魔導人形まじかるまきな

柊 恭

1.One for You ≠ All



 何か、理由が欲しかった。

 自分が何のために生まれたのか、彼はもう何年も考え続けていた。どうして自分はここに居るのか。誰にも作用していないこの人生に、どのような意味があるのかと。

 大好きな母には四歳の頃、大好きな父には十五歳の頃に先立たれた。それは幼い彼にとってとても重大な出来事で、彼の心に大きな穴がぽっかりと開いてしまうほどの衝撃だった。二度も覚える、喪失感。まだ甘えていたかったのに、今ではその相手がどちらも居ない。

 この喪失感はやがて周囲と彼との差異に繋がり、親の居ない彼は『仲間外れ』として同年代から距離を置かれるようになった。ただでさえ家で独りだというのに、学校ですらも孤独に過ごす。自分の人間環境を形成できず、コミュニティの孤島にただ一人取り残されていた。

 彼には兄弟も居ないので、拠り所となる相手を持たない。父が死んでから面倒を見てくれているのは遠い親戚だが、その人たちとも打ち解けられずにいる。家族もなければ友達もない、たった一人でこの世界に居る。そんな彼に生きている理由はあるのか。

 死んだ両親のために生きる? 過去に縛られるのは愚かなことだ。特別な友人をこれから作る? 彼を受け入れてくれる人は今までゼロだ。まだ見ぬ未来に希望を抱く? そんな気力はとうに失った。

 誰か、不特定多数の役に立とう。彼はこんな結論に至った。

 身近な人のために生きることは、彼にとって不可能だ。その身近な人が、彼にとって敵だから。それならばもっと枠を広げて、彼の知らない人たちの役に立てばいい。直接彼が関係を持っていない相手でも、間接的にその人の力になれればいい。

 そう思った彼は工業高専を卒業して、日本軍の整備士として就職した。彼の得意分野は機械いじりだったので、ここならば特技を発揮して誰か皆のためになれると思った。

 入隊式はどこに配属されるかも関係無しに、市ヶ谷の本部で新卒全員を対象にして行われた。そこで日本軍の将軍、つまり一番偉い人が放った言葉を、彼はきっと忘れない。

 我々は、国民のために戦う――。その理念は、今の彼にとてもマッチしていた。誰か特定の人間を相手にしない、もっと広い民衆のため。ここで働けば、彼は胸に空いた穴を埋められるような気がした。

 誰かの役に立ちたい。自分の生きる理由が欲しい。

 その想いを胸にして、彼――片瀬真希(かたせ まき)は日本軍技術部浦賀研究所の門を目の前にしていた。


「君が、新入りの片瀬真希くんだって?」

「はっ、はい! その通りです!」

 京急浦賀駅からバスで十分の距離にある、浦賀研究所にて。早くも現在、彼は最初の洗礼を受けていた。場所は研究所の門をくぐってすぐ、話している相手は守衛のおじさん。訝し気な視線を投げかけられている。

「とてもそうには見えないんだけどなぁ~……ここは高校じゃないよ? 学校はあの道を真っ直ぐ行ったところだから」

「違う、違うんです……申し訳ないんですけども、こんなナリでも僕が新しく配属された整備士なんです……」

 とても申し訳無さそうにして、目を伏せながら恥ずかしい表情をするマキ。さてここで、彼の容姿を見てみよう。

 まず身長は、一般的な中学生レベルの約一六〇センチ。それに合わせてか体躯も華奢で、フローズンガーベラのように白い肌が彼の儚さを強調している。色素が少し抜けたナチュラルショートの髪は錦糸のように細く、幼く女性的な顔立ちはまるで出来の素晴らしい蝋人形のよう。これでいて十九歳の新卒社会人を名乗っているのだから、いくら似合わないスーツを着ているといえども中高生の背伸びにしか見えないのも当然だ。

「学生証、あるんでしょう? それ見せてくれれば、学校には言わないであげるから」

「何で僕が万引きしたみたいになってるんですか……?」

 仕方が無いので彼が持っている唯一の身分証である保険証をおじさんに見せると、生年月日から逆算してくれたのか、彼が十九歳であることを信じてもらえた。

「へぇ~、今時の若い子は全然老けないんだね~。こんな子供っぽい社会人は初めて見たよ。スーツよりも体操着の方が似合いそうだっていうのに……あっ、担当の人から『二号棟のロビーで待ってる』って伝言を預かってるよ。あっちの方ね」

「ははは、ありがとうございます……」

 おじさんの心ない言葉に動揺しつつ、愛想笑いを浮かべながら指示された二号棟へと足を進めた。それにしても、担当の人とはどのような人物なのだろうか。新米整備員の上司なのだから、イメージしやすいのはやはりベテランで白髪交じりの屈強な整備士。信頼できる部下たちからは『おやっさん』と敬われていて、スパナを片手に部下を怒鳴りつけながら動かすタイプの人種だ。義手義足や隻眼の猛者だと尚良し。しかし新入りの担当は、普通ならばあまり年の離れない若手である気もする。

(どっちなんだろ……神のみぞ知る、ってやつかな?)

 そんなことを頭に浮かべながら、マキは二号棟の前で立ち止まる。緊張で胸が高鳴っているのを感じた。一度深呼吸をしてから一歩踏み出すと、ガラス張りの自動扉が静かに開く。中は淡い青を基調とした質素なラウンジで、奥にあるカウンターの方に受付嬢と思われる女性が待ち構えていた。

 その女性に、マキは心奪われてしまいそうになる。

 高めの背丈と引き締まったウエストが、豊かな胸を強調している。年齢はマキよりもやや年上、二十代前半だろうか。線の細い輪郭と紅い唇は成熟していて、大きな瞳と丸い目尻、左側に纏められたサイドテールの長くしっとりとした髪が、落ち着いた優しい雰囲気を醸し出していた。ブラウン調の髪色と制服とは裏腹に、肌は柔らかな新雪のように白く輝いている。遠目に見てもはっきりと分かるほどに、その女性は綺麗なヒトだった。

 カウンターに置かれたマグカップと、それに絡められた細く長い指。彼女は手にしていた資料を物憂げな表情で眺めていて、まるで喫茶店で恋人を待つ麗人のよう。左腕の小さな腕時計を一瞥する彼女の横顔に、マキはしばらく見とれていた。

 やがてこちらの視線に気が付いたのか、その女性と目が合った。正面から見る細面はきょとんとした表情で、その姿にも心の全てを持っていかれそうになる。

「アナタが……片瀬、真希くん?」

 彼女の口から零れたソプラノも、高級なハープの調べのよう。とても繊細なのに、どこか優しく包まれるような声。マキは彼女の質問に答えたかったが、つい上がって言葉に詰まってしまった。気恥ずかしくて顔も見られずに、頬を染めながら照れて俯く。

「はっ、はい……その、通りです。僕が、片瀬真希で……」

 語尾は聞き取れないくらいのボリューム。こんなにも美しい女神のようなヒトとは、当然今まで話したことがない。だからどうしても緊張してしまって、まともに会話をすることが出来ない。

 それでも勇気を振り絞って相手に目を向けると、彼女は微笑んでこちらと向き合ってくれている。物理的に距離が開いているが、心的距離はそれだけでもぐっと近づいた気がした。そのことが素直に嬉しくて、この感情をマキが表情に表すと――。

 女性が尋常でない機敏さでカウンターをぐいと乗り越えて、ベン・ジョンソンもビックリのロケット加速でマキに突進してきた。

「かわいい――――――――――――――――――――――――――――――っ!」

 その勢いで抱き締められて、彼は何が何だか分からず思考がぐちゃぐちゃにかき乱される。いくらカウンターを蹴ったといえど、この距離をただ一回の跳躍だけで飛び越えた? いや、そんなことではない。先程まで居た、あのお淑やかな受付嬢は何処へ……?

「ねーねー、新しくウチの部署に入ってきた片瀬真希くんだよねっ?! すっごくかわいい、さっきのモジモジしたところから満面の笑みに変わったのなんてもう心にグッと来た! いやー、ここまでの逸材なんて久々に見たわよ! あっ、そうだ! 名前がマキだから、これからマッキーって呼んでいいよね? よろしくね、マッキーっ!」

「ふぇっ、ふぇっ……ふぇっ? アンタ誰ですか?」

 怒涛の勢いで頭を撫でられ、頬を指で突かれて頬ずりまでされて。美人のお姉さんにそうされる嬉しさと普段ではありえないシチュエーションへの恐怖とがないまぜになって、マキの頭は破裂しそうになった。落ち着いて状況を整理したいので、一旦女性の拘束から抜け出して互いの顔を合わせる。彼と目線を揃えて腰をかがめる彼女は、黙っていればやはり清楚で麗しいお姉さんだ。

「もー、マッキーのいけずー……もうちょっと楽しませてくれてもいいのに」

「いや、楽しむ楽しまないじゃなくて、僕にも人権はあるんですよ。それで、アナタは一体誰なんですか……?」

 自己紹介がまだであることに今更気付いたのか、女性がハッとした顔を表した後に、にこりと笑顔を贈ってくれた。

「私は、春日希望(かすが のぞみ)。ここ浦賀研所属の技術中尉で、マキの研修担当を任されてるの。歳も近いから、下の名前で呼んでくれると嬉しいな。これからよろしくね!」

 楽しそうにそう言って、ノゾミが彼に手を差し伸べる。マキがそれに応えて握手をすると、ほんのりと彼女の温もりが伝わってきた。これが不思議と心地良さを彼に届けてくれて、マキの緊張の糸もゆっくりと解かれてゆく。遥か昔に感じた、まだ生きていた頃の母と手を繋いだ時のような気持ち。

「はい……改めまして、僕は片瀬真希です。浦賀研究所の整備士として、本日付で配属となりました。よろしくお願いします、ノゾミ……さん」

「よくできました、マキ!」

 拙くも初めての挨拶が出来たマキに小さく敬礼をしてから、彼の頭をノゾミは撫でてくれた。たった二、三分の出来事なのに、少し喋れただけなのに。マキには誰かに褒められる経験が無かったから、誰も褒めてくれなかったから、それだけでとても嬉しかった。

 曲げていた腰を元に戻し、ノゾミの目線がマキよりも高い位置になる。自己紹介はこれで終わったのだから、次は施設案内でもするのだろうか。しかし彼女はテーブルに置いてあった資料を手にして、今一度目を通し始めた。不思議だったので黙ってその光景を見ていると、やがて一通り読み終わったノゾミがマキに向き直って一つの質問を投げかける。

「ねぇマッキー、魔法ってどのくらい使ったことある?」

「へ……何ですか、いきなり?」

 あまりにも意外な話だったので、マキが呆気に取られて気の抜けた声を漏らす。整備士としてここへ働きに来たのだと今しがた口にしたのに、どうして魔法が関係するのだろう。業務に魔法が関係してくるとは到底思えないし、何よりも魔法を使わない業務だからこそマキはこの仕事を選んだというのに。そんな疑問を目と表情で訴えると、彼女はそう訊いた理由を答えてくれた。

「いやね、健康診断の結果なんだけど。マキの魔力総量が異常な数値だから、どんな鍛え方したのかなって」

「……あー」

 その一言で、全てを察した。何かと彼が人生で苦労してきた理由を、ここでも話すことになろうとは。

「僕の魔力総量が高いのは、母が大魔導師だったからです。遺伝でそれを引き継いじゃって……でも僕に魔法を教えてくれる前に母が鬼籍に入ったので、僕自体は今まで魔法を使ったことが無いんですよ」

 淡々とした口調で、マキが答える。魔力総量は魔導師それぞれによって個人差があり、トレーニングかドーピングでもしない限りはその値も増えず、大方遺伝で決まってしまう。体力と似たようなモノだ。そしてマキの場合は母親が軍でも有数の魔導師だったためその素質を引き継いでいるものの、四歳の頃に先立たれて以降は魔法の使えない技術屋の父親に男手一つで育てられた。だから彼は魔力総量の割には魔法が全然扱えなくて、彼の容姿と相俟って魔術師と技術士両方の界隈に溶け込めない要因となっていた。

「そう、なんだ……ゴメン、悪いこと聞いちゃったかな」

「いやいや、母の話は大丈夫ですから。ついでに言うと父も亡くなってますけど、今は親戚と仲良くやってるので問題ないです」

 申し訳無さそうに目を伏せたノゾミに対し、彼は手を横に振ることで答えた。今さら過去のことを振り返るのは、彼のポリシーに反する。それを受けて彼女も気を持ち直し、今度は手を口元に当てながら考え事を始めた。

「でも、そうするとどうしよっかな……魔法が使えないっていうのは、流石に支障が出てくるし……」

「えっ、整備士って魔法使うんですか」

「ううん、普通は使わないよ。でもマッキーにやってもらおうとしてる仕事は、後で説明するけど、魔法もちょっと絡んでくるから」

「いや、ちょっと待って下さいよ。契約違反でしょそれ」

 先述の通り魔法にあまり良い思い出がない彼にとって、これはまさしく寝耳に水だった。折角機械と遊ぶだけでお金が貰える仕事に就いたつもりだったのに、まさかそれが魔術的なモノだったとは。そんなこと、説明も受けていない。

「って言われてもね~……マッキーの配属先がここに決まったってのも、ほんの一週間前の話だし。私がマッキーのプロフ見て『このかわいい子が欲しい!』って思ったから強引にここ配属にさせたんだし、契約って言われても」

