Triple Line !!

打越上社

第1話

 21世紀末、合成金属『ミスリル』の発見により、大幅な技術革新と共に『フラッシュボード』と言う新たな製品が誕生した。この『フラッシュボード』を用いたスポーツが数多く誕生したのだが、最も人々の人気を集めた競技が『トリプルライン』だ。『トリプルライン』、それは陸・海・空全てを『フラッシュボード』を駆使して順位等を競う競技である。形状はスノーボードやサーフボードに酷似しているが、空気とモーターを利用しているため、もう少しごつい構造である。そしてそのエネルギーを噴射として利用する。昔からある手法ではあるが、『ミスリル』の恩恵は従来とは比較にならない次元だった。急発進急停止は元より、蓄電性能を向上させることにも一役買ったため、自由に滑空可能なスポーツツールとして『フラッシュボード』が開発された。

 これは、その人気スポーツ『トリプルライン』が普及した22世紀の、その魅力に取りつかれた高校生たちの物語である。






「よしっと」

 所持品を確認する。高校入学初日に忘れ物をしたり、途中で気が付いて取りに戻ったら遅刻なんて言う事態は御免だからだ。彼、池上太陽は家族とともに海沿いの渥美半島へ引っ越すことになったため、中学校在籍時点でこの渥美半島の高等学校を選択せざるを得なかった。だが、太陽にとってはこれは幸運であった。嘗ての地元において彼がしていたスポーツ、『トリプルライン』は強豪校が少なかったからだ。この渥美半島は『トリプルライン』が盛んに行われている地域であり、近年圧倒的な強さを誇る平塚学院、古豪の廣栄大付属など強いチームが揃っている。

 太陽自身は平塚学院を志望していたが、私学であるため授業料が高額であった事、また成績が芳しくない太陽にとっては手が届かない学校だった。そこで『トリプルライン』部が存在している高校から選択した結果、石見臨海高校に入学することになったわけである。

「じゃあ行くか」

 入学初日なので今日は『トリプルライン』必須のツールである『フラッシュボード』を持っていくのは控える。どの道、情報によると入学式は在校生は欠席しているため、部活動の申し込みは後日と言うことになりそうだったからだ。実際のところ、部活動に熱心な在校生は出校して案内をしているのだが、この時点では太陽がそれに気付くことはなかった。

 母から「いってらっしゃい」と見送りの言葉をもらい家を出る。新しい制服に新しい環境、入学前の試験と下見で学校には一度足を運んでいるが、ほとんど歩いたことの無い通学路は彼にはとても新鮮だった。磯の匂いと眼下に広がるエメラルドグリーンの広大な景色が一層彼の心を躍らせた。

「早く部活動がしたいもんだ」

 中学校入学時、太陽は『トリプルライン』を始めた。『フラッシュボード』であらゆる場所を滑走するその自由さに、心を奪われたからだ。鳥のように自在に大空を羽ばたき、モーターサイクルのように地面を駆け抜け、同じ力を以て水中を走破する。三年目、最後の大会では全国大会に出場できるまでの腕前になっていた。この頃には、自分の成長度合いに確かな手ごたえを感じていたため、将来の夢は『トリプルライン』のプロ選手になっていた。憧れたその姿に、日に日に近づいてる実感を現実にするため、高校では絶対に結果を残したい。それが現在の太陽の目標である。そんな新たな生活に、不安よりもいっぱいの期待を心に持ちながら、太陽は通学路をウキウキした様子で歩いて行った。






「よお、お前池上だろ?」

 入学式が終わり、クラスメイトの男が話しかけてくる。太陽にはまるで心当たりがなかったが、名簿で名前を見たから知っているのも不思議ではないと納得した。

「お前は?」

「あぁ、俺は山崎。お前、中学の時『トリプルライン』で全国大会でてただろ?」

「知ってんのか。出たって言っても一回戦負けのやつをよく記憶してたな」

 全国大会に出たと言っても『トリプルライン』を始めて三年目である。まだ、この時点では全国を勝ち抜けるほど、太陽は器が完成していなかった。だが、彼は有名であった。やる気に満ち溢れ、二年の段階で空、『スカイセクション』を自在に飛び回るその姿は他校の人間が警戒をするには十分であった。

「『スカイセクション』は『トリプルライン』の一番の花形だからな。中学では個人戦は実装されてないから余計さ。とは言っても俺は中学では補欠だったからお前が覚えてないのも無理はないさ」

「えっ?池上って『トリプルライン』でそんな有名だったの?」

「池上君凄いじゃん!!」

 二人の話を聞いて、近くの生徒たちも話に混ざってくる。

「いやいや。確かに目標はプロだけどこれからさ!!」

「だが、渥美地区は地区大会でも相当レベル高いから相当頑張らないと無理だぜ。まぁお前なら個人で全国行けるかもしれないが」

「あぁ。で、山崎は入部する予定なん?」

「いや、俺は高校ではウインドサーフィンやるから『トリプルライン』はやらないよ。『フラッシュボード』では味わえない自然の魅力を楽しむさ」

「そっか。ちょっと残念だが仕方ないな」

「でもさ、うちの学校って去年の三年がごそっと抜けて確かかなりヤバいんじゃなかったっけ?」

 会話に参加してきた女子生徒、本田が齎した情報はショックングな内容だった。『トリプルライン』は性質上、精密機器を使っているため整備班が必ず必要になる。太陽が部として活動している学校を選択した一番の理由はこれである。バッテリー交換やバランサーの調整等一人でやるには限界がある。個人出場が高校からは認められているが、それについても整備班が必ず必要になる。だがら、廃部直前という事態は確実に避けなければならない内容だった。

「嘘だろ?ならどうすりゃ…」

「まぁ、事実かどうかはわからないんだから取り敢えず目で確認して来たら良いじゃん?あ、可愛い子いたら教えて。俺も入部するかもしれないよ?」

 前の席にいた岩崎と言う茶髪にノーシャツ、チョーカーの組み合わせとどのくらい前の世代のファッションだと突っ込みたくなるようなチャラい雰囲気の男が、イメージそのままの発言をしてくる。だが、きっちりとフォローする言葉を先に投げかけるあたり、見た目よりかは気の遣える所謂悪友という言葉がピタリと当てはまった。

「池上君はやる気なんだから邪魔しないの!でもこいつの言う通り、部室に行って確認してきた方がいいかな」

 そう言ってきたのは岩崎の幼馴染である佐藤真由だ。黒髪でセミロングの本多と違い、佐藤はツインテールに紙を縛っている。特に紹介とかはされてないが、池上も岩崎と本田の仲の良さを見て何となくそういうものなのだろうと思ってはいたが、相槌を打った後に始まった夫婦漫才としか思えないソレを見て確信した。

(あぁ、素直に慣れない系か)

 無論、一緒に話をしていた山崎と本田も同様に感じていた。

 兎も角、いくら想像をしたところでキリがないことを太陽も自覚しているので、授業が終わったら在校生が来てる来てないに関わらず、部室だけは覗いてみようと心に決めた。


 オリエンテーションが終わり教室を後にした太陽は、その足で部室へと足を運んだ。各所属団体の使用登録場所は、先の説明用紙に記載があったためそれを基に校舎を出る。グラウンドの隅に運動系の部室棟があり、その一角に石見臨海高校『トリプルライン』部、看板には『ITLC』と記載があった。

(確かに『トリプルライン』部じゃ語呂が悪いよな)

 恐らくIWAMI Triple Line Clubの略で呼び易さなどを考慮した結果の名称なのだろうと、太陽は一人納得した。扉をノックする。

「はい」

 中から返事が返ってきて扉が開かれる。出てきたのは爽やかと言う言葉がよく似合う男だった。細くしなやかそうな髪に柔和な表情、細身ではあるが鍛えこまれた筋肉が印象的だった。

「入部志望で来た池上太陽です!!よろしくお願いします!!」

「ありがとう。実は去年三年が抜けてしまってその枠を何とかしたいとは思っていたんだ。池上君だったかな?『フラッシュボード』は持っているのかな?」

 太陽はしまったと思った。在校生が来ていることを通学前は意識になかったため、『フラッシュボード』は家に置いてきてしまった。だが、すぐにやってしまったものは仕方ないと頭を切り替える。

「申し訳ありません!!今日は入学式に諸先輩の方々が出向していないと勘違いして自宅に置いてきてしまいましたっ!中学校から始めて目標はプロになる事です!!」

 元気よく挨拶する太陽だが、逆に目の前の先輩は太陽の言葉を聞いて熱が引いていくのを察知した。

(何かまずいこと言ったかな?)

 時間にすれば一瞬の事だが、不穏な空気が漂い太陽は気まずくなる。

「……。そうか、池上君はプロになりたいんだね。なら入部の話はなかったことにしてほしい」

「いや、どういうことっすか!!」

 唐突で理不尽な先輩の発言に思わず太陽も反発する。

「ゴメン。順を追って話をしてあげた方が良いね。とりあえず立ち話もなんだから中に入るかい?」

「あ、じゃあ失礼します」

 柔和な話し方は徹底しているが、ペースのつかめない先輩だと感じた。部室の中に入ると、綺麗に片づけられている。隅に置いてあった『シールスフィア』が目を引く。中学校では『トリプルライン』と言いつつ海、海中を利用するウォーターセクションは水上を走る事だけしか認められていなかったため、『シールスフィア』を太陽が使用した経験は太陽にはなかった。それを見て改めて自分が高校に入学したのだと太陽は、部長から言われた理不尽な内容など頭から消え去り、ワクワクした気持ちが込み上がった。

「お茶でよかったかな?」

「あ、お構いなく」

 冷蔵庫からペットボトルに入ったお茶を紙コップに注いでく先輩を眺めつつ、周囲を見渡す。他にも『フラッシュボード』や『トリプルライン』関係のグッズが置いてあり、差し詰め太陽からすればここは遊園地とでもいえるくらい楽しい処だった。

「じゃあさっきの話に戻るね。まず、プロを目指すなら高校の部活から這い上がっていくのはこの渥美地区と言うか愛知県では絶望的なんだ。この辺が強豪地区なのは池上君も知っているね?」

 こくんと頷き、先輩の話を聞き続ける。

「うん。それで団体戦は当然として個人戦でも自分の学校のエースを送り出すための戦術を各校はしてくる。どういう事かわかるよね?」

「そんなの!!全部跳ね除けてしまえば!!」

「少なくとも平塚学院に限って言えば、全員が県大会上位に出れるほどの腕前で地区大会の出場選手を潰しに来るんだ。上手くいってゴール点数位しか稼げないのでは誰も勝てないよ。だから悪いことは言わない。ユースチームのあるクラブとかそっちに行ってプロを目指すべきだと思うよ」

 自分が入学しようと思っていた平塚学院が、そんなつまらない事をやっているという事実に腹も立ったがそれ以上にやりきれない気持ちを太陽は持った。

「突然こんなことを言われたら池上君も納得できないよね?だから今日はもう帰って頭の整理をすると良いよ。『プロ』を目指すつもりなら絶対的に結果が必要だから…。『此処』ではそれを掴むのは殆ど可能性がないんだよ」


