第11話

 愛車で山浦やまうら邸へ乗りつける。こんなことも今日が最後だ。


 事前に連絡を入れたので、今日は新当主・山浦英和やまうらかひでかずも在宅だった。

 玄関でズラリと整列して頭を下げる使用人たち。その中には小諸こもろとりえの姿もあった。

 小諸は完璧な角度のお辞儀、りえの方はメイド達の端っこで殊更素知らぬふりを装っている。目を合わせるのも避けていた。


「これはこれは! まさか、こんなに早く謎を解明してくださるとは! 感謝いたします!」

 両手を開いて迎え入れる若き当主。興梠こおろぎは硬質な微笑で応えた。

「邸内の全美術品を拝見させていただいて、僕としては、これ以外考えられないのでご報告するのは早い方がよろしいかと……」

「では、さっそく、お教えいただきたい」

「まず、こちらへ」

 興梠は当主を誘った。

「実際ご覧いただきながら説明しましょう。ああ、貴方あなたも、立ち会ってください、小諸さん」

 自分一人で聞きたかったのだろうか? 一瞬、英和ひでかずは探偵のこの言葉に顔を顰めた。が、渋々頷く。

「うむ。探偵さんがそう言われるなら――おまえも来なさい、小諸」

「はい」

 興梠が一同――当主と執事――に先立って導く。

 この3日間で我が家のように知り尽くした美の殿堂、珠玉の宝庫、至宝の館を。

 山浦邸の長い廊下を進んで至った場所こそ、〈小座敷〉だった。

 ズカズカと探偵は中に入ると、最奥の壁を指差した。

「この絵です!」

「え?」


 暫し、凍った沈黙が支配する。


「……しかし、これはレプリカですよ!」

 やがて、嘲笑を湛えて若き当主は叫んだ。

「自慢じゃないが、我が山浦家は腐るほど素晴らしい芸術作品……世界的絵画の真作を所有している! だ、だ、だから」

 汚らわしいものを見るような目つきで周囲を見回して、

「正直言ってこの部屋は、親父の道楽、〈おふざけの間)で、むしろ世間的には隠しておきたい、恥ずかしい場所なんだ! それを、おまえ――」

 怒りの矛先は執事に向かった。

「ここも見せたのか!?」

「はい。坊ちゃ……旦那様が全てお見せしろとおっしゃいましたので」

「僕は〈芸術品〉を見せろと言ったんだ! ここにある絵は全て複製画レプリカで、偽物フェイクだ! 値段にしたら二束三文の価値もない屑だよ! ったく、呆れた奴だ! これだから使用人は……芸術の価値も知らないんだからな!」

「申し訳ございません」

「いや、見せていただいて良かったですよ!」

 謝罪する老執事を庇うように興梠、身を乗り出した。

「英和さん、どうぞ最後まで僕の話をお聞き願いたい。結論から言います。山浦邸内の全ての美術品を拝見した後で僕が行き着いた答え。お父上が臨終の席で口にされた謎の言葉、《芸術に訊け》に繋がるモノは、邸内でこの部屋の中の――この絵以外ないのです」

「む」

 新当主・山浦英和は高級な背広――ヘンリー・プール社の?――襟をしごいて身を逸らせた。

「探偵の君がそこまで言うなら――その解読とやらを聞こうじゃないか」

「ご存知と思いますが、この複製画はレオナルド・ダ・ヴィンチの余りにも有名な《最後の晩餐》です」

 咳払いの後、ゆっくりと絵の前に進み出る興梠響こおろぎひびき

「本物はイタリアのミラノにあります。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれた壁画でした。さあ、この絵をじっくりとご覧ください。