「えぇ~……」

 散々な理由だった。

「とにかく、私が魔法教えるしかないのかな。どっちにしろ研修期間ってことで一週間くらいは何かしら教えるつもりだったし、それくらいなら初歩的なことくらい詰め込めるし。うん、決めた! マッキー、私が魔法を教えてあげるねっ!」

 朗らかな笑顔でノゾミに手を取られたが、対してマキは絶望で胸がいっぱいだった。思い描いていた新生活と、明らかに乖離している。まさか今になって、トラウマである魔法と向き合わされるとは。

「僕は、機械いじりがしたいだけなのに……」

「つべこべ言わないで、一緒に頑張ろうね!」

 彼の痛切な機械への思いは、ノゾミの心無い一言によって一蹴されてしまった。



 その後は与えられた寮に案内され、そこでマキは研究所の制服に着替えた。デザイン自体は落ち着いたブラウンのジャケットだったが、どうしてかサイズが一回りほど大きい。試しに白衣も羽織ってみると、こちらは地面に擦ってしまいそうなくらいに丈が長かった。

「これ、何かサイズ間違ってませんか」

「私がそう注文したの。ブカブカの服に着せられてるショタってかわいいでしょ?」

 そう口にするノゾミを半目で睨みつつ、次に連れて来られたのは小会議室。長机が四つとホワイトボードがあるだけの部屋で、普段は小規模のブリーフィングでないとまず使われないとのこと。

「え~と……それで、一体何をここでするんですか? 魔法を教えてくれるって、さっき……」

「座学」

「あっ、やっぱりどんなことでも基本は座学ですよね~……」

 ノゾミの答えは、とても簡潔だった。

「と言っても、そこまで身構えることもないよ。手とり足とり身体を動かしながら教えるのが一番だし、今からするのは最前提の知識を詰め込むだけ。そこまで多くないって」

 ケラケラと軽く朗笑する彼女を見て、マキも警戒を少し解いた。初勤務が一日中椅子に座りっぱなしでは、いずれエコノミー症候群で病院送りになってしまう。整備士は身体を動かす方が性に合っているのだ。

 とりあえず彼がホワイトボードに一番近い席に座ると、ノゾミは紅い縁のメガネを胸ポケットから取り出して自身に掛ける。そのアイテムが彼女をより大人らしくさせ成熟した印象を受けるが、一つだけ気になることがあった。

「視力、悪いんですか? それとも――」

「伊達。似合ってるでしょ? お姉さんに惚れちゃっても安心してね、普段は掛けてないからマッキーがドギマギすることもないよ」

 呆れて額に手を当てるマキだが、ノゾミはそんなことを気にしない。まずホワイトボードに大きく『まほう』と書いて、一対一の講義を開始した。

「ひらがな……」

「それはいいから。さてマッキー、そもそも魔法って何だと思う?」

「変身した後に拳で語り合う女児アニメとかですかね」

「それは完全な偏見でしょーが……異世界の法則よ。私たちの居るこの世界は物理法則が支配してるけど、エヴェレットの多世界解釈をビッグバン以前の宇宙に適応すれば、物理法則に反する理論がまかり通っている並行世界も存在するはずだからね」

 現実とは違う世界が俗に言う並行世界(パラレルワールド)だが、これは理論上存在する。結果だけ言ってしまえば、現実ではマキがメガネを掛けているノゾミを見ているが、メガネを掛けていないノゾミを見ているマキも存在しうる、つまり『メガネのノゾミ』と『ただのノゾミ』、二人のノゾミが別々の世界で同時に存在していることになる、という訳だ(シュレディンガーの猫を拡大解釈した一例)。

 物理法則はビッグバンまで適用できるスタンダードな理論だが、それは結果論だ。宇宙の始まりがビッグバンではない、もっと別の理論の下で発生した何かならば、物理法則が支配している必然性は無い。そんな並行世界の法則をこの世界では『魔導法則』、つまり魔法と呼び、その魔導法則をこちらの世界に適用することで超常的な力を発揮するのだ。

「はいはーい、質問です。その異世界の法則が、どうしてこの世界にやって来るんですか?」

「流力、って言葉くらいは聞いたことあるよね?」

「あ~……中学校の魔術の授業、そこで挫折したって思い出があります」

「中一の四月に習うことでしょ……英語のbe動詞でつまずくんじゃないんだから」

 マキが懐かしい顔をする反面、今度はノゾミが呆れていた。

「いい? 人間は生まれながらにして体力と魔力を生成しエネルギーとして生きる生物で、その魔力の別名が流力。電気信号として体中の筋繊維を流れることから付いた名前ね」

 まずヒトがどのようにして身体を動かしているかだが、これの答えは電気信号にある。人間は脳から電気信号を発し、神経を通して脊髄を経由、筋肉に信号が伝わることで筋繊維の収縮が起こる。この電気信号をエネルギーとして捉えたのが魔力(流力)で、性質としては電力に近い。そのため伝導体を通して外部に伝達することも可能なのだが、とても微弱なため抵抗の少ない銀でないと伝わりづらい。

「それで、名前が二つある理由は」

「実際に魔法を使う時が魔力で、魔法の仕組みをメカ的に説明する時が流力。ってゆーか、別名がある学術用語って他にもいっぱいあるよね……?」

「それはそれ、これはこれですよ。んで、その流力がどうなるんですか?」

 話を促すと、ノゾミが関係の無さそうな質問を投げてきた。

「ねぇマッキー、出身ってどこだっけ」

「ふぇっ? 関東ですけど……」

「じゃあ、この辺だから浅間神社あたりかな~……? 『神の柱』くらいなら知ってるよね」

「まぁ、それなら見たことありますし」

 大きな神社の境内には、神の柱と呼ばれるモノが鎮座している。高さ百メートル以上のポール状をしていて、氷か水晶のように薄い青色で透けている。ご神木とはまた別の存在だが、同じようにその神社ごとで丁重に祀られているのだ。余談だが、太古より観光地化が激しいランドマークでもある。

「その神の柱が、異世界と現実世界とを繋げるアンテナになるの。私たち人間の身体の先は神の柱と概念的に繋がっていて、そこから流力や魔導法則のやり取りをする、つまり一種のゲートになっている……らしいわ」

「らしい、って」

「詳しいことはまだ分かってないのよ。特に、人間と神の柱とを繋げる仕組みとか」

 ノゾミが両手を挙げながら首を振った。一説には人間の指先が神の柱と同じ役割を果たしているのではないかと言われているが、指と神の柱とでは構成物質も違うし、どこか確証に欠けている。

「んで、そのヒトと柱とを繋げる仕組みってのが魔方陣。ここから流力が神の柱に流れて、柱から持って来た魔法は魔方陣から出てくるの」

 右手の人差指をノゾミが天井に向けると、その指先に掌大の立体ホログラムのような魔方陣が投影された。綺麗な円形をしていて、色は桜色。これは魔術師個々が有している魔力の波長が光として現れた結果で、そのため一人一人によって魔方陣や魔法の色が変わってくる。

「他に基礎的なこととしては~……魔法には、それぞれ属性があるの。古代ギリシャの四元素に倣って、炎、氷、風、土木の四つ。これらには特性があって、炎は執行、氷は拘束、風は除外、土木は創造のメタファーになってるのよ」

「つ、つまり……?」

 頭ごなしに詰め込まれてもよく分からないので、マキが何らかの例示を求める。するとノゾミが左の掌を出し、そこに魔方陣を形成。円の中心から植物の芽が生えてきて、すぐさま成長しては綺麗なピンク色をしたアヤメの花が咲いた。

「へ~……昔こんなのありましたよね、ゴミを木に変える漫画」

「それはいいとして……これが初歩的な土木術系魔法、<プラントメイク>。魔方陣から植物を丸々でっち上げるってやつなんだけど、例えばこの魔法ならば植物を無から創造してることになるの。他には氷術系魔法だと、相手を氷で固め拘束するやつが多かったり。と言ってもあくまでも大体の魔法の傾向で、全部が必ずしもこの特性に則ってるって訳でもないんだけどね」

 掌を握ると魔方陣と花が綺麗さっぱりと消えて、ノゾミの手には何もない状態に元通り。これは魔法の発動を途中でキャンセルしたためで、仮に全ての過程を終了させていれば生み出した花は残ることになる。

「それで、その魔方陣ってどうやって出すんですか?」

「基本的には慣れだから、こればっかりは座学じゃ教えられないかな~……後で実技をやる時に、マッキーにも教えるね。他には四属性以外にも無属性ってのがあって、こっちは特性がないの。基本的には特性と魔術師とには合う合わないの相性があるんだけど、無属性の場合は特性がないから誰でも扱いやすいわ」

「相性、ですか」

「そそ。例えば私だと、炎術と土木術が得意かな。執行と創造ってのが、私の感性にピッタリなのよ」

 その言葉を受けて、マキは本能的に納得した。朗らかで他人の事情もお構いなしに振り回すところが、独創的かつ暴力的だ。

「ってことは、僕にも相性のいい属性ってのがあるんですか?」

「そうなるわね~。何が合ってるかは、実際に使ってみないと分からないけど」

 自分に合いそうな特性を、彼なりに少し考えてみる。ノゾミのような性格は生憎持ち合わせていないので、炎術と土木術は厳しそうだ。となると残りは氷術か風術になるが、拘束も除外もいまいちピンと来ない。皆目見当がつかないことに歯がゆさを感じつつ、それ以降も繰り広げられたノゾミの講義に彼は耳を傾けるのであった。


「それじゃあ、始めるよマキ……」

 浦賀研究所の片隅、小学校の体育館に似たフローリングのテストスペース。周りに誰も居ない状況で、ノゾミがマキの耳元で甘い言葉を囁いた。彼の左手が後ろからギュっと握られ、湿った温もりが彼を支配する。

「こういうのはね、イメージが大切なんだよ。目をゆっくり閉じて、想像して。大丈夫……『はじめて』のことでも、私が教えてあげるから」

 まとわりつく脚。絡まる指。彼女の右手で視界に蓋をされると、見ているよりも余計にノゾミの肢体が彼の意識に潜り込んでくる。

「マキは今、飛んでいるの。高い高い、空の彼方を。それは、とっても気持ちのいいモノ。全身の力が抜けるような、意識がイッちゃった時のような」

 彼女に握られたマキの左手が、彼の太腿を弱く撫でる。這うようにして動かされたそれは、彼の意に反して腰の付け根にまで達した。全体重をノゾミに預け、どの関節の力も抜く。神経がとても敏感になり、今触られるとそれだけで気を失いそう。

「そうよ、よく出来たね……後は、魔法の呪文を唱えるだけ。そうすればマキは気持ちがふわふわになって、一気に昇天してしまうの。さぁ、言ってみて――」

 彼女の腰が密着してくる。彼女の胸が迫ってくる。マキの心臓は徐々に高鳴り、ノゾミの太腿がツタのように巻き付く。絶頂する気持ちを言葉に込めて、自分の全てをさらけ出すように。

「レスグラ――ふぉぐっ?!」

 垂直に飛んだマキが頭を勢いよく天井にぶつけ、十五回目の魔法発動もまた失敗してしまった。

「う~ん、なっかなか上手くいかないなぁ~……色仕掛けでもダメか」

「いやいや、魔法の訓練が色仕掛けでどーにかなる訳ないでしょ」

 座学を受けた翌日の午前中、マキは早速ノゾミから魔法の扱い方を実技で教わっていた。現在二人は魔導師用の装束を身に纏っているが、ありがちなクロークではなくダッフルコートのように厚いモノだ。因みにカラーリングはノゾミが白でマキが黒、加えて彼の方は有り余る魔力の暴走を抑える目的で全身に筆箱のような銀色の魔道具を幾つか付けている。

 最初は一番簡単なモノからと彼女に練習させられたのが、無属性魔法の<レスグラビティ>――発動者の身体を無重力状態にして浮かせる術だ。しかしどうしてかマキはこれを成功させることが叶わず、発動しないか先ほどのように勢い余って天井に激突するかの繰り返しだった。

「そもそも、魔法ってイメージなのよ。こうしたいって思ったことが電気信号に変換されて流力になって、魔方陣を通して実現するの。マッキーの場合は魔方陣もちゃんと書けてるし、コンデンサ代わりの魔道具も付けたから魔力が過剰に使われて暴走したって訳でもない。だから、マッキーが宙に浮くイメージを心のどこかでブロックしてるってことなんだよ」

 ノゾミが淡々と理論立てた。流力が電気信号である以上、魔法は発動者の思考による制約をかなり大きく受ける。魔導師によって得意な属性が違うのもこのためで、性格に合っている、つまりイメージしやすい属性が本人の特技となるのだ。

 一方で<レスグラビティ>は無属性なので、性格や思考の影響は受けづらいはず。だというのに発動できないということは、マキが『浮く』ということをイメージできていない、思考のどこかで拒否しているということになる。

「マキに……何か、心の枷でもあるのかな」

「かせ……ですか?」

 マキが首を傾げる姿に感涙するのも束の間、ノゾミは真面目に彼の不調の原因を探った。

「トラウマ、ってこと。高所恐怖症だとか、鳥の飛ぶ姿が怖いとか。何か無い?」

「特には……高いところも平気ですし、羽で空を飛ぶのとかはむしろやってみたいですし。っていうか、羽が生える魔法とかは無いんですか?」

「あんまし聞かないかな~……そう強くイメージすれば可能なんでしょうけど、でも魔法の創造とか一定レベルの魔導師じゃないと難しいし」

 あごに手を当てて悩むだけでは何も解決しないので、二人は他の魔法を試してみることにした。<レスグラビティ>はダメだったが、その次のステップは果たしてどうだろうか。ノゾミがその魔法についてレクチャーする。

