第4話 ゾンビのスープ
やっとの思いで街に辿りついた私たちを出迎えたのは、大量のゾンビの群れだった。
それはもはや群れなどという表現では生ぬるく、例えるならそう、ゾンビの海としか言いようのない光景だった。私たちの乗る車はゾンビたちの波に囲まれ、まったく動けないでいる。
「いやー、いつ見ても壮観だ。これでこそ街だね」
私の隣、キャンピングカーの運転席に座る彼女はこの光景を見てからからと笑っている。一方の私はというと、想像していた街とのギャップになかば放心していた。
「どしたの、ご希望の街に到着したけど」
「うえっ!? あ、うん……」
彼女が上体を傾け、助手席に座る私の顔を覗きこむ。運転席はさほど広くなく顔と顔がくっつくほど近くなるが、パーソナルスペースが狭いのだろうか、彼女の表情には照れや不快感と言ったものは見られない。純粋に心配してくれているのだろう。
対して私はそんなに人と近づくのに慣れておらず、その距離感に思わずのけぞり、座席の背もたれに頭を擦りつけ彼女を避けるかのような体制になってしまった。しまった。これじゃまるで、顔が近くなるのが嫌みたいじゃないか。
「あっ、ごめん。考え事の邪魔しちゃった?」
「ううん、別に。こっちこそ、なんかその、ごめん」
「うん? なんか謝られるようなことあったっけ」
「いやなんでもない、なんでもないです。気にしないで」
どうやら彼女の気を悪くすることはなかったらしい。良かった……。
「それで、これからどうしようか? 街についてからの事は聞いてなかったけど」
こっそりと胸をなでおろす私に、彼女はそう訊ねてきた。そう、問題はこれからどうするかだ。
私がシェルターから出た時に立てた計画では、まず街に住んでいるであろう母方の親戚を訪ねてみる手筈だった。そしてひとまずの衣食住の支援をしてもらいつつ、街で生活していく基盤を作るつもりだったのだ。だが。
「えーっと、その、この街にゾンビじゃない人っているのかな……?」
「いないよ。住人はゾンビだけ」
街は見ての通り壊滅状態。おそらく親戚も避難したか、もしくは死んだか。とにかく真っ当に暮らせる環境ではないのは火を見るよりも明らかである。しかし、さきほど述べたモノ以外の計画などない。さて、どうしたものか。
「あっ、もしかして街の人に用があったの!?」
「ええ、まあ……」
「そっかー……この街、数年前からゾンビしか居ないって有名なんだけど、シェルターから出たばっかりじゃ知らないのも当然かあ」
なるほどなるほど、と頷く彼女。数年前から有名なことだったらしい。私は自分の無知を晒してしまったようで、なんとなく気恥ずかしくなって助手席で縮こまった。
「じゃあどうしよう。他に行くアテはあるの?」
縮こまり頭を抱える私に、彼女は優しくそう訊ねる。しかしそう言われても、ここ以外のアテなど皆無だ。こういった状況も想定しておくべきだったと、過去の私の無計画を恨んだ。
「ない、です……」
「そっか」
彼女はそれだけ言うと運転席に座り直し、ハンドルを握った。
「まあそれはそれだね。今は置いておいて、先にこの状況をどうにかしよう」
この状況、とはゾンビに囲まれている今現在のことだ。確かに、この状況をどうにかしなければずっと立ち往生する羽目になる。まず解決すべきはこれだろう。
横を見ると、彼女の表情は先ほどとは打って変わって真面目なものに変わっていた。さすがは外で暮らしてきただけあって気持ちの切り替えが早い。私も彼女を見習い、両手で頬をぴしゃんと叩き気持ちを入れ替える。
「それで、どうするの? このままゾンビを轢く?」
「まさか。そんなことしたら車がもたない」
それもそうだ。いかに大型車両といえども、この数のゾンビを轢き潰して無事でいられはしないだろう。しかし、ゾンビの大群の中には車がすり抜けられそうな隙間などない。
「それじゃあ……いったん来た道を戻る?」
「いいや、このまま進む。アンタにはちょっと手伝ってもらうからね」
彼女は真剣な表情で私にそう告げた。もちろん手伝うことには異論はないがしかし、この状況下で、私に手伝えることなどあるのだろうか……?
