魔法の上手な信じかた

「……さて」

 視線をユイさんの方へ戻す。

「話は聞いたよね。どうしたらいいと思う?」

 朽木と中ノ島に訊く。

「あの犯人、人間である以上、刃物くらいは持ってるかも。正面から行ったら、ユイさんが危ないと思う」

「新城先輩は催眠術みたいなものにかかってるんだな?」

 朽木がそう尋ねてきた。

「そうみたいだ」

「犯人も、その『遊動体』とやらに操られている状態」

「ああ」

「つまり、どちらにしても原因は魔法」

「ってことになるな」

「魔法は、心の問題だ。気持ちのありようで揺らぐものなんだろう」

「ああ、……そうだけど」

 だからどうすればいいと思うんだよ? と訊き返す前に、中ノ島が声をあげた。

「なるほどー」

「あぁ? 中ノ島、今の説明でわかったのか?」

「わかんないの?」

 ばっかじゃないの? という顔だ。

「近寄らなくても、相手の気持ちを揺らがせば、チャンスはあるってことでしょ?」

 くそ、ドヤ顔で言いやがる。

 朽木の方も、その言葉に深く頷いている。

 なんだよ二人して、以心伝心しやがって。

「つまり、こういう事なんじゃないかな」

 そう言って。

 中ノ島は俺の前に一歩進み、大きく息を吸い。

 部活で鍛えた肺活量をフル活用した、腹式呼吸のばっちり決まった、大声をあげた。


「せんぱーい! 王子様が助けに来てますよーっ!!」


「うおおおい! 中ノ島!?」

 声量にもだけど、その内容に。

 俺はそりゃもうびっくりして、リアルで顎が外れそうになった。

 何てこと言い出すんだ!

「どういうことだよ!」

「大雑把に言えば、『驚かせばいい』ってことでしょ」

「大雑把すぎるだろ! それに何だよ王子様って!」

「嘘は言ってないじゃん」

「……」

 何だかもう、返す言葉が思いつかない。

 しかし。

 中ノ島の大声は間違いなく、ユイさんと犯人の男に影響を与えていた。

「……えっ?」

 ユイさんがこっちを見た。

「誰かいるの?」

 向こうからはおそらく、俺たちの姿が逆光になってよく見えていない。

「ユイさん――」

「もしかして、そこにいるのって」

「だまれ」

 男がユイさんに命令口調で言うと、ユイさんはまたびくっと身を震わせて、口をつぐんでしまった。

 だが、男の方も、中之島の大声で少しばかり、行動にぶれが生じているようだ。

 ユイさんと俺たちを交互に見て、どうすればいいか逡巡している。

 俺の横では、豊田さんがすっかり面食らったような顔をしていた。まぁ、そりゃそうだろう。俺も面食らった。

 中ノ島はさらに声を上げて、思いっきり小馬鹿にした口調で。

「ばーか!」

 あかんべーしてみせる。

「おっさんが、か弱い女の子人質に取っちゃって、かっこわるーい」

「なんだと」

 男が俺たちの方を見やる。

 見事に挑発に乗ったようだ。

ユイさんに背を向けて、こっちにむけてゆっくり歩き始めた。

 『遊動体』が操っているせいだろうか。歩みはぎこちなく、のろのろしている。とは言え、こちらが標的になってしまったのは間違いないわけで。

「おぉい中ノ島、お前のせいで――」

「何言ってんの。チャンスでしょ」

 少々情けない声で抗議しかけた俺を、中之島はちらっと見てそう言った。

「え?」

「あいつが新城先輩から離れてる、今がチャンス。ほら、早く先輩のところへ行きなよ」

 ……そのつもりで、わざと矢面に立ったのか?

