第7章
歯車はいつも噛み合わないⅠ
『お嬢さん、魔女のお嬢さん。僕を一晩ここに止めてください。ご飯に文句は言いません、一晩だけです』
――あぁ、あの日だ。
『……え? どこにいるのかですか。そうですね……貴女の足元です。そう、ここです』
――懐かしい、あの声を。
『やっと見てくれましたね、すみません。泊めてくれませんか』
――私はまた思い出している。
◇◆◇◆◇
首都から起きた戦争は、表向きは国と国との戦争ということにしていたが、実際のところは国内の内戦だった。
聖戦と華々しく凱旋してくる兵士達は、国外で敵を倒してきたわけではない。国内にいる魔族を殲滅するために、地方に散らばる魔族を捕らえ殺してきたに過ぎない。
そんな最中にあった噂。
首都を中心にその名は語られる。『魔族狩り』、『同族狩りのクリムゾン』、そして『紅眼の死神』と……。
魔族でありながら命令で魔族を狩る。魔族であるがゆえに神出鬼没で、気付いた時にはもうその剣が突き立てられる。
そんな時に彼を拾った。
彼はある日、私の家に飛び込んできた。
――誰かに追われて。
追っていたものが、なにか。エクソシストなのか、魔族狩りなのか、はたまた違うのか。分からない。
「御機嫌よう、魔女さん」
彼と始めて会った時、彼は普通の黒猫に見えた。
全身に怪我をした黒猫は、透き通った水面のような声をしていた。なぜ魔女だと分かったのだろう?
「うーん、なぜかといわれましてもねぇ。魔力というのは僕もどう感じているのかは分からないのです。昔、色々ありまして……」
色々? そう聞いても一切教えてくれなかった。
君、名前は? 黒猫はお行儀良く部屋に入り、自分の身だしなみを整えながら答える。
「好きに呼んでいいですよ。僕は様々な呼ばれ方をしてきました。今更、固執なんてしません」
私は魔女でどんな動物とも話すことができる。それは猫も例外ではない。黒猫が話そうがなんも不思議に思わなかった。
この黒猫が……ただの黒猫ならばの話だが――。
「少し追われています。申し訳ありません。巻き込むつもりはないのでこの空間を閉じさせてください」
黒猫はそう呟いて目を瞑った。
自分に魔法をかけながら、本来の姿でにっこり微笑む。
「ごめんなさい、この姿でないと魔法が使えないだから」
カーテンを閉めて、と青年は呟く。
彼は窓の外の真っ黒な人影を一瞥する。
「……ここには入って来ないで」
呪文は苦手なのだけど。そう彼は言い私に向き合った。その瞬間、満月に照らされたカーテンから、細く差し込む満月の光が彼の顔を照らした。
左眼に刀傷がある幼い少年。私の目にはそう映った。
「夜遅くまで起きていてはお肌に悪いですよ」
彼は儚く綺麗な顔でそう言う。
「矢の集中攻撃をされまして、先回りされてたんですよね」
ため息をつき笑いかける。その顔は整っているがゆえに、少々心臓に悪い。そんな顔で微笑まれては、どんな悪人でも彼の言葉を聞き入れるだろう。
「ご迷惑おかけしました。……僕の名前でしたら『ロドル』でお願いします。今、思いついた名前、今まで呼んでもらった一番好きな名前から取ったから」
なのに、その一番好きな名前すら教えてはくれなかった。
この名をなぜ教えてくれなかったのか……、この時は分からなかったのだ。
「この傷? あぁ、これはね――」
どこか不思議な雰囲気の彼はそう言って笑っていた。
今思えば――。名を名乗ってくれなかったのも、傷のことも、今まで教えてくれなかったのも――。
彼は全て隠したかったのだと思う。
いつ聞いても良かったのに私は聞かなかった。
いつか教えてくれるだろう、と思っていた。けれどそれは最後まで私だけの思い込みだった。
「一晩、ありがとうございました」
その手紙を置いて、いなくなった黒猫は翌日にまた私の家に来た。ボロ雑巾のように玄関に横たわっていた黒猫は、まさしく昨日泊めたロドルだった。
「魔力が尽きかけていたのを忘れていた」
そう言って彼は弱々しく笑い、また目をつぶった。
私は慌てて家の中へ走りこむ。早く介抱しなくては。それだけを繰り返しながら。
「仕方ありませんね。貴方の使い魔として、思う存分仕えて差し上げましょう」
立て膝をつき、言われたのはそれからだいぶ経った後だ。
「たまに出かけます。二、三日、家を空けるかもしれません」
私はその時には確信していた。
彼は今起きている戦争のことにやたら詳しかった。言葉の端々に見える戦争の中心人物。背中にちらりと見える契約印。
隠しきれないその強大な魔力。
それは、自分以外の主人がいるという証だった。
あぁ、この彼が「紅眼の死神」という彼なのだと。私に仕えるといいながら、私ではない誰かの命令で動く人形は、こんなに綺麗な顔と容姿と、そして幼い。
そして、――なんて美しいのだろうと。
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