おとなとこども

 冬の夜は、早い。

 いつの間にか日は落ちており、民家の少ない用水路沿いは、足元もおぼつかないほどの暗がりになっていた。

 アスファルトの道路を、街灯がところどころ、白く冷たい色に照らす。犬の散歩をしているおばさんと、ジョギングをしているおじさんの影が、ぽつりぽつりと遠くに見える。

 この用水路沿いに来るのは初めてじゃない。小さな頃に時々、サッカーボールを持って遊びに来ていた場所だ。うっかりボールを流してしまって叱られた記憶が、妙に鮮明によみがえる。

 宵闇のせいだろうか。何度も通ったことがあるはずなのに、どこかよそよそしく、見知らぬ道のように思える。

「用水路沿いって言っても、けっこう広いよ、タカナシ」

 中ノ島が、不安そうな声で言った。

「倉庫もいっぱいあるし。ひとつひとつ見ていってたら、時間かかるよ」

「そうだな……」

 さっきのユイさんの声を思い出す。

 かなり切羽詰っている様子だったし、電話したことを『遊動体』に気付かれた可能性もありそうだった。のんびりしていたらまずいかも知れない。

 とは言え、手がかりがそれほどあるわけでもない。

「手分けして探して、ケータイで連絡とりあうしかないか……」

「アイテムはないのか」

 朽木が唐突に言った。

「アイテム?」

「ああ。お前と新城先輩をつなぐアイテム」

 俺のケータイを指さして。

「さっきは、電話がかかっただろう。ケータイはお前と先輩が連絡を取るための道具だったから、お前が祈った時に、魔法の力ってのが、そこに強く働いたのかもしれない」

 ……なるほど。

「そういう、魔法絡みの何かを媒介にすれば。お前にも少しばかり、魔法をコントロールできるんじゃないかと思う」

「そういうことか」

 朽木の理屈は、辻褄が合っているようにも思える。

 警察犬が、犯人の遺留品のわずかな臭いを嗅いで、それを手がかりに捜索するように。

 あるいは、ガキの頃に女子の間で流行したおまじない。好きな男子の髪の毛を一本手に入れれば、相手に想いが通じるっていう、アレみたいに。

 何か、相手を想起するアイテムがあれば、テレパシーだか以心伝心だか、そういう力が働きやすくなるっていうのはあるのかも知れない。ともあれ、魔法は「信じること」によりその効力を発揮するものだ。

 俺も、信じてみても、いいのかも知れない。

 だけど……。

「そんな都合いいアイテム、そうそう持ってるもんでもないよ」

「何でもいい。先輩が読んだ本。先輩が書いたメモ」

「そういわれても……」

 困った様子の俺に、中之島が横から一言。

「あと、先輩の写真とか?」

「あっ」

 それだ!