「こっちも無属性の初歩的な魔法で、<ヴァリアブルベクトル>って言うんだけどね。モノでもエネルギーでも何でもいいから、とにかく対象に『可変的な』力学エネルギーを加えるの」

「どんな感じですか、それって」

「ある時はベクトルが曲線を描いていたり、またある時は実存しない概念に対してベクトルを加えたり……汎用性が高いのよ。だから多くの魔法はこれが前提で成り立っていて、例えば氷で作った弾丸を<ヴァリアブルベクトル>で加速させる<コールドピアス>って魔法があったりね」

 人差し指を立てて説明する彼女に対して、マキはどこかつかみどころの無いような顔をした。そんな彼を見かねて、ノゾミが試しに実演を始める。魔導装束のポケットから、ハンドボールを一つ取り出した。

「見てて。今からこのボールを宙に投げて、<ヴァリアブルベクトル>でリフティングしてみるから」

 そう言ってノゾミがボールを真上へ投げると、自身の頭上に桜色の魔方陣をすぐさま描く。やがてボールが失速しては重力に従って自由落下をすると、魔方陣に着地して、音を立てずにそのまま跳ね返ったかのように見えた。そうしてボールが上昇しては再び落下、そしてバウンドするというループが繰り広げられる。

「魔方陣がトランポリンみたくなってる……んじゃないんですよね」

「そう、ボールと魔方陣が接触する瞬間に<ヴァリアブルベクトル>を発動してるの。だからボールが跳ね返ってるんじゃなくて、ボールを下から突き上げてる訳ね」

 ノゾミのそんな言葉を受けて、先ほどリフティングと表現した意図をマキは心得た。目を凝らしてよく見てみると、ハンドボールは確かに魔方陣と紙一重で接触していない。矢印のベクトルで下から押し上げているような、そんな風に彼には見えた。

「んで、可変的って意味だけど。概念に対して云々って下りは面倒臭いから今度教えるとして、曲線ベクトルってのをこれからやってみるね~」

 そうノゾミが口にした瞬間、ボールがあり得ない軌道を取った。魔方陣から力を受けてそのまま垂直に上がるかと思いきや、急に彼女の前の方向へ落ちるような放物運動を描き出したのだ。続いてノゾミの胸の前を自由落下すると今度はU字ターンをして、足元から急上昇しノゾミの右手にボールが収まる。だから全体としては、頭から掌までC字型の曲線ベクトルの影響を受けたことになる。

「凄い……こんなに綺麗な軌跡まで出来るんですか」

そんなマキの感想を受けて、ノゾミが彼に一つ尋ねる。

「<ヴァリアブルベクトル>のイメージ、掴めた?」

「基本的には、弓矢みたいなモノ……ですか? こう、ボールを射ってぐいっと押す、推し続けるような」

「じゃあ、そんな感覚でやってみて。イメージなんて人それぞれだし、マッキーだけの魔法であればいいから。今からボールを投げるね」

 マキが目を閉じ、ノゾミの手にしているハンドボールを脳裏に焼き付ける。右手を前に突き出したら、掌から橙色の魔方陣を形成。頭の中にあるボールをめがけて、見えない弓矢で射るように、そしてそのまま推すように。

「じゃ、行くよーっ!」

 ノゾミがハンドボールを上に投げる合図を聞いて、そのタイミングで目を開き呪文を唱えた。

「……<ヴァリアブルベクトル>」

 魔方陣の輝きが増し、空気を突き動かす風が生まれる。マキの前髪がふわりと翻ると同時、ノゾミの手を離れたボールが彼女に振り向いてはスマッシュの如くノゾミの頭に直撃した。時速一五〇キロオーバー、おおよそ甲子園球児並み。

「ぐるーんっ?!」

「えっと……ノゾミさん、これって成功ですよね?」

「痛い! 痛いよマッキー! 成功だけど、素直に喜べなくて痛いっ!」

 半泣きで訴える彼女といえども、マキが満面の笑みを浮かべれば機嫌もすぐに元通り。全く、分かりやすい女である。

 今の現象は、まさしく可変的だ。ベクトルの始端は魔方陣の中心で、終端はもちろんハンドボールである。しかしベクトルが直線ならばボールはおおよそ水平かつマキと逆の方向に飛ばされるはずで、直下に居たノゾミに当たるようなベクトルは天井から放たれないと実現しない。つまりマキの<ヴァリアブルベクトル>は発動後上昇しながら曲線ベクトルを描き、ノゾミを目指してほぼ鉛直下向きにターンしたということになる。

「別の魔法は問題なく発動できるってことは、マッキーの<レスグラビティ>に対するイメージが悪いって訳だ……ってことはやっぱりトラウマ、というより深層心理での問題ってなるわね」

「解決方法とかって、何かないんですか?」

「無いわ」

「えぇっ?!」

 魔導師見習い、まさかのまさかで初歩的な魔法で躓いては保留された。もしかしたら、このまま一生簡単であるはずの<レスグラビティ>が使えないままなのかもしれない。

「そんなことはどーでもいいから、とりあえずもっと別のも練習しましょっか!」

「どーでもよくないですよねぇっ?!」

 心の叫びを存分にぶつけるも無視される。始まったマキの魔導師キャリアは、おおよそ波乱の幕開けと言えそうだった。


「これをこーして……<コールドピアス>」

 マキが呪文を唱えると、魔方陣が橙色に発光しては円錐状の氷塊が三つほど現れる。大きさはちょうどハンドガンの弾丸ほどで、<ヴァリアブルベクトル>によってそれらを飛ばすと、三〇メートルも離れた的に小さな穴が二つ空いた。

「命中は二発で、一発外れ……うん、上出来だねマッキー!」

「そうですか、良かった……魔法にも、だいぶ慣れてきました」

 ノゾミが観測した結果の報告を受けて、彼はひとまず安堵する。ここまでいくつかの魔法を試したが、どうやらマキは氷術系魔法との相性が良いようだった。今しがた発動した<コールドピアス>はその中でも簡単な魔法で、尖った氷の弾丸を異世界から呼び出し、<ヴァリアブルベクトル>の併用で鉄砲のように飛ばすモノだ。

 実技訓練を始めてから二時間で、彼もある程度のレベルで魔法を扱うことが出来るようになっている。しかしマキは一方で、胸に綿が詰まったような息苦しさも覚えていた。

「慣れては、来たんですけど……僕の母親って、こんなにも大変なことを呼吸するようにやってたんですね」

 遠くを見やって、彼は敵わない目標を偲んだ。自分の母親が大魔導師だったとは聞いていたが、彼女からは何も教わらずに先立たれてしまった。だから魔法を使いこなすことの難しさを、マキは母に伝えてもらえずにこの歳にまでなってしまった。

「マッキー、今の段階でお母さんを意識することは無いよ」

「でも、この難しさは母に教えてもらいたかったです」

 プレッシャーを彼が感じているとノゾミは思ったのだろうが、マキは全く別の意味で母親を回想していた。

「僕、四歳の頃に母を亡くしてますから。魔法のこととか、一切教わってないんですよ。一番古い記憶は、母に手を曳かれながら畦道を歩いてることで……その次の記憶が、母の葬式でお花をあげたことなんです。どうせ魔法を始めるんだったら大魔導師に教わりたかったし、それ以前に母に教えてもらいたかったんです。母の知ってた、色々なことを。もしかしたら、教えてもらうのは魔法じゃなくても良かったのかもですけど……でもこうやって魔法を使っていると、どうしても母のことを思い出しちゃって」

 哀しくはにかんで、涙をとぼける。自分には母親とのコミュニケーションが不足している、とマキは思った。だから母がどんな人間だったのかすら覚えていないし、大魔導師であったこと以外に母の情報を息子だというのに持っていない。親子なのに、埋めがたい距離を感じる。

 魔法というモノは、彼が持っている母へ繋がる唯一の手掛かりだ。そんな中で魔法に触れてしまったら、母親を連想してしまうことは避けられない。

 ずっと秘めて行き場所を失っていた想いだからか、一度動き始めたマキの口は決して止まらなかった。母親のことと連動して、彼の父親についてもポロポロと零してしまう。ノゾミはそれを、口を挟まずにただ黙って聞いていてくれた。

「教えてくれなかったのは、実は父も同じなんです。僕の父親は――多分母が死んだ時から――仕事に全てを打ち込む人でした。だから僕のことはよくないがしろにされてて、あんまり話をしてくれなかったんです」

 狭いアパートの一室で、マキはいつも独りだった。自宅にあるのは母の仏壇と、洗濯済みの父の作業着だけ。三食全て独りで済まし、寝る時すら布団には彼以外誰も居ない。その空間で十九年も過ごしていて、声を発する機会は一月に一回あるかないかであった。

「小学校の図工の時間で、作品を作ったことがあるんですけど。褒めてもらいたくてそれを父に見せたら、『ゴメンね』って返されてすぐ仕事へ出掛けちゃったんです。よく分かりませんよね、そんな言葉一つだけじゃ。もっと多くの言葉を交わさないと、考えてることなんて伝わらないのに」

 仕事優先で放置される息子に、彼の父親は自責の念にかられてはいたのだろう。申し訳ないと思いつつも、妻の死を忘れるため仕事に没頭する。本人はそれでいいのかもしれないが、息子としてはたまったモノではない。だから正直、マキは父親が嫌いだった。

「そんなこともあって、僕は父親を見返そうとしたんです。父は技術系の職業でしたから、何か凄いモノを作ろう、何か大きなことをやろうって考えたんです。そうすれば、父も僕のことをちゃんと見てくれて、僕と話をしてくれるんじゃないかって。だから整備士になって、ゆくゆくは開発や設計をやって、皆のためになるような大きいことをやりたいって思ったんです。父親、もう亡くなっちゃいましたけどね」

 悔しさが彼の瞳を覆う。母親に何も教えてもらえず、父親に何も話してもらえず。どちらも既に他界してしまい、残されたのは二つの位牌と彼独りだけ。思い出すら、何一つない。何も出来ずに時は過ぎてしまい、今となっては何も出来ない。

 また笑ってごまかそうとして、けれども今度は失敗した。堰が決壊したかのように、マキの涙は止まらなかった。どれだけ袖で拭っても、次から次へと溢れ出てくる。

 そんなマキを、ノゾミは柔らかく、けれどもしっかりと抱き締めてくれた。

「ノゾミ、さん……?」

「もう大丈夫だよ、マキ。辛かったよね、苦しかったよね。家族と一緒の時間も過ごせずに、しかもそのことすら誰にも伝えられなくて。大丈夫、私は居なくなったりしないよ。ずっと、マキの傍に居てあげるから」

 彼女がくれた言葉の味は、ふわりとしたマシュマロのようだった。とても甘くて、どこか懐かしい。母が子に贈るようなセリフだが、ノゾミは今マキの目の前に居る。母親と違って、死んで居なくなったりしていない。

 ノゾミは目を瞑っていた。決して泣くこともせず、肌でマキをただ受け止めている。そのことが彼にとって心強くて、このままずっと抱き締められていたかった。

「私もね、今は独りなの。お父さんは元々居なくて、お母さんは死んじゃって、妹も事故で天国に行っちゃった。昔はとても辛かったし、今でも寂しいって思うことはあるよ。でも、私はまだ生きている。私ね、気付いたの。過去に縛られるのは、愚かなことだって。もう居ない家族のことよりも、今ここに居る自分たちのことを考えた方が楽だって」

 胸に詰まっていた息苦しさは、綿飴のように溶けていった。過去の死者よりも、今のために。マキが両親のことで思い悩むのは、何もそうする必要はどこにも無いのだ。

 彼の背中を撫でるノゾミは、とても優しい声で告げた。

「――だから、私はマキを『独り』から守る。マキのことを考えて、マキのために一緒に居るよ」

 落ち着いたその福音は、マキとノゾミ、二人を過去の呪縛から解き放つためのモノだった。



 午前中の実技指導が終わると、ランチタイムの鐘が鳴る。マキとノゾミの二人は研究所内の食堂に足を運び、マキは地元名物横須賀海軍カレーを、ノゾミはサンドイッチ盛り合わせを注文した。適当なテーブルに腰を据えては、それぞれのメニューを口にする。

 食堂にあるテレビでは、昼時のニュースが流されていた。曰く一週間前から続く横浜横須賀道路の通行止めは、巷を騒がせているテロリスト<赤い空>による犯行の可能性が高いとのこと。軍の輸送車両を襲ったがために、道路が破壊されたらしい。

「ここのチーサン、やっぱ美味しいわ~……ホント、生き返るってモンよね」

「チーズサンドのことチーサンって略すの、都市伝説じゃなかったんですね……」

 伝説の怪獣に出くわしたかのような視線でノゾミを見ながらカレーを貪っていると、その怪獣が彼の食事に口を挟んできた。

「それ、美味しい? 私あんまし好きじゃないんだけど。マッキー、不味くない?」

「よく食事中にそんな口叩けますね」

「そもそも、ここ横須賀じゃなくて浦賀だし。京急で五駅も離れてるのよ? 味自体も何か気持ち悪いし。ルーがドロドロしてるっていうか、煮込み過ぎて分子レベルで分解されたジャガイモの汁をすすってる感じにならない?」

