第12話
「見事なお手並みでした、
事務所のソファに座るなり、興奮気味にりえが言う。
「ふふ、使用人一同、階段上に鈴なりになって覗き見していたのよ。お気づきになって?」
喉を鳴らして擦り寄った白猫を膝に抱き上げて、続ける。
「あんなに鮮やかに謎をお解きになるんですもの! 探偵って凄いんですね! 父が
「ハハハ……」
困ったように笑う探偵。それでも若い娘の称賛の言葉に満更でもなさそうだったのに――
「やだなあ! あれは嘘っぱち、ハッタリなんだよ! まんまと騙されてる」
散歩から戻った
「はい?」
「フシギ君――」
探偵の目配せに、ここは自重して話題を変える少年助手。
「それは、まぁ、ともかく――良かったねえ! りえさんの方も、お役御免だね!」
「はい、お陰様で」
「あっ、それから、アートに関しても、
「本当にありがとうございました」
改めて深々と頭を下げるりえだった。
「父の残した言葉の謎を解いてくださっただけでなく、無理やり猫まで押し付けて護って頂いて。あの、これは約束したお代金です」
りえはテーブルに水色の封筒を置いた。
すぐさま押し返す助手。
「そんなのいらないよ! ねえ、興梠さん? だって、興梠さん言ってたもの。逆に代金を払いたいって。全くだよ。この人、3日間と言うもの、浴びるように最高の芸術を堪能し、その上、家に帰れば美しい白猫、撫で放題、抱き放題」
「ギヤー!」
バリバリバリーーー……
ここで凄まじい音が探偵社を揺るがす。
りえは飛び上がった。
「あの音は?」
「あ、気にしないで。ウチの探偵社のちょっとしたバックグランドミュージック……愛の賛歌……セレナーデだよ、ね? 興梠さん!」
「助手の言う通りです。いや、つまり、お代に関しては、結構です」
「まあ! でも」
鳴り止まない、身の毛のよだつ音を背にサッと興梠は立ち上がった。
「よろしければ僕の車でお宅までお送りしますよ! 猫を抱えてでは道中、大変でしょう?」
「ありがとうございます! そうしていただけたら助かります。それに何より――」
りえは笑顔を輝かせた。
「嬉しいわ! 修繕を終えて新しくなった私のお
チロッと可愛らしい舌を覗かせる。
「フフ、そう思って私、寄り道して……三宮でユーハイムのバウムクーヘン買って来ました。我が家の茶の間で、探偵さんと助手さんと……一緒にいただけたらって」
「わあ! それ、僕の好物だよ! グッドアイディア! 最高!」
パチンと指を鳴らす志儀。
娘は白猫を高く抱き上げて言った。
「さあ、お家に帰りましょ、アート! こんどこそ、そこがあなたの本当のお家よ!」
平屋のこじんまりした造りながら、見る人が見ればその粋が一目でわかる。
今回、隅々まで修繕の手を施したので、この先何十年と安心して暮らしていけるだろう。そう、やがて新しい家族が増える日が来ても。
「ただいまぁ! 母さん!」
敷石を駆け抜けて玄関の格子戸を開けるりえ。
「さあ、皆さんもどうぞ!」
探偵たちを招き入れ、抱いていた猫をそうっと
「ああ、アート! 今日からここで一緒に暮らすのよ! 気に入った?」
気に入ったらしい。白猫は誰よりも早く、そして当然という顔でピンと尻尾を立て廊下を歩いて行く。
「今、お茶を入れます。どうぞ、皆さんは茶の間でおくつろぎください」
そう言い残して台所へ向かうりえ。興梠と志儀は白猫の後を追って玄関横の部屋へ入った。
八畳の和室、畳の上には見事な
「これは……!」
興梠の目は座敷の壁に掛かった絵に釘付けになった。
「お待たせしました! 紅茶でよろしかったかしら? ふふ、私、山浦邸で本場英国流の美味しい紅茶の入れ方を学んだわ。さあ、どうぞ――」
突っ立っている探偵に気づいた。
「まあ? どうかしました?」
「この絵――」
探偵は息も絶え絶えに訊く。
「横山大観の《作右衛門の家》ですね?」
「そうです。父が母と一緒になった時、記念してそこに飾ったんです。でも」
りえは睫毛を伏せた。
「それ、今は複製画、ニセモノです。父が倒れて、私があちら、山浦邸本宅へ行くことになった時、美術品は全て兄が受け継ぐことになったからと、引き取りに来ました。あ、でも――」
その時のことを思い出したのかパッと明るい顔になる。
