様。貴方とリヴィア様はやっぱり双子でございますね』
「おいおい……それだけ?」
『後で伝えると言ったではありませんか。意味深なことを言ったらヴァイオリンの稽古に集中できないだろう? それじゃ元もこうもないじゃないか。それに――』
彼の言葉が一度止まった。耳を澄ますとまた聞こえてきた。
それは酷く蔑んだような低い、低い声。
『悪魔さえも手駒にしようとする君に、これ以上何を言うんだ? それこそ、君は死んだら天国か地獄、一体どこに行くのだろうね』
それを最後に彼の姿は消えた。意味深なことを言わないと言ったくせに。自分の名前を呼ぶ召使いの声でハッと現実に戻された。
不思議なやつだった。
あとでまた聞くことにしよう。
「お坊っちゃま、では今日はここから参りましょう」
目の前には幼い時から世話になっているメイドがいた。
「お坊っちゃま、はやめてください。俺はそろそろ十八ですよ? そろそろ成人の儀じゃないか……」
そろそろその呼び方がくすぐったくなってきた。
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