 俺は胸ポケットに手を突っ込んだ。

 良かった。入ってる。

 取り出すと、中之島はさっそくのぞき込み、そりゃもう目を輝かせて声をあげた。

「それ、プリクラ? やだ、ツーショットじゃん!」

 ……そう。プリクラ。

 以前「召喚」された時、結界を張るための『封印のお札』にするために、ふたりで撮影したプリクラだ。

 画面中央の、赤い「封」の文字が、せっかくのユイさんの笑顔に無粋に被っていて、少し雰囲気を損ねているけれど。

 俺にとっては、女の子と撮った初めてのプリクラで、ユイさんとの思い出の品。

 なんとなく、ずっと胸のポケットに入れたままにしておいたんだ。

「まさか、役に立つとはなー」

 ユイさんを探すためのアイテムとしては、その効果は最高レベルの筈。

 何せ、ユイさんが魔法の力を込めて撮影した逸品だ。

 写真の中の、微笑んでいるユイさんの頬に指が触れるのと、殆ど同時に。俺の中にあの感じが訪れる。

 背筋がぞくっとするような、『魔法』の感触。

「……こっちだ」

 ひとつの方向を指さして、断言する。自分でも驚くほど、自信があった。

「わかるの?」

「ああ」

 頭の中に、こちらが正解だという、よく知っている道を歩いているときのような方向感覚が生まれている。

 ユイさんに召喚される時、何度か、うろ覚えの道を迷わずに目的地まで進む事ができた。

 あの時と同じ感じだ。

「……魔法だよねえ、それも」

 中ノ島はやけに嬉しそうな顔をしている。

 しかし、これは、「ニコニコ」じゃない。「ニヤニヤ」だ。

「愛の魔法」

「ぶっ」

 思わずリアルで噴き出した。

「ちょ、何だよそれ」

「だって、あたしにはそんな風に見えるし」

「魔法はいいけど、『愛』はやめろ。まだせいぜい『友情』だ」

「んー。『まだ』ね」

 そんな事を言って、相変わらずニヤニヤ。

「アンタときたら、どうみても立とうとしてるフラグをぼっきぼきにへし折るような鈍感男なんだもん。新城先輩を、そんな目に遭わせたりしたら、あたしがぶん殴ってやるんだからねっ」

「なんだよー。俺がいつどこでフラグ折ったんだよ。そもそも立ったことだってないってのに」

 そう言うと、中之島はほんの一瞬、俺の目をじいっと見て。

「……ばーか」

 そう言って、また笑った。

 かと思ったら、俺の背中を力任せに押し始める。

「ほら! とにかく先輩を助けにいかなくちゃ!」

 本当に中之島ときたら……いつもこうなんだから。


     ☆


 暗い倉庫の前。

 この中にユイさんが居る。プリクラを持つ指先の感覚が、そう告げている。

 だけど、俺たちはまた問題にぶち当たっていた。

「開かない、よねぇ」

「ああ……」

 考えてみれば当たり前ではあるが、倉庫の扉には鍵がかかっていた。

 トタン製でボロくなっているとは言え、蹴っ飛ばしたくらいで壊れてくれそうな簡単なものではないようだ。

「参ったなぁ……」

 ほんのすぐ先に、ユイさんが居るのは間違いない筈なのに!

「棒か何か、探して来ようか。力尽くで行くしかないじゃん」

 中ノ島が言うのを、朽木が制した。

「ここらは住宅地が近い。あまり大きな音を立てて不祥事扱いされたらまずい」

「これ、誘拐事件だよ。正当防衛とかになるんじゃない?」

「誘拐犯は、人間じゃないんだろう。騒ぎになったところで消えられでもしたら、証拠が残らない。僕たちが不良学生扱いになるだけだ」

「でも……」

 中ノ島は、なおも反論しようとするが、うまく理屈付けられない様子だ。

 こりゃ、停学処分覚悟で、鍵を壊すしかないかなー。

 そんな覚悟を決めかけたとき。


 突然浴びせられた、眩しい光。


「きゃ!」

「誰?」

 懐中電灯のようだ。誰かがこちらを照らしている。

 まずい。早くも近所の人に見つかったか?

