さよならの予感

「あれ、母さんもう帰ってきたのかな」

 俺が何気なく思ったことを口にした途端、ユイさんは飛び上がらんばかりに慌てた。

「どうしよう!」

「ユイさん? どうしたの?」

「男子の家に、女子がひとりでたずねて来るだなんて! お母様に誤解されちゃうよね!!」

 案外、常識的かつ古風なことを言い出す。

 さっきまでは中ノ島のアドバイスを真に受けて、妙な勢いがついていたようだ。……中ノ島に「魔法をかけられていた」といったところか。冷静になって、自分のしでかしたことが割と非常識すれすれだったことに気付いたらしい。

 まぁ母さんが入ってきたところで、俺の部屋でふたりして寝てたとでもいうならともかく、玄関脇の居間でコーヒー飲んでる姿を見られたところで、せいぜい「あ、お友達? ごゆっくりねー」程度の反応が関の山だろう。

 母さんときたら、また自分のキャパを見失って、両手に持ちきれないほど買い物でもして、自力で開錠できなくなったんだろうなーなどと、今までの経験からそうも思った。

 なので俺は、別に気にすることなく、ドアの向こうの人物に向けて、

「はいはーい、いま開けるー」

 と、声を上げたのだ。

 そうしたらユイさんはいよいよ慌てて、思わぬ行動に出た。

「とっ、とりあえず、隠れるね!」

 そう言って、玄関に飛び出し、自分の靴を引っつかむと再び居間へ戻り。

 奥の押入れに入り込み、内側から襖を閉めてしまった。

「ちょ、ユイさん、別にそんなことしなくても」

「平気! 私、気配消すの上手いから」

「そういう話じゃなくてさ」

「お母様がトイレとかに行かれた隙に、こっそり帰るから。あとはうまくごまかしてねっ」

 ぴんぽーん。

 ふたたびドアチャイムの音。

 俺は頭を掻く。

 少し迷ったが……ユイさんの意向を無視して、無理やり引っ張り出して親に会わせようとしたら、せっかくいい雰囲気になりかけた俺との関係が崩れてしまいそうな気もしたし……。

 それに、「気配消すの上手い」というユイさんの言葉は伊達や酔狂ではないようだ。

 これも何か、魔法のひとつなのだろう。さっき、ユイさんが押入れに入る所を見たばかりだというのに、それすら失念しそうになるほど、室内からは人の気配というものが消えていた。

 ぴんぽーん。

 みたびドアチャイム。これ以上待たせるわけには行かないな。

「はいはい、おまたせー」

 俺は観念して、玄関に向かった。

 母さんは、いつも買い物から帰ってきたら、居間で一休みする癖がある。

 さて、どんな理由をつけて、別室に誘導しようかな……などと思いつつ、ドアを開けると。


「こちら、高梨様の御宅でしょうかっ!?」

「……あ?」

 虚を突かれて言葉を失う。

 そこにいたのは。母さんではなかった。

「わたくし、公益法人・間木記念社会福祉協会職員の豊田一郎と申します! ご挨拶が遅くなりまして大変失礼を致しました、新城結意が、大変お世話になっております!」

 語尾にいちいちびっくりマークが付く勢いで、しかし実にハキハキと、流暢に敬語を使いこなして。

 黒っぽいスーツに身を固め、髪を七・三にきちんと整えた、年の頃は四十歳くらいだろうか、いかにもお堅い仕事に就いていますという感じの男性が、見事に三十度の角度の、ビジネスマンの見本みたいな礼をした。


     ☆


 俺は少し迷ったけれど、その男を迎え入れた。

 そりゃまぁ、詐欺や罠の可能性も無きにしも非ずだけど、渡された名刺にはしっかり「間木記念社会福祉協会」の名前が印刷されていたし、そこに記されていた代表の電話番号は、以前朽木が調べた番号と一致していた。

 ユイさんと同じ組織に属している人物の話には大いに興味があったし、わざわざ俺のところに来たからには、それなりに重大な用件なのではとも思ったし……。

 まぁ、結局のところ好奇心が勝ったというわけ。


 ……彼を居間に通した時、ユイさんのことをまったく考慮しなかったのは、我ながら不思議で仕方がない。

 後になってユイさんから、その時「存在感が薄くなる」魔法を使ってたんだから仕方なかった、という説明を受け、「だからレイジくんのせいじゃないんだよ」とは言ってくれたのだけれど。