 帰り際に漏らした先輩の言葉が、ずっと頭の中に残っている。名前も聞けなかったが、太陽はあれが恐らく先輩の実体験なのだろうと推測した。団体戦では戦略性がモノを言うため、妨害だとかもテクニックにはなる。中学校時代は接触プレーが禁止されていたが、高校からは格闘技だと言わんばかりに接触プレーが導入されてくる。

「『プロ』になるには、か」

 プロ選手を目指して邁進してきた日々を思い出す。悔しい思いは何度もしたし、そこから這い上がるたびに強くもなれた。

(だが、今の自分はどうだ?先輩の言うことは信用できる。しかし、それだけを参考に決めてしまうのは如何なものか…)

 高校では部活に入る前提だったため、クラブチームの事なんて頭に入れていなかった。家の経済事情を考えても、クラブチームなど行けるわけもない。だが、それ以外でプロを目指すことも絶望的…。

「あーっ!!いくら考えてもらちが明かねえ!!家帰って走るか!!」



「…良かったんですか?」

 先ほど太陽を追い返したのを偶然目撃した『ITLC』で現在唯一のメンテナンスクルーである木場恵は、張本人である部長、福田玲に短く尋ねた。

「あぁ。折角の部員候補だけどね」

「部長の考えなら仕方ありませんね。私は選手ではないからそこに口を出すことは出来ません」

「……その方が彼のためだと思うよ」

「そうですか。あとこちらに来る際に一人分の入部届をいただいております。こちらは整備希望なので、私の方で管理をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、任せるよ」

「ありがとうございます」

 机に遭ったパソコンを恵は開き、在籍名簿にもらった入部届の部員を登録する。

(何となくですが、走り去っていった彼はもう一度来ると思いますよ部長。だって昔の貴方とそっくりな目をしてるんですから)

 心の中で呟いた声なので、それが玲に伝わることはなかった。




「あ、『フラッシュボード』やってる。楽しそうだなぁ」

 堤防で携帯ゲームをしていたらふと『フラッシュボード』で海上や空中を飛び回る姿が目に入った。シルエットを見るに男性のようだと杉浦萌は勝手に想像した。自分もゲームでは『フラッシュボード』を駆使して『トリプルライン』の全国上位だぞーなんて思っても見たりしたが、実物の迫力はやっぱり違うなと萌は思った。

「いやー。でもゲームが一番♪リアルと違って妄想通りに動けるしやりこめば強くなれるし♪わたしゃこっちのが向いてるよ」

 そんな事を言いつつも、彼?の方を見てしまう。急発進などはバッテリー残量を削りやすいからか充電もできるように緩やかに、でもそれなりの速度を以って飛び続けている。幾ら『ミスリル』による電池機能の進化が目覚ましいと言っても、こういった課題は付きまとっている。永久機関と言う都合の良いものがあれば別だが、それは存在しない以上、気を使うのは当然である。実際、『トリプルライン』においては空中のコースを周回するスカイセクション、陸上のコースを走破するランドセクション、海上及び海中に潜るウォーターセクションの三種類がある。全力走行で最もきついのがウォーターセクションだ。スカイセクションやランドセクションは、コース周回をする前提でピットが設けられるが、ウォーターセクションはオプションの『シールスフィア』に設けられた空気がメインとなるため、周回をせずそのままゴールを設定する。故に、ほかの二セクションの時間制限が30分であるのに対し、ウォーターセクションは15分と半分ほど短い。

 『シールスフィア』の空気を取り込むために海中侵入後、水上へ出て空気を補給する時間も限られている。タイミングはいつでもいいが、5秒以内に海中に戻ることが条件とされる。これは、ランドセクションにも似たようなルールがあり高さ1M以内を滑空する必要があるが、オーバーテイクなどを行う際には5秒以内に規定内の高さに戻ると言うものだ。細やかなルールを挙げればキリがないが、それらの条件を破られない様にルールとコースは大会運営がデータとして選手の『フラッシュボード』に登録をする。それを参考に選手はコースを攻略していくのだ。

 無論、今も昔もこういったプログラムを書き換えようという輩は存在するし、出来た出来なかったは常に問題になっているのだが、今のところ高校レベルでこの問題が起きたことはない。

 閑話休題。気が付いたら『フラッシュボード』で飛んでいた彼?も見えなくなっている。萌は潮風に煽られるミニスカートを手で押さえつつ、鞄にゲーム機を仕舞い堤防から引き揚げた。


 堤防にいた萌が見ていた彼、太陽は鬱屈とした気分を吹き飛ばすように『フラッシュボード』で空を駆け回る。キリモミをしたり、宙返りをしたり、急加減速だけはしないように注意を払う。確かに約20分ほどを限界として飛び回れるが、練習ですらないストレス発散で機器を痛めるような真似はしたくない。そう思いながらボードを滑らせる。頭を切り替えるには何かに没頭するのが一番。そう考えている太陽は兎に角飛び続けた。

 20分ほど経過しただろうか。右太腿に若干の痛み、筋肉痛になり始めた事を認識した太陽はそこで走行を終了した。

(結局発散らしい発散にならなかったな)

「あれ?それ『フラッシュボード』じゃない?この辺じゃ見たことないけど一年生?」

 太陽は帰宅途中、突如対向にいた私服の女性に声を掛けられる。ショートボブに揃えられた髪と快活そうな印象的な人だなと太陽は思った。

「えっと、誰ですか?」

「あっ、ごめんごめーん。私は石見臨海二年の汐崎明海。『トリプルライン』部、うちでは『ITLC』って呼んでるんだけどね。君は何処の学生なの?」

「俺あっ、自分も石見臨海に入学した池上っす!!『ITLC』に入部しようと思ってたんですが………」

 捲し立てる様に話してくる勢いに呑まれそうになったが、何とか太陽は返事ができた。

「ふむ。何か訳ありの様ね。他ならぬ後輩君の頼みだ。ならお姉さんが聞いてやろー」

 そこで明海に今回あった出来事の顛末を太陽は伝えた。

「成程ねー。その言ってた男の人がうちの部長、福田玲さんだよ。部長も元全国区の選手だったんだよ。だけど去年の夏に正に言ってた目に遭っちゃってね。一昨年はそこまで注目されてなかったらしいから全国2回戦まで個人ではいったんだけどね。まぁ平塚が個人でも露骨にやってくるようになったからねぇ」

「そう言う、事っすか」

「そういう事っすよ。それからかな?部長、後輩の育成に当たるって言ってアドバイザーに転身しちゃったの。だから今年は選手としては出ないみたい。うちも部員足りないしアドバイザーは必須と言ってもいいポジションだからどうにもならないわね」

「でも、やっぱり納得いかないっすよ!!」

「そう。…ちなみに団体ではどこのポジション狙うつもりなの?」

「スカイセクションっす。それがどうかしたんですか?」

「入部テストをするわ。部長の承認を得てからになるけど」

 そんな事を部員が勝手に決めていいのかと太陽も思ったし、入部するとは決めた訳ではないが、このまま引き下がるのも癪だと思い話に乗った。

「わかりました。内容は?」

「明日学校に来てからのお楽しみ♪絶対来なよ」

 最後のドスの聞いた声に、思わずたじろいでしまう。あっけらかんとした先輩だと感じていたがその実、汐崎明海と言う女生徒は根が一本気な性質である。このように威圧するような口調も部内ではさほど珍しいものではなかった。見る人が見れば裏表がある性格だと言うが、彼女をよく知る人なら非常に「らしい」部分でもあった。

「はい、今決めました。絶対に入部します」

 元々、太陽の性格は単純だった。入学時点でいきなり頭を使わされたが、理屈で動くタイプではないのだ。だから、納得がいかないなら取り敢えずやる。考えるのはその後なのだ。

「いい返事ね。じゃあまた明日」

 そう言ってひらひらと手を振りながら、明海は去って行った。同じようにひらひら動くスカートから覗く太腿に目がいきそうになるが、何とか煩悩を振り払い、太陽も帰宅した。


 夕食時、太陽はあった出来事を思いのままに両親に告げた。部長に入部拒否をされ、ユースへの加入を勧められたこと、それから別の先輩に偶然会って入部する決心を固めたこと、その為に試験をすること、『トリプルライン』は自由の象徴だと自分が思っているからこそ、平塚学院と言うか愛知県の地域性が認められない。否、ここで認められるプレーヤーになれば、それこそプロへ駆け上がる最も近い道であると感じたからだ。

「太陽。結果的に平塚学院に行けなかったことに後悔はないのか?あと、父さんだってお前のためなら頑張るつもりだ。ユースに行きたい気持ちが強いのならそれでも良いんだぞ」

「お父さんの言う通りよ。私たちは頑張ってる太陽が好きだから」

「ありがとう父さん、母さん。平塚に関しては俺の頭が足りなかったのもあるし、個人戦でエースの手伝いをさせられるなんて考えるとどうも受け付けないわ。それにあの部、『ITLC』は良くわからないけど魅力があるんだ。確かに部員は足りないし部長からも拒否されたけどさ。それでも入部してみたくなる何かがあるんだ」

 具体的な根拠はないただの直感である。しかし、太陽が中学校時代幼少時から続けているメンバーから勝ち抜いて来れたのも、この直感が他人のそれよりも独創性に富んだものだったからだろう。人から見れば奇抜な発想や何となくが良い方に進んでいくことが多い。それが太陽の持つ一つの強さであった。勿論、努力が他人より足りないまま才能だけで勝ってきたというわけでもない。経験が少ないからこそ、セオリーに囚われずに戦ってこれたのが一番の要因である。

 つまり、太陽にとってはこの一年がかなり重要なものになってくるのは理解しているのだ。中学校時代の『トリプルライン』とは全く違った殆どプロ同様のルールで戦うのだ。接触プレーやアドバイザーとのコンタクト、あらゆる要素がこれまでとは違ってくる。その答えとは言えないが、ヒントをあの爽やかに見えるが陰のある部長、福田玲は持っているだろうと思ったのだ。だからこそ、入部する意味がきっとある。

