第2話 たすけて、文殊えも~ん


「え、えらい目にあった……」

「それはご愁傷様でした。ん、この豆腐絶品ですね」

「あ、よかった。それトヨウケヒメが作ったの。あとで褒めてあげてよ」

 衝撃の裁判からどうにか解放されて、半日後――。

 被疑者とその友人(仏)は裁判のショックが大きく振り切れたため、逆にほのぼのしていた。

 ここは、日本神話の天津神(あまつかみ)達が住む高天原(たかまがはら)。

 そこに建つ高床式の和風の神殿で、イザナギと文殊菩薩は、差し向かいで精進料理をつついていた。

 文殊菩薩は仏だからね。なまぐさが食えないの。仕方ないね。

「それにしても、あんなガバガバな裁判許されるんですかねぇ。正義はどこよ。正義は」

 イザナギはやり切れない様に、盃の酒を飲み干す。呑まないとやってられねぇからね。仕方ないね。

 文殊菩薩は、和え物をつつきながらサラッと答えた。

「人だろうと神だろうと、正義ではなく、強者によって裁かれるものです。現在の正義の女神殿は、正義というより、強者の権化というだけの話。そもそも宗教裁判に正義を期待してはいけませんよ」

「やだ、仏教悟り過ぎ……」

 むしろお前に何があったんだよ、とイザナギはちょっと心配になった。

 気軽に聞くに聞けないので、話題を変える。

 いや、むしろこっちが本題だった気がする。

「なぁ、俺どうすればいいと思う? このまま切り抜けられると思うか?」

 心なし姿勢を正して前のめりに聞いてみたのに、文殊菩薩は未だに和え物と格闘していた。

 しかしこれまた衝撃の事実をこともなげに言う。

「いや、無理でしょう。今日提出した資料はどう読み解いても800万柱もいません。そもそも古事記と日本書紀は記述が被ってますし、同一神で呼び名が違うだけということも多いですから。つまるところ、あれらの資料はただの時間稼ぎにしかなりませんね」

 ぶっちゃけすぎである。

 イザナギの顔が青ざめてきた。喉が渇き、ゴクリと唾を呑みこむ。酒の味がしない。

「じゃ、じゃあ、俺、いや日本の神々は……死刑?」

 恐る恐る、文殊菩薩に問うが――。

「ええ、そうですね。あぁ、でもそうなると葬儀は神式になりますか。帰ったら作法を調べないと」

 今度は漬物を齧りながら、あっさりと文殊菩薩は認めた。

 イザナギに何の怨みがあるというのか。

 いや、ヤツは毒舌系菩薩☆もんじゅなだけである。通常運転だった。

 ショッギョ・ムッジョ。

 イザナギは盃をポロリと取り落とした。

 ガタガタと震えだし、最後には頭を掻きむしって板張りの床をゴロンゴロンと転げまわる。

「い、いやだあああ! 黄泉にはイザナミがいるんだよおお! 大昔あいつの顔見て逃げてきたってのに、今更どうやって顔を合わせろっていうんだよおおお! 死ぬほど気まずいよおお!」