「だから、今食ってるってのに……自重してください、ノゾミさん。第一、どーして僕と一緒の席で食べてるんですか。残念美人を眺めながら食べると、折角の美味しいご飯も不味くなります」

「あっ、マッキー私のこと今美人って言ってくれたっ?! 嬉しい~っ!」

「そこは残念の部分に反応して、突っ込みで返してくださいよ……ボケにボケで返されても、収拾がつかなくなるだけですって」

 あれよこれよと話しながら食べるカレーは、けれどもそこまで不味くは感じなかった。少なくとも自分独りだけで食べていた今までのようなカレーよりも格段に美味しいのだが、それを伝えるとノゾミが絶対に調子をこくのでマキは自制する。この嬉しい気持ちを牛乳で一気に流し込んでいると、ふと隣から若い女性に声を掛けられた。

「おっ、ノゾミさ~ん! 隣座っていいですか……ってあれ、もしかして男子中学生くんを誘拐してきたからって、一緒に逮捕前の最後の晩餐中ですか?」

「誰が犯罪者なのよ、誰が……」

 そうノゾミが珍しくテンションを下げて対応したのは、まだ幼さの残る顔立ちの女性だった。ツーサイドアップの髪は栗色で、ノゾミよりは一つか二つくらい年下の二十歳くらいに見える。もしかしたらマキと世代もそう離れていないのかもしれなくて、彼よりもわずかに低い身長に親近感を覚えた。

「え~っと……ノゾミさん、こちらは?」

 話に割って入ってマキが尋ねると、女性の方から自己紹介を始めてくれた。

「私、ここの指令室でオペレーターをやってる一宮楓(いちみや かえで)って言います。歳はノゾミさんの三つ下の後輩ですので、気軽によろしくお願いしますねっ!」

 笑顔で敬礼されたところで、マキはこの研究所の中でノゾミ以外に初めて他人と知り合ったことに気が付いた。そういえばここに来てからは彼女の魔法講座を受けっぱなしで、まともに施設を案内されたことすら無い。やや理不尽な気持ちを覚えつつも、マキはカエデに彼なりの自己紹介で返そうとしたが。

「ぼっ、僕は昨日配属された――」

「片瀬真希くん、ですよね? さっきの中学生云々は冗談で、この研究所内じゃキミのことを知らない人は居ないと思いますよ。あのノゾミさんが育ててる魔導師だって、かなり噂になってますから!」

「えっ、えっ……?」

 カエデから伝えられた情報が多すぎて、彼は一瞬で混乱してしまう。彼女がマキのことを知っているどころかマキが有名人になっていることに、いつの間にかマキが魔導師にされていること。何が何だか分からなくて、涙目でノゾミに助け舟を求めた。

「そっ、そんな目で見られてもねぇ……そりゃあ私だってここじゃ有望株として特別視されてるし、となるとマッキーまで同じように見られるのも理解できるよね? はい、この話はやめ! とにかく、そのドロッドロのカレーを早く片付けちゃいなさいな!」

「逃げないで下さいよぉ~……」

 そう嘆きつつもカレーを貪るマキの隣の席に、カエデがちょこんと腰を置く。そしてノゾミと同じチーズサンドを口にしながら、マキに質問を投げかけてきた。

「ねぇねぇ、マキくんっていくつなんですか?」

「じゅ、十九ですけど……」

「じゃあ、私の方がお姉さんなんですね。そんなに堅くならずに、もっと甘えてくれちゃってもいいで――」

「アンタにマッキーのお姉さんの権利を渡す気は毛頭ないわよ、カエデちゃん」

「うわ、いきなり口を挟まないで下さいよノゾミさん」

 露骨に嫌がるカエデと不機嫌になるノゾミとの板挟みになるマキだったが、彼のお姉さんの権利とは一体何なのか、ただそれだけが気になっていた。

「ノゾミさん、何かカエデさんが来てから邪気をかなり放ってません?」

「そりゃ誰だって、ショタと二人っきりの食事をちょ~っと若いからって調子こいてる後輩に邪魔されたら腹くらい立つでしょ」

「うわ~……うわ~」

 女の世界は壮絶だった。

「ノゾミさ~ん、そんなこと言わないで下さいよぉ~。それよりもマキくん、もう研究所の建物は色々と回りましたか?」

「いや、まだですけど……」

「マッキーには、これから案内するつもりだったのよ。くれぐれも、二人っきりのデートを邪魔しないでくれるかな?」

「ちょっと待って下さいノゾミさん、僕こんな陰気臭いところでのデートとか謹んで辞退したいんですけど」

 マキからの拒絶を受けたことで、遂に精神のダメージが洒落にならなくなったノゾミ。昼休みの残された時間は、彼女をマキとカエデの二人で回復させることに費やした。


 そして、昼休みも終わり。今日の午後は実技指導もやらないということで二人とも制服姿に着替え、先ほど話に上がった研究所案内をノゾミにしてもらうこととなった。むしろどうして昨日のうちにしてくれなかったのかと疑問に思うくらいで、彼女に批難の目を向けても視線をそらされるだけだった。

 この浦賀研究所は寮が併設されていることもあり、生活施設もかなり充実している。昨日のマキは部屋に備え付けられたシャワーで済ませたが、寮の一階には共用スペースとして大浴場があることを初めて知った。食堂も広い敷地内を万遍なくカバーせんと複数個所に点在しており、和洋中華とよりどりみどり。午前中のテストスペースだけならず、運動する場所はトレーニングルームに野外グラウンドととても恵まれた環境だった。

 それら生活関連施設を見て回るうちに、二人は様々な人と顔を合わせた。警備員のおじさんにしっかりと自己紹介をすることも叶ったし、食堂のおばさん達とも仲良くなった。休憩中の研究員にも挨拶をして回って、マキが噂のような魔導師ではなく正式な整備士であることを片っ端から説明した。

「それにしても、どーしてこんなに魔導師って勘違いされてるんでしょーね……?」

「んー、マッキーにここへ来てもらった理由が原因じゃないのかな? あれだったら、確かにそっちの方がイメージ強いし。現に私だって、皆には設計士じゃなくて魔導師として認知されてるしね」

「ここって……僕が浦賀研に来た理由、ですか?」

「まぁ、それも追々分かるわよ」

 ノゾミに話をはぐらかされたところで、一号棟のとある一室の扉を開く。中は十基弱のコンピュータや大型スクリーンが設置された少し広めの会議室のようだったが、その割には休憩か非番なのか五名程度しか人が居なかった。マキが首を動かしながら眺めていると、奥のコンピュータの前にカエデが座っているのを見つける。

「あっ、ノゾミさんにマキくん! 本当に施設を案内して回ってるんですね」

「そりゃ、こーゆーところも覚えさせないと後々大変でしょ?」

 ノゾミと言葉を交わしてから、カエデがこの部屋の説明を始める。

「ここはコントロールルームって言って、模擬戦などの戦闘状況を把握したり、非常時に作戦行動をする際は司令部として機能するところなんです。だから浦賀研の人たちの殆どが軍技術部所属なのに対して、ここに居るのは皆執行部の人間で。かく言う私も、正式な執行部所属のオペレーターなんですよ?」

 彼らの所属する日本軍という組織は、大まかに分けて三つの部署が存在する。一つが技術研究に尽力する技術部で、一つが諜報活動などを司る情報部、そしてもう一つが実際に戦闘行為をする執行部だ。浦賀研究所は技術部の所有する施設なので従業員も基本的にそこに所属しているが、新兵器をテストする際の模擬戦を実行する関係で、このコントロールルームに居る人間は執行部所属となっている。

 そこまでカエデが伝えたところで、新たに二人の中年男性が彼らに近寄ってきた。片方は白髪で体格もかっちりとしているが、もう片方は細身の長躯にフレームレスのメガネを掛けていた。白髪の男性が口を開く。

「君が、片瀬くんだね? 私は羽沼(はぬま)と言って、このコントロールルームの司令をしている。隣に居るのは、副司令の加納(かのう)。お互い部署も違うし話しかけづらい立場だろうが、よろしく頼むよ」

「はっ、はい! 先日浦賀研究所に配属となった、片瀬真希です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 羽沼が大らかな調子で接してくれたので、こちらとしても比較的緊張せずに敬礼をすることが出来た。ノゾミが二人の司令に向かって、かしこまった口調で話す。

「この子……片瀬の着任報告が遅れたことは、申し訳ありませんでした。紆余曲折ありましたが、無事配属されたことをここに報告します」

「あぁ、その件ならば構わないよ。我々は技術部のスペースを間借りしている訳だし、彼の直属の上司である君が把握していれば問題ないだろう。それに、研修期間ならばまだ正式な配属とは言えないと思う。それじゃ、我々はこれで失礼するね」

 そう答えたところで、羽沼と加納が踵を返す。マキとノゾミの二人もここで退室しようと、カエデに短く挨拶をした。コントロールルームの扉をピタリと閉めたところで、ノゾミが大きく溜め息をつく。

「緊張したぁ~……いつまで経っても、あそこら辺のお偉方には気が抜けないんだよね。もう何年も同じ仕事してるってのに、緩いノリを一向に受け入れてくれないんだもの」

「ノゾミでも、ちゃんとした口は利けるんですね」

「そりゃ、一般人程度には盛れるって~……ささ、次に行きましょっか」

 ノゾミの合図で一号館を後にしたら、二人は研究施設の集中する二号棟に到着した。ここでは様々な先進技術の研究を行っていて、どこの部屋も一目見ただけでは何をやっているのか全く理解できない。しかしその中でもすぐに分かるモノが、三階の片隅にある部屋に置かれていた。

「あれ……もしかして、これってスパコンですか?」

 摂氏十四度の冷気が支配する、薄暗い一室。ノゾミが天井の照明をつけると、本棚のようなコンピュータの群れが姿を現した。接続コードが血管のように張り巡らされ、筐体たちに挟まれて現れる通路は入り組んでいて、まるで人間の脳のよう。最先端技術を扱う浦賀研のことだから、スーパーコンピュータなら所有していても何の疑問もない。

「凄いなぁ、実物を見るのは僕も初めてだ……」

 感心しながらマキが足を踏み入れ部屋の中を眺めていると、筐体に何か文字が刻印されているのを見つける。指でなぞってホコリを取り除くと、筆記体で『Radiance』と書かれているように読めた。

「<ラディアンス>……もしかして、このスパコンの名称ですか?」

「うん、そうだね……その通りだよ。もうここはいいから、次はハンガーに案内してあげる」

 彼女の素っ気ない返事を受けて、マキは初めてノゾミの機嫌があまり芳しくないことに気が付く。それはどこか奇妙だった。つい先ほどまでは楽しく研究所の人たちと喋っていたし、昼休みの下らない出来事をまだ引きずっているとは思えない。彼女の気が滅入る原因が、この部屋のどこかにあるとでも言うのか。

 そんな疑問に後ろ髪をひかれつつ、それぞれの研究室に挨拶をして回ったところで、最後に兵器などの試作品を製造するプラントに足を運んだ。ここは研究所の敷地内でも南側に位置し、海上に埋め立てられた滑走路に隣接している。面積は研究所のどの建物よりも広く、薄暗い工場内には輸送機やら何やらが所狭しと並べられていた。

「へ~、浦賀にこんなところがあったんですね……」

「ここが浦賀研最大の目玉なんだよ。軍で運用する兵器の試作品を製造・組立まで出来るんだし、日本でもここまでの設備を持ってるのはここだけかも。ささ、マッキーに見せたいのはこっち」

 言われるがまま手を曳かれ、マキ達はプラントを抜けて滑走路側の駐機場に入った。別名ハンガーと呼ばれるこのスペースはいわば試作品置き場で、マキも見たことの無い新型の戦闘機などがその羽を休めている。ノゾミの後を付いていって壁伝いに伸びる階段をしばらく上ると、およそビルの三階に相当する高さで架けられたキャットウォークに行き着き、その中ほどで彼女が立ち止まった。

「ねぇ、マッキー。これが何だか分かる?」

 そう言ってノゾミが指差したそれは、八メートルほどもある人型の戦闘兵器だった。

 後ろ側に突き出た矩形の胴体に、四肢が無理矢理付けられたようなフォルム。その手足はとても角張っていて、堅牢性の高さを物語っている。天井から伸びたアームによって肩から吊り下げられていて、大きな足は地面に着いていない。特徴的なのは随所に見られる細長いスリットで、肩と腕、脚、背中、そして額と至るところに埋め込まれている。黒やグレーなどを中心とした暗い配色であるのに対し、頭部のツインアイと胸のセンサだけが明るい朱色に発光していた。

 その大きな機動兵器に、マキは一瞬で圧倒される。こんなものを間近で見たのは、人生において初めてだ。これ自体が何と呼ばれているか正確には分からないが、彼は似たようなモノならばよく知っていた。

「これ……<マキナモジュール>、ですか?」

 <マキナモジュール>、略称はMM、和名では『機巧人形』。全高が八メートルもあり、世界的に普及している人型の機動兵器。戦車から発展した経緯から足元にローラーを装着しているのが特徴で、山岳地帯などの地形が激しい場所において、四肢を駆使し障害を乗り越えることで真価を発揮する。戦闘機のように空は飛べず、戦車のように大砲は持てないが、その機動性と汎用性が様々な悪路で重宝されている兵器だ。