「御馳走様」

「お粗末さまでした。風呂も沸いてるからさっさと入っちゃいなさい」

「うん」


 翌日、太陽が登校すると早速山崎が話しかけてきた。

「よお。昨日はどうだったんだよ」

「おう。それがさ、今日入部試験やるみたいなんだよ」

「あれ?部員足りないってのはデマだったの?」

 釣られて会話を聞いていた本田も参加してくる。

「あぁ。足りてないけど諸事情でな。でも絶対入部して全国目指すぜ!!」

「気合入ってんなぁ。そういやそれがお前の『フラッシュボード』か。どこのモデルなん?」

「シーズ社のMKT―B。平均的に今はプログラムを振ってある」

「シーズ社って?」

「おいおい。ビッグ3のメーカーだぜ。シーズ社とレフトレフ社、それにカナヤマが『フラッシュボード』の製造大手なんだ。コイツ等を合わせてビッグ3って呼んでるんだよ」

 『トリプルライン』は知っていても、製造メーカーの事までは知らなかったという本田を余所に太陽と山崎は会話に興じる。

「MKTシリーズって確かトッププロとタイアップしたCMで話題になったやつだよな」

「そうそう。『ミスリル』だけじゃ軽量化ができないって言って金属量減らしてウレタン樹脂でコーティングしてあるんだよ」

「あー。サーフボードとほとんど違いがないじゃん。耐久性大丈夫なん?」

「まだ何とも言えねぇけど樹脂が割れたら終わりだと思うからそん時に考えるわ」

「うー。私の事無視してる?」

「あー、済まない。ついつい山崎との会話に乗っちゃったんだ。そんなつもりはなかった」

「経験者ゆえの会話ってやつだ。許せ」

 本田に謝罪をしたところで予冷が鳴ったため、全員席に戻り各々授業に備えた。


「部長、少しよろしいでしょうか?」

 後輩である汐崎明海が三年後者に足を運ぶこと自体稀ではあるが、その教室には彼女が所属する部活、『ITLC』部長、福田玲が在籍している為だ。

「どうしたんだい?汐崎さんが訪ねてくるなんて珍しい」

「池上太陽君との話は聞きました。そして彼に入部の意思があることを確認したので、入部試験をしてもらえませんか?」

「…。やけに熱心だね」

「いえ。私とスカイセクションで戦ってもらって勝ったら入部にしようかと。絶対私が勝ちますが」

 先輩の前だからと言うのもあるが、いつもの快活な彼女とは違い、今は真剣そのものである。スカイセクションに賭ける彼女の意気込みは並々ならぬものであった。それが卒業した兄、汐崎達郎からこのポジションを引き継いだ明海の全てだからだ。後輩には気の毒ではある。だが、同じポジションを競う間柄なら早いうちに負かしておきたい。よしんば彼女が勝ったとしても、太陽に恩赦を与える様に部長に進言して入部してもらえばいい。そんな思惑からこのような提案をしたわけだ。

(そもそもこの間まで中学生だった相手に負けてるようじゃ今年も勝てない。だから絶対に負けられない)

「わかったよ。じゃあこの件は汐崎さんに一任する。頼んだよ」

「はい」

 要件が終わり明海の姿が見えなくなったことを確認して席に戻る。後輩が訪ねてくるという行為自体は初めてでもないので、特にその件で言及してくる人間はいなかった。

(奇しくも池上君はスカイセクション希望か。汐崎さんは高校では中堅上位くらいの実力だ。スカイセクションは特性上障害物が少ないため、各校ドッグファイトよりも純粋に速さを優先したオーダーになる。勿論、確実に勝てるという確信がない場合、抑えに回るだろうけど少なくとも汐崎さんにその気はないし、池上君も……。いや、彼が勝ってしまうかどうか、か…)

 太陽は昔の自分に似ていると正直玲自身も思っている。彼ほどハキハキした人間でもないが、玲も嘗てはやる気に満ち溢れた一人の選手だった。だからだろう。ここで自分の様に失敗してほしくない気持ちと、まだ彼(自分)なら何かをやってくれるのだと希望を抱く気持ちの葛藤で揺れ動いている。

(全ては今日の結果次第、か)

 ふぅ、とため息を一つ小さくついて玲は次の授業の準備を始めた。


 頑張ってこいよとクラスメイトに見送られ、太陽は授業が終わってすぐ『ITLC』部室に足を運んだ。両手で左右の頬を叩き気合を入れる。パンッ!と小気味の良い音が鳴った。

「痛てて。少し気合い入れすぎたかな?けど、そん位じゃなきゃきっと全国なんて夢のまた夢だろ。絶対に今日の入部試験は合格してやるぜ」

「なーに一人でぶつくさ言ってやがるんだ。昔っからそう言う所変わらないなお前は」

「どひゃあああああ!!」

 後ろ掛けられた声に聞き覚えがあり、太陽は驚きの声を上げた。それも無理はない。彼、望月出水は太陽の嘗ての地元にいた元チームメイトだったからだ。

「おっおまっ!なんで此処にいるんだよ!!」

「あ?約束しただろうが。お前と全国行くって。事前に引っ越すの知ってたから俺も転入試験とかしなくて済んだのがラッキーだったな」

「何で言ってくれないんだよ!!」

「その間抜けな顔が見たかったからに決まってんだろ?ほら、入るぞ」

「ちょっと待ってくれ。俺は…」

「そういう事か。多分入部拒否されたんだろ?相変わらず表情に出やすいな」

「何でそれ…」

「俺はクルーだからな。事前調査はそれなりにしてるつもりだぜ?部長は全国区のプレーヤーだったのがアドバイザーに転身してるんだ。こっちの大会がどんな風にやってるか位は調べりゃ映像記録も残ってるからある程度の状況は予測が立つ」

「そこまでしてるのかよ。なんか俺が勉強不足過ぎて凹むわー」

「あ?お前は選手だろ。戦略・戦術に頭使う必要はあるが基本は身体が資本なんだ。こういう細かいのはこっちに任せとけよ」

「ありがとよ。お前もそういうとこ全然変わってないよな」

 太陽が昔全国大会に行けたのは、個人の力も勿論だがこのチームメイトの能力が高かったことも理由の一つにある。ピットでのバッテリー交換やダクト内の異物除去など、起こるべくして起こるトラブルを素早く処理する仲間がいるかいないかでは大きく結果が変わってくる。この出水と言う男は当時の時点で確実に中学レベルを超えていた。太陽らのチームに合流したのは中学2年の後半のため、大会自体夏の大会のみ一緒に出場をした。と言うのも、彼自身は海外からの帰国子女であり、転校生だったからである。U―15フランス代表選手が所属する学生チームの一軍メンテナンスクルーになることができたのは、出水の腕も去ることながらこの性格が一役買っていた。選手を勝たせるためにあらゆる情報を調べ上げ、マシンセッティングを調整していくその姿に、現地のメンバーも敬意を表していた。

「とりあえずお前のボード見てやるから中入るぞ」

 中に入ると何かの資料を片手に持った玲が、こちらを見ている。

「いらっしゃい。池上君とえっと…」

「望月出水と言います。福田部長、これから三年間よろしくお願いします」

「あぁ。じゃあ君が木場さんの言っていた」

「はい。木場先輩に入部届を預けさせていただきました。それと太陽の入部試験、やっていただけるんですよね?」

 当の本人そっちのけで会話を続ける出水のおかげで、太陽は所在なさげに立ち尽くしているだけだった。気合は十分入っていたが、完全にタイミングを逃していた。

「そうだね。内容はこれから来る二年生、と言っても池上君は彼女と会ったそうだね。その汐崎明海さんとスカイセクションで勝負をしてもらう。勝てば入部、負ければ入部はなし。良いかな?池上君」

「オッケーです!絶対勝ちます!」

「言っておくけど、彼女は強いよ?」

「前部長、汐崎達郎の弟で昨年の大会ではベンチだったもののスカイセクションではあなたと前部長に次ぐ実力の持ち主。ですが今年はこの太陽がスカイセクションに団体戦は出ます。ほら、さっさと準備するぞ。ボード寄越せ」

 さらりと去年の情報を出してきた出水の存在が玲には驚異的だった。

(戦力分析は十分って事かな。しかし新入生でここまで気合を入れてくるだなんて。自分が一年の時にそこまでやれていたら…。いや、変わらなかったな。汐崎さんが負けるイメージも沸かないけど、この二人は逆に勝つイメージが見える。さて、どうなるかな)

「そういえば二人は知り合いなのかな?やけに仲が良さそうだけど」

 『フラッシュボード』の調整を始めた二人に玲が問いかけた。

「あ、俺と出水は中学時代のチームメイトなんです。出水のやつ、俺を追いかけてきたそうで」

「こいつと全国行くって約束しましたからね。それに敵に回すより味方の方が面白いやつなんですよ太陽は」

「いやいや、敵に回しても面白いと思うぞ。こっ、こんな強い池上選手にどう戦えばいいんだってなるだろ?」

「はいはい。まぁコイツのプレーしてる姿を見れば部長にも理解していただけるかと思いますよ」

 そうしてボード本体の調整を終わらせ、プログラムの調整に入った。こうなると太陽も出水のそれをみているだけになってしまう。

(おそらくこいつは汐崎先輩のプレースタイルまで考えたタイプの調整をするはず。あとはどういう戦略で戦うかをセッティング後決めないとな)

 スカイセクションで一対一を行うということは純粋にスピード勝負になる。だが、コース内容や制限時間・或いは対戦相手によって戦い方が変わってくる。一発勝負で初見同士だからこそ戦略が重要になってくる。公式大会と同等以上の緊張感が太陽の胸を高鳴らせる。いつも彼が戦う時に思うことだ。相手に勝ちたいというシンプルな考えだが、太陽の性格には非常にハマっており、いつも彼が戦うその姿は楽しそうに見えた。

「おっ。もう来てるのかね池上少年」

「望月君も、早速彼のボードを調整してるんですね」

 そう言ってはいってきたのは二年生部員である『ITLC』スカイセクション担当の汐崎明海と整備班で主にプログラミングを得意としている木場恵だった。

「お疲れ様二人とも。これで部員が揃ったし、初対面の人もいるだろうから自己紹介をしておこうか。僕が部長の福田玲。今はアドバイザーをしているよ。よろしくね」

「私が今はこのチームのエース、汐崎明海よ。だから池上君、君は入部できないけどよろしくね」

「明海ちゃん。棘ありすぎですよ。私は二年の木場恵と言います。担当は整備です。先日望月君とはお遭いしましたね。池上君はその、頑張りましょう。よろしくお願い致します」

「望月出水です。全国で勝つために今日はこいつを勝たせます。よろしくお願いします」

「池上太陽です!スカイセクションで負けるつもりはないんで絶対入部します!」

 三人ほど、バチバチと火花を飛ばしているが明海からすれば兄から託された居場所を守る為、出水は向こう組んだりで遠くの地まで仲間を追いかけて、太陽はプロになる為と三様の負けられない気持ちがあるのだ。気持ちで勝てるとは必ずしも言えないが、気持ちで負けるつもりは三人ともなかった。

「じゃあ早速だけど試験を始めたいと思うから海岸まで移動したいと思う。セッティングは終わったかな?」

「問題ありません」

「終わったのか。ありがとよ。自分も大丈夫です」

「じゃあ行こうか。池上君入部試験に」






 部室を出て海岸近くのコンテナに一行は来ていた。

「ここは顧問の笹本先生が所有しているコンテナボックスでね。機材関係はこっちに保管してあるんだ」

 学校から使用できる練習用の海岸までは数百M程ではあるが距離がある。そこで一昨年から就任した顧問である笹本佳織が、実家で所有しているコンテナボックスが偶然練習場の近くにあることを知り、倉庫として提供したのである。

