化ける魔族Ⅱ-①
カポデリスのとある港街。
スウルス――、という名前の地方都市。海辺の繁華街。その近くにある真っ赤な屋根の家。
ゼーレは考える。この国の首都からは離れているが、それでも地方都市は地方都市なりの人の多さと賑わいがある。魔族たちの故郷であるリアヴァレトにも近いこの町は、魔族が隠れて住むにはちょうどいい。この町を、生まれた故郷だというメーアは好いているらしい。正直、人が多くてあまり好きではないが、彼女が好いている町なら悪くはないのかもしれない。
彼女――メーアは、使い魔である黒猫を従える魔女。
黒猫の名前はロドルという。見た限りでは至って普通の黒猫だ。
彼女は、ゼーレが旅のさなか見つけた『生き残っていた魔族』だった。ゼーレは初め、このお転婆娘のお守りをしようと居座った。だが、居候生活も早三年。
もう同居と同じになってしまっている。
彼女のほっとけない性格に惚れてしまった――、というのもあるはあるだろう。情けないが。
あの後、何回も故郷と他の街を往復しては魔族を探し回った。しかし、それといって見つからなかった。
「ゼーレ、どうしたの?」
見るとメーアが顔を覗き込んでいる。
ゼーレは何も言わず、上がった体温を誤魔化した。
「でもさぁー、あのゼーレが来た日、懐かしいねー。もうどれくらい前だっけ?」
あの出会いは奇跡だったよね、とメーアは笑った。
そうなのか? と、ゼーレは苦笑していた。
◇◆◇◆◇
奇跡か……私はそう思うのに、とメーアは考える。
あの日、あの雨の日、あの夕暮れに。
ゼーレがここに立ち寄らなければ、会ってさえもいないのに。もしかしたら一生会わなかったかもしれない。
人生で会う人の数には限りがあるなんて知らないのかしら。
確かに私達の年齢は人間と比べたら長く長い時間。魔力があれば、心臓を刺されなければ、ほぼ不死身の身体をしている。けれど、その長い時間の中で、すれ違った全ての人と親しくなるなんてことはないでしょう?
だけど私達は――。
「メーア、くだらないとこはいい。お客らしい」
ゼーレのイライラとした口調に気付き、メーアは顔を上げて扉の方を向いた。
「あ、出来ていますよー。いつものですよね」
メーアは店の奥へと入り、例の品を取った。
手に持つのはまだ湯気の立つバゲット。
「ありがとう。魔法の調子はどうですか?」
老婆がおどけたように笑う。ゼーレはいつもの通りその台詞を言ったお客を睨んでいる。
◇◆◇◆◇
その日は朝から雨で、夕方に綺麗な満月が出た日だった。
メーアはお客の少ない店をたたみ、閉店の札をかけに外に出た。こんな日は仕事をした気にならないね、とロドルに笑いかける。だが、ロドルはあくびをして『眠い』と言っただけだった。
「少しはこっちの話を聞いてもいいじゃない。ロドルは冷たすぎる」
とメーアは頬を膨らませる。
「君とどれだけいると思っているんだよ。僕は退屈で死にそうだ」
と、ぷいっとそっぽを向かれてしまう。
ここに店を構えて何百年。自分の母親の代からなのでずいぶんと昔のことだ。一人で店をはじめ、ロドルと出会って、人間と話すのもだいぶ慣れた。
人間と話すのが日課となるだなんて思ってもみなかった。
だが、何百年経っても魔族の仲間は見つからない。やはりこの世界に私しかいないのかもしれない。段々と減っていく魔力は、自分の仲間を探す能力を少しずつ鈍くしていく。
そんな時、彼に出会った。
「あの、泊めてもらえませんか」
札をかける手が止まった。振り返るとそこには一人の青年。
「旅館街なら向こうですよ?」
私は遠くを指した。
ここは繁華街からそんなに遠くはない。だが、町の端も近くなので、よく町の外から来た旅人が道を尋ねてくる。今もその様なたぐいだと私は高を括っていた。
青年は、私のその行動に顔をしかめる。
「いえ、今夜、旅館に泊まるわけには……。庭でもいいので」
その戸惑ったような、どうしたらいいのか……その言葉の後に、やっぱり野宿の方がよかったと小声で呟き舌打ちをした。
私は理由が分からなかった。それと同時に、初対面なのになんでこうも率直に言う人なのだろう。
自分の残り少ない魔力のおかげで人より耳が良いとしても。
小さく呟くその一言は、隠そうという素振りが一つも感じられるものではなかった。
「やっぱり、野宿だ」
彼は小さく呟き、私に背を向けた。
人間なら聞き取れないような囁く声。私はただその人の影を送り返した。寂しいような懐かしいような久しぶりの不思議な感覚を確かめながら、口を開けた次の瞬間。
ひと一人いない、街路樹の向こう――。
「チッ……」
目を開くと、青年の髪は不気味な赤紫へと染め上がり目は真っ赤に光っていた。私はその変化を満月の光ではっきりと見たのだ。
そして、血のような目が睨む先に自分の姿が映っていることに気づき身震いがした。彼は一瞬で私の元へと飛んできた。その隙のない動きと速さに人間の面影はない。近くで見ると端正な顔は少し蒼白く、人間とは違う雰囲気がした。
久しぶりに自分と同じ魔族を見た。
「――……お前」
顔の目の前まで来た彼に耳元で呟かれ、小さく悲鳴が出る。
その声は低く唸るよう、静かに輝く月のようだった。
「あぁ……、怖がらなくていい。すまなかった。自分の感覚がこんなに鈍っているとは思わなかったんだ」
そう呟き、ふっと笑った。
笑ったといっても優しそうな表情じゃない。魔族特有の不気味に揺れるような笑い方だった。
「おっと……すまない。勝手に入る」
その言葉は拒否の姿勢を受け付けない言い方だった。私の方も拒否する理由はない。むしろ拒否したところで困るのは自分だ。彼は漆黒の羽根をたたみ、着ていた長いローブをはためかせて家の奥へと入って行く。
この姿を誰かに見られたら。
魔族を捕らえ、処刑を行おうとする人間は大勢いる。私が魔女だということを知っている人間も何人かいる。皆、口が堅く温厚な人だ。そのことに関して疑うことなどない。
けれど、他に魔族がいたとしたら。それを恐れたとしたら――、ここに魔族がいるということを、私が魔女だということを誰かに話してしまうかもしれない。
数年前に勃発した戦争の影響で、魔族は残らず殺され続けている。カポデリスは人間が住む国として在るが、全ての住民が人間というわけではない。かつて、人間と魔族が二つの国に分かれていた時に、とある貴族が魔族の国に赴いた。その交流の際に両国は共にそれぞれの国に移動した。私の先祖がそうであり、私がこのカポデリスに生まれたのはそれが理由。
しかし、長い歴史の中で人間と魔族に溝が生まれてしまったのも事実で――、魔族に近しい人間や、魔族が狩られている。
今はそんな戦争の真っ最中なのだ。
だから、この選択は間違っていない。
私は、彼が入りきると扉を閉めた。
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