la poupée

嘉藤 千代

la poupée


たった百四十文字の言葉で、私はこの想いを表現することが出来るだろうか。それはきっと出来ないだろう。彼女への想いはそんな数だけで表現出来る程、薄っぺらくはないのだ。あの日あの刻あの場所で出会わなければ、こんな感情を知る事もなかっただろうに。病める想いを私は今も、胸に抱え続けている。


                  *


彼女との出会いは運命であったと言わざるを得ない。たまたま大通りですれ違った少女。

シースルーの効いたレースのブラウスにシックな黒のワンピースを合わせていた彼女は、愛らしい顔に似合わず大人びた雰囲気を醸し出しており、今にも泣き出しそうに俯いている。

潤む瞳に、私の足は止まっていた。


                  *


道徳的に考えて、今にも泣き出しそうな少女を放っておくことが出来るだろうか。私は出来ない。

即座に彼女へ駆け寄り、ハンカチをその目元に優しくあてたことは間違いではないと私は思っている。

突然現れた私に彼女は驚いたように顔を上げる。

初めて互いの視線が交差し…憂いた瞳と、目が合った。


                  *


その後のことはよく覚えていない。

ただ、私は彼女のことを護りたい一心で我が家へ招き入れた。

狼狽する彼女に優しく語り掛け、危害は加えないと必死に説得する。けれど、もう二度と彼女を外界に出すことはないだろう。

非道徳的?別に構わない。

それだけ私は、彼女を護りたかったのだから。


                  *


…護りたかった。護りたかったのだ。

けれど、今考えれば彼女を手元に置いておきたかったのだと思う。

いつの間にか私は、恋を、愛を、芽吹かせ蕾を膨らませていた。愛らしい少女。艶かしい少女。

憂いを湛え続けるその表情を晴らすには、どうしたらいい?

私は、彼女の全てが、欲しくて堪らない。


                  *


目と目が交差したあの刻から、私達の恋の歯車は回り出したと言っても過言ではない。

拉致監禁?違う。騎士が姫を護って何が悪いというのだろう?

彼女がドレスを纏えば、もうそれは立派な私だけのお姫様だ。美しい、愛おしい。

憂うその顔に微笑みを咲かせたい。

私は、彼女の為なら何でも出来る。


                  *


私は彼女の為に、特注のドレスに天蓋付きベッド、そして私の護るべき忠誠の証として玉座を贈り、彼女を飾り立てた。

毎日肌触りの良いドレスを着せ、彼女の憂いが晴れるようにと手を施す。

けれど、我が家へ訪れてからも彼女の憂いが晴れることはなかった。

憂いを晴らしたい。微笑みを、見たい。


                  *


もう既に彼女に対して私は、生命に代えても惜しくない程の深く熱い想いを抱いている。

しかし、私はそれを誰かに対し口にすることは決してなかった。

この感情を生きとし生ける者は全て、知ることを許されない。

この部屋から出してもいけない…つまりは下界に晒していいものではないのだ。


                  *


今日も今日とて彼女は玉座に憂いの表情を宿したまま鎮座している。柔らかな綿の上に上質なビロード生地が張られた玉座。背もたれの枠から肘掛けにかけて豪奢な金の装飾が施され、それは玉座の猫脚へと伸びている。彼女の表情は晴れることがない。長い睫毛が震えるだけ。

未だ微笑みは失われたまま。


                  *


微笑みを得たいと願うことは、罪なのか。

熟れた果実の様に色づく唇が弧を描くことを、桜色の頬が紅色へと色を変えることを、憂いた瞳が見開かれ細められる日を夢見ることは、罪なのか。

流れる金糸が如く細やかな和毛に指を通し、緩く渦を巻くそれを絡め取ることは…果たして『罪』なのだろうか?