 けっこう、無茶な戦法だ。

「でも、お前らが危険になるだろ」

「タカナシが抜けても、こっちは三人。大人もいるし、おっさんひとりくらいとなら戦える。でも――新城先輩はひとりぼっちじゃん」

 背中をぽん、と押される。

「早く行きなよ、馬鹿王子様っ」

 からかうような声だったけど。

 その手が震えていたのを、俺は背中で感じた。

 ……馬鹿はお前だろう、中ノ島。

 震えるほど怖がってるのに、なに勇気出して頑張っちゃってんだよ。俺なんかのために。

 そんな馬鹿なところを見せられてしまったら。

 俺も馬鹿になるしかないじゃないか……。

「さんきゅ、中ノ島」

 彼女の肩をそっと叩き。

 俺は、ユイさんのところへ駆けていった。


 男の――というか、男を操っている『遊動体』の思考回路はかなり単純らしく、一度攻撃目標を変えると、それを臨機応変に変更するのは苦手な様子だった。

 俺が横をすり抜けるように走っても、あまり関心のない様子で、中之島たちの方に向かって歩き続ける。

 中ノ島の事が心配ではあるけれど、ありがたい。


「ユイさんっ!」


 自分でも少々驚くほどの大声が出た。

 座り込んだままのユイさんは、駆けつけた俺を見上げた。

 とりあえず正気ではあるようだ。しかし、立ち上がる気力まではないらしい。

 あまりに力無く肩を落としていて、そうでなくとも華奢な身体がいっそう小さく見える。

「ユイさん、大丈夫? 怪我は無い?」

「レイジくん……?」

 ユイさんはようやく、声を絞り出した。

 不思議でたまらないといった声だ。

「どうしてここがわかったの?」

「電話かけてくれたから」

「でも……」

 納得行かない様子で首をかしげる。

「どこにいるのか、伝えられなかったよね。どうしてここがわかったの?」

 そう訊かれて。

「それは――」

 俺は、どう答えるべきか、少し考えて……。

 こう言った。


「……魔法かな」


「え……」

「だって、そうでもなきゃ、あの電話からこの短時間で、ユイさんの所に辿り着けないってのは、わかるだろ?」

「そうだけど、でも」

「多分、それはユイさんや、俺だけの力じゃない」

 ちらっと、後ろを振り向く。

 豊田さんが持ってきた照明の逆光になり、こちらからはよく見えないけれど。

「中ノ島や朽木の助言もあった。他にも助けてくれた人がいる」

 ちょっとクサい台詞だったかもしれないけど。

「そういう、みんなの気持ちが集まって、魔法ってのは生まれるんだと思う」

 ……けっこう、本気で言ったつもりだ。


 電話の向こうから聞こえた曲を手がかりに、場所を特定した朽木のデータ分析能力と、自分の身の危険も省みずに、大声出してユイさんを正気に戻させた中之島の勇気と。

 倉庫の鍵や照明を用意してくれた、豊田さんの手際や、いつも同じ場所を巡回している「まつみや」のおじさんの几帳面さも。

 何もかもうまく絡み合って、いまこうして、ユイさんに手を伸ばすことができる。

 それは十分に……魔法のような出来事だ。


「でも……でもね」

 だけど、ユイさんは目を伏せる。

「ユイさん?」

 泣きそうな顔。いや、もう殆ど、泣いている。

「魔法なんて、本当はそんなもの、ないのかも知れない」

「ユイさん……」

 ああ、そうだ。

 ユイさんの消息がわからなくなってから、まる二日。その間、あの『遊動体』は、単純な言葉ではあっただろうけど、ユイさんや魔法を否定するような言葉を、ただひたすら、投げかけ続けたに違いないんだ。

 魔法なんてあるわけがないと思ってしまうと、魔法使いは魔力を失う。

 だからユイさんは、今……。

「魔法の使い方がわかんなくなっちゃったんだよね」

 ユイさんは自分の手を広げて、じっと見ていた。

「レイジくんの家で、あんなこと聞いちゃって。そしたら、どうしていいのかわかんなくなって。気が付いたら、どうやって魔法を使っていたのかが思い出せなくて。魔法なんて本当にあるのかどうかわかんなくなって。そしたらあの男の人に、無理矢理連れ去られて、それで……」

 彼女の小さな手のひらに、ぽつりぽつりと涙が落ちる。

「こっ、このままじゃ、私、ここに居る理由なくなっちゃうんでしょ。魔法使いでいられなくなっちゃったら」

 俺を見上げて。

「魔法がなかったら、生きてる意味ない……」


 ……と。

 どすん、という感じの、地響きのような音が背後で聞こえた。豊田さんの「うひゃあ」みたいな情けない悲鳴がそれに被る。

「タカナシ! こいつやばいよー!」

 中ノ島の声。

「みんなで押さえつけてるのに……すっごい力……人間とは思えないし!」

「中ノ島、大丈夫か!」

「あんま大丈夫じゃないかも!」

 余裕を無くしかけている声だ。

 もう、あまり時間はないらしい。

「レイジくん? 今の声、中ノ島さんだよね」

「ああ、うん」

「知らない人の声もする。何が起きてるの?」

 ここで、中途半端に隠しても仕方ない。

 俺はユイさんの方に向き直って、いまの状況を正直に報告することにした。

「今、中ノ島と朽木と、あとユイさんの所属している協会の職員の人が、ユイさんを誘拐していた男を押さえつけてる。でも、相手の力が強いらしい。『遊動体』に取り憑かれているからだと思う。このままだと、みんなやられちまう」

「そんな……」

「多分、魔法の力で『遊動体』を封じるしかないんだと思う」

「でもっ」

 ユイさんはいやいやをするように、かぶりをふる。

「でも私、魔法使えなくなっちゃってるの。逃げ出そうと思って何度かやってみたんだよ。でも、自分でもわけがわかんないけど、どうやって魔力を形にしていたかが思い出せなくて」