「じゃあ、バッテリーとか修理用品は太陽君も使ってもらって構わないから望月君に預けておくといい」

「ありがとうございます」

「明海ちゃんの分は私が持っていきますね」

「ありがとう恵。あ、私のボード出さないと。あぁ、あったあった」

「あ、更衣室がないから二人とも交代でここで着替えてほしい」

「わかってますよー。私先着替えるから池上君、ちょっと待っててね」

「オッケーです」

 『トリプルライン』で公式大会に出場するのに『フラッシュボード』が必須になるのは勿論だが、もう一つ必ず必要になるものがある。専用のスーツだ。ダイバー用のウェットスーツのようなものとは違うが、接触プレーにより空中から海上に、海中でそのままボードから投げ出され、地上においては大事故に発展してしまう可能性がある。そのため、浮遊衝撃緩衝繊維『フロートファイバー』で編まれたスーツの着用が義務付けられている。水中では浮遊を、空中では落下の速度緩和、陸上では衝撃吸収などあらゆる場面で選手を守る重要な役割を果たしている。耐G性については、各メーカーで技術的な部分が異なるが、ブラックアウト 昔はそれこそ全身を厚手のスーツで包まなければならなかったが、『フロートファイバー』の普及により100%の割合で製造が可能になったことから、ボディラインが強調できるほど薄型軽量の衣服になった。また、カメラ撮影などで選手を探しやすくするため、カラーリングも派手なものが多いのが特徴だ。

 明海は白を基調としたスーツに、太陽はその名の通り赤色のスーツに着替えた。

「うん。みんな準備できたね」

 必要な荷物を取出し、海岸に着く。選手である太陽と明海はストレッチを、整備班である恵と出水は玲から今回のコースデータを受け取り、二人の『フラッシュボード』に登録を行った。

(汐崎先輩身体柔らかいな。体幹良さそうだ)

(ん?池上君がこっちを見てる…。まぁ衣装としては際どいから思春期の少年には些か刺激的かにゃー)

 明海のスタイルは良い方で、所謂巨乳の部類に入る。且つ運動部系であるためウエストは細い。身体的なバランスで唯一欠点があるとすれば、発達した大腿筋だろう。『フラッシュボード』に乗っているため、全身のバランスを取る為にどうしても太腿に負荷がかかるからだ。だが、モデル体型を基準にしての事なので、足まで含めて彼女の身体は魅力的なものであった。

 とは言っても、太陽は経験者でこのような格好は見慣れており、すでに競技に集中している。だから対戦相手である汐崎明海という先輩の身体情報を探る為に見ていただけで他意はなかった。そして太陽も身体は柔らかい。日々のストレッチで十分な柔軟性を獲得している。体幹は左右対称になるようなボディバランスまでは到達していないが、利き足である左足がそれを補って余りあるパフォーマンスを魅せるよう鍛えこまれている。

 『フラッシュボード』もスノーボードのように当然ながら利き足が存在する。これは形状が似たような性質であることと、後部に噴射口が付いているためだ。前部の吸気口から滑空している間は空気を取り込んで動かすためである。無論、そのままでも発進するエネルギーを貯めこめるように製造はされている。だから、回転力を利用した急加減速が可能なのだ。また、モーターは永久磁石型の直流形式を採用している企業が多い。また、幾つかのモデルによっては加速を続けていくコンセプトの『フラッシュボード』もあり、そちらも『ミスリル』の恩恵で所謂第3世代モデル以降に登場したものになるが、圧電効果が高く前部と後部で圧素電子として空気圧と自己体重による振動を利用した発電を可能としており、ボードを上下左右に振ることによって効率を高めている。これにより、発電しながらの走行を可能としているのだが、『ミスリル』を用いた蓄電池の性能の方がソレを上回る上に、電極を仕込む板も別に取り付ける必要がある事から、現行のモデルではほとんどが採用されてはいない。ただ、蓄電池が手に入らない地域や、発熱量が高くなるため気温の低い地域などでは多少の需要があり、ビッグ3以外のメーカーがここに焦点を絞って開発を続けている。

 太陽と明海の『フラッシュボード』は共にシーズ社製であり、同社のボードには共通の特徴がある。それは『スターター』と吸気口の位置である。『スターター』とは、スタート地点では噴射するための空気の取り込みが十分でないため、この『スターター』を台座にするのだ。これも各メーカーによりシステムは異なる。出力最大値は規定がある為、それに反しない範囲にはなるが、高度を上げてスタートするタイプや直線に発射するタイプ、リニア式であったり噴射補助であったりと本当に多様にある。シーズ社の『スターター』は噴射補助タイプで直線軌道に発射するモデルである。その理由は先に挙げたとおり吸気口の位置に起因している。通常、『フラッシュボード』の吸気口は前方部のみに設置されているが、シーズ社製のモデルは左右の側面にも吸気口が存在する。これは旋回中でも加速ができるようにするためのものである。特に、太陽の使用しているMKTシリーズは、噴射口も側面についているため、高速で滑空するスカイセクションに有利なモデルである。但し、その分電力消費もバカにならないため、バッテリー残量などを正確に把握する必要がある。その辺のサポートは基本的にボードに組み込まれているプログラムが行ってくれるのだが、それも絶対ではないため注意を払わなければならない。

 双方ともに柔軟を終えたのを見計らい、出水が太陽に声を掛けた。

「セッティングは省電力で温存する仕様だ。コース内容は往復8km程の海岸から浮島までを4周、途中のバンクや上下のセクションも考えるとトータルで約35kmある。公式の試合の半分ほどだな。これなら接触プレーをせずにいけばギリギリピットインせずに走り切れる」

「こっちは中学生だったわけだから相手の土俵で勝負をするなって事か」

「そうだ。ドッグファイトの経験が豊富な相手に、やったこともない人間が挑む道理もない。そしてこれはタイマンだ。他の走者がいないのだから純粋に速さと戦略で戦える」

「つまり後半に勝負所を持っていくわけだな」

「あぁ。だが先も言った通りギリギリの蓄電量になるから、スパートかけるタイミングを誤ったらアウトだ」

「時間的には持つと思うけどな」

「思ったより風が強い。横風になるからそれだけ消耗も激しいんだよ」

「了解。じゃあ勝ってくる」

「おう」

 同じタイミングで、恵も明海に『フラッシュボード』を届けた。

「ホームコースだからセッティングもいつも通りの仕様にしてあります」

「ありがと。ただ風が強いからピットインを何時のタイミングで取るかがカギかな」

「そうですね。向こうは初見のコースになるから明海ちゃんのペースを追走で掴みに来るかもしれません。だから最初の周でピットに入って当分後ろを走る戦略が有効だと思います」

「うーん。あまり好きじゃない走り方だけど池上君の実力も未知数だしね。ただ、中学生だったんだからドッグファイト慣れはしていないはず。後ろからガンガン煽っていくのはアリだね」

「ではその辺はお任せします」

「オッケー。任しといて」

 こういう戦略的な話は本来アドバイザーが行うものになるのだが、玲は部長と言う立場と練習試合のため審判をしている。そのため、整備の人間に直接打ち合わせと戦略をしてもらうことにした。何より、太陽の入部を拒否したとはいえ、その辺は中立で公正に判断する必要があるから、自身のアドバイスはズルくなると考えたためだ。

(でも、部のホームコースを選んだのだから十分身内贔屓してるんだけどね。それでも、太陽君が本物(・・)ならこのくらいは乗り越えてもらわないと)

 太陽を過去の自分と投影してしまっている玲からすれば、いくら強い方ではあるとはいえ全国区と言うほどの腕とは言えない明海を倒せないのならば、お互いのためにならないと考えている。『ITLC』に所属してプロを目指すというのなら、このレベルの障害はクリアしてもらう必要があると真剣に考えている。

(僕の様になるなよ池上君。理屈はいらない。勝て)

 コースに関しては明海を贔屓したかもしれないが、心情については自分と似た少年の肩を持っていることに玲自身は全く気が付いてはいなかった。無意識に応援してしまうスター性の様なものが太陽にはあるのだろう。まだプレーすら見てないのに不思議な魅力を玲は彼に見ていた。

「さて、そろそろ準備ができたと思うから始めようか」

 玲の声を聞き、四人は各々準備を始めた。選手はスタートの、クルーはピットの準備である。出水がピットを準備しているのは不測の事態に備えてのものであり、実際は使用する前提ではない。ただ、精密機械を使った競技である以上、トラブルは付き物なため油断はできないのだ。

 スタート準備が完了し合図を待つ二人だが、両者の心理状態は対照的だった。

(空中でのコーナー及びバンクによる電力消費が周回あたり15%程度、風による消費が7%、後はレースの展開で変わってくる。下り条件で放電をせずに追走できるかが重要になってくるな。汐崎先輩がスカイセクションのエースなら中盤の展開に拘ってくる。出水にはああ言ったが、大腿筋の発達具合を見る限り高度の急上昇に強そうな印象がある。早いうちに何かしらの手を打ってくることも視野に入れておくべきだな)

(私は負けられない。だからこのレースでも勝つための工夫は惜しまない。お兄ちゃんから受け継いだスカイセクションの座は絶対に渡さない)

「セット。5、4、3、2、1、GO!」

 モーター音が噴射のドンッ!と言う音でかき消され、一瞬にして二人は海面に飛び出した。

「あら?思ったよりもやるじゃない」

「先輩こそっ!」

 風を切り裂きながらの会話だから、当然肉声は聞こえているわけではない。イヤホンマイク越しの会話である。フリーチャンネルに入れておけば、対戦相手問わず会話が可能になる。但し、ピット側の会話はセキュリティがかかっているため、メンバー同士でしか会話ができない。フリーチャンネルの使用率は半々と言ったところで、性格やモチベーションの維持で使用の可否があるのも確かだが、意図しない会話でペナルティを取られる可能性も考慮しなければならないからである。試合中、何の気なしに「あのエースを止めないと確実に負ける」なんて発言をしようものなら、他チームもそいつを止めるために協力してしまうからである。協力自体はあっても良いのだが、八百長の温床にはなってはいけない。詰まるところ、八百長疑惑が掛けられるなら使わないという人間が相当数いるのである。それでも使う人間が半数もいるのは、『トリプルライン』でライバルと戦うことが楽しいからだろう。

 コースマップに記載された最初のコーナーに入る。外野から見れば勿論何もないが、選手たちの間には共有されたマップがある。実際の公式戦ではホログラフィによるコース投影や画面での拡大などにより演出される。今回のコースは『ITLC』のホームコースであり、スタートの直線を抜けると三つのカーブ区間がある。それを過ぎるとアップダウンをつけながらの連続バンク、続いて垂直に上昇して高度を上げるセクション、折り返し地点への浮島への滑降ストレートからのUターンから短いストレート、連続コーナー、最後の直線でスタート地点に戻るという周回内容だ。スタート時点から頭を取っている明海が先に第一コーナーに侵入した。

「よっしゃー!」

 ハイテンションのまま身体を屈め、利き足である右足を右側に送り『フラッシュボード』を横に向け、腰を落とした。スピードが出ているので強烈なGが掛かるが、『フロートファイバー』の恩恵を受けているため、全く苦にすることなくコーナーを曲がり切る。理想的な速度で第一コーナーを制した明海とは反対に、太陽は一定のスピードを保ちながら緩やかに曲がっていく。明海とは違って太陽のボードはグーフィータイプ(利き足である左足が後ろに来るタイプ)しようしている。第一コーナーは左曲りになっており、彼は身体を軽く前面に倒し、海を見下ろすようにして曲がり切った。勿論、減速が少ないとはいえ最初から飛ばしているわけでもないから、どうしても明海との差は広がってしまう。