 今目の前に佇んでいる<マキナモジュール>と思われるモノは武装を何も装備していないが、MMとは基本的にそういうモノだ。外付けの武装を両手に持ち、時には規格品である敵MMの武装まで奪って運用する。戦闘機や戦車には無い、もう一つのMMの特徴である。

 マキは本来、この<マキナモジュール>を専門とする整備士として日本軍技術部に入ったはずだ。ここでそのMMをノゾミに見せられたということは、やはりそのことが間違いではないということの証明になる。しかしその場合に奇妙な点が一つだけ、マキが魔法を叩きこまれたことだ。そのことを思い出させるかのように、ノゾミが首を横に振って予想外の言葉を漏らす。

「違うよ、これは<マキナモジュール>じゃない。今までのMMの常識を打ち破るために造られた、日本軍技術部きっての虎の子。魔導師が扱う<マキナモジュール>――その名も<マジカルマキナモジュール>」

 抑揚の抑えられた彼女のセリフに、マキは後頭部を打たれたような錯覚に陥った。魔導師が扱う、<マキナモジュール>。機械化部隊と魔導師部隊はこれまで別々の組織として存在しているし、何より科学と魔法は水と油のようなモノだ。それを同一の概念として融合させるなんて、整備士見習いとしてMMを熟知したマキには到底信じられない発想だった。

「魔法とMM、って……ノゾミさん、そんなことが可能なんですか?」

「可能にする、ってのが正しいのかもね。この子は試作二号機で、一号機は奥にあるんだけど、どっちも未完成だから。手足はMMのパーツを流用しただけに近いし、まだまだ改善点が多いんだよ。でも一応は試験できるくらいに動くレベルで、中核システムである魔導炉は大体完成してるから」

 ノゾミが<マジカルマキナモジュール>に近寄り手をつくと、胴体が花のように開いて中からコクピットらしきモノが現れる。彼女が外側からそれに作用し魔力を送った瞬間、背中の突き出た部分からジェネレータが露出して淡く桜色に発光した。この魔導炉と呼ばれるジェネレータが蕾だとしたら、放出される魔力はまるで桜吹雪だと彼は感じる。

「<マジカルマキナモジュール>……略称はそのままMMMで、和名は『魔導人形』になるのかな。川崎重工と東芝の協力を得て、うちで開発しているの。搭乗者の魔力をこの魔導炉で増幅し、八メートル級のサイズで魔法を発動させるマンマシーンインターフェイス。人間は身体に神経が通ってるけど、この子は各部位に流力を伝えやすい銀製の導線でパイピングされてるわ」

 彼女の話をそこまで聞いて、マキはこのMMMの開発コンセプトを理解できた。要は魔法の大型化・高威力化だ。通常の魔導師が発動できる魔法の威力は限定的で、せいぜい建物を一軒壊せる程度の力しか無い。しかしこのMMMを介することで魔法の威力は単純計算で約五倍に増幅、建物どころか街を壊滅させられるほどのパワーを手にすることが可能となる。<マキナモジュール>を魔法で強化するのではなく、魔導師を一騎当千の鬼神にするための兵器なのだ。

 そしてようやく、マキはあらゆることに納得する。彼が浦賀研究所に呼ばれたこと。彼がノゾミに魔法を教わっていること。ノゾミが彼を引き抜いてまで欲しがったこと。

「じゃあ、僕にこれを見せたってのは――」

「マキって、MMの整備だけじゃなくて設計についても高専で学んだんだよね」

 こちらを振り向いて、淡々とノゾミが零す。彼女の視線を受けて、マキは胸の高鳴りが激しくなるのを感じた。

「さっき言った通り、この子は未完成だから。機械と魔術の両方に精通した、とても優秀なエンジニアが欲しかったの。それにこの子を動かすテストパイロットとして、二人の魔導師が必要。一号機は私が乗るんだけど、二号機の操者はまだ決まってない。けれどもここに、<マキナモジュール>の開発が出来て、そして覚えたてだけど魔法まで使える技術者が居る」

 自分が何のために生まれたのか、彼はもう何年も考え続けていた。どうして自分はここに居るのか。誰にも作用していないこの人生に、どのような意味があるのかと。

 誰かの役に立ちたい。自分の生きる理由が欲しい。

 何か、理由が欲しかった。

「――マキ。これが、アナタの理由だよ」

 彼の心を見透かしたようなノゾミは、どこか辛さを覗かせるような、柔らかくはにかんだ表情をしていた。



 それからも研修はしばらく続き、マキは魔術的な知識をかなり蓄えることに成功していた。<マジカルマキナモジュール>の操縦訓練も三日目からやるようになり、ノゾミと一緒にMMMで演習を行っては他の開発スタッフと一緒に問題点を洗い出して実際に改善する、というこれからの仕事に近いことも覚え始めた。

 当然魔法の実技指導も続いているが、彼は一向に<レスグラビティ>が使えないままだった。この理由についてノゾミは何らかの仮説を心中に秘めているようだが、確信が持てないのかマキには教えてくれなかった。その代わり他の様々な魔法を叩き込まれ、ひとまず駆け出しの魔導師として簡単な戦闘行為が行える程度には成長した。

 そして研修が始まってから一週間が経とうというこの日も、マキはMMMを使ったノゾミの演習をやらされていた。滑走路の先に伸びる浦賀水道の沖合を、二機のMMMが浮遊している。マキが搭乗しているのは試作二号機の方で、もう片方の試作一号機はノゾミが操縦していた。通信無線から彼女の指示が飛んでくる。

『マッキー、次は三番の的を狙って』

「了解です……<コールドピアス>」

 マキが呪文を唱えると、MMMの魔導炉が稼働し彼の魔力を増幅して、試作二号機の右手に半径一メートルほどの魔方陣が生成される。橙色のその円からは四〇ミリ口径ほどの弾丸のような氷塊が現れ、後ろから押されたようにそれが飛ばされては洋上の標的に命中した。

「目標に命中、そっちでも確認をお願いします」

『三番……命中を確認。マッキーもようやく、MMMの操縦に慣れてきたみたいだね』

 ノゾミの言う通り、彼は随分とこの機体を意のままに操れるようになってきていた。最初は機体の重量バランスが悪いことやその操縦方法にかなり戸惑ったが、今ではそれにもある程度慣れてきつつある。と言っても機体特性のクセが強いことに変わりはなく、彼も早速MMMの改良プランを練り始めていた。

「おかげさまで、この二号機も手足の延長みたいに感じられるようには。念じるだけで動くっていう流力操作はやっぱり感覚がふわふわしますけど、身体を動かさなくてもいいのは楽で助かってます。こうして、何とか浮くことも出来てますし」

『そうだね、後はその浮遊方法が……』

 言葉を濁されたことに苦笑いを浮かべつつ、マキは再度<ヴァリアブルベクトル>で試作二号機を下から突き上げた。<レスグラビティ>の使えない彼の浮遊方法というのがまさしくこれで、常に下から力を加えることで無理矢理滞空させているのだ。そのため機体の足元には常に肩幅くらいの魔方陣が展開しているし、ずっと発動しなければいけないのでマキの魔力消費もバカにならないことになっている。

『何か、泳ぐのを止めると死んじゃうマグロみたい』

「マグロって言うんなら、浦賀じゃなくてお隣の三崎口でお願いします……」

 この先もこの方法で飛ばなければならないという不安から、マキが悲しそうに肩を落とす。しかし他に方法は無いのだし、MMMは魔導炉の重量が理由で自らの脚を使った直立は設計上不可能だ(因みにマキが真っ先に挙げたMMMの改善点はこれである)。やるせなさから深い溜め息をついて、彼は次のメニューを消化するべく新たな魔方陣を展開した。


 コントロールルームの壁にある大きなスクリーンには、演習に勤しむ二機の<マジカルマキナモジュール>が映し出されていた。部屋に居る人間は仕事としてその模様をモニタリングしている他、初々しくも頑張っているマキの働きを温かく見守っている。

「片瀬くんは……彼も、大分ここに慣れてきたみたいだね」

「そりゃあ、ここに来てもう一週間でしょうし。後は春日中尉の判断で研修期間を終了し、実際の業務に入るだけでしょう」

 スクリーンを眺めながらこのような会話を始めたのは、羽沼と加納の両名だ。部屋の一番奥にある椅子に座りながら、子供を見守る親のような目線でMMMを追っている。

「そうしたら、正式にこの研究所に配属される訳か。外部の人間たる私が言えたことでも無いが、歓迎会をやらねばな」

「それならば、ここの所長がもう企画しているのでは? 話は聞きませんけれども、何もやっていないということも無いでしょうし」

 加納が落ち着いた物腰で憶測を喋る。浦賀研の所長は多忙な人物ではあるが、何もかもをノゾミに任せきっているとは思えない。そんなことを仕事の合間に歓談していると、お盆を持ったカエデが会話に割って入ってきた。

「マキくんの歓迎会をやるんですか? あっ、お茶が入りましたよ」

「おぉ、ありがとう。そういえば一宮くんは、片瀬くんとも仲がいいんだったかね」

 羽沼が一口だけ茶をすすると、カエデが大きく首を縦に振って答えた。

「はい。ノゾミさん以外にここで知り合った初めての人が、私だったみたいで。私としてもかわいい後輩が出来たモノですから、歓迎会の司会とかも任せてくださいっ!」

「そうか……じゃあ、その時は是非とも頼もうか。ところで私にも、ちょうど片瀬くんくらいの歳になる娘が居てね」

「……司令の娘さんは、確か今度――」

 加納がそう言いかけたところで、スクリーンの映像が急に変わってしまった。新たに映し出されたのは浦賀沿岸を監視しているレーダーの映像で、そこには洋上に三つの奇妙な点が確認できる。オペレーターの一人が声を荒げて報告した。

「沖合に<ヒトガタ>の反応あり……今映像でも確認しました、<ヒトガタ>が三機、敵襲ですっ!」

 スクリーンの映像がまた変わって、今度は三機のロボットが海の上を浮遊している姿が映し出された。不思議なことに羽やブースターの類は見受けられず、どうして飛んでいるのか見ただけでは分からないフォルム。今月に入って初めての敵襲に、コントロールルームの空気も一瞬で張り詰めた。

「このタイミングか……加納くん、<マキナモジュール>部隊の到着は遅れているという話だったかね」

「はい、横浜横須賀道路の通行止めの影響で、今月頭を予定していた着任も二週間ほど遅れています」

「その高速道路の通行止めも、奴らの襲撃があったからだったな……この研究所を兵糧責めするという敵の作戦は、こうして功を奏しているという訳か」

 羽沼が現在の状況を嘆いている間にも、敵はジリジリとここに近付いてきている。自らの持ち場に着いたカエデが、彼に指示を仰いできた。

「司令、現在滑走路で行っているMMMの演習はどうしましょう?」

「中止するのは止む無しだが、しかし片瀬くんを実戦投入するのは不安が残る。とても心苦しいけれども、また春日中尉一人で戦ってもらうしかないだろう」

 苦渋の決断を伝えてから、羽沼は淹れてもらった茶を一気に飲み干す。それは半ば閑職であった演習のモニタリングという業務から、自分が人生の大部分を過ごしてきた戦場へと戻ってきたということを意味していた。


 突如研究所に響いてきたサイレンに驚き、マキは反射的に山の方を振り返る。しかし視界にあるのは住宅団地と緑の木々だけで、何が起こっているのか彼には到底分からなかった。

「ノゾミさん、これって一体――」

『マッキー違う、海の方向だよ!』

 ノゾミからよく分からない訂正を受けて、彼は浦賀水道側に機体を向けた。するとモニタが何やら人影のようなモノが三つほど浮かんでいるのを捉え、そこでようやく良からぬ事態が起こっていることに気付く。人が海の上に立っているだなんて魔導師でもなければあり得ないし、それにサイズもかなり大きな気がする。モニタを拡大してみると、いよいよマキの頭が混乱し始めた。

 人型の機械が、浮かんでいる。

 すらりと伸びた手足のフォルムに、かなり絞られたウエストのライン。頭を透明なバイザーが鉢巻のように一周していて、その下には一つ目の黄色が見え隠れしている。羽も無いのに浮いているのが、魔導師やMMMをどこか連想させた。しかし魔方陣がどこにも見当たらず、魔法を使用している気配がない。三機で編隊を組んでいるようだが、機械的な動きの裏側から生々しい意志が溢れ出ている。まさしく、無機質の殺意。

「あれって、<マキナモジュール>……じゃないですよね。あまりにも細すぎるし、何より空を飛んでますし」

『そうだね、私たちが便宜的に<ヒトガタ>って呼んでる敵だよ』

「てっ、敵……?」

 ノゾミの零した聴き慣れない言葉に、マキは過剰に反応する。

『そこまで驚かなくてもいいでしょ、ここは軍の研究施設なんだよ? いつ襲撃されたって文句言えない場所だから。『赤い空』の名前ぐらいだったら、マッキーだって知ってるでしょうし』

「赤い空って、そんな――」

『とにかく、アナタはハンガーに戻って。コントロールルームもそれを望んでるみたいだし、何より私もマキを守りながら戦える自信がない。マキには悪いけど、今は戻ってほしいの』

 緊張からか彼女の声はどこか冷たく、突き放されたような気分に陥る。急に厄介者のようにそう言われるのは、彼としてどうしてかショックだった。その気持ちを受け入れたくなくて、マキはノゾミに向かって反論してしまう。

