第3話 ゾンビの兜焼き
「あれはどう、かな?」
「んー? どれー?」
私が指差した方向に彼女が目を向ける。彼女の視力は常人のそれよりもはるかに良いらしく、こちらは双眼鏡を使って見ている距離を裸眼で確認している。
「ほら、あそこの岩陰」
「あーアレか、アレは駄目」
アレ、というのはゾンビの事だ。少しばかり離れた場所にある岩の横で佇んでいるやつを見つけた時はいいと思ったのだが、彼女に言わせればてんで駄目らしい。
なにが駄目なのかというと、食用に適さない、という事である。私たちは今、食料にするために獲物探しをしているのだった。
食料探しを提案したのは彼女だ。曰く、食べる人間が二倍になったから必要な食料も二倍になった、街に入る前に食料を多めに調達しておきたい、との事らしい。
「なにが駄目なの?」
私は彼女にそう訊ねてみた。荒野暮らしの長い彼女とは違い、私には食べられるゾンビと食べられないゾンビの区別などできない。しかしずっとそのまま、というわけにもいかないだろう。生きるためには学ばなくては。
「んーとね、ああいう『動かないゾンビ』ってのは大抵腐ってるんだよ」
「腐ってる?」
「そう、腐ってるの。だから食べれない」
腐った肉は食べられない。まあ、それは私にも分かる。腐敗したモノを食べれば体調に悪影響を及ぼすことは自明の理だ。だがしかし。
「でも、ゾンビって腐ってるものじゃないの?」
そう、ゾンビは動くとはいえその本質は死体だ。生命活動は停止しているし、当然その肉体も自然と腐っていくものだと思うのだが。
そういった考えのもと質問した私に対して彼女はさもありなん、という表情をしたが、しかしそれは正確ではない、と答えた。
「確かにゾンビは腐ってくけど、その進行はかなり遅いんだよ。動いてる間はただの死体に比べてかなり腐りづらい。だから食べても問題はない」
「へえ。じゃああのゾンビはどうなの? 腐ってるって言ってたけど」
「動けるゾンビは腐らないけど、あれは別。ああいうふうに動けなくなると急速に腐りやすくなって、そうなったらもう食べれる部位はないだろうね」
なるほど。動けないゾンビほど腐りやすいのか。私は生物学に造詣が深いわけではないが、たしかに動いているほうが地面に置きっぱなしの状態よりも腐らなそうなイメージがある。地面に住む細菌類も移りづらければ腐敗の進行も遅いだろう。
「分かった。アレは駄目、っと……うーん、じゃあアレ! 向こうの水たまりに居るやつ。結構元気そうだよ」
「ゾンビが元気そうって……どれどれ。あー、あれも良くない」
「えー? 今度はなんで?」
私が指し示したのは細身のゾンビ。体格は大きくないが、これといった身体的欠損は見られない。それに、動いている。なかなか良い獲物だと思うのだが。
「あれはねー、単純に食べるところが少ない」
「えー……」
「それに脂肪がないからちょっと水分が飛んでるね。あれじゃ食べても不味いよ」
不味いらしい。不味いのはいやだなあ。
「でもこの前くれたジャーキーは美味しかったよ? また作るのはどう?」
「うーん、まあそうか。脂が少ない奴はジャーキー向きかな、乾きやすいし。でも乾燥させるには時間がかかるし、これから街に入ろうって時に作るもんじゃないよ」
「そっかー、残念」
ゾンビジャーキーについては最初は固いだけかと思ったのだが、噛めば噛むほど、口の中の水分が移るほどに旨味が滲み出し、口内を満たしていくのを十分に感じたことで考えを改めた。それ以来、ゾンビジャーキーは私の好物のひとつである。
「まあまたの機会だな。ほら、他には?」
彼女がさらなるゾンビ発見を私に促す。その声はどこか楽しそうだ。どうやら食用ゾンビ講釈が面白くなってきたらしい。
私は双眼鏡をふたたび目に当て、周囲を注意深く見渡す。
「あっ、あれ! あれはどう!? 太ってるし、動いてる!」
「どれどれ……むむ、あれは」
「あれは?」
「やっぱり駄目」
駄目だった。三連続で駄目である。この荒野には駄目なゾンビが多い。
「……えー、今度はどうして?」
「よく見てみな。そんなに太ってない」
「うーん?」
もう一度双眼鏡をのぞき、ゾンビの体格を観察する。しかし、私にはどう見ても腹が妊婦と見まがうばかりに大きくなっているように見えるのだが。
「あれは太ってるんじゃなくて、内臓が腐って膨張してるんだ」
「内臓が? でも動いてるし……」
「さっきは動いてるやつは腐りづらいって言ったけど、それでも腐るもんは腐るよ。特に内臓系は腐るのが早い。で、腐ってくるとああなるってわけ」
ふーむ。内臓から腐るのか。動物の体内、特に臓器には細菌が多いというのをビデオかなにかで聞いたような覚えがある。もしかしたらそれらが関係しているのかもしれない。
だが、ハッキリ言ってそんなことはこの際どうでもいい。とにかくアレも食べられないのだ。また別のゾンビを探さなければならない。