 いくらかコーナーを抜け、垂直上昇セクションに明海は差し掛かる。十分にストレートで付けた加速を活かしてボードを垂直に向ける。

「ファイアアアアアアアァアァァァァ!!」

 特に叫ぶ意味はないが、それをスイッチとして一気に噴射口から圧縮された空気が発射された。スターターを使用した時とほとんど同じ速度の加速具合で垂直に上空を登っていく。指定高度まで到達したら一気に浮島まで降下する。明海が浮島にダイブし始めたころ、太陽は上昇セクションに入った。

(このままのペースで行くと若干怪しいな。流石は高校レベル、自分の予想が悪い意味で当たる。なら…)

「出水!聞こえるか?」

「何だ?トラブルか?」

「違う。旋回用のトルク重視のセッティング、まだ登録リストの中になかったか?」

「あったな。変更だけなら20秒で行ける」

「了解。二周目終わりにピットインしてそのセッティングに変えてくれ!あとバッテリーも!」

「わかった!しくじるなよ!」

 一度使用したセッティングは登録リストに保存することができる。ただ、これもメーカーによって登録数量が違ったり、リスト検索が反って手間になる事もある為どの選手も概ね3つほどのセッティングしか登録していない。しかし、登録しておけば、バッテリー交換とほぼ同じタイミングでプログラム書き換えも可能になる。

(思ったよりも高校レベルが高いってことか。あいつからセッティング変更が来ることそのものは珍しくないが、まだ始まってすぐ、4km程しか走っていない。にも拘らずって事は見た目よりもキツいって事だな)

 出水が思案に耽っている間にも刻一刻と戦況は進んでいる。太陽は下り直線から浮島の周回に入ったが、明海は既に一周目の終盤に入っている。

彼女のしなやかな足が魅せるボード捌きは、それは美しかった。折り返してからは海面上の低空飛行によって発生する水しぶきが、光の反射・虹と共に彼女の身体を輝かせる。また、シーズ社製のボードのため、吸気口が側面にもついていることから、彼女の一定毎に行う腰から足にかけての捻りが、一層艶やかしさを引き出していた。尤も、皆が真剣に取り組んでいる競技の最中では、その輝きも意味のあるものではないのだが。

(思ったより手ごたえがない。スタートを見た感じ絶対に初心者のそれじゃないけど。こっちはバランス重視のセッティングで一周目だけは確実にハイペースにして振っていた。けど、ここまで差が付くとは考えにくい。でもこっちも気にしてばかりはいられない)

「恵!ピットの準備!」

「問題ないですよ明海ちゃん!」

 明海サイドはバッテリー交換をこの一周目で終わらせてしまう算段のため、かなりのハイペースで飛んでいた。明海は通常ピットに侵入する速度を大きく上回って突っ込んできた。その理由は残ったバッテリーをフルブレーキで使い切る為だ。後部底面に仕掛けられたブレーキ用の噴射口を開き、後部の噴射口を閉じると、逆噴射により一気に減速される。轟音を上げながらもきっちりと恵の構えたピット前で停止した。

「すぐ始めるよ」

 恵は素早くカバーを外して代わりのバッテリーに付け替える。こちらはセッティングをいじる必要もなく、要望がない限りはメンテナンスも必要としないため、すぐに取替が終了した。

「よし!行くよ!」

 再スタートを切ってコース復帰を果たすと、ちょうど周回を終え二周目に入った太陽の姿をとらえた。今のピットでのメンテナンス中に、太陽も何とか遅れを取り戻して追い抜いていたのだ。

「けどすぐに抜き返す!」

 だが、太陽の方もピットインすることを決めているため、一周目の往路で見せた走行とはまるで今は違う。常時姿勢を低く構えている。空気抵抗を少しでも減らすためだ。

「ちょっと!最初とは全然違うじゃない」

「勝つために止む無く、ですよっ!」

(後ろから見たけど、あれで最後まで行くつもり?下半身の筋肉が絶対悲鳴を上げるでしょっ!)

 体勢を低く構えながらのキック(左右にボードを振る行為)は、単発でなら明海にもできる。だが、ほぼ常時実行するとなると、いくら大腿筋が常人より発達しているとは言え、確実に持たない。よしんば大腿筋が無事でも大腰筋等の腰回りやバランス取りに使っている上腕二頭筋などの腕の筋肉までは考慮されていない。スノーボードと違い、コンピューターによるオートバランサーが搭載されている『フラッシュボード』では、自然体に構えた姿勢なら立っていることにさほど問題がなく、滑降等直進時にはボードを振る必要がないため、上半身は体幹を鍛える程度にしかトレーニングを行わないのが、『トリプルライン』では割と普通の内容であった。しかし接触プレーも多いため、現在はそのマニュアルが見直されていたりするのだが、競技としては新しいものになる為、そういった考え方が一般競技者まで浸透しきっていないというのが現状であったりする。

(体幹自体は私も池上君とそこまで変わるとは思えない。けど筋力と持久力、あと私の限界値と言えるレベルでもパフォーマンスは落ちてない。でもあれでピットに入らないってことはない筈!兎に角喰らいついて向こうがピットに入ったら追い越す。三周目はバッテリーの持つ限り全力で差をつけに行く。で、最終の四周目はブロックに徹して勝つ!)

(振り切れないのかっ!流石高校生と言うべきか…。いや、自分だって今は高校生だ。一周目のパフォーマンスで向こうが仕掛けてくるとしたら三周目の可能性が高い。なら敢えてその誘いに乗る。向こうはラストをドッグファイトで潰しに来るつもりだと考えられる。だから仕掛けるとしたら四周目の此処(・・)しかない!)

 太陽が此処と言った場所は、現在上昇を続けている垂直上昇セクションから滑降、浮島をUターンしてからの直線までの位置である。およそ自分に自信のあるセクションであり、一周目の明海と自分を比較して確実に全力走行ならオーバーテイクが可能だと考えたからである。と言うよりも、この区間で抜くことができなければそのまま負けが決まるとも言える。

(どうやら池上君は思ったよりもクレバーなタイプだね。それとも整備の望月君の提案かな?それに状況対応もほぼ正解だと思うよ。あのまま省エネ走行を続けても恐らく勝ち目はなかった。池上君がどうするつもりかはまだわからないけど、汐崎さんの様子を見る限り終盤はドッグファイトをするつもりだね。早い段階でのピットインも接触プレーなら自分が分があると考えての事だろう。どうなるかな)

 浮島の周回を終えた段階で、太陽と明海の距離は離されるわけでもなく、縮まっていくこともなかった。一周目とは違った太陽の滑降速度には明海も驚かされた。だが、カーブからの脱出速度もコミで考えれば付いていけない程でもなかった。

(滑降するスピードは流石のMKTシリーズ。私よりも下りでのコーナー侵入速度はあの突っ込み具合を見れば間違いなく上。でも脱出速度で詰めれるからそこまで差は生まれない。最終周では多分、このカーブで突っ込んで私の鼻面を抑えて躱していく展開になる。そうなれば全力で加速してこちらから当たりに行く。あとは展開次第ね)

 滑走している『フラッシュボード』のモーター音と風切音が徐々に砂浜にも轟いてくる。太陽はピットイン、明海は波を切り刻むように低空を滑走していく。ここで差をつけておきたい明海は三周目に入ると同時にスロットルを全開にした。

「いくよ!!」


「ケーブル貸せ!」

 ピットに着いた太陽はすぐに出水からコンピューターへとつながるケーブルをボードに接続した。繋ぐと同時にセッティングの変更が始まった。その間にバッテリー交換をする。ケーブルと一緒に受け取った水を飲み干す。

(まだか。やっぱり結構離されたな。だが、三周目には全部は見せられない。こっちの手の内がバレない程度に全力でいかないとな)

「オーケーだ!あとは勝ってこい!」

「勿論!」

 セッティングも更新されたため、ピットを後にし一気に加速する。ドゴン!と爆音がしたと思ったらあっという間に海まで飛び出していた。そのスピードは先程同じようにピットから出て行った明海とは比較にならない程速かった。

「明海ちゃん!向こうもコースに戻りました。かなり速いです」

「了解!でもこっちも全力!追いつかれるもんですか!」

 飛び出しの早さが、明らかに違うことに危機感を持った恵は、すぐに明海に通信を行った。残り二周で前半のスピードを見る限り、接戦にはなるが負けはしないだろうと恵も計算していたが、明らかにスピードが違う。コーナーを曲がり切れる速度であるかは別として、明美が想定していた浮島でのリターンポイント前にこのままだと追いつかれる可能性がある。拙いと思うのは当然だった。

「『センサーマッピング』付けとくべきだったかな?」

「今ないものをねだっても仕方ありません。修理中だったんだから仕方ないですよ。それに池上君もこちらがしてないのを知ってか付けてませんし」

 『センサーマッピング』とは、オプションで持てる『トリプルライン』各セクション共通のツールである。機能としては『フラッシュボード』に登録されたコースの表記、対戦相手の位置確認とそれに付随するサポート各種となる。マップの表記自体は『フラッシュボード』からホログラフィを出して閲覧ができるのだが、一瞬を争う時にこれで見ると見にくいため、手元で見れる『センサーマッピング』が開発された。現在は腕時計型が主流で、ボタンと音声を利用すれば、すぐに欲しい情報を取り出せるのが特徴だ。『フラッシュボード』とGPS情報を主に使用しているため、後続との時間差等も簡単に割り出せる優れものだ。本来試合をするのなら、オプションパーツとは言え確実に持っておきたい一品ではあるが、明海の『センサーマッピング』は故障のため、現在修理中である。

(先輩が使ってないのにこっちが使うわけにもいかないよな)

 太陽は『センサーマッピング』を所持していたが、明海が身に付けていなかったため、今回は使用を控えた。無論、そんな事をする義理はないし、勝つために使うことは『トリプルライン』においては悪い事ではない。むしろ当然である。けれど高校生活の序盤、今日だけでなくこれからもプロになる為、太陽は勝ち続けていかなければならない。だから最低限の勝ち方が必要だと感じたのだ。

(これで負けてしまうならそれまでだったって事だ!でも負けるわけにはいかない!)