 文殊菩薩はめんどくさそうに横目でチラ見した。

「えー? じゃあウチ(仏教)の死後の世界来ますか? 多分地獄でしょうけど」

「それもやだよおおおおおお!」

 めそめそめそ。イザナギは床につっぷししてわんわん泣きだした。

 これはひどい駄々っ子。最古神の威厳とは一体……。

「わがままですねぇ」

 今度は味噌汁を啜りながら、文殊菩薩はやれやれと心中でため息をついた。

 実のところ、長年の腐れ縁でイザナギの行動は読めている。次は、――と。

 文殊菩薩は椀をことりと置いた。そしてお膳ごと、ずざっと向こうに押しやった。

 その一瞬後……。

「うわ~ん、どうにかしてよ文殊えも~ん!」

 床からの低空タックル! イザナギは文殊菩薩の腹に突撃した。

 内角、いや内臓低め、胃を狙ってねじ込むようなエグイ角度だった。食事中にこれはツライ。

 こんなアグレッシブなのび太がいてたまるかーい。

 文殊菩薩はゴフッ、と呻き声を漏らしたが、こちらとら修行で鍛えた体がある。

 気合で耐えた。ちなみに味噌汁も無事だった。

 文殊菩薩はこれみよがしにため息をついて、イザナギのボケを拾ってやる。

「はぁ~。しょうがないなぁ。イザナギくんは」

 つむじを見下ろしながら、文殊菩薩は肩をすくめる。

 半日前の裁判の緊張感が嘘みたいだった。

 イザナギは、精神的に疲れてるからじゃれ合って気分をリセットしたいだけなんだろう。次の瞬間にはケロッとしてるはずだ。

 この切り替えの早さは私も見習うべきかもしれない。

 文殊菩薩はぼんやりとそう思った。

 ……どう考えてもひいき目である。こいつそこまで考えてない。

 ついでに犬猫にする程度の優しい気持ちで、文殊菩薩はイザナギの髪を引っ張ってみた。

 ごわごわだった。せっけんで洗うタイプらしい。

 今度は無性にイラッとした。お前も切り替えが早いんかい。

 ぷはッと、文殊えもんの腹から顔を上げてイザナギは面白そうに笑った。

「ノリがいいなもんじゅえもん! まさかドラえもんを知ってるとは、さすがもんじゅえもんだな!」

 四次元僧衣は伊達ではなかったらしい。

 自覚があるのか文殊菩薩は複雑そうな顔をした。

「まずそのもんもんいうのをやめなさい。最近のタイの仏教寺院にはドラえもんの壁画もありますので知名度は高いのですよ。……まぁ、今回はドラえもんの著作権に目をつむっていただけるのなら、私の知恵をお貸ししましょう。別に罰則が怖いわけじゃないんですが。ドラえもんでいうネズミ位には怖くないです」

「お、おぅ……」

 それ滅茶苦茶怖いってことじゃないのか。と、イザナギは思ったが口には出さなかった。トラウマ掘り起こすの、イクナイ。

 >そっとしておこう。

 よし、リセット終了。

 イザナギはよっこいせと起き上がり、あぐらをかいた。

「で、どうすればいい。時間稼ぎって言ったからには無為無策ってわけじゃないんだろ? 疑いを晴らす方法はあるんだな」

「ええ、策はあります。――が、正直、前提条件はとてつもなく厳しいです。神道の神々を総動員しても条件を整えるのは圧倒的に時間が足りない。ですから、うち(仏教)からも人員を派遣します」

 イザナギは目を剥いた。宗教の垣根を超えるほど大事になっている。

「え? いいのかそれ。釈迦がなんていうか……」

 釈迦は若いころはぶいぶい言わせてたらしいが、近ごろはめっきり悟ったような顔をしている。まぁ仏教だし、悟っているんだけど。

 文殊菩薩は、瞳に力を込めて口を開いた。

「世尊(釈迦)は私が必ず説得します。神仏習合の関係上、うちの仏たちも連座で死刑になる可能性を考えれば、首を縦に振らざるを得ないでしょう」

「な、なんかスマンな。うちの不手際で無理させてるみたいで」

「いえ、こうまでなったら神仏は一蓮托生です。貴方たちも覚悟してください」

「お、おぅ……」

 何を? とは聞くに聞けなかった。多分それだけ『策』とやらは、ヤバイものなんだろう。

 だが、智慧の化身文殊菩薩が絞った策だ。疑うべくもない。勝機はある。

 ならそれに賭けるしかない。

 緊張感にイザナギの喉がゴクリと鳴る。

 文殊菩薩は、おもむろに告げた。

「ときにイザナギ、現人神(あらひとがみ)ってご存じですか?」

「おう、人間でありながら神である存在だろ? それがどうした?」

 なんで今更? と、イザナギは首をひねった。

 確認せずとも日本の神なら承知なのに。いやでも、作戦に関係あるのだろうか?

 ……関係はあった。それもイザナギの理解の斜め上の方向に、だ。

「量産してください」

「は?」

 思わぬ一言に、目どころか口もあんぐり開けたイザナギ。

 文殊菩薩は根気強く繰り返した。

「現人神、量産してください。ざっと800万人ほど。三日で」

「はぁあああああ?!」

 800万柱もの神を、一から作れってか?!

 神産みでも一度に数十人が限界だってのに?!?!

 禊(みそぎ)で済むってレベルじゃねぇぞ?!!

 詰め寄るイザナギに対して、文殊菩薩は淡々と借金を取り立てるヤクザみたいなこと言い出した。

「お返事は、イエスorはいでお願いします」

「それって選択の余地がない選択肢じゃないですかーやだー!」

 だだをこねて床を転げまわるイザナギに、インテリヤクザみたいな文殊菩薩は、やれやれと肩を竦めた。

「ええ、向こうが粉飾決算と決めつけるなら、お望み通りにしてやりましょう。大丈夫、合法的なやり方があるんですよ」

 文殊えもんは良くない笑みを浮かべた。

 何人か地獄行きを見送った(直喩)とおぼしき、威圧感に満ちた微笑みである。普段のアルカイックスマイルはどこにいったというのか。

 こんな文殊菩薩見たら、お茶の間のよい高僧泣いちゃう……。

「い、いえすでおねがいします……」

 イザナギはガクブルして、首がもげそうなほど頷いた。

 福島名物赤べこのようだった。

「それでは本作戦を『神々の粉飾決算』と名づけます。覚悟はよろしいですね」

 畳みかけるような選択の余地がない選択肢ーー。

 イザナギは白目で首をがくがくさせながら答えた。

「Yes!Yes!Yes!Oh my God!」

 だからお前がGodやっちゅうねん。

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