 そう思ったら、光の向こうから、聞いたことのある声がした。

「やっと見つけた!」

「豊田さん!?」

 黒スーツの豊田さんが、相変わらず大袈裟な安堵の表情を浮かべて、こちらに近づいてくる。なんだか妙に大荷物だ。

 そうだ。学校を出るときに電話して、場所を伝えていたんだった。

「用水路沿いとしかお伝えくださらないから、結構探してしまったじゃないですかっ!」

「来てくれたんだ……」

「来ないとでも思われましたか」

 俺が意外そうな口振りだったので、豊田さんは少々気分を害したような顔で、口をとがらせた。

「我々の大切な同僚の危機なのですよ。当たり前ではないですか。まぁ、少々寄るべき所がありましたから遅くはなりましたが」

「このおじさん、さっき言ってた、新城先輩の上司の人か何か?」

 中ノ島が聞く。

 おい、いきなり指さして「おじさん」呼ばわりはないんじゃないか。

「はい、ええ。私、間木記念社会福祉協会の豊田一郎と申します」

 豊田さんは慣れた動作で名刺を取り出した。もはや、習い性となってるって感じ。

「……しかし、情報が随分と周辺のお身内にまで漏れてしまっているようで」

「すみません……俺、ひとりではどうしようもなくて」

「いいです」

 意外にも、あっさりとそう言われた。

「……怒らないんですか?」

「怒られたかったのですか?」

「いや、そりゃ怒られたかないですけど」

「新城に関しては、今までのやり方では、上手く行かないのかもしれないですからねぇ」

 そんなことを、独り言のように言う。

 ともあれ、怒ったり困ったりはしていない様子だったので、俺は多少安心した。

「さて。新城はこの中に居るのですか?」

「はい。多分」

「でも、鍵がかかってます」

 朽木が補足説明をする。

「強引に破壊して開けていいものか、迷ってました」

「そんな事だろうと思いましたよ」

 豊田さんはそう言い、ポケットの中から、じゃらりと音を立てて鍵の束を出した。

「あ、鍵!」

「まったく。子供というのは、まず倉庫の管理事務所に相談に行こうとか、そういう判断ができないのですから、困りますねぇ」

「ちょっと、このおじさん、失礼じゃない?」

 中ノ島がふくれっ面で言う。

 俺も一応、彼女の意見に同意ではあるが、「おじさん」呼ばわりの失礼さと差し引きゼロではないだろうか、とも思う。それに、今はむしろ、豊田さんには礼を言うべき流れなのではあるまいか。

