裏切りの赤い月Ⅵ

 この日、ついに戦争は始まった。


 ロドルが消えた後、教会を襲った何百人もの彼の部下達。屈強な兵士に為す術もなく、教会は一夜にして廃墟と化した。魔族が最も力を持つ『満月の夜』に襲撃が起こったこと、ロドルによる元々の破壊により、死傷者は数百とも語られる。


 カホデリスはまだ多くの都市があるから、カポデリス自体が落ちたとは言い切れないが、相当な打撃を受けたのは確か。


 クローチェは、地平線のギリギリに浮かぶ満月をただ見上げ恨めしそうに唇を噛んだ。


 彼らが去ったのはほんの一時間前。


 ――そろそろ夜が明ける。


 魔族は夜明け前に勝ち逃げをした。エクソシストは最後まで太刀打ちすることが出来なかった。


 カポデリスとリアヴァレトとの戦争は避けられないだろう。


 二ヶ月前。ゼーレの演説最中に、本来入るはずでなかった放送スピーカーがなぜかオンになっていた。その音声は、魔王城とその周辺に届く範囲よりはるかに広く、カポデリスとの国境にまで届いた。単純かつ、誰でも犯人足りうる理由により、カポデリスの国境警備隊まで演説が聞こえてしまった。その知らせはカポデリスの首都リリスにまで届き『そろそろ戦争か』という不安の声はますます増えた――。


 ここで教会が襲撃となれば……。


 人間達は魔族が攻めてきたと思い、魔族に戦いを挑むだろう。実際、表面上はそうとしか見えないのだ。


 だが、そうなれば……――。


 どうやらこれも彼の計画だろう。


 彼の掌の中だ。


 今頃、部下の二人は救助活動に回っているだろう。


 ふと顔を見上げると、崩れた建物の隙間から朝の陽ざしが差し込んでいる。もはや溜息しか出ない。建物は壊されて瓦礫ばかり。骨組みも残っており、綺麗に形が残っているのは、『大聖堂』と呼ばれる千年以上前に建てられた建物だけだった。


 ロドルという悪魔に何もかも操られてしまった。


 あの羊皮紙に書かれていたものは、リアヴァレトの動きそのものだった。演説。次の日にどこを襲うか。魔王城の内部。兵力。兵士の数。武器――……。


 戦争を行うにあたって、決して漏れてはいけないもの。


 例えハンデだとしても、ここまで大っぴらにすればリアヴァレトは少しの不利で済む話ではない。細かい動きなど、何もかもがそこにあった。優秀な情報屋が調べ上げたかのように、何もかもが書き記してある。


 魔王に執事として仕える、彼だからこその情報。




 そこで引っかかりが生じる。




 そもそもなぜ……。


『彼は執事をしていたのか?』


 もし、この世界を征服するためだったとしたら……。


 あれほどの魔力を所持していて、魔王の近くに使え、寝首を掻っ切ることなど容易いだろう。仮に噂が本当だとして、その千年前の戦乱で、仮に魔力を失ったとしても、その回復には時間が掛かるとしても――。


 なぜなんだ?


 彼の真の目的は?


 数々の意味深な言葉とは?


 彼の言う『約束』とは何か?


 本当に彼の掌で転がされているのか?


 この戦争の意味とは一体?


 そもそも――。千年前に何があったんだ?




 クローチェの頭の上に乗っている烏は、彼の様子をただ見ていた。なにも関係ないそぶりをしながら――。




 全てもの謎は、一人の少年と少女による、ある物語だった。


 それは淡くも悲しい物語。決して死ぬことの無い彼の、決して忘れぬことの出来ない、とある約束。


 彼は千年、その約束だけを胸に抱く。


 心優しく純情な彼は、その為に自らを悪魔に堕としてでも、その約束を果たすために彼女のことを想う。


 束縛されることが大っ嫌いな彼は、その彼女との約束に縛られていた。決して果たされることはない。もう叶えられぬ約束を、彼は律儀に叶えようとする。


 彼の名と、彼の持つ魔剣――。


 使の名を持つ、彼らの宿命の物語。








 A.M.1366.6.21

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