 それでも……。

 俺は今でも少し、この時のことを思い出すと、胸が痛む。


 豊田さんは、居間の座布団にすとんと腰を下ろすと、お茶を淹れようとする俺を大袈裟な身振りで「いえいえそれには及びません!」と制した。

「長居するつもりはございませんので、はい」

 いちいち何というか、リアクションの大きな人だ。

「で、何のご用なんです? えーと……豊田さん」

「あ、はい」

 豊田さんは居住まいを正した。

「高梨様におかれましては、うちの新城結意の非公式契約パートナーとしてご活躍をなされているということで」

「非公式……何ですって?」

「非公式契約パートナー……ええと、これは書類上での呼び名ですね。新城のほうからは『使い魔』という表現でお聞きしているかと」

「ああ……」

 なるほど。組織の中では「魔法」やら何やらという表現は使わないってことなんだろうな。

 しかし、ごく普通のサラリーマンみたいな格好をしている大人の口から「使い魔」なんて単語が出ると、何というか、尻がむずむずするような違和感があるなぁ。

「本当は、新城と契約をされたことが確認できましたら、すぐにお伺いしようと思っていたのですが……」

 豊田さんはまたしても大袈裟に、困ったような表情をして見せた。

「どうやら手違いがあったようで。十月頃に右京山公園で契約したと把握していたのですが、現地で聞き取り調査をしても、該当する人物が見つからなかったので、ええ」

 あー……。そりゃそうだ。ユイさんが俺と契約したのって、間違い電話がきっかけだったんだから。

 俺は、確か二度目にユイさんに『召喚』された日の帰り道のことを思い出していた。

ふと寄り道して通った右京山公園で、不良たちに何かを質問していた黒いスーツの男。

 場の雰囲気に似つかわしくない姿と振る舞いが印象に残っていたのだけど……なるほど。

あれは、ユイさんの契約相手を探す豊田さんだったというわけか。

「その後、新城と同じ高校に通っているらしいということは突き止めたものの、問い合わせても『生徒のプライバシーの問題』ということでなかなか情報を開示して頂けず……」

「ああ、ウチの高校、その辺けっこう厳しいんですよ」

 オカルト好きだったという初代理事長が『迂闊に名前や住所を広めると呪いをかけられる恐れがある』と信じていたから――というのは半分くらい与太かもしれないけど。ウチの学校が個人情報管理に厳しいのは本当だ。まぁ今のご時世、悪いことではないと思う。学校案内パンフレットにも「安心のセキュリティ」なんて売り文句が踊っていた筈。

 特にここ最近は、周辺の治安が悪かったから、情報の漏洩って奴にはひときわ神経質になっていたのかもしれない。

 ……まぁ、朽木の手にかかれば容易く侵入できてしまう程度のセキュリティって説はあるけど。それはそれ。

「そんなこんなで、新城のパートナーが高梨さんであることを確認するのに今日までかかってしまったと、まぁ、そういう次第で」

「はあ。それはどうも」

 そこまで聞いて、俺はふと尋ねた。

「でも、ユイさんも豊田さんも同じ組織の職員なわけでしょう? ユイさん本人に直接聞けばいい話じゃないんですか」

「いえいえ……」

 ここで豊田さんは、わざとらしく手を口元にあて、声のトーンをやや落としてみせた。

「私は、彼女の監視役です。直接の連絡は原則として取らないことになっております、はい。これには……事情がありまして」


(あ、これ……もしかして、面倒くさい話って奴?)


 そんな、嫌な予感がしたと同時に。

 俺は不意に、ユイさんが後ろの押入れに隠れている、という事実を「思いだした」。

 これも「後から思えば」って話なんだけど、おそらくユイさんはこの時、豊田さんの思わせぶりな台詞に動揺したのだと思う。そのせいで一瞬だけど「存在感を薄くする」魔法の効果が薄らいだのだ。

 あぁ、そうだ。ユイさんがここにいる。

 今から豊田さんが話そうとしていることって、もしかしなくても「ユイさんには聞かせたくない話」に分類されるものなんじゃないだろうか?