「ユイさん――」

「このままだと、私……」

 ユイさんは、泣いていた。

「レイジくんと離ればなれになっちゃう!」


     ☆


 ――考えてみれば。

 俺はずっと、いろんなことが面倒くさかったんだと思う。

 誰かを本気で気にかけるとか。

 救いの手を差し伸べるとか。

 自分が生きていくだけでも精一杯なのに、他人を気遣ってる余裕なんてありゃしないって、そう思っていた。

 適当に、踏み込まないように、うまく生きていけたらいいと。


 でも、たぶん最初からわかってはいたんだろう。

 ぼっちの俺に声をかけた中ノ島のお節介な勇気が、俺にとってそれほど嫌ではなかったように、俺だって時には、似合わない勇気を出したっていいんだということを。

 どこかで少しだけ勇気を出さなきゃ、変わらない時もあるってこと。


 それが、今だという事も、わかっている。


 何度も何度も、ユイさんを気遣うような振りをして、ずっと差し出せなかった手を。

 俺は、ちゃんと伸ばさなきゃいけないんだよな。

 ほら、こうやって。


「レイジくん……?」

「えーとね。ずっとこうしたかったんだよ」

 俺は、ユイさんの頭を撫でていた。

 くしゃくしゃって。

 前に、屋上で話をしたときには、躊躇ってしまって結局できなかったけど、今は不思議なほど自然に、手を伸ばす事ができた。

 くしゃくしゃ。

 くしゃくしゃくしゃ。

「んー……髪の毛、もつれちゃう」

 そう言いながらも、ユイさんはそれほど嫌そうではないし、俺の手を払いのける様子もない。だからいい気になって、俺はひたすらくしゃくしゃしてた。

「ユイさん。大丈夫だから」

 頭を撫でながら、話しかける。

「ユイさんが魔法を使えなくても、ユイさんは俺にとって不必要になったりしない」

「本当?」

「本当だよ」

「でも私、レイジくんとは、結局『使い魔』の契約関係で」

「最初はそうだったかも知れない。でもさ、出逢い方なんてどうでもいいんだよね。合コンでもナンパでも、町で偶然ぶつかったのでも、電話番号間違えて召喚しちゃったのでも。どんな出逢い方をしても、その後ちゃんと友達になれればいいんだよ」

「私、レイジくんの友達かな?」

「あったりまえだろ。とっくに友達」

 ――中ノ島が期待しているような、友達以上の何かになるには、まだまだ早いかも知れないけどね。

「ちょっとくらい魔法が使えないからって、友達やめるわけないだろ」

「ん……うん」

「それにさ」

 少し考えて、言葉を選ぶ。

「……ユイさんの魔法だって、たぶん、なくなってなんかないよ。ユイさん今まで、頑張って何年も勉強して、練習して、魔法使えるようになったんだろ?」

「うん……」

「そんな積み重ねが、何か一回ショックな事があったからって、なかったことになるわけないじゃないか」

 ぽんぽんって、頭を軽く叩いて、笑ってみせる。

「それに俺は、魔法って、そういう……一人っきりで抱える力のようなものでは、ないんじゃないかって思うんだ」

「え、どういうこと?」

「例えばさ。ユイさんは魔法を使えなくなっていたのに、俺はユイさんの居る場所を見つけることができた。朽木の力を借りたりもしたんだけどさ、これも、魔法のようなもんだろ?」

「んー、そうか……も」

「さっき、中ノ島が馬鹿でかい声を張り上げたお陰で、ユイさん正気に戻ったよね。これだって魔法。他にもきっと、いろいろ」

「……」

「ユイさん、前に言ったよね。誰でも魔法がちょっとずつ使えるほうがいいんじゃないかなって。多分それは、正しいんだ。魔法なんて、本当は、この世界に当たり前に満ちているものなんじゃないのかな。魔法使いって呼ばれてる人は、それを世界の隙間から、上手に取り出すことができるってだけでさ」

「でも私――」

「んーと……」

「なに?」

「……俺はさ。ユイさんが魔法を使えなくなっても、それでも、会いたいって言ってくれたら、かならずそばに行くよ」

 頭を撫でる手を、肩に回して。

 ちょっとやりすぎかなぁと思いつつ、ぎゅっと抱きしめてみたりする。

「そんな気持ちにされてしまうのは、魔法と殆ど変わらないんじゃないかなって思う」

「レイジくん……」


 ぎゅっ、と。

 ユイさんの手も、俺の背中を掴んだ。

「魔法は本当にあると思ってくれる?」

「当たり前」

 俺は即答した。

「だって俺たち、魔法のお陰で友達になれたんだ」

 そう言うと、ユイさんは少し笑った。

 それから、ためらいがちに、俺の頬に触れる。細い指が、俺の眼鏡に伸びた。

 え……何だ? この雰囲気は。

 ユイさんの顔が間近にある。

 そんな場合じゃないのはわかってるけど、でも。

「ありがとね」

 ユイさんは、眼鏡の弦に触れたまま、言った。

「だから――」

 これって、やっぱり、もしかして。

 ……キスシーンなんじゃ、ないだろうか。

 やべ、中之島の側からは、俺たちの様子、丸見えじゃね?

 そんなことを思い、俺は期待と焦燥で、しばし頭が大混乱していたわけだけれど。

 幸いというか、残念ながらというか。ユイさんのとった行動は、俺の予想通りではなかった。

「レイジくん、力をわけて。もう一度魔法を使うために」

 ひょいと俺の顔から……眼鏡を外したのだ。

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