第1譚 光と闇の中で

第1章

暗黒の空へ

「こうしてはいられない!」


 ある異世界――、レレスタ・ルト。


 彼は朝からそう叫んで寝室を飛び出した。


 彼の名はゼーレ。大陸の中心に位置する豊かな国、『カポデリス』に暮らしている一人の青年だ。


 海が見える、とある街。


 この町の中心街から、少し離れた小さな一軒家。


 外は目を細めるほどの晴天。カラフルな鳥達が窓の外を飛んでいく。朝からふと思い立ち、ゼーレは階段を駆け下りた。ワイシャツに黒いズボンのラフな格好の彼は、洗面台の鏡の前に立つ。彼は肩に少しかかる髪を掻き分け、丁寧に整えていく。いつも通りの朝。早朝に降った雨が、空気をしっとりと濡らしている。


 あえて、違うことを上げるならば――。


 それは彼の髪が不気味な赤紫色に染め上がり、血のような赤い目をしていることだけ。


 支度をしている最中、口の中で不意に香るのは鉄錆びの味。


 彼は途端に顔をしかめた。


「うわっ……、また牙が……」


 鏡を覗き込むと、真っ赤な血の奥に白い牙がのびている。


 削らなくてはいけないではないか、と彼は魔法を使う。


 その瞬間、髪と目は真っ黒に染め上がる。


 ホッと息を吐きながら小さく呟き、鏡の前から離れた。


 そう。彼は普通の人間というわけではない。


 ――吸血鬼、ヴァンパイア。色々呼び方はあるが、この世界では統一して吸血鬼と呼ぶ。人間の血を飲み、生き延びる。そんな闇の生物の彼は歳を取らずここまで生きてきた。


 だが、ここで彼は一人だった。




 ◇◆◇◆◇




 魔族と人間の戦い。その戦いは数百年にも続き、何度も繰り広げられ、未だに終息していない。


 圧倒的な力で魔王軍が優勢を取り、戦争はそちらに傾いていた。圧倒的な戦力差。それは魔法を使い、異次元の力で人間を追い詰めた、魔族の勝ち試合だった。


 そう、その筈だった。


 狂い始めたのは祓魔師エクソシストという『魔を討つもの』達の登場だった。魔法を打ち消す祓魔師達はこの戦争で有利に立ち、たちまち魔族を逆転に追い詰めた。その当時の魔王はこれに倒れたと伝えられている。


 魔王城の決闘は神話となり語り継がれていること。


 もはや、伝説の昔話。そんな闇の生物がどうしているのか。




 ◇◆◇◆◇




 ゼーレは椅子に腰掛け、支度をまだ続けている。


『今度はどこに行こうか――』


 親の口癖でもあったその言葉を繰り返して、また溜め息をつく。


 その親はもう亡くなった。


 彼の年齢は実際のところ五百年を超えている。人間としてはあり得ない数字も、魔族の血が通う彼なら当たり前。


 まぁ、戦争があったのは千年も前のことだ。もうそこまでいけば歴史、神話の世界。自分でも実際に見たことは無い。だが、魔力が限界まで削られた身体は、吸血鬼としての能力を残してくれないようだ。


 ゼーレは外に繋がる窓を思いっきり開け、空気を入れ替えた。


 支度は完了。


 さて。


「今度はどこに行こうか……」


 旅に出よう。誰もいない場所。どうせ一人で過ごすなら、最後に考える場所くらい自分で決めてもいいではないか。


 愛用の双剣と長年使った鞄を持って。


 どうせ――、自分の種族を根絶やしにした世界に息苦しく生きるのならば。最後まで足掻いてみせるぞ、と。


『大切な人を目の前で奪われた感覚を、一生悔やむのならば』


 ここ最近。いや、何百年間ずっと考えていること。


 彼はそう呟き、明るく照らす光の中へ駆け出したのだ。



 A.M.870.7.20

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