 かの天才画家は自作の絵の中に多くの隠喩を描き込むことで知られています……」

 修道院を模した聖堂の中で探偵のコントラバスは詩篇のごとく響く。

「さて、そこで――何か・・見えませんか? 貴方の目に浮かび上がって来る〈形〉があるでしょう?」

「――」

 英和だけではない。その場にいた執事も、助手も、一斉に目を凝らして複製画を見つめた。

 だがしかし、すぐに当主は匙を投げた。

「いや、無理だよ! 僕は芸術など、てんでわからない――」

「芸術ではなくて〈形〉です。この辺り……」

 一歩踏み込んで、興梠は愛用のパーカー万年筆で空中にサッと円を描く。

「あ!」


 英和の細い目が更に細くなった。

「矢印が見える!」

「僕もだ!」

「私にも見えます!」

 

 確かに。

 中央に座すイエス・キリストの向かって左側に〈↓〉の形が浮かび上がって見えるではないか!


「正解です。実は、他にも〈↓〉は、こことここに有るのですが、これが一番大きくて明瞭でしょう? 」

 探偵はてきぱきと続けた。

「そして、もう一つ、キリストの足下、ご覧になれますね、不思議な絵柄がここにもある。どうです?」

 絵の前で万年筆が上下する。

「この晩餐の場面に全く合っていない、いきなり、強引に張り付けたような、構図自体を寸断するごときこの図柄。これは何でしょう? 何に見えます?」

 英和は唸った。

「うーむ? 穿たれた穴? 空洞?」

 弾んだ声で志儀しぎ

「現代で言う地下室みたいな空間だな!」

「その通りです。〈下に向かった矢印〉と〈空洞〉または〈地下室〉……」

 探偵は内ポケットに万年筆を仕舞った。

「……僕の解説は以上です」


 再びの沈黙。


 だが、今回は短かった、息せき切って英和が問う。

「では? つまり? 父はこの下に? 画中に隠された矢印が指し示す、まさに、この地下室の下に〝隠し財産〟を埋めた?」

「さあ、そこまでは僕もわかりかねます。ただ、僕が見た限り、お父上の言葉に繋がる絵画はこれ以外ない。芸術に造詣の深かった邦臣くにおみ氏はダ・ヴィンチのこの絵を上手に利用されたのかも知れません」

 英和の顔がパッと赤らんだ。

「いや! 天晴アッパレだよ、興梠さん! いかにも、あの緻密で頭の廻る父の好みそうな手だ。そうか! だからか?」

 息子は座敷の畳をドン、と音を立てて踏みつけた。

「親父はここ・・を――他にぜいを凝らした部屋はヤマほどあるのに――何処よりもこの部屋を好んで仲間と籠ったのか! ううむ、してやられた! 君が看破してくれなかったら、僕はまんまと騙されるところだった!」

クルリと身を翻す。

「おい、小諸! 何をぼやっとしている!? ただちに業者を手配して、この床の下を掘らせろ!」

 小声で付け足した。

「但し、あくまでも内密にだぞ。世間に知られないよう、密やかにな……」

「かしこまりました」

「では、僕たちはこれで」




「なんだよ、揉み手して出迎えたのに、答えを聞いた途端、見送りもなしか?」

 空っぽの玄関ですかさず不満を口にする助手。

「いや、この方がいいよ。ここは早いところ退散するに限る」

「え?」

 腑に落ちないとばかり、志儀は首を捻った。

「あんなに鮮やかに謎を解いたのに、何故さ?」

 今しも通って来た廊下の奥、秘密の地下室の方角を振り返って未練いっぱいに呟く助手だった。

「あ~あ、できることなら、僕、最後まで立ち会って何が出て来るか見たかったな! 金の延べ板かな? 宝石かな? それとも証券の類だろうか? 現金とか銀行の通帳なんてのはこの場合、夢がなくて絵的には見栄えがしないよね?」