 そう思ったけれど、まさかここで「待ってください、実は本人がいるんです」なんて言えるわけもなく。

 どうすればいいのか迷っているうちに、ユイさんの気配は薄らいでしまい。

 俺はまたしばらくの間、ユイさんのことも、その危機感も、不自然なくらいに忘れてしまったのだ。


「新城結意、彼女は少々特殊な立場にあります」

 豊田さんは、慎重に言葉を選んでいる様子だった。

「高梨さんにお願いしたいのは、その、彼女に――」

 少し、思わせぶりな間をおいて。

 豊田さんは、こんなことを言った。

「彼女に、『魔法は存在する』と信じさせてやって下さい」

「はい?」

 彼の言っている事の意図がつかめない。

「いや、だって。魔法を信じさせてもらってるのは、むしろ俺の方じゃないですか」

「いや、うーん」

 豊田さんは困った顔で顎に手を当てて思案している。

「どのあたりからどの程度、お話すればいいのか……こう言ったケースは手前どもとしても初めてなので」

「初めて?」

「ええ、はい。先ほども申し上げたとおり、新城結意、彼女は、特殊福祉事業従事者――俗称で言えば『魔法使い』ですかね。その、魔法使いとしては、少々特殊なのですよ」

 豊田さんはハンカチを出し、そわそわと額の汗を拭いた。彼の様子を見ていると、俺まで何となく落ち着かなくなってくる気がする。

 そして――俺に話しておく決心がようやくついたのだろう。

 豊田さんは顔を上げた。

「高梨さんにとっては、意外に思われる話かもしれませんが――」

 そんな風に、話し始めた。

 ――魔法が登場している時点で、本当はもう十分、この物語は『意外』だったのかも知れないけれど。


     ☆


「我々が『遊動体』と呼んでいる、社会や人身を乱すものを倒すために『魔法』が使われている……という辺りは、新城から既に聞いていることと思います。

 とはいえ、この『魔法』というのは、なかなか扱いづらいものでしてね」

 豊田さんはそんな感じで、俺に講義でもするかのような口調で語り始めた。

「生まれついての資質や訓練も大事なんですがね。それよりも何よりも、『信じる気持ち』に、力の強さが影響するんです」

「信じる気持ち、ですか?」

「はい、そうなのです」

 豊田さんは大きく二、三度うなずいて見せた。

「簡単に言えば、『魔法なんてあるわけない』と言われて、心に疑念が生じると使えなくなるわけなのですね、これが。心から信じていないと、魔力の素質があっても魔法が使えないという」

「え、それじゃ……現代のフツーの社会で、存在できないんじゃないですか」

 なんたって今は二十一世紀のハイテク現代社会だ。魔法なんて誰もがおとぎ話で、フィクションで、実際はありえないと思っている。そんな中で「魔法がある」なんて信じて生きていくのは、不可能なんじゃないだろうか。

「ええ、無理です。無理なんです」

 豊田さんは俺の疑問をあっさり肯定した。そして、間髪を入れずにこう付け足した。

「ですから、我々の組織、間木記念社会福祉協会が設立されました」


 ――公益法人・間木記念社会福祉協会。

 この組織が運営するのは、魔力の素質がある者たちが住む、閉鎖都市――『魔法特区』。

 そこでは街全体が協会の敷地であり、すべての住人が職員であり、全市民が『魔法が存在する』という前提で生活している。

 ここで生まれた子供たちは、魔法の存在を疑うことなく成長し、その中でも魔力の素質があるものが専門学校に進学し、最終的に『外の世界』に『魔法使い』として赴任していくのだ。