「そんな……ノゾミさん一人だけを置いて、僕だけ逃げるなんて」

『マキは考えなくていいんだよ、そんなこと。私だってこの機体でアイツらの相手をするのにも慣れっこだし、アナタに実戦はまだちょっとだけ早いから』

「でも、僕だって魔法が使えます」

『少しだけなら、ね。それにMMMの操縦をしながら戦闘をするには、もうちょっと慣れてないとやられちゃう。最悪――マキが、死んじゃう』

 彼女は優しい言葉を選んでくれているというのに、その一言だけはマキの心に大きく響いた。『死』。マキが死ぬ。死んでしまう。

 母親も父親も、どちらとも昔に死んでしまった。二人の死に直面した時、自分もいつかこうなるのだろうと感じた。それでいながら、自分がこうなるのはもっと先の出来事だとも感じた。

 戦場は、死と隣り合わせだ。いつマキが二人のようになってもおかしくはない、そんな場所だ。彼がいつ死ぬかも分からないような、危険地帯。

 コクピットに警報が鳴り響き、マキの意識がその音に支配される。モニタに目をやると<ヒトガタ>の一機がこちらにライフルの銃口を向けて来ていて、マズルフラッシュが輝くとともに発砲してきた。直感的に身体が<ヴァリアブルベクトル>を発動し、MMMを横からベクトルで押して移動させる。すると今まで彼が居たそのスペースを、一発の四〇ミリ砲弾が切り裂いていった。咄嗟に避けなければ、マキはあれに当たって死んでいた。

「あ……」

 これだ、この感触だ。マキは思い出した。親の死に触れた時の感触。自分もこうなるかもしれないという感触。死の感触。

 誰かの役に立ちたいと思った。だから軍属の整備士になった。けれどもそれはあくまで後方の仕事で、まさしく今のように戦場へと身を投じる仕事ではない。命を張りたいと思えない。誰かのためだといって、自分が死んでしまうのは嫌だ。

「……ノゾミさん、僕は戻ります」

『うん、分かった……ゴメンね、こんなことになっちゃって。でも安心して、マキは必ず私が守るから』

 そう呟くノゾミの声は、通信越しでも悲しそうに聞こえる。そして彼女は敵の群れへ向かって、<ヴァリアブルベクトル>で飛翔していった。右手には、魔法で生成したエネルギー体の剣である<アームエッジ>を携えて。

 何も言わないその背中を見送ってから、マキは試作二号機を操ってハンガーのある滑走路の終端へと逃げ出した。



 ハンガーからは、ノゾミが見えた。

 三機の<ヒトガタ>を、たった一機で相手にしている。腕と一体化した刃である<アームエッジ>を鋼鉄化、それを一振りして敵を裂こうとしていた。けれども紙一重で回避されてしまい、背中から別の<ヒトガタ>に狙われる。

 背中に魔方陣を書いて、それを硬化することで盾とする<ハーデニングシールド>。ライフルの銃弾を防いだはいいが、これで前と後ろを囲まれてしまった。踵にエネルギーの刃を付ける<ヒールエッジ>を使いながらサマーソルトキック、前方の敵はあろうことかアックスで彼女の攻撃を受け止めた。

 咄嗟にノゾミが機体を降下させると、間一髪でロケットランチャーの砲弾から逃れることに成功した。だからと言って状況は全くもって好転せず、近中遠とそれぞれのレンジを分担した<ヒトガタ>部隊相手に相当手こずっている。彼女は何の縛りなのか、機体に刃を生やす攻撃魔法しか使っていなかった。

「機体の強度と、魔導炉の負荷が大きすぎるのかな……」

 マキの呟きは、正確な指摘だった。ノゾミほどの魔導師ならばもっと強力な魔法も習得しているはずだが、それを発動するとMMMに負荷が掛かり過ぎて、機体が空中分解してしまう。それに<アームエッジ>や<ヒールエッジ>を展開しながら他の強力な魔法を使っては、魔導炉がオーバーヒートする恐れもあった。

 機体が弱すぎるせいで、ノゾミ本来の力が出せない。この事実に、マキはもどかしさを激しく感じた。改善方法はいくらでも思い付くのに、今それを実行することは出来ない。ノゾミのMMMをハンガーに戻したところで改修する時間もないし、彼女を退かせてしまっては誰が<ヒトガタ>の相手をするのか。

 ――自分は、あまりにも無力だ。

 クレーンで宙吊りになった<マジカルマキナモジュール>の操縦席で、マキはただ漠然とそう思った。ノゾミのために、何の力にもなれない。何の役にも立てない。自分は何も出来ない。

 自立できないからクレーンに吊るしてもらっているMMMは、今のマキだ。自分の足で立つことすら出来ず、ただ誰かに守られているだけ。守られるような存在じゃないのに。守られるような理由もないのに。

『――エグゼキュートから、トライアルツーへ。マキくん、こちらカエデです』

 モニタ越しに虚空を見つめる彼に、カエデから通信が入った。エグゼキュートとはコントロールルームの、トライアルツーとはマキのコールサインである。

「……こちら、トライアルツーです。どうしたんですか」

『不貞腐れてるんだろうな、って思いまして。それとも、いきなりの襲撃で混乱してました?』

「どちらかと言えば……いや、両方です。カエデさん、どうしてここが襲われてるんですか?」

『<赤い空>、名前くらいは知ってますよね』

 彼女の口にしたその単語に、マキは聞き覚えがある。ニュースで連日取り上げられているテロリスト集団、<赤い空>。二〇〇三年の三宅島噴火を機に、その上空に浮遊する赤い人工基盤を造って本拠地としながら活動している組織だ。しかし報道されるのは彼らによる被害状況だけで、手口や目的などは報道規制がかけられているため一般人はまずその実態を知らない。

「この前の横浜横須賀道路を爆破したって集団ですよね。色々と謎が多いって聞きますけど、あの<ヒトガタ>もその<赤い空>の機体なんですか?」

『最初の犯行声明が文書で届けられた時から、軍の施設を襲撃してるのがあの無人機、通称<ヒトガタ>です。製造元は不明で、反重力装置を使って空を飛ぶ。燃料は持たずに、彼らの本拠地である三宅島からエネルギー波を受信して動いてます。このエネルギー波、MMMが横取りして魔導炉の燃料にしてるやつですよ』

 カエデから伝えられる情報の何もかもに、彼は驚かされた。何年も前から<ヒトガタ>が実戦投入されていること、浮遊する原理、MMMが彼らから勝手に恩恵を受けていること。そしてもう一つだけ、彼女の口からある事実が暴露される。

『彼ら<赤い空>がここを狙う理由ですが……犯行声明によると、ここにある<ラディアンス>っていうスーパーコンピュータを破壊したがってるみたいなんですよ』

「<ラディアンス>って、まさか……!」

 その単語を聞いて彼が思い出すのは、ノゾミの奇妙な様子だった。あの時の彼女からは、どこか複雑な心境を垣間見ることが出来た。自分たちの研究に貢献している反面、それが災いを呼び起こすアイテム。諸刃の剣が見せる輝き、それこそが<ラディアンス>だったのだ。

「それじゃあ、<ラディアンス>を他のところに移せば――」

『意味無いですよ、別の研究所が襲撃されるだけです。それならば三宅島からも近い浦賀研に置いて、囮かつ前線基地とすることで<赤い空>に対抗する。私たち執行部の人間が居るのって、一番の理由がこれなんですよ。ここは基地なんです』

「そんなところを、ノゾミさん一人で守ってる……」

 改めてノゾミのMMMに目をやると、彼女の劣勢が一層際立って見えた。近接武装だけなので敵に接近せねばならず、すると数の暴力ですぐに囲まれてしまう。包囲網から逃げると今度は折角詰めた彼我差が開いてしまい、また接近し直すことになる。体力と魔力を消耗するいたちごっこは、たった独りで戦うノゾミに不利だった。

 この時点でふと、ノゾミの背中しか見ていないことに気付く。こちらに背を向けて戦う彼女のMMMは、まるでサッカーのゴールキーパーのようにしてハンガーを守っている。その理由は恐らく、大切な試作二号機があるから――マキが居るからだ。

『……マキくん、ノゾミさんを助けてみませんか?』

「えっ……?」

 唐突に、カエデがこの提案をしてきた。彼女はふざけている訳でもなく、至極真剣な調子だ。MMMの二号機を使って、彼がノゾミを助ける。マキは首を縦にも横にも振れず、ただそれに驚くことしか出来ない。

『今現在ですぐに動かせる機体は、マキくんのMMMだけです。そして増幅された魔法はここにある他のどの兵器よりも強力で、アナタはそれを使えます。ノゾミさんを支援することが可能なのは、マキくんの二号機だけなんです』

「でも、それじゃあ僕が<ヒトガタ>と戦うことになるじゃないですか。今出撃しちゃったら、僕がここに戻るよう言われた意味が――」

『けれども、MMMは動かせるんでしょう?』

「嫌です、僕はただの整備士ですよっ?!」

 押しつけられるその期待を、マキは大声で跳ね返した。

「僕は誰か皆の役に立ちたくて、だからこの仕事を選びましたっ! 必要とされるのは嬉しいですよ、でも戦うのは何かが違う! 僕のようなまだ一週間の素人が出ても、ただ一方的に死ぬだけです! そんなんじゃ、誰の役にも立てないじゃないですかっ?!」

 マキは元々、戦いたくて軍に入隊した訳ではない。誰かに求められたいから、そして親の後を追いたくないから、安全な後方の仕事を選んだ。しかしそれが<マジカルマキナモジュール>開発という仕事に転じて、魔法を教え込まれ、MMMのテストパイロットまでやるようになった。

 これは成り行きだ、そう彼は強く思う。自らは少しも望んでいないのに、戦場へ引きずり込まれつつある。

 戦って誰かの役に立つのは、彼のやりたかったことではない。命と引き換えに他人を助けるということは、他人が生き残っても自分が死ぬということだ。それでは意味が無い、彼が生きてきた理由を感じることが出来ない。求められる実感を味わえない。感じる前に、死んでしまう。そして今の彼では、そもそも他人を助けることすら出来ない。

 ――ただ、生きる理由が欲しかっただけなのに。

「そう、ですよ……僕は、理由が欲しかったんです。誰かの役に立つって理由さえあれば、それが生きる理由になるんです。そうすれば、親を見返せるから……。両親が死んでも、僕は生きていたい。だから……だから、生きる理由のために死ぬだなんて矛盾してますっ!」

『生きることに、そんなにもこだわりますかっ?!』

 弾丸のようなカエデのカウンターが、マキの意識にぽっかりと大きな穴を開ける。衝撃で、口が止まってしまった。

『アナタは、そんなにも生きていたいんですか?! 誰の命よりも、自分の命の方が大切ですか?! 親御さんを見返すことが、そんなに大切ですか?! 死にたいくらいに誰かのためになりたいとか、そういうことは無いんですかっ?!』

 ――もう居ない家族のことよりも、今ここに居る自分たちのことを考えた方が楽だって。

 カエデの『親を見返すことが大切か』という言葉のおかげで、ノゾミが彼にくれたセリフを思い出した。過去の死者よりも、今のために。他界した両親を見て生きる必要はなくて、その呪縛に囚われることも無い。もう居ないモノに認めてもらうのは、無意味だとノゾミが教えてくれたのに。

『命を賭けるだとか、それくらい本気になって生きてください! そうじゃないと、何だって成功しません……っ! 皆のためだとかそんな器用なことは言わないで、もっと命を預けられるような、誰か一人のためだけに生きましょうよっ!』

 彼女にここまで叱られて、マキはようやく自分の甘さに気付いた。器用なこと。世のため人のためになるというのは、とても欲張りな理想論だ。

 もう居ない両親のために、直接動くことは出来ない。だからそんな親にも褒めてもらえるようにと、普遍的な『良い子』になろうとしていた。けれども思い入れのない不特定多数の人間相手に、本気の成果を出せるはずがない。

 もっと、的を絞らなければ。自分と同じように生きている、直接触れ合える一人のために命を賭けるのが、人間最も本気になれる。

 ――だから、私はマキを『独り』から守る。

 マキにとってのその一人とは、もう彼女しか考えられない。

『それにマキくん、生きる理由ならもうあるでしょう! そう大層なことじゃないですけども、<マジカルマキナモジュール>っていう、とても立派な命を張る意味がっ!』

 加えて彼の欲しがっていた理由も、カエデの言う通り既に貰っている。彼の人生において初めて、他人に必要とされたこと。彼の能力が買われて任されたのが、MMMの開発スタッフ。マキはもう、誰かに必要とされている。

「<マジカルマキナモジュール>が、命の意味……そして、それをくれたのが――!」

 一週間前、ちょうどこの試作二号機の近く。彼に微笑みながら、渡されたセリフ。

 ――これが、マキの理由だよ。

「僕は、ノゾミさんのために動くべきなんだ……!」

 青く透き通ったラムネのように、マキの思考が爽やかに弾けた。

 彼はこの一週間で、ノゾミから多くのモノを貰った。魔法や仕事、他にもある。孤独からも守ってくれるし、彼を必要としてくれる。マキにとって、彼女は疑うことなく恩人だ。

 そして今外を見てみれば、その恩人が窮地に陥っている。数で劣勢に立たされていて、このままではマキを守ることも出来ないだろう。そんな彼女をここで何もせずに見捨てることは、とても出来るようなことでは無かった。