「良し!三周目折り返し!」

 太陽が垂直上昇セクション前の連続バンクに差し掛かったところで、明海は浮島を回り切った。太陽のスピードは予想外に速かったが、まだ明海の想定を超えるほどではなかった。恵からの通信により大まかな距離を把握して、明海は若干安堵した。無論、それで手を抜こうとかそんな事は考えていないが。

「明海ちゃん!もっと飛ばしてください!」

 突如来た恵からの通信に明海は驚いた。一瞬抱いた安心感はすぐに崩壊した。

「今も全力!何があったの!」

「池上君の垂直上昇が、早すぎます!」

 

 太陽が垂直上昇セクションで見せたのは、連続噴射と螺旋状の回転だった。そもそも、『フラッシュボード』において垂直上昇をする際は、筋力に任せて一直線に上昇をするのが効率的な攻略法である。対して、今太陽が行っている螺旋を描いての上昇方法は、一般的には筋力の足りない競技者向けの方法だ。だが、太陽はトルク重視の断続的に空気を一気に放出する事で、加速速度を跳ね上げたのだ。垂直に上昇したら一回の噴射ごとにロスが働くが、螺旋状に駆け上がっていくことで、空気の取り込みと速度を落とさず上昇する二つの利点がある。但し、バッテリーには良くない上に、急加速によるGに苦しむことになる。『フロートファイバー』があるとはいえ、急激な変化を続ければ負担にはなる。現実に太陽もわずかに顔を顰めている。血流が乱れ、供給が追い付かなくなりつつある自身の脳が警鐘を告げ始める。「止まれ」、「緩めろ」。脳からの指示を無視して加速を続け、何とかセクションを抜け切った。そしてすぐに滑降を始める。一周目のソレとは比較にならない程の速度を以って突入していく。そして二周目よりも確実に速い。恵も克明に明海に状況を伝える。連続コーナーを終え、周回最後の直線に入った恵だが、次の一周の事を考えると焦りが産まれる。

(嘘でしょ!二周目のアレが全力じゃなかったって事?でも負けられない!)

 動揺から来るプレッシャーを抑え込みつつ明海は加速を続ける。精神的な弱みは確実にミスを呼ぶことを経験で明海は理解しているからだ。これ以上の差を詰められないために、疲労から来る太腿の痛みを堪えながら、普段以上に低い姿勢で明海は滑り続ける。

 太陽は、今明海が取っているよりも更に低く身を構えている。利き足である左足(・・)にほぼすべての重心を預け、右足はほとんどフリーの状態で浮島の折り返しコーナーに侵入していた。

(コーナーを曲がるならこれで問題なく差を詰めれるはず。カーブ侵入時の重心とスピードは向こうにも見せた。恐らく木場先輩がこちらとの時間差を割り出しているはず。感覚で全力じゃないと汐崎先輩に気付かれたらチャンスが減るが、それでも問題ない。このペースなら問題なく仕掛けられるはず!)

 風圧により水しぶきを上げながら、弧を描く様に綺麗にカーブを曲がっていく。利き足で後部を自重で抑え込み、反動で浮き上がった前部を引き足で空気抵抗を利用して抑え込む。さながら自動車でドリフトをしているかのような滑り方に、飛ばしている空中カメラと『フラッシュボード』に搭載されているドライブモニターの映像を見て主将である玲も驚きを隠せなかった。

「望月君、マナー違反なのは承知してるけどちょっと良いかな?」

「えぇ。もうあいつはピットには来ないし、こちらから無線を入れる必要ももうないですので構いませんよ」

「正直池上君の走り方には驚かされたよ。あの『ライジングサン』と『ボードドリフト』、どちらも僕らの時代じゃ中学校でアレらができる人間は殆どいなかった。でも、あれだけのレベルで全国で勝ち抜けなかったのは何か理由があるのかい?」

「…。いや、理由(・・)は(・)ない(・・)ですよ。今の中学レベルは、上位陣はみなアレ位できます。県大会クラスなら問題なく勝ち進めるでしょうがね。まぁ、太陽が最初に当たった相手が単純に優勝候補だった遠野幹也なのが強いて挙げるとしたら理由ですかね」

「それは十分理由になるんじゃないかな」

「いえ。遠野も三回戦負けなので中学レベル自体が部長の時代から向上してるんでしょう。勿論、『フラッシュボード』の進化もあるでしょうが」

 精密機械である『フラッシュボード』も、時代によって変化をしてきた歴史を持つ。一定の需要を満たしきったのが玲たちの世代である。元々高価だった『フラッシュボード』がこの十年間で大分安価になったのだ。大量生産が可能になったことと、競技としての需要、或いは移動手段の一つとして浸透し始めたからだ。陸地使用については規制が多いものの、離れ小島などに行くには便利な手段として用いられている。こういった面で普及が終われば機能を向上させる方に経営がシフトしていくのも当然の流れだろう。付加価値をあらゆるメーカーが付けていくからだ。当然、それに合わせて滑走技術も変化していった。また、技術を伝える監督などの知識が急速に高まったこともあるだろう。競技が誕生して約30年、プロの世代自体も何度か交代を繰り返しているため、滑走技術を今の世代に伝達できる基盤も出来上がった。こういった様々な要因で、今まさに『トリプルライン』と言う競技そのものが変革を迎えている途上段階なのだ。

(僕の世代からは考えられない程下の世代は強くなってるわけか…)

 そう思い、玲は過去の自分を振り返る。

元々は中学校時代から既に全国区だった玲は、高校一年の時もその疾風のようにすべてのセクションを駆け抜けていくため、各校からは随分警戒されていた。それ故の事だろう。強豪平塚学院の戦術が去年の様に勝つためだけに特化し始めたのは。個人戦ですら完全な抑え込みをされることになるとは思っていなかった。しかも、ほぼ全校結託しての出来事である。あからさまと言われるそれは、当然問題になった。しかし、前年の全国大会代表を警戒しての事だと結局はルール改訂すらなく今日に至るのだ。自身の身の置き所を喪った玲が、また同級の絶望感を知って後輩の明海と恵を除いては、全員が退部を余儀なくされた。幾ら頑張っても玲が部にいる限り、強くなったところで大会で勝ち進むことは出来ない。かといって彼の様に自分を厳しく追い込むこともできない。加えて彼に退部させるわけにもいかない。事情が事情だけにほかの部員も玲の強さを認めていたのだ。だからこそ、彼自身が他校からのマークを緩めるために『トリプルライン』を辞めてしまうことは避けたかった。しかし、そんなほかの部員の思惑を当人の玲と後輩である二人は知る由もなかった。玲は負けたことへのショックももちろんだが、彼らが辞めたことに責任を感じアドバイザーに転身をした。それで彼らが戻ってくるとは考えてはいない。だが、どうにもならない身の置き所を求めた結果の事だ。

(僕だって諦め切れた訳じゃない。だけど自分が大会に出れば確実に団体戦も個人戦も抑え込まれる。中途半端な強さなんて持つべきじゃなかったんだ…)

 そんな玲の気持ちとは関係なくレース状況は進んでいく。

「恵!池上君との距離はっ!」

「もう8秒もないです!このままだと降下のストレートから浮島での折り返しコーナーで確実に詰められます!」

「了解!一秒毎に差が縮んで来たら実況して!」

 実況を明海が恵に促したのは、情報を正確に把握することでドッグファイトに持ち込む算段からの事である。事実、かなりの速度で差を詰めよる太陽だ。そのまま抜かれてしまうなんて可能性もある。ラインブロックをしっかりしておく必要がある為、距離の確認は必須事項だった。

「うおおおおおぉぉぉぉ!」

 雄叫びを上げながら太陽は、三周目最終コーナーを先ほど浮島折り返しコーナーで見せた『ボードドリフト』を使って滑走していく。十分に鍛えこまれた左足も、徐々に痺れが発生し感覚が薄れてくる。また、自分への負荷が大きすぎるため血液が足りない。

(最初のストレートと連続バンクで少し緩めないと体がキツい!勝負場所までには追いつけるはず!)

 意識まで薄れてきた自分の不甲斐なさに嫌気を覚えつつも、太陽は必死に勝つ道を手繰る。これが公式戦であれば、所謂一周に一度使えば十分だろう必殺技と言ってもいいスキルを、たった一周で三度も披露しているのだ。相当に負荷がかかるのも当然の事である。

「それで部長はどうするんですか?」

「僕はアドバイザーさ。部員を活かすのが仕事だよ」

「…。わかりました」

「それよりも気になるのは、望月君は池上君の何処に惚れ込んだんだい?才能と言うなら他にも有力な選手がいたんじゃないかな?」

「そうですね。自分は中学途中までフランスにいましたが、そこで一緒のチームだったアベル=デオン、恐らくジュニアでは世界トップ3位の選手ですがそいつに較べれば太陽の才能そのものは霞むでしょう。だが、あいつは経験が少ないからこそ、自分が会った誰よりも『トリプルライン』と『フラッシュボード』の可能性を信じて楽しんでいたんですよ。あれらの技も、練習したのも確かですが、半分は思い付きで実践したんですよ。公式戦の試合の最中にですから見てるこっちも驚きましたがね。それで引退してからは基礎筋力の向上と受験勉強に必死だったみたいです。中学時代よりは確実に負荷に耐えてますから。話が逸れましたね。あいつが一番楽しそうにしていたことと、良い意味で勝ち方に拘りを持っていることですかね」

「アスリートであれば歓迎しない言葉だね」

「勿論、太陽も競技中に相手の怪我を見つけて手を抜くとかそんな事はしないですよ。ただ、挑まれた土俵やつまらない小細工を相手がすることを尊重した上で、それを跳ね除けるプレーを考えて実行するんです。決して勝負を軽んじてるわけではない。でも堂々と不利な条件でもそれを上回る技術と体力で戦うその姿が、…。スター性と言うんですかね?魅力的なんですよ」

「成程。スター性と言うなら確かにわからないでもないよ。池上君のプレーは確かに名前の通り太陽の様な眩しさがある」

「詩人ですね部長。まぁ人の事は自分も言えませんが」

「…、この話題はよそう。兎に角あとは彼らの勝負を見守ろうか」

「えぇ、賛成です」


 蓄電残量の影響で三周目と考えると確実にパフォーマンスを落とした明海は、とにかく必死で追いつかれない様に飛ぶことで精一杯だった。

(『センサーマッピング』もそうだけど彼の実力を見誤った。中学全国大会出場選手とは言え一回戦負けだった選手とは思えない程速い!チラッとしか見てなかったけど明らかにボード捌きが違う。でもあんなプレーじゃ公式戦じゃスタミナが続かない。どう考えても無茶をしすぎよ!)

「負けられるかあああああ!」

 今一度気合を入れるため明海は叫んだ。垂直上昇セクションを抜け切り、浮島への降下ストレートのために重心を左足に込めて高度を落としながら加速する。

「明海ちゃん!向こうも垂直上昇セクションに入りました。現在6秒差、追いつかれるのはコーナーを抜けきった直後位になります。5秒」

「ありがとう!」

 明海と恵が必死に通信を取っているのとは対照的に、出水は太陽とはピット以降何の通信も行っていない。出水もアドバイザーとしてはそれなりに優秀ではあるが、後続から相手をとらえる太陽の集中力を信用しての事だった。自分よりも太陽の方が状況判断が適格であり、現場優先の姿勢からである。故に、太陽とタッグを組んだときは、あまり出水の方から彼に口を出すことはしなかった。

「おおおおおぉぉぉぉ!」

 咆哮により痛みと意識の薄れを誤魔化す。殆ど自分の限界に挑戦するかのように『ライジングサン』で上空へと駆け上がる。『フロートファイバー』繊維のスーツでGを緩和しているとは言え、相当以上のダメージを太陽は負っている。死に至るところまではいかないだろうが、バランスを崩してボード毎落下するなんて未来も十分に考えられる。

(ここまでは想定通りなんだ!あとは勝つだけだろ!)