 そこは、魔法を生み出すためにだけ存在する街。


 俺はしばらく、文字通り、開いた口が塞がらなかった。

 とんでもなく大規模な話だ。

 そのくらいの大仕掛けでもなけでば、現代の日本で『魔法』なんてものを存在させられない、その理屈はわかるような気もする。

 だけど、どうにも腑に落ちない部分がある。

「そんなシステムで、全国に魔法使いが派遣されてるんだとしたら、いくら何でも隠しきれるもんじゃないと思いますけど」

「ええ、ですから、その……」

 ここで、今まで流暢だった豊田さんが、少し言い淀んだ。

「……お怒りにならないで頂きたいのですが。ずっと以前からの慣例ですし、私の決めたことでもありませんし」

「……?」

「そもそも魔法というのは、ほとんどの場合、思春期前後の多感な時期にしか使えないものでして。つまりどうしても、子供たちを『魔法使い』として、全国に赴任させなければなりません。契約書や念書や罰則で、情報の漏洩を防ぐのは不可能なわけでして」

「だから、秘密にするのは無理なんじゃないかって」

「ええ。ですから、つまり……魔法特区それ自体が大きな結界の中にあって、先代たちによって強大な魔法をかけてあるんです」

 豊田さんは、申し訳なさげな口調で説明する。

「魔法使いは、魔法を信じると同時に、それを使いこなせる自分たちを『選ばれた特別な者』であると感じ、魔法の使えない『外の世界』の人たちを、その、見下すと申しますか……自分たちの正体を教えるに値しないと考えるように、感情をコントロールされているわけで……」

 それを聞いて、俺は思わず声を荒げてしまった。

「それ、洗脳じゃないですか!」

「だから私にお怒りにならないで頂きたいとあらかじめ申し上げたじゃないですかぁ」

 豊田さんが情けない声を出す。

「あぁ……すみません、でも」

 わかっちゃいるけど、釈然とはしない。

「つまり、ユイさんも洗脳されちゃってるってことなんですよね……」

 俺は、多分すごく暗澹たる口調でそう言ったと思う。

 ところが、豊田さんはすぐさまそれを否定した。

「いえ。いえいえ。そこなんですよ。問題は」

 俺の目を見て声をひそめる。

「私が彼女の監視役であるのも、その辺りが絡んでいます。高梨さんは、彼女からすでに、魔法について結構いろいろ聞いているのではないですか? 我々組織が洗脳をしているにしては、不自然なほど多くのことを」

「あ……」

 言われてみれば。

 俺の方から「そんなに話しちゃって大丈夫なの?」と確認するほどに、ユイさんは俺に、屈託なく、様々な話をしてくれた。

 情報の漏洩を防ぐ魔法が効いていたとは、とても思えない。

「新城結意には、魔法特区全体にかけられている、この強い魔法が効いていません」

 豊田さんは、言った。

「……彼女はおそらく、先代の大魔法使いたちを遙かに超える潜在的な魔力を持っています。そういう意味で、我々にとって、非常に特別な存在なのです」


 ――凄いことなんだろうか?

 それが素直な感想だった。

 魔法ってだけでも、既にじゅうぶん、もうお腹いっぱいですって気分だったのに。かてて加えて、俺の知り合った魔法使いが、その中でもさらに特殊な存在ですと言われたところで、その特別さがまるで実感できない、という感じ。

 いい加減、驚くための神経が麻痺していたのかも知れない。

 ……まぁ、つまり、凄さがわからないんだから、別に焦ったりおののいたりする必要はないってことだ。

 そういうわけで。

いかにも大変な秘密を打ち明けますって感じで話してくれた豊田さんにはちょっと申し訳ないのかも知れないけれど、俺は比較的淡々と、疑問点をぶつけてみたりした。

「えーと。ユイさんは、自分のことを、あまり強い魔力を持っているとは自覚してなかったように聞いてますけど」

「ええ。平均よりやや下の成績だったようです。まだ、完全に自分の力をコントロールできていない、覚醒前の状態だと我々は認識しています」

「そんな不安定な状態で、仕事に赴任させちゃって大丈夫なんです?」

「そこのところには、ふたつほど事情がありまして」

 豊田さんは、また微妙に困った顔になる。

「ひとつは上層部の意向ですね。彼女の力がいつか目覚めるなら、魔法特区に閉じ込めておくよりは、『外』の人たちと接触させたほうが、なにがしかの成果が得られるものと判断したようですね。まぁ、上の考えることは私どもにはわかりにくい」

