第13話

「愛の埋まった家かぁ」


 助手席に乗り込んで、改めてその家を振り返って志儀しぎは呟いた。

「そう。裏側に秘めているからこそ、美しいのさ。愛も金も……」

「上手いこと言ってまとめようとしてるけどさ、助手たる僕はまだ納得できない――釈然としない部分があるんだからね」

 ドキッ

「りえさんの前では我慢したけど、さあ! 説明してよ、興梠こおろぎさん!」

 少年助手はじっと探偵を見つめた。

「つまり、今回の件では、大工の棟梁は全部知っていた――と言うか、絡んでいたってことだよね?」

「そうだよ、認めるよ! 僕はもっと早く気づいてしかるべきだった!」

 昨日、執事の小諸こもろに〈小座敷〉に案内された時に。そして、あの写真を見せてもらった瞬間に!

 聖トマスの絵の前に立つその人が大工だと、それを読み解いて得意になっている場合ではなかったのだ。

 つまり、そこまで仲が良い、心許した友なら、死の迫る友のために一肌脱ぐはずではないか!

 どうしてそのことに思い至らなかった? 推理できなかった?

「これでは明らかに探偵失格だよ……」

 心底落ち込む様子を見て、憐憫の情が湧いたらしい。助手は少し優しい物言いになった。

「でも、まぁ、その〝一番の友〟ペテロの小諸さんが、はっきりと、興梠さんの質問を否定したからなぁ。見抜けなくても仕方ないか……」

「いや、あれこそ――」

 くそっ!

 バン、興梠はハンドルを叩いた。冷静沈着なこの探偵にしては珍しい。

「ど、どうしたの?」

「僕は完全にしてやられた! 少しばかり芸術に詳しい探偵などと評判をとって、いい気になっていた自分が恥ずかしいよ」

 あくまでも執事小諸は主人山浦邦臣やまうらくにおみに忠実だった。主人の意図を組んで、最後まで役に徹したのだ。しかし――

 息子の英和ひでかずに訊かれた場合ならともかく、僕にまで・・・・ああする必要はなかったろう! 僕が〈正しい答え〉に辿り着けなかったらどうするつもりだったんだ!? 

「まったく、あそこまで完璧にやるか? ほんっと石頭ペテロだなっ!」

「?」

「フシギ君、小諸さんの写真の背景の絵だけどね。憶えてるかい?」

「うん、確か、興梠さん言ってたよね? 大画家、レンブラントの描いた有名な聖ペテロ像だって」

 食いしばった歯の間から悔し気に興梠響こおろぎひびきは言った。

「あの絵の正しい題名は《ペテロの否認》なんだ」

「!」


 聖書曰く、ペテロは3度否定した。

 レンブラントの名画は有名なその場面を題材にしている。


 昨日、探偵の問いに執事は三度首を振った。


  《芸術に訊け》の言葉の意味はわかりますか?

 ―― いいえ、わかりません  → 知っていた。


  白猫の居場所はご存知ですか?

 ―― いいえ、どこなのか、全く……  → 知っていた。


  亡くなる前に邦臣氏は病室で誰かと会っていませんでしたか?

 ―― いいえ、どなたとも  → 嘘だ! 知っていた!


 絶対、山浦邦臣は病床で大工の天野あまの棟梁に会っている。その際、家を修繕することと、金塊を隠すことを頼んでいる!

 いや、棟梁だけではない。

 己の完敗を認めて、静かに興梠は息を吐く。

 今回の件では〈小座敷〉……邦臣の〈聖堂〉に集った友人たちが関わっているのは間違いない。

 皆、グルなのだ。 友の一人娘に財産を残すために力を貸している……

 あれほどの金塊を保管していたのはマタイの〈絵〉の前で笑っていた金融業に携わる人物だろうし、畳に敷いてあったあの見事な緞通だんつう! そう言えば、金塊を包んでいたのは極上の毛氈フエルトだった……

 友情篤き織物商、反物商だちめ。

 きっと今夜は修繕祝い、帰還祝いの新鮮な鯛が届けられることだろう。同じく堅い絆の漁師、魚屋、あるいは仕出し屋の手によって……!

 良かったな、アート? 君も美味しい魚を堪能できるぞ。

 微苦笑した後で、 興梠の脳裏に偉大なるダ・ヴィンチの名作が蘇った。

 

 (そして、そもそもあの絵……!)


「ねえ、フシギ君」

 口に出して探偵は言った。

「僕は英和ひでかず氏を誤魔化すために、あの《最後の晩餐》を利用したのだが。こういう結果になって改めて眺めると、あの絵がまた違って見えてくる。まったく別の物語を語りかけてくるから不思議ではないか!」

 ドンピシャと秘められた真実を示唆しているように思える……

「どういうこと? 教えてよ」

「うむ、キリストを中心に、向かって左側、ペテロに寄りかかるヨハネをりえさんとして見てみよう。

 つまり、先立つ邦臣は一人娘を執事に託したのだと読み取れるだろう? その信頼厚きペテロはね、あのダ・ヴィンチの絵では、よく見ると手にナイフを握っているんだ」

「ほんと? 僕、そこまでは気づかなかった!」

「裏切り者を許さないはがねの意思表示だと、識者は読み解いている。そうして、金貨の袋を握りしめる裏切り者とはこの場合……」

 興梠はそこで口を閉ざした。いや、これ以上は言わずが花だ。

 代わりに、深々と頷いた。

「ほんと、知れば知るほど、芸術は奥が深いねぇ! 僕はまだまだだな」

「う、うん……?」

 興梠はエンジンをかけた。

「じゃ、帰るとするか!」

 長い3日間だった。多くの物を見、多くのことを学んだ。猫の毛並みの絹のような手触りも含め。

 夕焼けの街へアクセルを踏む。流れ去る茜雲。

 邦臣さん、生きている貴方とお会いしたかった! 僕もあの貴方の聖堂で酒を酌み交わして芸術談義をしたかったです。

 だが、しかし――

 十分に、僕らは交わしたのかな? 絵画を通じてたくさんの会話を……



   《芸術に訊け!》



「そうだ、僕らも寄り道をして帰ろう。魚屋へ行くぞ。今夜は僕が腕を振るうよ! 舌平目のムニエルなんかどうだい?」

「いいんじゃない? ノアローの大好物だもの」

 夕陽の色に癖毛を染めて助手は含み笑いを漏らした。

「ワインはツェラー・シュワルツ・カッツにしなよ! あの、なのに猫のラベルのやつ。今宵、揺れ動く貴方の心境にピッタリだ」

「……言うじゃないか!」




 追記;早速翌日、山浦英和やまうらひでかずから抗議の電話がかかって来た。地下室の床をどんなに掘り返しても何も出なかった。貴殿は探偵としても、また、芸術を読み取る目もニセモノ#フェイクである。我が山浦家としてはもう2度と依頼することはないだろう、云々……

 その後、3日間の調査に関する最低基本料金の小切手も届けられた。

 探偵はそれを黒猫を隔離していた部屋の壁紙の張り替えに当てた。




   《 白猫を抱いてアートの国を見に 》 浮鴫

    《 亥の子酒 芸術談義は 亡き人と 》 興梠


    《 爪を磨ぐ 恋も白黒つけるとき 》 ノアロー


    


     芸術に訊け! ――――  了  ――――

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芸術に訊け!(興梠探偵社file) sanpo=二上圓 @sanpo55

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