「ありがとうございます。……すみません。こういう事に、気が回んなくて」

「いえいえいえ」

 両手を振り、否定のオーバーリアクション。

「あなた方のような子供が行っても、管理人は鍵を貸してくれはしなかったでしょうからねえ。大人がすべき仕事は、大人に任せればいいのです」

 豊田さんは、少し嬉しそうな顔にも見えた。

「そして、ここからは、あなたの、子供たちの仕事なのだと思います。高梨礼志さん」

 俺に鍵束を手渡しながら、六十度くらい頭を下げる。社長さんにでもするような最敬礼だ。

「……新城を、よろしくお願いします」

 豊田さん。

 愚痴などこぼしながら業務をこなす、わかりやすいビジュアルのサラリーマンという印象だったけど。

 もしかすると彼は、結構なロマンチストなのかもしれないと言う気がする。

 何となく。


     ☆


 鍵を開け、軋む扉を開くと同時に、豊田さんは、でっかい業務用の懐中電灯みたいなもので倉庫内を照らしてくれた。

 こんなものも持って来てくれていたのか。さすが社会人、実に段取りが良い。

 だけど、そのお陰で、自分がまるで映画のヒロイン救出シーンの主人公になったかのような派手な演出をされた状態になってしまう。

 庫内からのアングルだと、俺は逆光に照らされて颯爽と立ちはだかるヒーローみたいな見え方をしている筈だ。

 ……柄でもない。気恥ずかしい……。

 だけど、そんなふざけた気持ちも、光に照らされた倉庫の中を見たら吹っ飛んだ。

 埃っぽい倉庫の床には、一面にガラスの破片やガラクタのようなものが散らばっており、廃墟のお手本みたいな状態だ。

 照明のせいで、コントラストが強く、光と影ばかりが際立っている。

 そんな、モノトーンの空間の一番奥に、ユイさんが居る。

 いつものセーラー服姿で、あまり綺麗とは言えない床に座り込んでいる。生脚でこの床、怪我してしまいそうだが、そんなことを意に介している風ではない。

 ……どことなく様子がおかしい。

 そして、ユイさんは一人ではなかった。

 汚れた作業服を着た、中年くらいと思しき男性が、すぐ横にいる。

 俺の目に見えると言うことは、『遊動体』ではなく、実体のある人間のようだ。ユイさん以外の誰かが居るとは思っていなかったので、少々戸惑う。

「ユイさん!」

 声を上げてみたけれど、ユイさんは微動だにしない。代わりに、男性がこちらを見た。

「……おまえ なにものだ」

 低い声。

 中肉中背のように見える、この男が発したにしては、不自然なまでに低音。それに、ひどく抑揚を欠いている。

 その不自然さに、俺はぞっとした。

 いや……ぞっとしたのは多分、声だけが理由じゃない。

 この場所には、俺の背筋をぞわぞわ逆立たせるような空気が、満ちているような気がする。重苦しくて、ねっとりとした。それはまるで――、

「憑依ですね」

「わっ!」

 いつの間にか背後まで来ていた豊田さんが、いきなり耳元で囁いたので、俺は変な悲鳴をあげてしまった。

「ひょ……憑依?」

「ええ。なるほど、そういうことか」

 得心した様子で頷いている。

 状況を把握できていない俺の様子を見て、豊田さんが説明してくれた。

「意思を持った『遊動体』の傍に、うまく波長の合う人間がいた場合、取り憑かれてしまうことがあるんです。すると、行動を操られてしまう。ほら、あんな具合に」

 男を指さす。

 よく見ると、何となく足元がふらふらしているようだ。

「稀なケースなので、私も実際に見るのは初めてですが。人間の身体を借りて動くなら、物理的に干渉できたことにも納得がいく」

「つまり……ユイさんは、あの男に力尽くで」

「そういうことですね。……なるほど、あの作業服は、倉庫の管理会社のものだ。合鍵を持っていたのも然り」

 独り言のようにつぶやき続ける豊田さんの傍らで。

 俺は――ユイさんの気持ちを、想像していた。

 『遊動体』のような形の無い「悪意」と戦うのも、勿論楽な仕事ではないだろう。

 だけど、現実の人間に腕をつかまれ、助けを呼ぶ暇もなく連れ去られるというのは、おそらく今まで経験した事のない恐怖だった筈だ。

 そして恐らく、そんな隙を見せてしまったのも、俺たちの会話を聞いて動揺していたからだ。

 ユイさん……どんなに心細かっただろう……。

「いやしかし、となると少々厄介だ」

 ひとしきり状況を把握した豊田さんが、ふと顔を曇らせた。

「操られている人間に危害加えるわけにはいきません。まず『遊動体』を封印しなければ。それには魔法が必要です。ですが――」

「……ああ……」

 ユイさんには、こちらの声が聞こえている筈なのに、視線すら合わせない。

 とても魔法を使える状態ではないようだ。

「過去の例から考えると――」

 豊田さんが言葉を継ぐ。

「憑依状態の『遊動体』には、あんな風に多少、言葉を発するものも居ますが、難しい会話ができるほどの知恵はない筈です。

 ですが……それがむしろ、心の弱った者には効果的ってこともありますねぇ。反論や説得には全く聴く耳を持たず、『お前の力なんて役に立たない』という類の単純な罵倒をひたすら繰り返されたら……」

「それは……きついですね」

「そういう事例が、過去にあった筈です。それがきっかけで、魔力を失ったものも」

「そんなことになったら、困ります」

「ええ。私どもも困ります」

「……貴重な人材だから、ですか?」

 口に出してしまってから、失言だったと後悔した。少なくとも今このタイミングで言っていいものではない。

 だが豊田さんは、そんな俺の下手な嫌味にも、真面目に返事をしてくれる。

「勿論です。大切な同僚が、長年かけて身に付けた能力と仕事を失いそうになっているんですよ。自分の価値を失うというのが、どれだけ辛いことかわかりますか?」

 真摯な返答に、俺は口ごもってしまう。

「助けられるものなら私が助けたいですよぅ。でも、無理なんです。わかっています。自分の子供でもおかしくない年齢の少女に、彼女をこっそり監視する役目を与えられている私が、『大丈夫だよ』なんて言ったところで、その言葉はうまく伝わりません」

「……」

「彼女の魔法を取り戻せるのは、多分、あなたのような、若くて直情的で、自分自身もまたひどく不安定な……彼女の友達だけ、なのだと思います。頼みますよ、高梨さん。新城を助けてやってください」

「……そんな風に、思ってくれてるとは、思いませんでした」

「ははは。いやな大人だとでも思っていましたか?」

「いや、まぁ……すみません」

 気恥ずかしくなって、目をそらす。


 ……大人には、大人の都合や価値観があるわけで。それは、俺たちみたいな、まだ働いたり金で苦労したりしていない子供には、理解しにくいものだ。

 大人たちは子供の敵だなんて、単純なものでは、ない。

 そんな当たり前の事を思った。

 だからって「親の言う事にはきちんと従いましょう」みたいな、キレイゴトを言うつもりもないんだけどね。

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