                  *


罪。罪があるというのなら、それは罰せられなければならないものだ。罪人は断頭台へと己の首を捧げねばならない。ただ、恋情を抱いたという他愛ないこと。だが、彼女の前では俗習であるこの感情は大罪なのだ。愛は罪。罪は罰。裁判官はいるのか、居ないのか。誰か、私を裁いてはくれないか。この罪を。


                  *


愛故に、裁きを。裁く者が居ないのならば、己が裁判官だ。愛故に。私は、愛しているのだ、彼女を。

裁くならば、捌くべきではないだろうか。愛を誓おう、彼女に。

そうすればきっと彼女は瞳を見開き、目尻を下げながらその瞳をゆっくりと細めて穏やかに私へ微笑みを向けてくれるのではないだろうか。


                  *


愛しい彼女。麗しい私だけのお姫様。私は君の騎士になれただろうか?

愛したが為に罪を追い、罰を受ける。けれどそれは全て彼女に繋がっている。

愛しい。大切な、可愛らしい、私の、愛する彼女。愛している。罪は罰、罰は愛、彼女から授かることなら罰すら歓喜に打ち震えてしまう。愛が、恋が、愛が


                  *


愛している。愛しているのだ。愛故に、それは愛故に、愛故に愛故に愛故に。愛している罰を、愛が罪を、それは全て彼女の為に。愛故に、笑ってそれは笑って、愛が彼女に愛している。愛している愛して愛し、愛し愛してる愛し愛し苦し愛し苦しい愛は、それは、彼女は、何時だって、微笑みが、愛し愛愛愛



……以上が、SNSに連日投稿されていた自裁者の遺言である。

亡くなる直前までうわ言を延々と囁くように投稿され続けた百四十文字の甘言の数々は、狂気と愛欲にどこまでも満ち溢れていた。

実際に警察の捜査はSNSの内容と死亡状況から、自殺とほぼ断定しており捜査は今週中にも終了することだろう。

この自裁者は、三十歳を迎えたばかりの男であった。

死因は出血多量。

どこの一般家庭にも存在する出刃包丁で、腹部から胸部に掛けて滅多刺しを繰り返していた。

最初は他殺の線も視野に入れていたが、部屋には家主であるその男の指紋しかなく荒らされた形跡も争った形跡も全くない。

その男は静かに身体を丸めて横たわり、幸せそうに瞼を閉じて死んでいた。

のちに司法解剖の結果、柄の向きや刃の刺さる方向から両の手で柄を持ち腹部へと複数回振り下ろしていることが判明。

死体は語るとよくドラマで言うが、まさにその通りで複数回の刺し傷を全て自殺に隠蔽工作することは不可能に近く、他殺の線は薄くなったのだ。

だが、自殺ならば何故?

生前の彼は至って真面目で明るく、社内で揉めるような人間ではなかったらしい。

これは同僚・後輩・上司等の職場内で交友関係を持ち合わせた者達への聴き取りでも明らかであり、彼個人の友人達も昇進間近と自慢気であったと言い、パワーハラスメントがあった等は全く聞いたことがないと全員が口にした。

では、何故か。

それが冒頭のSNSに繋がることになる。

彼は彼女を愛していた。

では、『彼女』とは誰なのか。

それは彼が死亡していた一室で、静かに鎮座していた。

装飾の施されたビロード生地の玉座に、ひっそりと物言わず鎮座した少女。

憂いたように瞼を俯かせ、悲愴とも冷笑ともつかぬ曖昧な表情を浮かべている。

少女が唇を開くことは一生、在りはしないだろう。

何故ならば、彼女は『人形』であったのだから。

この人形と自殺現場で対面することは、実はもう片手では数え切れなくなる程になっている。

立ち上がれば六十センチと小さな少女。

この少女は、もう倒産して久しい海外のドールメーカーが最後に販売した限定キャストドールであった。

倒産前、この人形は一体限定でインターネットの競売に掛けられた。

通常、この手のドールは顔の装飾のみが施されており、頭部はウィッグであったり瞳は取り外しが可能であったりと自分の好みに変更…つまりはカスタマイズが可能なものなのだが、この限定ドールは身に纏うドレス以外は全て固定という特殊なものであった。

