Ep.28 冷徹な視線の先には何が視えるⅡ

「……私も偶然見つけたの。それで貴方を頼ろうと思った」


「それで? 何の用だい。僕が悪魔だと知って、何を相談するつもりか。あいにく僕は人を呪うとかそういう類は一切出来ないし、片っ端からそういう依頼は断っているんだけど」


「違うよ」


 この人は勘違いをしている。もし、私が悪魔だとして、残虐非道な悪魔だったとしたら多分同じ勘違いをするだろう。知らないものにバレてしまったら自分を利用するかあやかろうとするものだと誰しも思うだろう。


 それは無理もない。


 大きすぎる力を持った者は、自分に近づくもの全てが飢えた獣に見えるという。相手の利益のために自分を利用しようとする、横暴な獣はいつもにこやかな笑顔で本音を言わず近づいてくる。私はそれで人を信じられなくなった可哀想な人を一人だけ知っている。私はその為にここにいる。


 この男のプレッシャーに耐えきらなければ、カポデリスで彼を嵌めようとした全てのことが無駄になる。嘘でもいい。彼の気を引き、彼が一瞬でも私の掌に乗れば良い。


 彼に魂を売ってでも――成し遂げなければならない。


「私、貴方に助けて貰おうと思ったの」


 追いつきたくて必死で図書館の本を読み漁った。決して届かないと諦めるほど私の性格は大人しくない。


 ロドルが載った本はたったの二つ。埃をかぶった二つには全く正反対のことが書いてあった。


「お兄さまと私を」


 あの箱に入っていた手紙。間違いない。


 彼があの手紙の相手だ。


「……――――」今度は私が楔を打ち込む。


 ロドルの耳がピクッと動いた。


「へぇ、どこでそれを? ・フェレッティ様」


 ロドルは一切表情を変えずに私の本名を晒した。やっぱり知っていたようである。いつから? という問いには多分初めから。簡単な偽名だった。ただ順を逆にしただけ。


 ホルド・ルチーフェロに倣ったのだ。


「確かに僕はそう呼ばれていた。だけどね、リヴィア様。ちょっと惜しいんだ。――僕の名前はもっと長い」


 ロドルが笑った。なのに、なんだろう。


「でも、ありがとう。名前呼んでくれて」


「目が笑ってないよ」


「ふふ、そうかい」


 どこか悲しそうな瞳だった。


「さて、僕に依頼すると言うのなら覚悟は出来ているね? 悪魔と契約をする。それがどんな意味を為すのか」


「分かってる。それぐらいの覚悟がなきゃ」


「僕にとっても君は好都合さ」


 ロドルは何処からか一枚の紙切れを取り出した。


 そこにはロドルの名前と、一行空いた罫線が引いてある。


「僕に深く関わった人間は――、全て僕の手で殺されてしまうらしい」


 ロドルがボソリと呟いた。


「それでも賭けに出るならこの書類にサインを。もしかしたら死ぬかもしれないから。僕は目の前で死ぬ人を見たくない」


「なぜ、そんな曖昧な言い方なの? それは自分の行動ではないの」


 リヴィアはそう問いかけた。まるで自分の事ではないような、そんな曖昧な言い方なのだから。


 ロドルはそっと目を閉じた。


「――僕はあいつの操り人形。僕を逃さない為に、ずっと自分の元において置くために。身に覚えのない因果の為に僕はあいつに殺された。僕はあいつの命令で人を殺す。指定された人を殺す。その血を僕はあいつに捧げる。契約者を殺せと言われたら、どんな人でも殺す」


 ロドルはじっとこちらを見ていた。


「さあ、引くなら今のうちだよ。今なら君の記憶を消せばなんとかなるだろう。君を殺せと命じられたら、君は僕の手によって殺される。契約には僕の本名を教えなきゃならない。それを知れば後には引けない」


 ロドルは何かに縋るようにそっと呟いた。もしかしたら引いて欲しいのかもしれない。普通悪魔は無理にでも契約しようとするのに可笑しなものだ。


「引かない。どんなことがあろうと引けない! お兄さまと約束した。私は生きなければならない。絶対に!」


 ロドルはふと表情を明るくさせた。


「ごめんよ。僕は悪魔なんだ。契約の代償は君の魂。だけど、僕は願いを叶える代わりに魂を取るなんて出来なくてね。だから、君が死んだ後に貰うことにする。昔からの大切な決まりなんだ」


 その顔がなぜか少し悲しく見えた。


 傷のある左眼はなぜか見えない。顔の半分に影がかかっている為と私は思っていた。いま思えば違う。彼の左眼が見えないのは――彼が見せないようにしているからだ。


「リヴィア、僕との契約。きっと君には死なせない。僕がもし君を殺そうとしたら近くにある鏡を割ってくれ。止まらなかったら剣を壊せ。僕は操り人形、術者がいるとしたら鏡の中だ」


 契約。それぐらい覚悟している。じゃなきゃいけない。


 ロドルの顔は表情が無い氷のようだ。その時思ったのだ、彼はあの時町で倒れた私を支えて心配してくれたように、今も私を心配しているのだろうと。


 脅迫するあの顔も、優しそうな顔も――。同じ。


 悪魔、ホルド・ルチーフェロの本名。


「僕の名前は――――」


 彼の名前を聞いて、私は目を丸くした。


 あの本で読んだのだから、さっき彼の前で彼の名前を言ったのだから。ファーストネームとラストネームは知っていた。


 そのはずなのに。


「え?」


「長いだろう。これが僕の本当の名前だ」


 私が驚いたのは彼ののことだった。

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