開戦Ⅴ-②

「十字架だな。エルンスト、これなに」


 デファンスは一切の躊躇いもなく聞いた。その躊躇いの無さに私は焦り、デファンスと振り向いたエルンストの顔をまじまじと見る。エルンストは手を顎に当てていた。


「あー、なんか前からあるんだよね。何に使うのかは……」


 そう言ってクレールを見る。


「重くて実践向きじゃない。ただのお守り? 飾り?」


 二人はそう言って考え込む。


「売ったら高く売れるかも」


「馬鹿。そんな事をして、怒られても私は知らない」


 そもそも、この十字架はいつの時代のものなのだろう。


「悪魔には効くものと効かないものがいるし、それで俺達は仕事するんだけど……、古来は――」


 クレールはその続く言葉を話すことはなかった。




「「「「ドンッ!」」」」




 爆発音がして地面が揺れた。壁がメリメリとひび割れる、床から突き上げるような振動。


「なんだ……! 大丈夫か!」


 運悪く。私達の立つ近くにはあの本棚があった。


 危なっ……。目を瞑った。


「大丈夫か?」


 エルンストが腕で本棚を支え、本棚は私達の寸前で止まっていた。クレールが駆け寄ってくる。私達はそこから抜け出し、地面に立つ。辺りは机の上もクローゼットからも荷物が全て出され散乱している。天井が崩れることはなかったが、揺れは相当なものだった。


「多分、ここは大丈夫。丈夫に出来ているから……」


 地震があったというのに冷静な対処の二人。


 私達は震えが止まらない。


「二人は大丈夫なの」


 かろうじて声が出た、震える口で尋ねた。


「あぁ、戦場じゃ、よくあるからな」


 クレールは私の手を引っ張りながらそう呟く。


 部屋を出ると廊下の天井は無く、吹きさらしとなっていた。


「ここは弱いからな」


 エルンストは舌打ちを一つ。


 どうして気付かなかったのだろう。


 明るかったはずの空はもう夕暮れになっていた。太陽は西の端。漆黒の夜まではもう少し。


 私達を嘲笑うかのように佇む月は、まん丸と浮かんでいる。


 それが今は一番恐ろしい。


「満月……」


 忘れていた。


 この前と思っていたが、デファンスが始めてここに来た日はもう一ヶ月も前のこと。百年の人生をとうに超える私達の時間の感覚では、一か月の時間はこの前と言っても過言ではない。


 けれど、ここは人間が住む国――、カポデリス。


 一ヶ月もあれば、初めて会った人とも分け隔てなく話せるし、冗談も言い合える。デファンスとの間のアウェイ感はそのためだ。デファンスが教会の中を迷わず走ったのも一ヶ月も通っていたからに他ならない。


 いつもなら――、ロドルが月の様子を教えてくれた。


 だが、最近ロドルは毎夜出掛けていた。だから、満月が次いつ来るか、そのことを認識する機会はなかったのだ。




 そう、全ては仕組まれた物語。


 ある人の手の中で上手に回され転がされ、その人は影で嗤っていたのだろう。その端正な顔の奥にある野望を隠しながら、私達はその瞬間まで信じていたというのに――。




「何が起きているの!」


 デファンスが叫ぶ。崩れた壁から見える満月はまだ力を持っていないようで、まだ自身の変化はない。まずはそこに安心する。


 長い廊下は永遠に続くようで恐怖が押し寄せる。


 たまに二人の励ましが飛ぶ。その声に感謝しつつもこの二人に自分たちが魔族だということがバレるかもしれない。この二人は自分らの正体に笑って流してくれるだろうか?


 分からない。分からないが、今は後回しだ。


 爆発音は教会中央の礼拝堂から聴こえた。


 そこで何かが起きたのだ。爆発音は今でも鳴り響く。


 クレールとエルンストは着ているコートをはためかせ、廊下の向こうから走る青年を見つけて、その名を叫んだ。


「クローチェ様! 遠征はどうなさったのですか!」


 さっきの写真に写っていた目付きの悪い青年、クローチェがそこにいた。クローチェは二人の部下に駆け寄った。


「緊急事態だ、お前たちが無事で良かった。今日というのは分かっていたから、早めに切り上げてきた」


 ぶつぶつと言いながら自分の拳銃を手に取る。


「緊急事態ですか?」


 エルンストが聞く。


「逃がした奴が……。まぁ、いい。チャンスでもある。ここに来て逃がすことはしない。クレール、エルンスト。拳銃を手に持っていろ、礼拝堂にて奴はいる。気を引き締めろ!」


 早口で次々と指示される命令に、これがただならぬことであることが分かる。


 クローチェがいう、――『奴』とは誰なのだろう?


 好奇心もあるが恐怖の方が打ち勝つ。


 でも――。


「行こう! 礼拝堂!」


 私はそうハッキリと言った。デファンスも頷く。


 今思えば、この時やめて帰ればよかったのだ。


 知った真実は変えられるものはないのにまだ信じることができない。デファンスの方がその気持ちは大きいはずなのに、目の前で姿を消したあの人は今何をしているのか。


 想像すら出来ないのだ。

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