Toy Symphony Ⅳ

「今日も晴れているね、クローチェ」


 魔王城の外で立ち話をしていたロドルとクローチェはそんな話をした。闇に閉ざされていたリアヴァレトはすっかり光のある場所になっていた。


「お前の魔王様が困るんじゃないか? 吸血鬼だろ」


「僕の主人はそんなやわじゃないよ。この前も日光浴していたぐらいさ」


 ロドルはくすくすと笑う。


「大霊樹は人々の魂をあの世とこの世を繋げる物だから。交渉してきたんだよ。――久しぶりの天界へ」


 クローチェは少し驚いた顔をした。


「途中で高すぎて高所恐怖症再発しちゃってさぁー、もう大変!」


 くすくすとロドルは笑い続ける。話していることは随分と大層なことなのに、軽いその口調に拍子抜けをする。


「おい、いいのか? その交渉が成立したということは……お前は天界に戻ろうとは思わなかったのか?」


 堕天使は天界に戻りたがると聞く。本で何度も読んだ有名な供述だ。だが、そのクローチェの問いにロドルはこう答えた。


「クローチェも野暮なこと聞くねぇ。僕は昔、自分で望んで堕ちたんだよ? この剣を手放すくらいなら、地面の方が数倍いい」


 それに僕、高所恐怖症だし。


 ロドルは胸をさする。天使が高所恐怖症とはどのような事かと気になったが、きっと答えてくれないだろう。長年の付き合いでなんとなく分かってしまう。


「それにこっちの方が退屈しないよ」


 ロドルはそう言って笑った。


 風が吹いて髪を撫でる。風が強くなってきた。


「あ……そうだ、クローチェ。僕は君に言わなくちゃいけないことがあるんだ」


 不意に振り返る。突然のことでつい身構えてしまう。


 だが、ロドルにそんなつもりはなかったようだ。


「僕がゼーレに取り入ったワケは別にあの時の因果じゃない」


 ロドルは唐突に切り出した。


 漆黒の癖っ毛がふわりと風にはためく。


「リュビが護っていた大霊樹――そもそも『大霊樹』というのはね……。何から話そうかな。僕が彼女に聞いた答えは『この世に漂う行き場のないモノの家』と聞いた。そして、僕はその意味をゼーレに会ったときに知った。ネーロに指示された場所には、かつて自分が殺した魔王。その子孫が住む小さな集落だった。ネーロは僕にただ指示しただけかもしれない。でも、僕は行ったんだ。真実ってのをこの目で見たくってさ」


 ロドルというものは何者か。その答えをクローチェは探りたかった。この話も嘘か本当か分からない。堕天使が言うことなのだ。それに、彼は話す言葉――つまり言霊が魔術となる。


 信頼などできない。けれど、彼が話す何もかも曖昧なその答えは自分の口を塞ぐのに十分だった。


「この物語に偶然があるのなら――それは『僕』と『君』が出会った事だけなんだよ」


「……え」


「あの時、僕がリュビに会わなかったら。あの時、ゼーレの元に行かなかったら……僕は君に会ってないんだよ?」


 昔、同じ意味の言葉を聞いた気がする。誰だったか。


「誰の因果かは分からない」


 ロドルはそう言ったもののクローチェは少し考え込んでしまう。ロドルはその様子に少しからず気づき察する。


 そして、口を開く。


「堕天使というのは悪魔の中でも特異中の特異でね。……堕天使というからには元は天使なんだ。地面に降り立ち堕天使になる。だが、天使というのは天界にいる者の総称。そして、天界にいるのはだ。


 ――つまり、僕はもう既に死んだ人間なんだよ。


 だから、死ねないというよりも、もう死んでしまっているんだ。僕は姿も変わらなければ死ぬこともない。まぁ、そんなこと誰も気付いていないから言っていないのだけど」


 すらすらという言葉には迷いも躊躇いもない。


 的を射た理論は少し考えれば出てくる当然の事実。なのに一切が頭に入ってこない。ロドルは止まらず話す。


「老衰、家族を作っての事故死……なら、すぐに天界での役目を終えてすぐまた違う者に生まれ変わる。目的が果たせてない者は地上で彷徨い残してきた者にお別れをしてから来る。


 だが、僕のような若くして。いや、大人にもなれなかった者は違う。親不孝だと言われ事故死なら、自分が注意しなかったのが悪いと蔑まされる。――僕もそうだった。


 ネーロが言っていたけど、僕は助けたおばあさんの代わりに死んだ。死ぬ予定だったのはその人だったらしい。ネーロに散々言われたよ。若い命を無駄にするな、とね」


 ロドルは懐かしそうに遠くを見つめていた。


「僕に身内がいたのなら……まだやることもあっただろう。けれど僕にはいなかった。だから、天界でいつも僕はただただ地上を眺めていた。もう戻れないことは初めから分かっていたのに」


