裏切りの赤い月Ⅲ

「ホルド……、いま、なんて」


 彼の名を二人の部下に告げた時、二人は揃って首を傾げた。


「ホルド・ルチーフェロ。最近、見つけたんだ」


 上からの最重要事項だ。そう付け加え、持っていた本を開いた。薄汚れた表紙、黄色く変色した紙、読めない文字――。


「ちょっ……! クローチェ様! それ、古文書じゃないですか!」


 エルンストが珍しく声を荒げた。


「そうだ。魔術で封印された跡と文字が消されていた古文書。そこに最も恐ろしい項目があった」


 指をなぞり読み上げる。


『……戦乱の時、最後に魔王を討ったとされているが、本当は相打ちの魔法を放ち、両者共々倒れてしまった。だから決着はつかなかった。その魔王の名は……』


 読み上げる古い文字、それらは読むものを拒むように段々と薄くなっていたが、最後の文字は読むことができた。


『ホルド・ルチーフェロ』


 古文書の文字はそう書かれていた――。


 人間が住むカポデリスと魔族が住むリアヴァレトがある大陸の名を『レレスタ・ルト』という。当時の魔王を殺し、リアヴァレトを滅ぼしたとされる天に背いた闇の存在。


 堕天使、神に背き聖を嫌う。


 左眼についた刀傷――。クローチェはじっと見つめた。




 ◇◆◇◆◇




「僕の正体ね……、嗅ぎ回るのは構わない。だけど、僕の苦手で大嫌いなものくらい、部下達に教えといてくれよ?」


 ロドルは剣についた血痕を眺めふと笑う。


 その表情を優しくあどけない子どものようにも見えるが、瞳の奥は厳しく鋭い。その殺気じみた視線に寒気がした。


 そう。神に背いた奴の弱点であり嫌いなものは『聖』だ。


 だが、それを使うことは自身の死を意味する。対策を練り、ここぞというタイミングで使うしかない。


「さて、下手な猿芝居は辞めようか。いい加減疲れてきたし」


 そう言ってため息をついた。


 ペラペラとよく喋るやつだ。こんなにおしゃべりな奴だったのか。この言い分だと、デファンスに今まで従っていたのも、嘘か芝居だということになるが……――。


「いいのか? 主人を逃がして。執事なんだろう。今は!」


 隣にいたクレールはそう叫んだ。


 さっきまでデファンス達と一緒にいたらしい。


「デファンスはお前を探していたというのに、あんまりじゃないのか!」


 エルンストが続けて叫ぶ。


 ロドルはその様子を冷めた目で見る。クレールとエルンストはその冷めた目を見て一瞬だけ怯んだ。


「あぁ? そうだね、昔よりは確かに楽しかったさ。付き従うだけの能無しと……――。なんでも命令すれば従う奴隷と一緒にいるよりはね……――」


 酷い言い方だが本当にそうだったのだろう。話し方は淡々として、懐かしむというよりは思い出したくないものに感情を動かさず語るような、そんな様だったから。


「楽しかったさ。――だが、感情を殺してもやり遂げねばならぬ事はある」


 前半は本当に嬉しそうに、後半は目を吊り上げて。


 デファンスが魔族だということは、初めて会った日の夕暮れ近くに分かった。人間に魔力を感じ取る能力はないが、俺はエクソシストだ。満月が出てくるに従って増えた魔力――、それがものがたっていた。


 悪魔と言っても二種類のものがいる。


 それは十字架が平気か駄目か。そもそも十字架というのは神に背いたものにしか効果を発揮しない。つまり、悪魔でも悪意の無い悪魔には縛ったりする力は無いのだ。


 それで古来は悪魔を選別する道具として使われた。


 千年前の戦乱時に十字架は悪魔を調べる道具としてエクソシストの中に広く伝わったとされている。堕天使の彼にこれ以上と効くものはない武器。それが十字架だ。


 それでも彼を信じ探し回ったデファンス達に、この男はなんの感情もないのかと聞くと、そうでもないのは明白だった。


 ロドルは言い終わった瞬間に手を広げた。




「消し飛べ」――たった一言。




 たちまち吹く突風。ロドルの姿は一瞬で見えなくなった。


「ウッ……」


 そう呟いて倒れて行く同胞。なぜか? その答えはすぐわかった。地面に描かれた魔法陣。それが立つものを飲み込むようにじわりじわりと広がっていく。


「下がれっ! 立てない者は置い……、走れっ!」


 グッと唇を噛む。言いたくはなかったその台詞が、頭の中を駆け巡る。決して消えない呪いのように。


「君達に構う暇はないんだよ。ここにすぐ僕の部下が来る、それが何を意味するか――、分かっているだろう?」


 ロドルはスッと飛んで、またパイプオルガンの上に座り、こちらを見下ろす。剣を降ろし、その瞬間を狙った者を峰打ちする。された者は腹を押さえてうずくまる。


 その仕草は、的確に急所のみを狙っていた。


「僕は手を抜くことはしない、抜かれるのも嫌いだ。吐き気がする。だから、僕に傷一つ、つけようとするのなら……」


 ロドルは目を伏せ口元を笑わせながらこう言うのだ。


「殺す気で来いよ。僕もその気で剣を振る。数分だけ相手をするか?」


 先ほど攻撃を仕掛けた者達は、その目に平伏せ、言動する能力を失った。クローチェはすかさず彼を下がらせ、手当を指示した。今はまだ大丈夫だろう。すぐに手当てさえすれば。


 動けない兵士など、ここには必要なくなる。


 高ぶる感情を抑え、目の前の悪魔を睨む。


 ロドルは地面に降り立った。


「さて、僕がここにいる用事はこれだけだ。……――この教会を消すだけ。後は僕の部下がなんとかしてくれる」


 僕以上に手加減をしてくれないと思うけどね。


 そう自嘲しながら語る、その真っ黒な瞳には影が陰る。


「ああ、そうだ。君達」


 ロドルは急に明るい声を出した。これまでずっと暗い瞳をしていたのに、どうしてなのか。彼の口から出てきた言葉は、これまでとは急に話題が違う、突拍子もないことだった。


「二ヶ月前の演説と、今回の教会襲撃を、人間達はどう見ると思う?」


 そういうと彼は、にっこりと笑った。

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