「フシギ君」

 眉を寄せて、さながらクールベ描く《傷ついた男》そっくりの憂慮に満ちた顔で探偵は首を振った。

「いや、今回ばかりは立ち会うのはやめといた方がいい。多分、土塊つちくれ以外何も出て来やしないから……」

「え?」

 美少年、こちらはジュラ・ベンツールの《ナルキッソス》! そのつぶらな瞳が点になる。

「どゆこと?」

「さっき英和氏に言ったことはコジツケに過ぎない。最も大切なものを守るために、ね」

「――」

「おいおい、『猫を守れ』と、君も言ったじゃないか!」

「あ!」

 漸く合点がいく助手。

「じゃ、昨夜、貴方があんなに奮闘してたのは――」

「うむ。ナントカそれらしい象徴……代替物を見つけるため、苦労したよ。だが、どうだい? 中々説得力があったろう? ダヴィンチの隠喩、大三角形! 浮かび上がる矢印さまさまだ!」

 探偵は忍び笑いを漏らした。

「画面を寸断するがごとき異質な図柄……空洞か! 当たり前だよ。《最後の晩餐》が修道院の食堂に描かれた時、あの部分には通路があった。だから、複製画では違和感があって当然だ。あそこは、ぶち抜かれていた廊下の跡だ。地下室なんかのはずがない」

「――」

 神妙な顔で上唇を舐めながら少年助手は言った。

「僕、これでまた一つ、学んだよ! 探偵手帳にしっかり書いておこう。〈探偵も時に嘘をつく〉」

「〈嘘〉じゃない。意識的な〈ミスリード〉さ」

 探偵は勢いよくVWフォルクスワーゲンのドアを開けた。

「では、帰るとしよう! りえさんがアートを引き取りに来る前に!」






 港町の丘の上に建つ瀟洒な洋館――探偵事務所に入る。

 その純白の美しい猫は跳びついて来た。

 (幸い、黒猫の方は、帰るや否や、志儀が散歩に連れ出してくれた。)

「ただいま、アート」

 膝に座った猫を撫でながら、興梠は語りかけた。

「僕のやったことは間違っているだろうか?

 だが、決めたんだよ。

 君の内にどんな財宝への〈鍵〉が隠されていようと、宝はそれじゃない。

 君は生きて――お嬢さんの傍で、寄り添ってあげたまえ。

 君の使命は〈ともに生きること〉なのだ。

 僕は知っている。人間ヒトに取って孤独ほどつらいものはないからね。

 母を失い、今また父を亡くしたお嬢さんの傍らで一緒に過ごすこと。

 それこそ、どんな財宝にも勝ると僕は思う。


 さあ、アート、

 3日間、君が与えてくれたこのぬくもりを、これからはお嬢さんへ……!」

 見上げる金茶の目に探偵はウィンクして見せた。

「言うまでもないが、幸い、僕は今現在、孤独ではない。

 口は悪いが心優しい助手と……嫉妬深い、もとい、愛情深い黒猫がいるからね!」


  「ええ、知っててよ」



 気のせいだろうか? 今……?


「おい、アート?」

「ニャーオ」

 と、次の瞬間、白猫は膝から窓へ飛び移った。

「?」

 横へ立って見下ろすと、ちょうど門を抜けてやって来る末國すえくにりえ嬢の姿が見えた。小さなトランクを下げている。晴れて、兄の邸を出て来た勇姿である。

 興梠は白猫を抱き上げると急いで玄関へ向かった。

 ドアを開ける。

「やあ、いらっしゃい。お待ちしていましたよ!」





☆ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》今一度確認したい方はこちら!

www.vivonet.co.jp/rekisi/b04_christ/apostles.html


☆クールベ《傷ついた男》

http://matome.naver.jp/odai/2137027564059358301/2137027820659829303


☆ジュラ・ベンツール《ナルキッソス》

↓で行き着けない時は↑この名前で直接検索してみてください<(_ _)>


https://ja.wikipedia.org/wiki/ナルキッソス#/media/File:Benczur-narcissus.jpg


★さて、これで一件落着と思いきや……実は……?

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