「?」
私がすこし不安そうに見返すと、彼女は表情を一変、花が咲くような笑顔をこちらに向けてきた。それを見て、私はさらに不安になった。
++++++++++
数時間後。私たちふたりはゾンビの大群を抜け、並び立つビルのうちの一つ、元々飲食店だったであろう建物の三階に辿りついていた。
彼女が提案したゾンビの群れを抜ける方法は言ってしまえばとても単純なことで、ゾンビの注目を他に移すために貯蓄の肉をばら撒くというものだった。
もちろん撒く肉は貯蓄のなかでもあまり脂ののっていない、比較的美味しくない部位から消費していったのだが、しかしそれでも苦労して手に入れたものを道に捨てるというのはなかなかに堪えた。
できれば二度とやりたくはないが、おそらく街を出る時にもう一度やる事になるのだろう。その光景を想像して、私はすこし落ち込んでしまった。
それでも彼女に言わせれば撒き餌の消費を以前よりも抑えられたらしい。なんでも、以前なら餌を撒くのと運転するのを一人でこなさなくてはならず、そのためキャンピングカーの運転席と天井窓を行ったり来たりしなければならなかったが、今回はふたりで分担作業ができたので時間をロスすることなく、効率よく進むことが出来た、とのことだった。
私が三階の床で大の字に倒れて疲れを癒していると、二階の様子を見てきた彼女が、階段を昇って現れた。その恰好は血に塗れた雨合羽と大ぶりのナイフ。何体かゾンビを片付けてきたのだろう。
この建物は三階建てで一階は駐車場、二階が店のフロア、三階は厨房と倉庫、それと従業員の休憩スペースとして使われていたようだった。二階まではゾンビが入り込んでいたが、三階への階段は机や棚などで塞がれていたため侵入されなかったらしい。
彼女は赤く染まった雨合羽を脱ぐと近場の流しの一つに引っ掛け、その裾でナイフを拭うと腰に下げた鞘にしまった。
「下のゾンビはだいたい片付けてきたけど、まだ居るかもしれないし危ないから勝手に近づかないように。わかった?」
彼女にそう注意され、私はこくこくと首を縦にふった。その様子を見ると彼女は満足そうに頷き、それじゃあ食事にしよう、と言った。
++++++++++
今日の献立はゾンビのスープだ。荒野では水が貴重なため基本的に焼き料理がメインになるが、この建物の貯水タンクは無事だったので思う存分使う事ができる。
具はキャンピングカーの冷蔵庫に残っていたゾンビ肉と、倉庫の中で見つけた缶詰の豆。それと出汁をとるために入れたゾンビジャーキーをそのまま具にしてある。二階のゾンビはまだ解体していないので食べられない。鍋に蓋をして、火が通るまでぐつぐつと煮込む。
タオルを手で挟み鍋の蓋を取ると、隙間から芳しい匂いが暖かい湿気と共にあふれ出す。あとは豆と同じく倉庫に残されていた調味料を使い味を整えれば完成だ。
おたまを使い、少しとろみのついたスープを皿によそう。白い豆の中にごろりとした黒い肉が混ざり良いコントラストを描いている。
「うわ、おわあ」
皿を目の前に置くと、彼女は歓声のような、なんだかよく分からない声をあげた。たしかに我ながら美味しそうに作れたと思う。しっかり味わって食べてもらわねば。
それでは。
「いただきます!」
スプーンで汁と豆をいっぺんに掬い取り、口に運ぶ。口の中に入れた瞬間、スープに溶けだした肉のうまみが舌の上でいっぱいに主張してくる。さらに豆を噛み潰すと内部に染み込んだスープが淡白な豆の味と合わさり、また違った美味しさを醸し出す。
肉と豆の風味を十分に味わったあと、口の中のものをごくんと飲み干す。温かなスープがじんわりと染み込み、体に活力を与えてくれるかのようだ。たまらず二口目を口に含む。ああ、とても、おいしい。
「はー……」
食べるのをいったん止め、一息。すると先ほど呑み込んだスープの風味が食道から喉、そして鼻に通り抜け、その芳しさがさらに食欲を駆り立てる。私はスープをふたたび口にすることを決めた。今度は皿の上でその存在を強く主張する肉を食べよう。
火が通り黒ずんだ肉を口に放り込む。煮込まれた肉塊は舌先が触れるだけでほろりと解け、その繊維質と共に内に含んだエキスを放出した。それは口いっぱいに広がり、しかししつこさを残さず旨味だけを明確に味蕾に伝える。思わず笑顔がこぼれた。
がたり。
その時。私の後ろ、おそらく倉庫の扉の方向でなにかが動く音がした。
同行者の少女か? 違う。彼女は私の目の前でスープを口に流し込んでいる。
では、何の音だろうか。私は皿とスプーンをテーブルの上に置くと、音の正体を確かめるべく、ゆっくりと振り返った。
そこには……一体のゾンビが居た。
倉庫の扉の脇、ソレの上に積まれていたであろうガラクタを周囲に押しのけ、二本足で立ちあがっている。
なぜ思いつかなかったのだろう、三階への階段が封鎖されたままということは、封鎖した何者かが未だ三階に居るということだろうに。
ゾンビは濁った眼を泳がせ、そしてこちらを見た。ああ、目が合ってしまった。
私をハッキリと認識したソレは、何かを求めるかのように両腕を前に突き出した。そして、こちらに足を踏み出し……その頭にナイフが突き刺さった。
急いで視線を前に戻す。するとそこには、左手をナイフ投擲の形にしたまま、右手でスープを食べ続ける彼女の姿があった。
少しの無言の時間が流れる。
「あー、えーっと……ありがとう?」
「もぎゅ、ごくん。どういたしまして」
一際大きなゾンビ肉を呑み込むと、彼女は笑顔でそう言ったのだった。
つづく
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