 ロドルはクローチェの目を見る。


 あんまり深く考えなくてもいい、と目で訴える。


 これはただの過去だから。


「――僕は漠然とした曖昧な存在で、なぜここにいるのか分からない……。本来なら実体のない身体は確かにここに存在する。あの剣は僕の身体と魂を繋ぎ止めてここに在る」


 ロドルは長く息を吐く。


「僕の魂はさぞがし穢れているのだろうね」


 ロドルは胸に手を当てる。クローチェはそう話すロドルの真意が分からなかった。


「リュビをここに縛り付けてしまったから……天界では本来、来るべき魂を引き留めておくことは禁忌。してはいけないことなんだ。だから、僕はどうなったって罰せられる」


 この話の内容が本当だとしたら、ロドルはどうしてこの世界にいるのだろう。自分が何者か分からないまま、ただ彷徨い続けることは堪え切れることなのだろうか。


「だから。だから。もう少しこの世界に厄介になるんだ」




「僕は女の子のために自分の羽根を毟り取った、ただの堕天使さ」




 クローチェは思わず聞き返す。


 さっきまでの真面目なトーンはどこへ行ってしまったのか。


「偵察に行った丘で会った少女に不覚にも一目惚れしてしまったんだ。だから、あそこから逃げだした! 僕の話はこれで以上。いいかい。クローチェ君」


 何だろう、上手く誤魔化された気がする。


 ロドルの笑顔になすすべもなくぶち切られる。ロドルは鼻歌を歌っている。もう話す気なんてないのだろう。


「あれぇー? 聞かなくていいの。僕の貴重な恋話。僕も精神年齢は変わってない。僕だって十五かそこらの子どもだしー」


「そうだな! 見た目、ガキでチビのくせに!」


 いつか嫌でも聞き出してやると、クローチェは誓う。


「身長はもう伸びないんだから仕方ないだろ!」


 顔が真っ赤になるロドル。


 ロドルはクローチェに襲い掛かってくる。それをひょいっと避けるクローチェ。大振りに振り上げられた片手を掴む。身長差分、背が低い彼の方が有利なのだ。


 遠くからクレールとエルンストが走ってくるのが見えた。


 リリィもエルンストに支えられ歩いてくる。彼女は日に日に回復している。ゼーレとの魂の繋がりが断ち切られ、心が戻ってきたのだ。笑顔を時折見せるようになった。


 彼女が元の明るい表情を取り戻すのはもう少し。


 真っ先に来たパッセルがロドルの顔面めがけて拳を振り上げる。咄嗟にロドルが避けると一匹の烏が目潰しを炸裂した。




 ◇◆◇◆◇




 僕の記憶はもう穴ぼこだらけの虫食いだらけだ。


 記憶は覚えられる量に限界がある。古い記憶はどんどん消えて思い出せなくなる――それは当たり前のこと。長い長い僕の永遠の人生は、全ての記憶を覚えることはできない。


 僕はやっと気づいた。


 リュビと過ごしていたあの日々も僕は自然に忘れていく。ふと思い出す時には曖昧なもの。彼女の料理がどんな味だったのか、彼女はどんな風に笑っていたのか。分からなくなっていく。


 でもそれは悲しいことだけじゃない。


 だからね。リュビ。


 そこに僕が行くまで……。


 その高く美しい空から見守っていてくれ。


「デファンス第一皇女様。いえ、我が御主人様。これより永久に、決して裏切ることなく貴方様に遣えることをここに誓います。例え命に誓っても。――この剣にご果報があらんことを」


 立膝をつき、胸に手を当てる。


 目の前のデファンスは頬が赤く染まっていた。




 ――ねぇ、お嬢様。僕は――……。




 柔らかい日差しに包まれる魔王城。


 乾杯の音色は今日も鳴る。


 魔族と人間が交わった騒がしい晩餐を。




 ――この物語の結末になにが起きても。僕は――。




 ◇◆◇◆◇




「なんでお前、エクソシストに嘘ばかりついた? お前の死因は事故死じゃなくて――」


「君だって僕に嘘ばかりつくじゃないか」


「――」


「僕はお前の下僕。首輪をかけられて鎖で繋がれているも同然だ。お前にとっても都合がいいだろう? クローチェはいずれ気付くよ、僕の正体を。ならば、探られる前に先手を打つ。調べれば僕の情報は出てくる。僕の写真の謎が分かれば、いずれ気付く。だって僕は――」


 ああ、それこそがお前の本性だよ。お前にしてよかったよ。


 お前だからこそ、今度も成功しそうだ。


「僕は駒だよ。紛れもなく、君のね」


 その笑う顔はあどけない少年のようだった。



 A.A.1366.7.23

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