「はい、次は?」
「……むー」
双眼鏡をのぞき、眉根を寄せて探してみてはいるが、新しいゾンビは見つからない。
それでもむーむー唸りながら探し続けていると、そんな私を見かねたのか彼女が肩に手をかけてきた。捜索終了の合図だ。
「しかたない、今回は諦めるか」
「うう……ごめんなさい……」
「アンタのせいじゃないって。運が悪かっただけだよ。でも」
そう言いつつ、彼女はライフルを構えた。狙うは、腹の膨れたゾンビ。
「ちょっとは獲っておかないとね?」
ぱあん。
遠く離れた荒野の真ん中、胸のすぐ下に銃弾を受けたゾンビの腹部が破裂し、上半身と下半身が分断された。
++++++++++
腐敗臭のする内臓がぶち撒かれた現場から持ってこれたのは、ゾンビの頭部と手足の先だけだった。胴体部分は彼女の言う通り腐敗が進んでおり、とても食用にはむかない状態だったのだ。
彼女は私に手足の解体を任せると、頭部を持っていってしまった。何をするのか気になったが「あとのお楽しみ」と言われ、仕方がないので黙々と残された四肢を処理し、保存しやすいように両手で持てるくらいのサイズに分解する。
そして、きれいな肉塊と化したそれらをキャンピングカーの冷蔵庫にしまおうと扉を開けたとき、なにやら美味しそうな匂いが漂ってきた。
手早くゾンビ肉を冷蔵庫にしまい、車の備え付けにしてはやけに立派なキッチンに顔を出すとと、そこでは彼女がオーブンの前にしゃがんで、ガラスの窓から火のついた内部を覗きこんでいた。
「なにしてるの?」
「んっふっふー、それは見てのお楽しみ……もういいかな?」
彼女は心底楽しそうにオーブンに手をかけ、その扉を開けた。
開け放たれた窯の中から現れたのは……
「じゃーん! どう? 美味しそうでしょ!」
「わあお」
……丸焼きになった、ゾンビの頭だった。
全体を覆う皮はきつね色に焼け、香ばしい匂いがキッチンに充満する。
加熱され、動いていた頃よりもさらに白濁した目や、あんぐりと開かれた口からでろんと飛び出した舌がちょっとグロテスクだ。しかしそれ以上に、
「おいしそう!」
「でしょ!? じゃあ早く食べよう!」
とても美味しそうだ。食欲を掻き立てられ、みるみるお腹が空いてくる。
食器棚からフォークを二本取り出し、一本を彼女に手渡す。
「いただきます!」
フォークを兜焼きの頬に突き刺す。パリッと焼けた皮が小気味よく破れ、柔らかい肉が肉汁とともに顔を覗かせる。そのまま抉り取るように掬い、口へ。
「んんーーー!!!」
おいしい!
張りのある皮とジューシーな肉の食感差が顎を楽しませ、あふれ出る肉汁が舌を楽しませる。溶けた脂が労働で疲れた体に染み渡る。
もう一度頬肉を削り取り、食べる。むー、美味しい。しかし頭部はそこまで大きくはなく、これで右の頬肉はもうほとんど残っていない。左側は彼女が今食べている。
ならば、と私は狙いを定める。次に食べるのは……目だ。
眼窩と眼球の間にフォークを差し込み、てこの原理で力をかける。すると、ぽこん、と白濁した目玉が頭蓋から取り外され、皿の上を転がった。すかさずフォークで支え、皿からの落下を防ぐ。
そしてうまい具合にフォークの腹で眼球をすくい上げ……すくい上げて……すくい……指でつまんで、口に放り込む。
舌の上で球体を転がしたあと、舌と上顎で挟み押しつぶす。すると中から汁があふれ出し、口いっぱいに広がった。ああ、しあわせ。
ふとゾンビ頭を挟んだ向こう側を見ると、彼女もまた幸福そうな表情を浮かべていた。それもそうだろう、この味はかなりのものだ。それに少量しかないという特別感も美味しさを助長しているのかもしれない。
しかし、これで目立った部位は食べてしまった。首回りも残されてはいるが、こうなるのだったら頬の一口でも残しておくんだったか。
そんな事を考えていると、彼女は大きめのナイフを取り出した。解体する時に使うものと大差ないサイズだ。どうするのだろう?
私が見守る中、彼女はそのナイフを兜焼きの頭頂部に突き刺した。そしてその状態から隙間を左右にこじ開けると、中から薄灰色の物体が湯気を立てて現れた。脳だ。
私たちはたまらずフォークを突き立てる。想像以上に柔らかく、食器がずぶずぶと沈んでいく。その状態から持ち上げるようにして掬うと、灰色の蛋白質がごっそりと取れた。そしてそのまま口の中へ運ぶ。
むむ、これは今までにない味。肉とは違う、濃厚な風味が舌の上に広がる。
なんだろうこの、コクがあって、なめらかで、かといってしつこくない味は……。
ううむむむ……。
……そうして私が首をひねっている間に、残りの可食部はすべて彼女に食べられてしまったのだった。
つづく
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