 肩をすくめてみせる。

「もうひとつは、単純に人材不足です。内輪の話で恐縮ですが、仕事に使えるレベルの魔法使いの数は、ジリ貧状態なんですよ。不安定であろうがなかろうが、魔法を使えるなら派遣せざるを得ない、という」

 ため息をつきつつ。

「もちろん放置というわけにはいきませんから、こうして監視役がついてるってわけですよ。……とは言ったものの、私は能力不足で魔法使いになれなかった、ただの職員なんですけどね、ええ」

 ……この豊田さんって人、案外苦労人なのかもしれないな。

 そんな、同情心めいた気持ちが、ちらと浮かばないでもなかったけれど。

 実のところ、俺にはそこまで相手を気遣っている余裕なんてなかった。

「それでですね、高梨さん」

 ふと真顔になって、豊田さんは俺を見据えた。

「あなたは新城と『使い魔』の契約関係におありだ。けれど、それだけではなく、学校では彼女と『友達』でもある――そういう理解で間違いありませんよね?」

「あ、はい」

「原則は、契約パートナーをそういう身近な立場の人物から選ぶのは禁止なんですが――魔法使いに選ばれてしまったものは仕方がない」

「はあ、どうもすみません……」

 俺のせいじゃないのだけど、何となく謝ってしまう。

「ともあれ、彼女は魔法使いですが、それ以前に、ごく普通の十六歳の少女です。傷つきやすい、不安定な気持ちをフォローするのは、残念ながらどうあがいても、私たち大人には難しい。どうか、彼女の良き友達であってください」

 そんなこと、言われなくたって当然そうするさ。

 俺はそう言おうと思ったけれど、豊田さんはさらに言葉を続ける。

「――そして、できるだけ長く、彼女に魔法を信じさせてやって下さい。それは我々協会のためでもありますが、高梨さん、あなたのためにもなることだと思います」

「俺のため、ですか?」

「ええ」

 豊田さんは、こころもち俺に近づき、低い声を出す。

「赴任中の魔法使いは、ほとんどの場合、『外の世界』での心ない言葉やこちらでの常識に心を乱されて、二~三年で魔法を信じきれなくなり、魔力を失います。魔法を使えなくなった魔法使いは、任を解かれ、特区で協会職員として再就職することになっています。つまり――」

 重大な秘密を打ち明けるように。


「新城結意が魔法を使えなくなれば、それはあなた方との別れの時になります」


     ☆


 玄関のドアを眺めて、俺は深くため息をついた。

 さんざん語りまくった挙句、言いたい事を言い尽くしたら、豊田さんは名刺一枚を残して風のように立ち去ってしまった。

 彼の話した事を、どこまで信じていいのかわからない。

 ただ……。


 背後でかすかに物音がした。

 豊田さん自身が魔力を持ってはいない、ということは確かなようだ。あの部屋に、魔力で気配を潜めて隠れている誰かが居るということに、まったく気付く様子がなかったのだから。

 俺も数秒前まで忘れていた。

 いま、術が解けた。

 同時に、背中に変な汗がふきだす感覚。

『彼女に、魔法を信じさせてやって欲しいんです』

 その願いに、もちろん異存はない。

 ユイさんが心地よく『魔法』を使い続けられる世界であって欲しいという点で、俺の願いと豊田さんの願いは、たしかに利害が一致していると言えるだろう。

 ユイさんが魔法使いとして特殊で不安定な存在であり、俺が彼女のために少しでも出来る事があるというのなら、喜んで協力したいと思う。

 だけど。

 そんな話を、本人がすべて聴いていたとしたら。

 自分が監視され、特殊扱いされ、魔力もいつか消えていくだろうということを。

 何の前置きもなく、あまりにも不用意に聴いてしまったのだとしたら。

 襖が開いて、押入れの中から人が出てくる気配がした。

「レイジくん……」

 振り向くと、押入れから出てきたユイさんが、ローファーを握り締めたま、泣きそうな顔で突っ立っていた。

 ……押入れの中を土足で汚さないようにと気遣ったのだろう。靴の裏を自分の胸に押し付けていたらしく、白いセーターが土で汚れてしまっている。


 俺は……どうすりゃいいんだ?

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