第2章
化ける魔族Ⅰ
「御主人、少しは練習したらどうなのかな」
ぶつぶつと独り言をするのは、ふわふわとした毛並みの黒猫。自分の主人である魔女に悪態をつく。黒猫の名前はロドルという。ロドルのその様子を気にもせず、魔女――、メーアはその黒猫に笑いかけ、無邪気に笑った。
「大丈夫よ。ちゃーんと覚えているもの。先祖の血って、意外と根深いものよ」
ロドルはそれを聞いてもなお、ぶつくさと呟くのをやめようとはしなかった。呆れ顔でやれやれと肩を竦める。
この隠れ家ではよく見る景色だった。
すると、家の外からなにか物音がする。彼らが振り返ると、今朝早い時間に出掛けた青年がそこにいた。
メーアは彼に駆け寄って、自分の使い魔をどうしても打ち負かせなかった悔しさを、帰って来た彼にぶつけるのだ。
「ゼーレっ! ロドルがまた酷いんだ! 魔法の練習をしろ、だなんて。見つかったら殺されちゃうかもというのにさ!」
それを聞いたゼーレと呼ばれた青年は無表情で呟いた。
「メーア。たまには君の使い魔の忠告をよく聞いた方が、君のためだと思う」
それを聞いたメーアはふぐのように膨れた。
◇◆◇◆◇
カポデリスのとある港街。
スウルス――、という名前の地方都市。海辺の繁華街。その近くにある真っ赤な屋根の家。
ゼーレは考える。この国の首都からは離れているが、それでも地方都市は地方都市なりの人の多さと賑わいがある。魔族たちの故郷であるリアヴァレトにも近いこの町は、魔族が隠れて住むにはちょうどいい。この町を、生まれた故郷だというメーアは好いているらしい。正直、人が多くてあまり好きではないが、彼女が好いている町なら悪くはないのかもしれない。
彼女――メーアは、使い魔である黒猫を従える魔女。
黒猫の名前はロドルという。見た限りでは至って普通の黒猫だ。
彼女は、ゼーレが旅のさなか見つけた『生き残っていた魔族』だった。ゼーレは初め、このお転婆娘のお守りをしようと居座った。だが、居候生活も早三年。
もう同居と同じになってしまっている。
彼女のほっとけない性格に惚れてしまった――、というのもあるはあるだろう。情けないが。
あの後、何回も故郷と他の街を往復しては魔族を探し回った。しかし、それといって見つからなかった。
「ゼーレ、どうしたの?」
見るとメーアが顔を覗き込んでいる。
ゼーレは何も言わず、上がった体温を誤魔化した。
「でもさぁー、あのゼーレが来た日、懐かしいねー。もうどれくらい前だっけ?」
あの出会いは奇跡だったよね、とメーアは笑った。
そうなのか? と、ゼーレは苦笑していた。
◇◆◇◆◇
奇跡か……私はそう思うのに、とメーアは考える。
あの日、あの雨の日、あの夕暮れに。
ゼーレがここに立ち寄らなければ、会ってさえもいないのに。もしかしたら一生会わなかったかもしれない。
人生で会う人の数には限りがあるなんて知らないのかしら。
確かに私達の年齢は人間と比べたら長く長い時間。魔力があれば、心臓を刺されなければ、ほぼ不死身の身体をしている。けれど、その長い時間の中で、すれ違った全ての人と親しくなるなんてことはないでしょう?
だけど私達は――。
「メーア、くだらないとこはいい。お客らしい」
ゼーレのイライラとした口調に気付き、メーアは顔を上げて扉の方を向いた。
「あ、出来ていますよー。いつものですよね」
メーアは店の奥へと入り、例の品を取った。
手に持つのはまだ湯気の立つバゲット。
「ありがとう。魔法の調子はどうですか?」
老婆がおどけたように笑う。ゼーレはいつもの通りその台詞を言ったお客を睨んでいる。
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