 彼が助けに行ったところで、しかし足手まといになるかもしれない。彼女の役に立つことが叶わず、志半ばで死ぬかもしれない。けれども、マキには魔法とMMMがある。彼女に教えてもらったモノと、彼女に与えてもらった作品。彼女を信じてさえいれば、これらが有用であることは少しも疑えない。

 マキは、ノゾミを助けたいと強く願った。

「カエデさん、僕出撃します! この二号機で、ノゾミさんを助けて見せますっ! だから、カタパルトの使用許可をお願いします!」

『その気になってくれたんですね、マキくんっ! 待っててください、今司令に許可を……』

『トライアルツーへ、こちらエグゼキュート・リーダー。羽沼だ、話は聞かせてもらってたよ。キミの意志は堅いモノだ、再出撃の許可を与えよう』

「羽沼司令……ありがとうございます!」

 通信機越しに頭を下げて、マキが笑顔を取り戻した。今まで生きてきた中で一番、この人間関係が恵まれている。仲間は全員が好意的だし、大切な恩人としてノゾミにも出逢えた。関わってきた全ての物事に感謝しつつ、マキはMMM二号機にもメッセージを送る。

(ノゾミさんが、僕にくれたモノ……二号機、キミもそうなんだよね。キミが僕を守ってくれる。だって、キミ自身がノゾミさんみたいなモノだから)

 懸架クレーンがカタパルトへと移動していく最中に、マキはMMMに名前が無いことに気付く。これではこの先もずっと、機体のことを『二号機』と呼び続けなければならない。それでは可哀想だと思って、とにかく何かしらの名前を付けてやろうと少しだけ悩んだ。そして、一つの解を導く。

『<マジカルマキナモジュール>試作二号機、カタパルトスタンバイ。ユーハブコントロール、タイミングはトライアルツーに任せます!』

「了解しました――試作二号機<トラフアナナス>、片瀬真希、出撃しますっ!」

 クレーンから解放されると同時、背中に魔方陣を展開する。<ヴァリアブルベクトル>を水平方向に出し、機体を滑走路へと押し出して。

『願いが叶う』という花言葉と共に、マキと<トラフアナナス>は戦場へと舞い戻ってゆく。



 ノゾミは今、窮地に立たされていた。一対三という圧倒的に不利な状況で、浦賀研のハンガーを守らねばならない。いくら百戦錬磨の魔導師である彼女といえども、こうも縛りが多いとまともに戦えない。

 アックスを右手にした<ヒトガタ>目掛けて大きく<アームエッジ>を振り被っても、敵のライフル掃射にすぐ邪魔されてしまう。その中距離の<ヒトガタ>に接近しようとしても、ロケットランチャーに阻まれる。それならばと遠くに居るその<ヒトガタ>を向いても、今度はアックスがそれを許さない。

 相手のチームワークは完璧だった。このまま演習の手本にしたいくらい惚れ惚れするモノだったが、同時に複数の人間が意思疎通をしては成し得ないほどに高度な連携だ。統一意思、いや無人機である<ヒトガタ>を遠隔操作している人間が一人だけなのだろう。同時に三機を運用しているからこそ、思い通りに事を運べる。

「全く、サッカーゲームの監督にでもなったつもりっ?!」

 両腕の<アームエッジ>を用いて、アックス相手に斬りかかる。敵は避けずにそれを受け止め、鍔迫り合いの状態に。重量差で押し負けそうなところを、ノゾミは<ヴァリアブルベクトル>をMMMの背中に加えてごり押しした。

 彼女がここで負けるわけにはいかない。補充部隊が来るまであと一週間の辛抱だし、マキが戦闘可能なレベルにまで育ってくれるまででいい。それまでに彼女が敵を倒し続けて持ち堪えなければ、浦賀研は<赤い空>の餌食になってしまう。現在のまともな戦力は、彼女ただ一人だけなのだから。

 それに、マキのことを守る約束までした。他人からの愛を知らない彼に、ノゾミは手を差し伸べてやりたい。彼に人肌の温もりを教えて、そして自分の傷も癒してほしい。妹を失った悲しみを忘れられるような、ノゾミにとって彼女と同じほどに大切なヒトになってほしい。だから、ノゾミはマキを守る。

 背中に<ヴァリアブルベクトル>をうんと掛けて、機体重量の一、五倍もの負荷を乗せる。それをそのまま<ヒトガタ>にぶつけて、アックスを叩き斬る勢いで。マキへの想いを、刃に乗せて。

 けれどもこれが敵の罠であると、ノゾミが気付いた時にはもう遅かった。

「しまった、囲まれたっ?!」

 MMMの左右にそれぞれ、ライフルとロケットランチャーの敵機が展開する。銃口は当然彼女に向けられ、このままでは挟み撃ちを受けてしまう。

 アックスの<ヒトガタ>は、囮だったのだ。鍔迫り合いでMMMの足止めをしている間に、中遠距離の<ヒトガタ>が左右に回り込む。三方向を封じるため逃げ道も無く、彼女はまさしく袋のネズミだった。

「回避する暇がない、このままじゃ……!」

 <ハーデニングシールド>を展開しても、この至近距離では防御力も紙屑程度の気休めにしかならない。攻撃魔法を他に展開しようにも、アックスの相手だけで手一杯だ。<ヒトガタ>三機に、王手をかけられた。

 どうしてか途端に、独りでいる寂しさを思い出す。増援は来ないし、誰も助けてくれない。敵に囲まれ、味方は自分一人だけ。とても親しかったはずの妹だって、今この世に存在していない。

 折角マキと一緒になれたと思ったのに、このノゾミは孤独で苦しんでいた。

 突如降りかかった死の恐怖に、ノゾミが耐えられなかったのだろうか。このタイミングで、心が弱気になってしまう。彼女が戦い続けなければいけないというのに、この状況はあまりにも絶望的だった。

 志半ばで、涙が彼女の頬を伝う。彼の孤独を解消すれば、彼女が彼と一緒に居れば、彼女の孤独も消えてなくなると思っていた。しかし現実に、ノゾミは独りで戦っている。つい先ほどまでマキは傍に居たが、危ないからと彼女が帰してしまった。彼を失いたくなくて行動したら、彼女は独りになってしまった。

「マキ、ゴメンね――」

 コクピットに警報が響く。二つの火器により照準される。彼女は手も足も出すことが出来ず、ただ目を瞑って彼に謝り。

 <ヒトガタ>二機の眼前に橙色の魔方陣が現れ、両方とも<ヴァリアブルベクトル>によって押し戻された。

「――えっ?」

 ノゾミはただ、絶句するしかなかった。電波の向こう側に居る敵オペレーターも同じようで、<ヒトガタ>三機も意表を突かれ硬直していた。予想していなかった増援。しかも魔方陣の色から考えて、とても信じられないような、そしてとても嬉しい援護だった。

 その魔法の主が、颯爽と舞い降りる。

『遅くなりました! ノゾミさん――マキです、助けに戻って来ましたっ!』

 どこか幼さを残したソプラノの声に、ノゾミは涙を隠し切れなかった。


 出撃と同時に展開したため、マキの<ヴァリアブルベクトル>は間一髪で間に合い、無事ノゾミを窮地から助けることに成功した。<トラフアナナス>の魔導炉を外部に露出させ、放熱させて十分に冷却。余分な魔力が橙色の粒子となって舞い散る。二、三秒もすれば再稼働が可能となり、完全に準備が整った。

『マキ、どうして……? 戻れって言ったのに』

 現実の光景が信じられないのか、ノゾミが裏返った声で通信を寄越す。これには確かに納得だ、彼は彼女にハンガーへ帰投するよう言われていたのだから。それならば、マキは次のように返す。

「だから、ノゾミさんのところに戻ってきたんです。僕にとって、アナタは大切なヒトですから。僕がノゾミさんに守られる代わりに、僕もノゾミさんを守ります」

『そっ……そんな、マッキー――』

 マキのセリフが唐突過ぎたからか、それとも単に嬉しいからか、ノゾミが言葉に詰まっている。柄にもなく赤面する彼女が、通信機越しに見えそうだった。やがて、そのどぎまぎも落ち着くと。

『……バカ。ありがと』

 小さく呟くだけだったが、マキはそのような言葉をプレゼントされた。

「はい。じゃあ、仕切り直しと行きましょうか」

『そうだね……敵さんも、マッキーの存在によーやく気付いたみたいだし』

 モニタに目をやれば、<ヒトガタ>三機がフォーメーションを組み直しているのが見える。前衛にアックスを押し出したワントップ、三角形の基本的で手堅い陣形。これにどう対応するか、ノゾミは早くも策を練っていた。

『マッキー、私がフォワードでアナタはバックス。切り込むから、魔法での援護をお願いね!』

「了解しました!」

 快諾と共にノゾミが突貫、<アームエッジ>で敵軍に斬りかかる。当然アックスに受け止められて、ライフルとロケットランチャーが後方から彼女を照準。位置関係に多少の違いこそあれど、先程の窮地と状況が似通っていた。ただ大きく違う一つの要素は、マキと<トラフアナナス>の存在だ。

「<コールドピアス>――行っけぇっ!」

 右腕から氷塊の弾丸を生成、マキがそれを<ヒトガタ>に向けて発射。正確な狙いはもう少し別、敵後衛の持っているライフルだ。コリオリ力を受けながら空中を切り裂き進む氷は、ノゾミに向けられた銃を貫通。摩擦で火の点いた弾倉が派手に誘爆し、それを保持していた<ヒトガタ>の右腕が肘から弾け飛ぶ。

 この一撃に驚いたからか、ノゾミの左前方に位置していたロケットランチャーの<ヒトガタ>にわずかな隙が生じる。彼女に設定されていた照準は解除され、距離を取ろうと考えたのか振り返るための予備モーション、両腕が開かれて胴体ががら空きになった。

 それを当然、ノゾミは見逃さない。

『<ニーエッジ>、<ハーデニングシフト>っ!』

 そう叫ぶとMMMの左膝に桜色の魔方陣が現れ、とても速いスピードでエネルギー体の刃が生長した。それの根本が膝へと接続されると、エネルギー体の衣が脱がされる。桜の花弁が舞い散るようなエフェクトを伴って、刃が鋼鉄製の実体剣となった。

 アックスとの鍔迫り合いをしながら、試作一号機の腰が大きく左に捻られる。脚を大きく後ろに回して、膝蹴りの容量で剣を刺突。ロケットランチャーの<ヒトガタ>の胴体を斜め下段から串刺しにして、足を薙ぐように刃を抜き取る。重要な回路がショートしたのか、<ヒトガタ>からスパークが迸り弾倉に飛び火、大きな爆発音と共に四肢が木っ端微塵となった。まずは一機撃破。

 <ニーエッジ>。その名の通り膝から伸びている刃で、魔力を熱エネルギーに変換することで振れた対象を溶断する。身体の他の各部位からも同様にエネルギー体の刃を出すことができ、腕の<アームエッジ>に肩の<ショルダ―エッジ>、踵の<ヒールエッジ>、頭部の<ホーンエッジ>などがある。<ハーデニングシフト>は熱エネルギーを鋼として物質に置換する魔法で、硬度を得ることができ攻撃の幅を広げられる。

 ひとまずロケットランチャーの脅威を取り除くことには成功したが、ノゾミに襲い掛かる敵はそれだけではない。右腕を失った<ヒトガタ>が、左腕の拳で彼女に殴りかかってきた。アックスとの鍔迫り合いを中断してその攻撃を回避、瞬時に青白い光が迸ったのを観測する。

『これって、電気?!』

「拳にスタンガンが仕込まれてるみたいですね、多分俗に言う電磁ナックルってやつです。注意してくださいよ――<アイスドプリズン>!」

 ノゾミに通信で返答をしつつ、<トラフアナナス>が腕を払ってその<ヒトガタ>に魔方陣を貼り付ける。呪文を唱えて<神の柱>から物質を注文、それがエネルギー体の形でマキの下へと届いた。すぐさま望んでいた物質へと再変換し、発動した魔法を終了させる。

 右腕を失った<ヒトガタ>が、大きな氷の牢獄へと収容された。

 <アイスドプリズン>。氷術系魔法の一種で、対象を氷漬けにするという単純なモノだ。一般的な魔導師でもネズミから象まで氷で覆うことができ、MMMの魔導炉によって増幅されれば二〇メートル以上の物体も一瞬で凍らせることが可能。当然氷塊に閉じ込められれば身動きも取れなくなり、氷術系の特性である『拘束』をまさしく表している。

 その<ヒトガタ>もやはり手足が動かせなくなってしまい、ただ浮遊している氷塊と化す。つまるところ逃げも隠れも出来ないので、ノゾミが<アームエッジ>で一刀両断するのも容易かった。敵機の断面が露になり、まるで標本か何かのようだ。これで二機撃破。

 ここまでの戦果を見てみると、マキはかなり戦闘に貢献していた。彼のアシストがあったお蔭でノゾミが敵を屠るのに成功したのだし、彼は後衛として十分な仕事をこなしている。つい先程まで怯えていたのが嘘のようだし、これならばノゾミを守ることすら可能だった。

 しかしこのことを裏返せば、それだけ相手のヘイトを集めているということになる。

『マッキー、ゴメン! そっち行っちゃった!』

「ふぇぇっ?!」

 彼女の唐突な警告に焦る。アックスを持った<ヒトガタ>が、ターゲットをノゾミからマキへと変更したのだ。一旦高高度まで上昇し、反重力機構をオフにしたのか、<トラフアナナス>の直上から一気に下降する。位置エネルギーを利用したその斬撃を食らっては、ひとたまりもないだろう。けれども避ける暇すら与えてくれず、<ヒトガタ>はすぐに彼の頭上へと迫ってきていた。