 どうにか意識を切らすことなく上昇を終えた太陽は、少し斜めに降下すると続いてほぼ真下に滑降し始めた。

「何をしてるんだ!」

 画面越しに見ていた玲が思わず叫んだ。

「恐らく『ミスリル』と『フロートファイバー』の特性を考えてのコース取りですね。浮島への降下ストレートを見た限り、高度の指定は浮島に差し掛かるまでに海面から1m以内の高さにいる事と言う風に設定されていましたね」

「あぁ。だがセオリーで言えば…。そうか、バッテリー残量と加速方法を加味しての…」

 太陽が勝負を掛けるのは浮島の折り返しコーナーに設定をしていた。だが、そこに侵入するまでにバッテリーをある程度残しておく必要があったのだ。ここのストレートでスピードを維持しつつ、滑降していくにはどうすればいいかの結論が垂直降下からのほぼ直角に滑降する事だった。『ミスリル』はある程度の加速で、『フロートファイバー』は材質として浮き上がるようにできた素材である。これを利用し、『フラッシュボード』を荷重移動のみで推進力に変えてしまおうというのが、太陽のとった作戦だった。

「だがあれだけのプラスGを浴びた後でマイナスGを受けるなんて無茶だろう!『フロートファイバー』でもマイナスGは防げない!」

「直角降下だから多分部長が仰るほどの影響はないでしょう。『ライジングサン』からのアレは初めて(・・・・)じゃ(・・)ない(・・)ですし。だから見守りましょう」

「……」

 出水には太陽がどう仕掛けるのか概ね理解できていた。セッティングの変更を掛けたのはこの時のためだろう。勿論、他のセクションのスピードアップを図っていた面もあるが、『ボードドリフト』を先に行ったのは、全国大会では完成できなかったあの(・・)技(・)を狙っての事だと推測した。

(アレが決まれば確実に勝てるだろう。だが、実戦自体久し振りだろう太陽に決められるかどうか…)

 太陽が『フラッシュボード』に角度をつけ始めると、真下に向いていた推進力が徐々に前方に向き出した。同時に噴射をフルバーストする。するとほぼ直角に曲がるかのように、浮島に向かって突っ込んでいく。三周目とほぼ変わらない速度での侵入になるが、同じ場面で原則をしていた前の周とは違い、今回は更なる加速をしていく。

「いっけええええええぇぇ!」

 太陽は『フラッシュボード』側面を海面と垂直に、前面を左斜め45度にして海水にボードを突っ込みながら浮島折り返しコーナーを走行し始めた。先の『ボードドリフト』を海面で行っていると言えばよいだろうか。コーナーの通過速度自体は『ボードドリフト』の方が若干速い。だが、今回太陽が見せた『ウォータードリフト』は、侵入速度と脱出速度で『ボードドリフト』を上回る。このテクニックはそれこそドッグファイトに適しており、海面を必ず滑走するウォーターセクションの選手が好んで使う技である。

(『ウォータードリフト』って嘘でしょ!)

 スカイセクションでは必ずしも海面を飛び続けるわけではない。それに中学の公式大会ではウォーターセクションは行わない。それ故、明海はチラリと見えた太陽の技に驚くばかりである。

(けど水しぶきでどっちから抜きに来るかは接近すればわかるわ!)

 次第にその距離が近づいてくる。ザッパーっと海水を跳ね除けて走る音が聞こえてくる。

(右!)

 音が右後ろから聞こえてきたが、余談なくブロックに行ける姿勢を作る。一瞬右後ろに首を向けると、そこには微かに笑った太陽の顔があった。

(勝った!)

 明海が確信したのも無理はない。太陽の姿勢はまだ建て直されてはおらず、身体の半分ほどが見えていたのだ。右側に注意を払ってブロックをすれば問題ない。そう考えた時の事だった。左(・)から来る太陽に気が付いたのは。

「もらった!」

(どういう事っ!あの時点では確かに右側に身体が向いていたのに!兎に角ブロックしないと!)

 しかし明海がブロックに向かう直前に、完全に太陽が前に躍り出た。そのまま直線を抜け、最後の連続カーブを抜けていく。明海もぶつかって減速させようと試みるが、差が徐々に開いていくのを歯噛みするしかなかった。

「ラストおおおお!」

 叫びながら最後のコーナーを曲がり切ると同時に、バキンッ!と乾いた音と共に太陽のバランスが突如崩れた。その隙を付き、アウトサイドから明海が抜きに掛かった。

「絶対勝つわ!」

「あああああああ!」

 太陽は今起きているアクシデントを強引に無視し、左足の加速のみでゴールを目指す。対して、明海は残ったバッテリー残量を空にするように全力で加速した。

 結果、両者ほぼ同時にゴールする事になった。

「ハァハァハァ、ッ!」

「ゼェーゼェーッ。どうなった?」

「判定は…。ほぼ同時だね。カメラ判定でもすれば良かったんだろうけど、あいにく空中カメラ位しか用意してなかったからね。肉眼では引き分けだよ。それより池上君、『フラッシュボード』が真っ二つになってるけど、大丈夫かい?」

 そう。太陽がバランスを崩したのは、負荷に耐えきれなくなった『フラッシュボード』が真っ二つに折れたためだった。彼の使用する技は片側に重心を置くものが多い。それに加えて、通常のボードと違い、MKTシリーズは耐久面が他のボードに劣っていた。公称値ではそんな事はなかったのだが、実際のそれとは異なった。プロ向けの人気モデルではあったが、使いこなせるものが少なかったため、耐久値が低いことを知っているのは一部のプロだけだったりする。ただ、そのプロたちはシーズ社がスポンサーとなっていたため、情報公開には至らなかった。何にしても、太陽の『フラッシュボード』が壊れたことで、着順が同時になったことは明海にも理解できた。

 肩で息をしていた太陽と明海だったが、少し落ち着いてきたので明海も太陽に先のそれを尋ねた。

「池上君、それって最終コーナーのときの…」

「あ、はい。思いっきり折れましたね。言い訳するつもりはないですが勝ちたかったです」

「…。池上君。勝てば入部、負ければ入部はなしの条件だったね。引き分けに関しては特に決めはない。だから今一度君の意思を聞かせてほしい」

「自分はこの『ITLC』に入部したいです。この部でなら自分は強くなれると思ってます。だから一緒に戦わせてください」

「いいわ。でも一つ聞かせて。折り返しコーナー抜けたときのあの動き、いったい何をしたの?」

 玲が返事をしようとしたが、それよりも先に明海が太陽の熱意に応えた。ただ、あの時右にいた太陽が一瞬で左側からオーバーテイクをしてきたのが、どうにも腑に落ちないためそれを語る事を条件にした。

「あの時の動きですね。汐崎先輩がラインをブロックしに来ることはわかってたので、重心だけ右足に移しといたんです。『ウォータードリフト』から抜けるところだったので、身体だけ背を向ける格好にして先輩の真後ろに行きます。で、先輩がこちらの様子を確認したところで右足に全体重を乗せて左足を浮かして時計回りに90度ターンをすれば完了。一瞬の移動は体重移動だったってわけです」

 あっさりと太陽はそれを語るが、どの技も一瞬の油断が即転倒などのトラブルを引き起こすギャンブルの様な連続だ。無論、テクニカルと言えばそうなのだが、あまりに身を削りながら滑走をする彼に、明海は戦慄した。

「そういうことね。でもあんまり無理はしない事。もう池上君はうちの部員なんだから!」

「わかりました!気を付けます」

 いざとなれば太陽は同じことを繰り返すだろう。自分でも、勿論明海もそれは理解している。だが、注意をせずにはいられなかった。そして、それは明海から見た印象であって、他の人間の印象は違った。特に玲は、太陽に筋力とそれに見合う『フラッシュボード』が加われば、今の技の数々を使いこなしていくことができ、更なる希望に溢れたプレーが可能になると考えている。当然、その道のりは険しいが、望月出水と言うブレーンも加入したことで選手(・・)の(・)人数(・・)を除けば全てが良い方向に進んでいた。だが、その選手が足りなければ、そもそも大会に出場する事ができない。

「あとは選手がもう一人いれば…」

「それについては自分に心当たりがあります。ほら、向こうの…」

 玲のボヤキに出水が顔を陸側に向けて答えた。すると自分たちの通う石見臨海の制服を着た一人の女子高生が瞳に写った。

「彼女は?」

「未経験者ですがやらせたら面白いタイプですよ。ちょっと呼んできましょうか」

 そう言って出水は堤防に腰を掛けた少女に向かって足を進めた。


(あれ?私ゲームしてたはずなのになんであんなに必死に見てたんだろう)

 昨日と同じように、堤防に腰を掛けてゲームをしていた石見臨海高校1年、杉浦萌は望月出水のクラスメイトでもある。ただ、入学して二日目の他人とのコミュニケーションよりゲームが好きな彼女が、関心のない異性の顔と名前まで憶えているかと言われればそんな事はない。何より、萌が海岸で『トリプルライン』を始めた彼らに気が付いたのは、スタートした時に聞こえた轟音を知得した時だ。それから彼等の試合から目が離せなくなった。

(ゲームと違って迫力あったなぁ。特に赤い方の人がインパクトが強かった。何だろう?それこそゲームみたいな感じだった。確か昨日見たのもあの人だったな)

 スタミナ配分とか、必殺技のオンパレードとか、そんな太陽のプレーが萌の双眼に強く焼き付いていた。

(カッコよかったなぁ。私もゲームでならあんなプレーができるけど、現実じゃあちょっと無理…って何考えてるんだろう?私がリアルでやるわけでもないのに)

 萌自身、自分が『フラッシュボード』で滑走している姿など想像できているわけではない。ただ、赤いスーツの選手のボードを操る姿に見惚れてしまったのだ。

「杉浦、ちょっといいか?」

「え?ひゃっ、ひゃい?」

 いつの間にか海岸から移動してきた同じ制服の男性、望月出水に話し掛けられて、萌は驚く。完全に気が付いていなかったためだ。

「同じクラスの望月だが、わかるか?」

「えっと…、ごめんなさい。覚えてないです」

「なら『リクザメ』と言えばわかるかな?『イバラカンザシ』」

(なんでその名前を…)

 『イバラカンザシ』、それは彼女がプレイしている『トリプルライン』のゲーム内で使用しているハンドルネームだった。英名は『クリスタルツリーワーム』とも言われるその生物の見た目が、その名のごとくファイバー製のクリスマスツリーのようで可愛かったのと、暖海域に主に生息するため、『トリプルライン』のイメージにも合っていると思い、萌はこのハンドルネームにした。