果実のように熟れた唇、淡く桜色に色づく頰、そしてきめ細かい亜麻色の長い髪は緩やかに内側へと巻き上がり、艶やかな頬に影を落とす。

瞳は海を彷彿とさせる程に碧く深い色を宿しているが、それは憂いたように揺れて瞼を伏せようとしている。

純朴さ、艶やかさ、儚さ…少女が女になる前に魅せる一瞬を切り取った人形であった。

彼女は、何人をも魅了する。

魅了し…そして後戻りの効かぬ冥界へとその人間を誘っていくのだ。

愛してしまったら最期、彼女は冥府の扉を解き放つ。

今回の彼女はレースがふんだんにあしらわれた純白のドレスを身に纏い、行儀良く揃えられた膝の上に不釣り合いな血塗れの包丁を抱え、柄に小さな手を添えていた。

男に致命傷を与えた出刃包丁である。

わざわざこの男は、命を捧げたことを示すように彼女の下へこれを献上したのだ。

何度死亡現場で憂いに微睡んでいても、彼女の肌は汚れることなく透き通る程に白いまま。

キャストドールは劣化し黄色すると聞くが、彼女は死者を前にする度に美しさを増しているように思える。

彼女を愛した者は皆、微笑みを向けられたいと願い自害していく。

昔一人だけ、彼女を愛して首吊りに失敗した男がいた。

自殺未遂で聴き取りを行なった際、その男はこう供述していた。

「ただ、彼女の微笑みを見たかったんです。死ねば微笑んでくれる、そう確信して止まなかった。ロープを天井に吊るして、作った輪っかに首を通した時…彼女が、憂いていた彼女がゆっくりと瞼を開いて、こう、ふっ…と微笑んだんですよ。もっと、もっとその笑顔が見たくて、僕は、僕は椅子を蹴ったんです」

彼は精神的疾患の可能性があるとし、精神病棟へ入院を余儀なくされた。

その間に気味の悪い人形として親族が手放したそうで、彼はそれ以後は憑き物が落ちたようにみるみる公正の道を辿ったと聞いている。

この人形が関わる事件は途絶えないというのに公にされないのは、これが全て自殺であるということだ。

呪いや何かではゴシップ誌程度でしか騒がれはしないし、粗方が精神疾患と判定されてしまう為に親族の誰もが口を閉ざす。

こんな人形は始末してしまうのが世の為だというのに、倒産した海外メーカーが最後に世に放った限定品…相当なプレミアが付いている為に破棄される前に別の人間の手元へと彼女は渡り歩いていく。

余談だが、この海外メーカーの倒産理由としては…人形の命とも言える顔への装飾を担当する職人が自殺したことが発端らしい。

このメーカーは一人の人物が全ての人形に表情を装飾し、物である彼らに『命』を吹き込んでいた。

その人物の自殺により別の者が装飾を担当するようになったのだが、メーカーの顧客達はそのまま離れて行ってしまったのである。

担当者が変わったことによる商品の劣化…売上は激減、倒産を余儀なくされたのだ。

そうなればこの人形は?

初代担当者死後にこの人形は突如、限定販売に掛けられた。

さて、この人形の出処は何処なのか。

もう倒産して久しい海外のメーカーだ。

尚且つ人形に興味がない人間からしてみれば、それはどうでも良いこと。

近々、遺留品扱いだったこの人形は遺族の下へ引き渡されることであろう。

お祓いに出そうが、破棄しようと画策しようが、また新たな犠牲者がこの人形に導かれ手を伸ばすことだろう。

因みに死亡した男のSNSに関してだが、現在は遺族の意向で非公開となっている。

警察の捜査が終了し次第、退会するとのことだ。



                                  【終】

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