 やられる――そう思ったと同時、彼に一つのアイデアが降りかかる。悩む暇はない、すぐにそれを実行。<トラフアナナス>の額に魔方陣を投影して、意識の全てをその一点に集中させる。

「いま――<ヴァリアブルベクトル>っ!」

 アックスが振り下ろされるタイミングで魔法を発動、そのアックスへと横から曲線ベクトルを加えることで、敵の両手からその武器を振り落とさせた。

 最初にノゾミが披露してくれた、<ヴァリアブルベクトル>でのリフティングに似ている。普段は物体の移動などに使うこの魔法を、彼は防御として転用したのだ。こうすれば盾で受け止める必要も無ければ、必死に回避することも無い。この機転を利かせたマキのパフォーマンスに、ノゾミが歓声を贈ってくれる。

『おぉ、やったねマッキー!』

「はい、応用すればこんなことも出来ました――っとと」

 喜んでいられるのも束の間、<ヒトガタ>が両腕の電磁ナックルで<トラフアナナス>に殴りかかってきた。呪文詠唱の時間すら惜しく、今度は間一髪で避ける。先程のアックスと違ってこの武装は機体に内蔵されているため、本体から手放させて無力化することが出来ない。しかもこうジャブの応酬を食らっていては、こちらから仕掛けることすら難しい。

 だが、こちらは二対一と数で勝っている。

 丁度良いアイデアが、マキの頭に降りかかってきた。

「ノゾミさん、相手の動きを大人しくさせてくれますかっ?!」

『うん、了解! これまではマッキーに助けてもらってたからね、今度はマッキーの番だよっ!』

 そう言ってノゾミがこちら側に飛んできて、<ヒトガタ>を羽交い絞めにして背後から動きを封じて見せた。完璧なまでの不意打ちだ。最早こちらの方が数において優勢であって、敵はマキ一人に固執せずノゾミへの警戒もするべきだった。新兵ならば単機でもやれると思った、その慢心が仇となったのだ。

『それで、ここからどうするのっ?!』

 彼女の通信を耳に受けて、マキは<トラフアナナス>の胴体に<ヴァリアブルベクトル>の魔方陣を展開。

「そのまま、手足を抑えててくださいっ!」

 そうノゾミに一つの注文をして、深呼吸で思考をリセットする。魔法で一番大切なのはイメージ、彼女はそう教えてくれた。魔導師の思考を具現化するのが魔法ならば、想像次第では今までなかった魔法すら創造できるのではないか。

 考えたことも無いイメージを、頭の中で形成する。ベクトルに矢のイメージを抱いていたが、その矢を曲げて曲線ベクトルを放つことだって出来た。それならば、矢を『放たない』こともイメージできるはず。

 眼を閉じて、深く息継ぎをして。

 イメージするのは、理論だけの空論。

 口にするのは、最初に教えてもらった言葉。

「――<ヴァリアブルベクトル>っ!」

 彼が叫ぶと、<ヒトガタ>の胴体が<トラフアナナス>へと『引き寄せられた』。

 敵機に魔方陣が書かれた訳でもないのに、敵は<ヴァリアブルベクトル>を受けている。しかも<ヒトガタ>の四肢は魔法を受けていないノゾミのMMMに固定されているので、肩と腰がもげて胴体から分離してしまった。コードの一本まで引き千切られて、三機目の<ヒトガタ>を無力化することに成功した。

 マキが披露してみせたのは、魔方陣を終点としたマイナスベクトルだ。これまでの<ヴァリアブルベクトル>は直線曲線を選ばなかったが、必ず魔方陣が起点となっているプラスのベクトルだった。

 そこで彼は発想を逆転、起点が対象物で終点が魔方陣であるベクトルを想像。それはすなわち魔方陣並びに魔法実行者であるマキから見たらマイナスベクトルであり、これまでの押し出すベクトルに対して目標を引き寄せる、まさしく『可変的な』<ヴァリアブルベクトル>となった。

 こちらに吸い込まれてくるような<ヒトガタ>の胴体を両腕でキャッチして、マキはそのパーツをまじまじと観察する。首が動くような気配は見られず、完全にその機能を停止していた。そして玩具で遊ぶ子供のように無邪気な笑顔を見せてから、パーツをノゾミのMMMへと差し出す。

「ノゾミさん、敵の反重力装置を無傷で手に入れましたっ!」

 マキがやりたかったことは、まさしく敵機の鹵獲だった。一番手っ取り早いのが撃破だったのだろうが、電磁ナックルで殴られていた状況下、近接格闘に使えそうな魔法をまだ一つも覚えていないマキにとってそれは荷が重かった。

 しかしこのように<ヴァリアブルベクトル>を応用することで、撃破どころかサンプルとして敵のパーツを手に入れることすら可能となる。壊してしまうくらいなら、研究のための資料にしたい。土壇場で発揮した彼のアイデアは、パイロットのそれではなくとても技術者らしい発想だった。

 そんな満面の笑みを浮かべるマキが、通信機越しでも脳裏に浮かんだのだろう。子供の作品を褒める親のようにして、ノゾミが彼へと言葉を投げかけた。

『うん、マキ――ありがと、よく出来たね! それじゃ、一緒に帰ろっか!』

 差し伸べられたMMMの右手を、<トラフアナナス>がしっかりと握り返した。



 まさしく服を掛けるようにして、<トラフアナナス>をハンガーのクレーンに係留する。ボルトの固定をしてからマキがコクピットを後にすると、キャットウォーク上で魔導装束姿のノゾミが彼へと飛び込んできた。

「あっ、ノゾミさ――」

「マッキー、おめでとーっ! 良かったね、初陣から生きて帰ってこられて! しかも機体まで無事だし!」

 ミサイルのように飛んでくる彼女をもろに食らって、マキはそのままノゾミに押し倒されてしまった。抱き締められて頭の後ろに彼女の右手が回しこまれていたから頭こそ打たなかったものの、先程の戦闘より何倍も痛い思いをしてしまう。これではどちらが命懸けなのか、彼は分からなくなりそうだった。

「っ痛た……当の僕よりもノゾミさんが喜んで、一体どうするって言うんですか」

「も~、そんなこと言・わ・な・い・の! むしろマッキーは冷め過ぎだよ、給食でグミが出た時みたいにもっと嬉しそうにしてもいいんだよ?」

「小学生ですか、僕は……さっきまで興奮してたから、その糸が切れて賢者モードになってるんです」

 戦闘中にアドレナリンを出し過ぎたからか、その反動で今のマキはひどく落ち着いていた。死地から生還できたというのもあるし、ノゾミを守り切ったから肩の力が抜けたというのもある。一件落着、という言葉がとても似合っていた。

 ノゾミが自らの上体を起こして、二人の目線が交錯する。マキには一つだけ、彼女に伝えたいことがあった。

「とにかく、疲れました……でも、それだけじゃなくて。僕の想い――アナタを守るってことが達成できたから、嬉しさもちゃんと感じてます」

 仰向けになったままそう口にして、天井と彼女に向かってはにかむ。それを受けたノゾミも、同じく幸せそうな笑顔で返した。

「そう……私も、マキが無事で嬉しいよ。かわいい後輩を守れて、本当に良かった」

 ノゾミが立ち上がってから手を差し伸べてくれたので、マキはそれを握って彼女に立たせてもらう。今こうして生きているのが嘘のようで、けれども彼女の手から伝わる温もりが現実であることを自覚させてくれた。

 ふと横を向けば、彼に力を与えてくれた<トラフアナナス>が鎮座している。戦場で命を預けたこの機体は、彼にとって最早相棒だ。コクピット周りの装甲を撫でて、マキが労いの言葉をかける。

「ありがとう、<トラフアナナス>……お前も、僕を守ってくれて」

「……とらふ、あななす? マッキー、それって新しい海溝の名前?」

「違いますよ、この試作二号機の名前です」

 不思議そうに首を傾げる彼女に向かって、マキは声に怒気をやや孕ませて答えた。

「へー、MMMに名前付けたんだ。確かに、その方が愛着湧くしね。由来は何なのかな?」

「花の名前ですよ。トラフアナナス、花言葉は『願いが叶う』です」

「素敵だね、その花言葉。試作二号機、<トラフアナナス>……じゃあさマッキー、私の試作一号機は何て名前になるの?」

「知りませんよ、そんなの自分で考えてください」

「それ酷くないっ?!」

 北風のように冷酷なマキに、ノゾミが嘆願する。しかし彼と試作一号機とに関係はあまりなく、彼女の機体であることは確かだ。それならばノゾミが名付けるのが筋だろう、とマキは強く思う。

「でも~、私ってネーミングセンスとかそんなに無いしぃ~……<マキナモジュール>にマジカルって付け足すだけのところからもお察しでしょ~?」

「一理ありますけど……でも、僕は一号機に触れたことすらありませんし。第一、面倒臭いです」

「マッキー、冷たすぎるよぉ~!」

 駄々をこねるだけのノゾミだったが、突如名案が思い付いたのか、目の色が一瞬で反転する。マキに向かい合う形になって、彼の瞳を射るように見つめる。

「それじゃあ、こうしよっか! 一号機に関わったことが無いのが嫌なら、関わりを作っちゃえばいいんだよ」

「……ってことは?」

「一週間の研修期間を終えて、マキがこの先どうするか。このままだと正式に<マジカルマキナモジュール>の開発スタッフになるけど、さっきのような戦闘が嫌なら辞表を出してもいい。もし私たちの仲間入りをしたいのなら、初仕事としてMMM試作一号機にコードネームを付けてくれないかな」

 彼に呈示されたオファーは、とても重い意味を含んでいた。開発スタッフとしての仕事には、当然テストパイロットとして実戦で試験評価を行うことも入る。これはマキが生死の境をさまようというだけでなく、ノゾミとペアを組んで共に命を懸けるということでもある。自分の背中をマキに預けてもいいか、彼女はそのことまで彼に問うているのだ。

 ノゾミの瞳は、真っ直ぐだった。戦友としてマキを選ぶことに、一片の迷いも感じさせない。彼女の決意はとても澄んでいて、だから後はマキの決断次第だった。

 正直、MMMのエンジニアはマキにとって天職だと思う。元々志望していた整備士の仕事はもちろんのこと、設計にも明るいので即戦力として協力することも不可能ではない。しかも彼の有する魔法の才能まで発揮できるのだから、彼に最適な業務内容と表現しても過言ではないだろう。

 しかし同時に、自分の命を危険にさらすのは嫌だとも感じる。ただでさえ両親が亡くなったことでたくさんだと言うのに、彼まで死んでしまってはどのような顔をして天国の両親に会えばいいのか。家族三人誰もが早死にするというのは、あまりにも辛く悲しいことだ。

 それに、大切なヒトをもう失いたくない。もしこのままMMMのテストパイロットになれば、かけがえのない戦友としてノゾミもマキにとって大切なヒトのカテゴリに分類される。そしてその大切なヒトである彼女が戦場に散ってしまうことがあったら、彼は親に次いでまた大切なヒトを失ってしまう。そんなことはもう嫌だと、強く激しくマキは思う。

「いや、違う――」

 小さな声量で、マキが呟く。彼は今、戦場に舞い戻る前のモノローグを思い出していた。

 ノゾミを守るため。そのために、彼は自らの命を危険にさらしてまで戦った。彼に存在理由をくれた人、大切なヒトを守るため。

 ノゾミは既に、マキにとって『大切なヒト』だった。

 そんな彼女を守るためには、むしろ<トラフアナナス>を駆って<赤い空>を倒す方が好都合だ。ノゾミはテストパイロットなのだから、戦闘に加わり命を懸けることに変わりはない。力が無ければそんな彼女は守れないが、あの相棒は彼の力になってくれる。

 マキは彼女から、様々なモノを貰った。<マジカルマキナモジュール>の開発という仕事と、彼の相棒である<トラフアナナス>。母親から教えてもらえなかった魔法、そして互いに守り合うという存在意義。

 ノゾミを守るために取る道は、たった一つしか存在しない。

「……<ペンタス>、なんてどうでしょうか」

 彼女に面と向かって、マキがその名前でもって返事をした。

「それって――」

「花の名前で揃えてみました。花言葉も似た奴で、『希望が叶う』。丁度ピンク色の花なので、ノゾミさんの試作一号機にぴったりだと思います」

 にこやかに彼が付け加える。<ペンタス>に、<トラフアナナス>。二人の願いを叶えるための、二人が造る希望の花。

「――僕、浦賀研で<マジカルマキナモジュール>の開発スタッフをやらせていただきます」

 マキが決意を言葉に変えると、ノゾミは太陽のように温かく彼を抱き締めた。

 先程押し倒された時とは、何もかもが違う抱擁。歓迎と彼への感謝に加えて、マキを独りにさせないというノゾミなりの決意の表れだった。そのことが、彼へ向けられた優しさが、胸からしっかりと伝わってくる。

「さっき、私を守ってくれたこと……ここに残るって言ってくれること。ありがと、マキ。それと、私も頑張るね」

「それは……こちらこそです、ノゾミ」

 少しだけ背の高いノゾミの頭を、両腕を使って撫でて返す。マキが彼女のことを呼び捨てにした瞬間、彼を抱き留める腕に力が込められたのを感じた。


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魔導人形まじかるまきな 柊 恭 @ichinose51

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