「『リクザメ』ってあのゲームでの私とほぼ同順位のランカー。えっ?もしかして貴方が…」

「あぁ。俺が『リクザメ』だ。偶然、放課中にお前がゲームしてたのを見てな、その時にお前が『イバラカンザシ』だって気付いたんだよ」

 彼女は、全く周りを気にせずゲームをしていた事を今更になって恥じた。だが、もうこうなっては遅いと半ば諦めた。

「それで『リクガメ』の望月君は何の用事なの?」

「お前、『トリプルライン』やってみろよ」

「ほえ?」

 間抜けな声を上げて、恥ずかしくなる。だが、目の前の青年が何を言っているのか萌には全く理解ができない。

「杉浦、『イバラカンザシ』がやってるプレーを実現できたらすごいと思わないか?」

「いやいやいや!あれはゲームの中だからじゃないっすか!」

「そうだな。だが、さっきの太陽、赤いスーツのやつを見て思う所、なかったか?」

(確かにあるよ。でも、この『リクガメ』は私にソレを再現しろって言ってるんだよね…)

「お前のオンライン対戦は何度も見てたし、俺もお前とは数回戦ったことがあるよな。才能とまでは言わないが、お前の空間把握能力は間違いなく武器になる。太陽の様な必殺技みたいなテクニックを披露しろって言ってるわけじゃない。だから、一緒にやろうぜ」

「…。いや、それなら望月君の方が向いてるんじゃないかな?」

「それはない。俺は最新のパーツとかセッティングを知りたくてあのゲームやってるだけだし。何処まで行ってもメンテナンスの側なんだよ」

「でも、私『フラッシュボード』なんて持ってない。買おうにもそれなりの高額になるから親の許可だって…」

「よし。じゃあ親の許可が下りればやるってことでいいな。あと『フラッシュボード』なら貸してやる。スーツとか他の道具は買う必要があるな。取り敢えず向こうで挨拶だけするぞ」

 強引すぎる出水に、萌は全く付いていけてない。そもそもやるとは返事をした記憶もない。しかも文化系でひっそりと生きてきた自分が、体育会系の部活に入るだなんて想像もできない。

「ちょっ!ちょっと待って!私、入りたいだなんて」

「やってみたくないわけじゃないんだろ?なら一度入ってどうしても肌に合わなかったら辞めればいい」

 退部するときは引き留めるつもりはない。あっさりとした引き方に、萌は反論の余地をなくしてしまった。実際には簡単に否定はできるのだが、彼女は対人関係においてはどちらかと言えば大人しく、流されることが多かった。そのため、こういった場面ではあっさりと折れてしまう癖があった。また、『トリプルライン』をやってみたい気持ちがゼロではないことも拍車をかけたのだろう。結局、気持ちの整理がつかないまま『ITLC』のメンバーと顔を合わせることになった。


「えっと。出水のやつ、何してんすかね?」

「あぁ、何でもあの娘が部員候補だとか」

 堤防側に向かって歩いていく出水に、小声で玲とやり取りをしていたため、事情を知らない太陽は、玲に向かって尋ねてみた。その会話を聞いていた明海と恵も「えっ?」と言う顔で玲たちの方を見やった。

「部長。望月君が彼女をナンパする口実なんじゃ…」

「いや、それはないと思いますよ汐崎先輩。中学時代に何人か告白してた女子がいましたが、全員断ってたみたいですし」

「それって…」

「そっちのケはないですね。好きな女はいたみたいですし。詳しくは聞けませんでしたけど」

 中学校時代と言えば二次成長期の真っ只中であり、そういった話にも関心が出てくる年頃だ。多分に部内でも恋愛話や下ネタで盛り上がったこともある。その時の流れで、決して出水が女嫌いだとかそういったタイプでないことは知っていた。太陽の方は、異性に興味がないわけではないが、初恋と言うものは経験がなく、完全に『トリプルライン』が恋人だとかつての仲間に評されていた。

「では純粋に彼女を推薦しているんでしょうか。未経験である事よりも、まるで彼女の事を知っているような雰囲気だったのが気になります」

 恵の疑問は尤もである。まだ入学式から二日しか経っていない。一体どういうつながりがあるのだろうか。その疑念を払うかのように、出水は話題の渦中にいる女生徒を連れて戻ってきた。

「連れてきました。部員候補」

「えっと。杉浦萌です…。私、その…。あっ、まだ入部するとは決めた訳じゃなくてあの…」

「落ち着いて、杉浦さんで良いかな?」

「はい。私文化系で体育会系どころか部活なんてしたことないから…」

「大丈夫。初心者でもちゃんと面倒見るからね。それともし良ければ体験入部って格好でも問題ないよ」

「一応親の許可さえ貰えれば入部してみようとは思います」

「了解。そういえば望月君とはどんな関係なんだい?」

「それについては自分から応えましょう。彼女とはクラスメイトです。あと、携帯型オンライン対戦でお互いに上位ランカーなんですよ」

(えー!それ言っちゃうの?)

 自分がゲーマーであることをさらりとバラされた萌は、場違いな自分が恥ずかしくなる。出水もゲームをやりこんでる事を公表しているのだが、それはそれ。この場では完全に疎外感を感じてしまう。

「萌ちゃんで良いかな?私は二年の汐崎明海。この姿の通り私はプレーヤーよ。女の子が入ってくれるなら私としては嬉しいかな♪」

「よっ、よろしくお願いします」

「私も二年で木場恵と言います。これからよろしくお願いしますね」

 恵も文治派の人間なので萌の気持ちは察してはいる。しかし、部員が足りないことの方が今は問題だと考えているため、彼女には申し訳ないが入部前提の挨拶をした。

「こっ、こちらこそよろしくお願いします」

「俺は一年の池上太陽。よろしくなっ!」

「俺は改めて挨拶の必要はないだろうから、一応の問題点と言うか自分が杉浦を勧誘した理由を説明しときます。彼女の視点が極めて俯瞰的と言えばいいんですかね。空間把握能力が高いんです。ゲーム一つで何をって話だと思いますが、家庭用ハードになるとヴァーチャルシステムを採用してるので、かなりこのゲーム立体的なんですよ。それを携帯型ゲーム機で連動しているだけですね。だから、滑れるようになれば面白いと感じたんです」

 ゲームをやっていない他のメンバーからすれば、納得いくほどの説明ではなかったが、「まぁ、部員が増えるならいいか」と言う感覚だった。太陽の時とは違って未経験者でプロを目指しているというわけではないため、無理をさせる必要もない。だから、あっさりとこの場では全員萌を受け入れることができた。また、太陽だけは出水の性格は良く理解しているため、彼が評価しているなら恐らく大会までにらんでの事だろうと推測していた。

(あの人池上君っていうのかぁ。何か照れちゃう)

 たった二回ではあるが、遠巻きにに見て憧れてしまったスケーターが目の前にいる。萌は、緊張で胸が締め付けられるように痛みが生じた。心なしか頬も紅潮している。まるで芸能人に逢ったかのような萌の様子に、面々もどう声を掛けていいのか迷う。たった一人を除いては。

「良し。じゃあさっそく俺は杉浦連れて親御さんと交渉に行こうと思いますが、太陽。ボードどうするんだ?」

 太陽の持つ半分に分裂した『フラッシュボード』を見ながら、出水が尋ねた。だが、太陽より部長である玲が先に返事をした。

「どの道、これでは練習にならないから今日は解散して、どうだろう?明日全員で買い出しに行くというのは?」

「さーんせーいでーす。池上君と望月君ってこっちの人間じゃないし、萌ちゃんは初心者でしょ?お店の場所とかわからなさそうだし皆で買いに行きましょう!」

「部長がそう仰るのなら構いません」

「助かります。正直いつか折れるだろうなと思ってましたけど、こんなに早くイくとは思ってませんでしたから」

 MKTシリーズの耐久性の怪しさは、使用している太陽も重々承知していたが、まさか高校に上がって一回目の全力疾走で破損するとは考えていなかった。勿論、MKTシリーズには愛着があるが、基礎筋力が中学一年のころから比べても格段に向上した太陽には、正直物足りないのも確かだった。ある程度の頑強さと疾さを兼ね揃えた機体である必要があった。

 そしてやはり萌も同行する流れになっており、更に断りづらい状況になっていることに当人も気が付いた。尤も、もう彼女も半分以上入部したい気持ちは芽生えている。ただ、憧れた人間のために尽くしたいというアイドルに貢ぐファンのような感情ではあるが。

「えっと、まだ入部できるか決まってま、いえ。わかりました」

 誰も発言はしてないが、全員が視線で「えっ?」と訴えてきたように感じたため、萌は途中で言うべき内容を噤んでしまった。

(拝啓、お母さま 私はこの体育会系のノリに付いていくことができないかもしれません。助けてください。 文化系の娘より)

 いくら現実逃避を繰り返してもどうにもならない。しかもこの後、実の母からは「家にコモばかりの娘です。鍛え直してやってください」と出水に頼み込まれて、完全に逃げ場を失って入部することになるとは、この時の彼女は知る由もなかった。


 翌日の授業後に部室で集まって買い出しに行くことを決め、備品を片付けて今日は解散という流れになった。ただ、太陽についてはかなり無茶をしたのを玲は理解していたため、念のため病院でメディカルチェックをさせるために診療所に連れていくことにした。実際、歩き出すと太陽は足取りが痛みにより不安定であったためだ。特に利き足である左足に負荷が掛かっていたので、庇う様にして歩いていた。

「お疲れ様だったね池上君。入部ありがとう」

 二人きりになってから、改めて玲は太陽に労いの言葉を述べた。実力者が入部すること自体はうれしい事なのだ。入部試験をやったことは明海の提案であり、自分のわがままでもあった。

「いえ。中学レベルじゃキツイってことを実感しましたよ。塩崎先輩、最高速重視でもないのにギリギリまでリードされてましたし、筋力頼りの走りじゃ通用しないですね。今回の距離も公式戦の半分くらいでしたから」

「そうだね。最後の重心移動、『プルターン』は体幹が良くないと公式では通用しないし、Gの影響も多い。もう少し荷重異動でスピード調整ができるようになるといいと思うよ」

「わかりました。暫く利き足用の筋トレしないといけないな」

「週に一度レギュラータイプの『フラッシュボード』に乗ってみるかい?足の感覚が逆になるからあまり何度も乗るのは良くないけど、体幹を鍛える程度の滑走なら問題ないと思うし」

「そう言えば、そういう特訓法は考えた事ないですね。でもボディバランスが良くなりそうな気はします。ただ、ボードはどうしましょう?」

「僕の使ってたやつで良ければ貸すよ。倉庫にしまってあるから自由に使ってもらって大丈夫。っと、着いたね。どうする?最後まで一緒にいた方がいいかい?」

「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました。あとボードは遠慮なくお借りします」

「うん。じゃあまた明日」

「はい。それでは」


 診断結果は血糖値の低下、筋肉痛とよくある疲労が通常のソレよりも大きかっただけであったため、特に大事に至るようなことはなかった。ただ、二日ほど様子を見た方がいいとの意思の助言により、明日明後日のトレーニングは不可となった事だけが残念だった。

(折角入部できたのにな。明日は買い出しだからいいけどさ。それに売ってるボードで良いのかもわからない。今日中に良く調べておこう)

 もしかしたら取り寄せになるかもしれない事を覚悟しておかねばならない。そう思い、太陽は家路を急いだ。

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