「私を迎えにいらした執事の小諸さんが気を利かせて、代わりに複製画を持って来てくださったのよ。それで、すぐ取り替えて飾りました」
「あ、なるほど! そう言えばこの絵、僕も、山浦邸で見たなあ! 憶えてるよ!」
顎に手をやってつくづく頷く志儀。
「そうかぁ……あっちがホンモノかあ……そりゃ、残念だったね」
「ううん! 私にとっては複製画でもフェイクでもかまいません。
山浦邦臣の一人娘は頬を染めた。
「どうしてこの絵をここに掛けたか、父は幾度も繰り返し私に話してくれました。
この家こそが自分の本物の家だからって。この絵に描かれた人の、弾む心とおんなじ思いで家路を辿っているんだって。いつも自分はこの家に帰って来る……」
幼い頃、
今も、ほら? 格子戸が軋んで懐かしい声が聞こえる気がする。
―― ただいま、
「私の名もここからつけたそうです。り・え……」
「そうか! りえさんの名はソレなんだね? 里・絵…… 里の絵か!……美しいなあ! 心洗われる話だなぁ! うん、本当に、この絵と同じく、君、キラキラ輝いてるよ!」
「フシギ君!」
興梠が叫んだ。
「ひえっ! なんだよ! 今は怒られるようなこと言ってないぞ、僕!」
「そうじゃない! 手伝いたまえ!」
「え? 何?」
探偵は既に背広を脱いでシャツの袖をたくし上げている。絨毯をずらして絵の真下の畳を指差した。
「ここだ、さあ、持ち上げて、せーのっ――」
敷き替えたばかりの真新しい畳を一気に引き上げる探偵と助手。
現れたのは……
「あ! 」
「ナニコレ――」
「――」
畳の下にはびっしりと隙間なく金が敷き詰められていた。
「インゴット……金の延べ棒だ!」
白猫を胸に言葉もない。固まって息をつめているりえ。やっと
「ど、どういうことでしょう?」
「これが、お父上、山浦邦臣氏の本意です」
髪を掻き上げながら、少々きまり悪げに探偵は応えた。
「お父上の残された最後の
「申し訳ない。僕は間違いを犯すところでした」
《芸術に訊け!》
「実は、僕は、芸術はアート、その猫のことだと結論付けました。
だから、その猫の命を守るために敢えてお兄様には
キュッと唇を噛む。
「僕の不勉強を詫びます。お父上にせっかく指名していただきながら……もう少しで僕は大きな間違いを犯すところでした」
興梠は壁の絵を仰ぎ見た。
「この絵こそが、
「……意味が全然わかんないよ!」
「私もです、探偵さん?」
視線を絵に留めたまま、うっとりと興梠は言う。
「先ほど貴女が言われた通りです、りえさん。この絵はお父上の心そのものだ。貴女とお母さまの待つ家。自分の帰る、帰りたい真実の住処……
不本意ながら、
「ロマンチックな解説はもういいよ。それより――この絵が、
「そうだった!」
悪い癖が出た。表情を引き締めて、改めて口を開く。
「この絵の技法は〈
美学を修めた探偵は若い二人を交互に見ながら、今度こそ懇切丁寧に解説した。
「日本画の裏技の一つです。背景の色をごらんなさい。とてもいい感じでしょう?
煌めいているけれど厭らしくない。渋くて優しくて控えめです。
この色はね、わざと画面の裏に金を貼っているせいだ。
絵絹の表に直接金を貼ると、キツすぎて、品がないが、裏に隠すことで
この絵、横山大観の《作右衛門の家》は〈裏箔〉を使用した傑作として有名なんです」
「ウラハク……」
口の中で繰り返すりえ。
「ええ。別名、
「あ、だから? こう読み取ったのか!」
志儀は改めて輝く絵と、その真下の畳を見つめた。
「
「どうしましょう!」
娘は震え出した。一層強く猫を抱きしめる。
「私、こんなの貰えませんっ」
「いえ、お貰いなさい」
優しいがきっぱりとした口調で興梠は言った。
「お父上の心尽くしですよ。この世の中に残していけるがモノが〈財産〉しかない以上――ねえ、りえさん?」
興梠は真正面から娘に向き直った。
「これは金ではない。愛だと思ったらいい。お父上は貴女と、そしてお母様を真実、愛しておられた。これらはその
「……探偵さん……!」
☆
www.yamatane-museum.or.jp/collection/05.htm
http://www.yamatane-museum.or.jp/collection/05.htm
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