第2話 ゾンビジャーキー

「大丈夫? 落ち着いた?」


水の入ったコップを差し出しながら、彼女は私にそう訊ねてきた。顔を洗ってきたのだろう、首には湿ったタオルが引っ掛けてある。


「あ、はい。どうも……その、ごめんなさい」


「ん? なにが?」


「なにって、顔に噴き出しちゃって……」


「ああそんな事? 別にいいよ、気にしてないし」


渡されたコップを両手で掴みハムスターみたいに縮こまった私を見下ろしながら、彼女はからからと笑った。よかった、許してくれるみたいだ。


一応の問題が解決し気が緩んだからか、先ほどの事が頭によみがえってきた。


「あの、ひとつ聞いていいですか」


「んー、なあに?」


「……ゾンビって、食べて大丈夫なんですか?」


そう、ゾンビだ。私はさっきゾンビを食べたんだ。その事について詳しい話を聞かないと。


シェルターの中で見たゾンビ映画にはさすがにゾンビを食べる描写はなかったけれど、ウイルス感染するということはしっかり描かれていた。もしかしたら私もだんだんおかしくなって、最終的にゾンビになってしまうかもしれない。それは困る。


私の問いを聞いた彼女は、きょとんとした顔をした。


「大丈夫って……さっき食べたばっかりじゃん」


「ええ、まあ。だから、食べても病気になったりとか、そういう」


「病気? そういうのは聞いたことないけど……もしかして不味かった?」


「えっ!? いやその、美味しかったです……けど……」


確かにさっきのステーキは美味しかった。もちろん合成食料ばかり食べてきた私の舌が肥えていない、ということも多少関係しているのだろうけど、それを抜きにしてもとても美味しかったと思う。


「なら大丈夫。アタシも結構前から食べてるけど、この通り元気だよ」


そう言ってガッツポーズをする少女。その様子はとても病人には見えない。


それを見る私の体にも、今のところ異常はない。ということは、ゾンビを食べても健康に問題はない、ということなんだろう。たぶん。


自分の中で折り合いをつけた私に彼女は、


「納得した? じゃあこっちからも質問していい?」


「うえっ!? え、うん、いい……です、けど」


そう聞いてきた。なんだろうか、質問……?


「じゃあ聞くけど……あんな場所でなにしてたの? 荒野のど真ん中でさ」


「……あー」


そう言われれば確かに、私の置かれた状況は変だ。だだっ広い平原でろくな物も持たず行き倒れ。自分で言うのもなんだがかなり怪しい。


さて、どうしよう。私はもし外に出たとしてもシェルターの事は誰にも言ってはいけない、と父に言い聞かされて育った。父の教えに従い誤魔化すべきだろうか。


しかし彼女には命の恩がある。なりゆきとは言えゾンビから助けてもらい、その上ごはんまで貰ったのだ。そんな恩人に嘘をつくのは私としても心苦しい。


いろいろと考えた結果、私は正直に答えることにした。


「ふうん、シェルターかあ」


それを聞いた彼女はというと、あまり興味がなさそうな態度だった。


「あの、気にならないんですか?」


「シェルター? まあ、地下暮らしは趣味じゃないし。だからこうやって車で生活してるんだもん、いまさら生き方を変える気はないよ」


なんということだろう。彼女は恰好だけでなく考え方まで映画の登場人物みたいだった。


自由人というのだろうか。それは地下で代り映えのしない生活をしていた私から見ればとても素敵な、憧れの生き方である。あまりにも眩しくて頭がくらくらしてきた。


私が感銘を受け呆然としているさなか、彼女は顎に手を当て、何やら考え込んでいるようだった。そしてしばらくして考えがまとまったのか、私の顔をまっすぐ見据えると、ひとつの提案を持ちかけてきた。


「そういえばさ、街に行くって言ってたよね」


「……えっ、あっ、はい! ここから西に行ったところの街に」


「徒歩じゃかなり遠いよね」


「そう、ですね……」


「そこで提案なんだけどさ、私の車に乗っていかない?」


それは私にとって願ってもない申し出である。今の状態で街まで行くのはほぼ不可能に近く、シェルターに戻るのも無理がある。彼女の車に乗せてもらうことが出来るのならそれらの問題を一気に解決できるだろう。しかし。


「でもあの、私、持ち合わせがないんですけど……」


そう、現在私には何ひとつ財産がない。着の身着のまま、運賃の代わりにさし出せるものなどなにも持っていないのだ。


「ああ、それなら大丈夫。なにも身ぐるみ剥ごうってわけじゃないよ」


「えっと、じゃあ」


「そのかわり、移動中のあれこれを手伝ってもらうからね」


なるほど、肉体労働か。それなら私にもできるだろう。これでもシェルターでの最後の一年は一人暮らしだったのだ、家事の類なら大体こなせる。


「どう? 悪くない条件だと思うけど」


彼女がこちらの顔を覗きこむように様子を見てきた。その表情は少し不安そうだ。


「……わかりました、それでお願いします」


「うん。じゃあこれからよろしくね!」


私が提案を受けることを聞くと、彼女の表情は満面の笑顔に変わった。それが眩しくて、私もつられて笑顔になる。さし出された手を握り返す。


「それじゃ、さっそく仕事をしてもらおう!」


そのまま彼女に手を引かれ、私ははじめての仕事をすることになったのだった。



++++++++++



「うあー……つかれたー……」


私の初仕事は、先ほど獲ったばかりのゾンビの解体だった。


ゾンビは首が無くなっているほか背中の部分が一部ステーキ用に切り落とされていたものの、その体は依然私よりもふた回り以上大きく、それをナイフを入れる邪魔にならないよう動かしながら皮を剥いだり肉を切り分けたりするのはかなりの重労働である。


さらに言えばシェルター生まれの私に生肉解体の経験などあるはずもなく、ところどころ助けてもらいながらようやくすべて解体しきったのだった。


「お疲れさま、なかなか筋がいいんじゃない?」


「うー……そうですか……?」


「うんうん。はいコレ、上手にできたご褒美」


そう言いながら彼女が私に手渡してくれたのは、でこぼこした見た目の、細長く茶色い物体。手触りは固めで水分があまりないように感じられる。


「むー……これは……?」


「ジャーキー。って言っても干しただけなんだけどね」


ジャーキー、つまり干し肉か。初めて見る食べ物だ。というのも、シェルター内の食べ物系情報は食卓に並ぶ料理ばかりであり、保存食などについてはそのほとんどが合成食品に取って代わられていたからである。干し肉にいたっては古い小説に数行出てくるくらいの知識しか持ち合わせていない。


私は倒れた体を起こすと、その未知の食べ物をおそるおそる口に運び、注意深く噛り付いた。


……む。むむ。むむむむむ。


「……かたい」


「ははは、そりゃそうだ」


はじめて食べるジャーキーは見た目以上に固く、しかし素朴な、優しい味がした。




つづく

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