Ep.01 執事、ロドルの憂鬱
彼は自分の部屋の鏡と睨めっこをしていた。映るのはまだあどけない少年の姿。肩まで届く長く黒い髪が揺れていた。
仕立てたばかりのコートに身を包み、ポケットに必要なものを入れる。持っていくものはさほどないが、魔力補充の出来ない人間界に行くために魔力は出来るだけ使いたくない。
「くっしゅん」
舞った埃が鼻をくすぐる。
「くしゅっ」
まだムズムズしている。目を見やると積み重なった本の隙間に溜まった埃が目に止まる。そのあまりの数に、つい見なかったことにしてしまう。そういえば最後に掃除したのはいつだっただろうか。もう覚えていない。
窓を開けて、空気の入れ替えぐらいはしておく。外のキンと冷えた風。吹き込んだそれは部屋に流れ込む。
「ふぇっ、ふぇっ…………ぶぇっくしょん!」
窓の外に向かって大きなくしゃみ。口を押さえ、鼻をすする。
「風邪引いたのかなぁ……」
埃のせいだと思っていたが、外の風を受けた体に身震いがする。そういえばずっと働き詰めだった。疲れなのかもしれない。
とはいえ、彼が風邪などと無縁な存在であるのは確かなのだが、他の魔物とは違う彼が人間しか引かない風邪を、引いたと実感することは無理もない。
「風邪引いたことあるし」
そう強がってみる。聞いている人はいないけど。
ドアが無い部屋に唯一繋がる外への道。彼が自分で描いた魔法陣の上に立った。
「……と」
外に出ると何やら物音がする。一番長くここに仕えている彼は、執事長でもあり教育係の役目も持っている。
見た目の若さだけ度外視すれば、ずっと上の身分なのだ。
「ロ、ロドル様! あ、あの、あ……う……あの!」
「落ち着いて? 深呼吸して。それから聞くからさ……あと僕に様付け禁止なの知ってるでしょ? 僕ダメなの、どうしても様付け苦手なんだよ」
駆け寄ってきた召使いは息を切らしながら深呼吸する。
「はい! 分かりましたロドル様!」
相変わらずの言葉に彼はため息を吐いた。
「もういいけどさ……何?」
「デファンス様がお呼びのようです。どうやらメーア様からロドル様が出掛けると聞いたようで……」
彼は苦笑いした。とても嫌そうな顔で。
「なるほど。もしかしてそれは……」
ロドルが答える間も無く、後ろからの声に阻まれてしまった。
「ロドル! ちょっと聞いたんだけどさぁ。……どーこっ、行っくの!?」
「グハッ……!」
首が一瞬締められたロドルは、その相手であるデファンスを睨む。
「死ぬかと思った……」
思わずそう呟いてしまうほどの握力であった。とんだ馬鹿力だ。
ロドルは首元のネクタイを緩め、息を吹き返す。締まった気道に空気が戻っていく。ようやく息が整ってきた。
「何ですか。僕はこれから出掛けてきます。ですが、馬鹿力狼を連れて行く気はありません!」
「ひっどい! それでも執事なの!? 言葉の選び方が悪魔だわ! この人でなし!」
デファンスの剣幕にロドルは涼しい顔。
「はい。悪魔ですし、人ではありませんから」
そう言ってロドルはデファンスのおでこをピンっと指で弾いた。端正な白い顔はデファンスの目の前にある。瞳がキラリと光っていて、黒い髪が揺れる。余裕そうな顔の彼はデファンスの反応に意地悪そうに笑っていた。
「分かりましたか? 皇女様」
デファンスはおでこを押さえた。涼しい顔に少し腹を立てながら。そして――。
「顔が近い! 近い、近いんだって! 離れてよ!」
そう言ってデファンスは突き飛ばした。ロドルはよたっと足をもたつかせる素振りもなく、するりと避けた。その運動神経のよさにデファンスは舌打ちを打つ。
ロドルは地面に手をついて跪く。
「僕はこれから出掛けて来ます。カポデリスにて少し用があるのです」
「だから! 教会の方に行くんでしょう!? 連れて行ってよ!」
「それは出来ませんよ。僕が教会に入った途端、銃弾が飛んできます。デファンス様をそんな危ない所には」
ロドルは謙遜して見せる。だが、その顔には『どうしても連れて行きたくない』という断固なる意志があった。
「ロドルが行くから銃弾が飛んで来るの! 貴方が行かなければいいだろうがぁっ!」
「ふふっ、それは出来ませんよ。皇女様がドジでマヌケゆえ、あの教会組に何されるのか分かりません。僕は護衛する他ありませんよ」
「ロドルは何度も行ってるくせにぃ!」
涼しい顔の執事と、怒り心頭の皇女様。
二人の抗争は尚続く。
◆◇◆◇◆
「………はぁ。だから僕は嫌なんです」
魔法陣の上にはロドルと、ちゃっかり乗ったデファンスの姿。
頭を抱えているのはロドルだ。
あの後、デファンスはメーアに「ロドルが意地悪する!」と告げ口をした。こうした時、悪者にされるのは決まって執事ロドルの方で、ロドルは必死に抵抗したもののメーアの一言で決着してしまった。『駄目よ、ロドル! 自分の主人を守る立場の貴方が主人をいじめちゃ駄目じゃない』と。
皇女の味方は母。そして、自分は彼女の使い魔だ。
反抗の余地はない。
近くにいるメーアは見送りの役目。手を振って荷物を置く。
「デファンス。お使いをしてもらうからロドルの言うことはちゃんと聞くの」
ロドルはその言葉に憂鬱そうだ。
「早く行きますよ。では、メーア様。出掛けて参ります」
その言葉を最後に二人の姿は消えた。
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