第3章

満月が照らすものⅠ

「デファンス! 起きてって!」


 目の前に置かれた懐中時計の針は十時を回っている。


 騒がしい声の主はその針を指さして自分の身体を揺り動かす。


 ゆっさゆっさと、もう起きると言っているのに。


「セレネ……。起こしてくれるのはいいけど、息を吹きかけないで……寒いよ」


「あら、ごめんなさい」


 そう言われた真っ白な顔の少女はふふっと笑った。


 その顔に反省の色は見えない。自分の昔からの友達。親同士、仲がいい……というか、関係があるからよく遊んだ幼馴染。


 名前はセレネという。


「王都召還の時間までまだじゃないかぁ……」


 時計を見てまた布団をかぶる。


「ねぇっ! もう! お父様に言いつけるよ!?」


 ガバッ。その瞬間、布団を蹴飛ばし、支度を始めた。


「お父様にだけはやめてくれっていつも言っているでしょ」


 シャツのボタンを止めながら睨み返す。


 あら、そうだったかしら。


 セレネはそっぽを向いていた。




 ◇◆◇◆◇




 魔族が住む国、リアヴァレトの一軒家。一日中、いや一年中。日の上がらない真夜中が続くこの国。現在は朝の十時だが、深夜のような真っ暗な世界が続き、空に満月が浮かぶ。


 満月……、少し血が騒ぐ。


 五百年前。二人の魔族がこの地に戻り、再び国を作った。


 一人は吸血鬼、もう二人は魔女。


 ――私はそんな二人の嫡女。


 一応は『第一皇女』という身分を持つ。


 一応と、置かなければいけないのはまだ他に候補がいるというわけで……。リアヴァレトは、王族以外にも色々派閥があったり、貴族が領地している場所だったり、必ずしも王が一番強いわけではない。まぁ、私には……、周りが私を王にしたくない理由もあるのだけれど――。


 このセレネも同じような身分。


「なんで呼ばれるんだっけ?」


 セレネは、この国の北の北にある氷のお城の伯爵家の長女で、家族から大いに期待されているしっかり者。


「聞いてないの!?」


 セレネは驚いた顔をしている。え、セレネも聞いてないのか。ぴょこんと耳が動いた。困った時の私の癖。


 私の名はデファンス。


 満月の夜に狼になる、狼娘だ。ここはカポデリスではないから、耳と牙が普通にあって尻尾も生えている。隣で笑う彼女はセレネといい、雪娘であり氷の城に住んでいる私の幼馴染。


 私は第一皇女で、魔王であるゼーレと血の直接の繋がりがあるが、セレネは元々リアヴァレトにいた伯爵家の娘である。


「デファンス、久しぶりでしょ? 魔王城」


 セレネが覗き込んでいる。


「え? うん……」


 私は気の抜けた返事をした。




 ◇◆◇◆◇




「デファンス様、こちらでございます。セレネ様も同じく、ご案内致します。お二方、僕について来てください」


 広い庭を抜けた先にある、魔王城の大きな扉の前。やけに階段の多いこの城の防御壁。それらを素通りし、エントランスホールに来た時、不意に声をかけられた。


 聞きなじみのある、少年の様に高く透き通る声の主。


 振り返って見ると、ウェーブのかかった長めの黒髪を後ろで縛り、真っ黒な燕尾服を着て、左眼に傷がある少年がそこに立っていた。不機嫌そうにも、暇そうにも見える顔なのに、線は整っていて、お人形さんの様に綺麗な顔をしている。


 つくづく人を馬鹿にしていると思えない程、端正な顔をしている執事だとデファンスは思う。唯一の難点は、彼の身長が自分よりも少し低いということだけだ。


 お母様の使い魔、ロドルが扉の前でお辞儀をしていた。


「ロドル、久しぶりーっ! 元気してた?」


 私は思わず尻尾をぱたぱたさせた。


 ロドルはそう言われた瞬間、デファンスを横目で一瞥する。


「デファンス、人前で尻尾を出すな。それでも皇女なのか?」


 さっきの恭しい言葉とは裏腹に棘のある言い方。


 一瞬、口がポカンとするが……。


「ロドル、私、皇女」


「……こちらです」


 ロドルは不貞腐れたように一睨みして敬語を放つ。


「執事も慣れたの?」


「うるさい、早く行くぞ」


 ロドルはこちらを見ずに腰を折る。その動作は従順な執事そのものなのに、どうしてこんなにも反抗的なのだろう。


「セレネ様。しばしの無礼をお許し下さい。長い道のりでお疲れでしょう。お荷物、お持ちします」


 ニッコリとセレネに笑いかけ、私には睨んでから荷物を受け取る。私に対しての態度は仕込み直した方がいい。


「ロドル、私の荷物も持ってよ。半分だけとか酷くない?」


「お前は力があるから大丈夫だ。それぐらい持て」


 私も女の子なんですけど。


 そんな声は彼には届かないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る