開戦Ⅵ

 上がる砂埃、煙ったい空気。


 直接喉に感じて咳き込んだ。礼拝堂の扉は重い二重構造で開けるのは大変だったが、そう言ってもいられない。


「何の音……」


 礼拝堂の奥。ステンドグラスから差し込む光で出来た十字架。それを背に、黒い影が薄っすらと砂煙の中に佇んでいた。


 パイプオルガン。豪華な装飾が施された壁。


 影の足元にそれが崩れたものと思わしき瓦礫が散乱していた。


 段々と砂煙が払われていく。


 白っぽい煙の中に見覚えのある姿が見えた。


 赤いリボンで縛っている癖っ毛の黒髪。細く小柄な幼い背格好。少し煤がついた燕尾服。見るものをうっとりさせるほど端正な顔立ち。強い意志を秘める黒い瞳。


 そして、左眼を縦に切り裂く傷……――。


「なんで」


 デファンスが小さく呟いた。


「ロド……っ」


 続けて言いかけた。言いかけたというのは途中で違う声に遮られてしまったからだ。その声は、デファンスが言いかけた名前とは全く違う名で彼を呼んだ。


「ホルド・ルチーフェロ! どうしてここにいるっ!?」


 デファンスは驚いた顔をする。


 エルンストが発した言葉に対しての驚き。


 ――『ホルド・ルチーフェロ』とは、一体誰なのか。


 煙の向こうの当の本人ロドルはというと嘲笑うかの如く、こう言い放った。いつもの意地悪い顔の方がまだ可愛げがある。


「まさか、ここでその名を呼ばれるとは思わなかったな。一応、カポデリスでは猫として動いていたのに」


 その言葉に私達はふと考える。そういえばこの二ヶ月間、ロドルは人型で出かけたことは一切なかった。いつも猫になってから外に出ていた。だから買い物はいつも私達任せだったのだ。


「やっぱり催眠魔術効かなかったか。久しぶりだったから鈍ったのもあったけど」


 ロドルはやれやれと手を振ってこっちを見据えている。


 いつそんなことを?


 そんな問いは彼には届かない。デファンスがあの時か……と、呟く。虚ろな表情だった。目の焦点が合っていない。


「俺には悪魔センサーが付いているからなっ!」


「何それ」


 ロドルは冷静な口調を崩さない。目が氷のように鋭い。


「デファンス様。――セレネ様も。こっそり僕の後をついてきたんですね。よせばよかったのに」


 ロドルはため息をついた。


「ロドル……、どういうこと」


 デファンスが震えた口をやっと開けてこう聞いた。


 ロドルはそれを見るとこっちに歩いてきた。ロドルの顔に半分黒く影がかかり、左眼が全く見えなかった。


「暗号をといてこっちに来るのは分かっていましたよ……。なにせ、あの暗号は僕が作って、こっそり仕込んだものですから」


 ロドルは目を伏せる。彼の長いまつ毛がゆっくり煌いた。


「こんなに早くに来るとは思いませんでしたが――。もっと遊びたかったですね。この教会をガラクタと変えるまで」


 カチャリカチャリ。


 金属がぶつかるような音。さっきからそれがどこかから聞こえてくると思っていたが、その原因が分かった。今まで砂煙で見えなかった。が、ロドルの手に長い剣があったのだ。


 その剣は真っ黒なオーラを不気味に纏う魔剣だった。


 見たことが無い物だった。


 ロドルは剣術も上手いということは知っている。デファンスの護衛をするため、主人を守るための剣術は執事の技能として必須なのである。何度もデファンスと一緒に剣術の試合を見に行ったことがある。


 ロドルの腕前はリアヴァレトでも群を抜いて上手い。


 だが、その剣は初めてだった。


 ロドルは私達の前に立ち、いつものにこやかな笑顔で笑った。


 デファンスは怯えたような表情で彼の顔を見る。


「あぁ、すみません。魔法陣の時に交わした約束は、果たせなくなると思います。申し訳ありません」


 いつもと変わらない笑顔なのに、どうしてこうも恐ろしく感じてしまうのだろうか。


 ロドルはゆっくり右手を上げていく。


 音楽隊の指揮者のように、堂々としたその振る舞いは、ゼーレが国民の前で演説をする気迫に似ている。


「あの暗号を解けば貴女達が僕を追ってここに来る……。魔法陣を作れるのは僕だけですから。――ですね?」


 にこやかに笑うロドルの目には影が映る。


「信頼に感謝致します。貴方達は僕を信じていた。僕がこんなことをしないと信じていた。それを裏切るご無礼をお許しください。本当に申し訳ありません。その代り、貴方達の願いは叶えましょう。僕がお側に居られないのが残念ですが……、いま望むものを作ることは出来ますので」


 ロドルはなにかを呟くのではなく、地面を剣で刺した。


 何も唱えずに。


「これでリアヴァレトに帰ってください」


 途端に上がる突風。剣を刺した所から広がる文字、真っ赤に輝く魔法陣がそこにあった。


 デファンスはやっと気づいたようだった。


「僕はこっちに野暮用があります、お二人ともお元気で」


 にっこり笑うロドルの顔が最後に見えた。


 ――戦争開始。


 最後に見たロドルの口元はそう動いた。








 A.M.1366.6.20

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