訪問
冬休みが間近に迫っていた。
風はいよいよ身を切るように冷たくなり、街は赤や緑に飾り立てられている。
俺の家は、商店街に程近いので、浮かれた曲やロマンチックな曲が、かすかに窓の外から聞こえてくる。
ああ、もうすぐクリスマスだな。
恋人とふたりで云々……みたいなロマンチックな予定は生まれてこのかた一切ないし、寝ている間にサンタさんがプレゼントを靴下に入れてくれなくなってから久しい。とは言え、この時期のお祭りムードはそれなりに楽しいし、それなりにわくわくする。
クリスマス辺りから学校が長期休みだから、っていうのもあるんだろうけど。
今日は日曜日。学校は休みだ。
特に用事も約束も無かったので、俺は自分の部屋のベッドの上でごろごろしていた。年賀状の一枚でも書いたほうがいいかなとは思うものの、冬休みが始まるまでは、とてもそんな気分になれない。
自室にもコタツが欲しいなぁとは思うのだが、母さんに言うと「そんなもの買ったら一生コタツから出て来なくなるでしょーが!」とにべも無く断られた。……実際その通りなので文句は言えない。
まぁ、ベッドの上で毛布にくるまっているだけでも、じゅうぶん心地良い。
天井を見上げて、ぼおっと何もしない。
力を抜いて身体を伸ばすと、今年一年のいろんな事を思い出す。
とりあえず、思い浮かぶのはユイさんの顔だ。
何しろここ数ヶ月は、ユイさんと出会ったおかげで、俺の人生や世界観が一変した、と言っても過言ではなかったからなー。
『魔法』とか、『召喚』とか、『遊動体』。
あの日、俺のところに間違い電話がかかってこなければ、自分が暮らしているこの世界にそんな一面があるなんて、知らないまま一生を終えていたかも知れない。
それに……。
ごろん、と寝返りをうつ。
……それに、あの電話がなかったら、ユイさんに会えなかった。せいぜいがとこ、学校でたまにすれ違って会釈する上級生のままだったろう。
陳腐な表現だけど、人の出会いってのは不思議なものだ、と思う。
出会えただけでも、きっと、ユイさんと出会えなかった人生よりは、ずっとずっと恵まれているんだろう。
だから、「それ以上」を望むのは、多分けっこうな高望みであるとは思うんだ。
思うんだけどね。
……そう言えば。
ここ数日学校で、ユイさんが中ノ島と一緒にいるのをちらちら見かけるような気がする。昨日も何やら放課後の廊下で、相談でもしているような様子だった。
女の子同士の秘密の会話だったら、俺が口を出すのは無粋だろうと思い、見て見ぬ振りを貫き通した空気読める俺だが、妙に嬉しそうに笑っている中ノ島と、しきりにこちらを見ては目をそらす様子のユイさんが気になってはいた。
これがゲームの世界なら、このあと告白イベントが来る所なのだろうけど……さすがにそんなゲームみたいな展開はないんじゃなかろうか。
そもそも、俺はまだユイさんとはちゃんと「友達」って奴にもなりきれてないんじゃないかっていう不安が、実はある。
そんなことを、ぽわーんと考えていたとき。
ぴんぽーんと、玄関のドアチャイムが鳴った。
☆
二~三秒ほどチャイムを聞き流して呆けていたが、そういえば今日は親が出かけていて、家に俺ひとりしか居ないのだと気付き、しぶしぶ毛布から出る。
母さんの趣味のスイーツお取り寄せか、はたまた怪しい健康グッズのセールスか、あるいは宗教勧誘か。
何にせよ、めんどくせーなぁと思いつつ、玄関前まで降りてインターホンの受話器を取った。
「はい?」
『あ、レイジくん?』
一瞬、耳を疑った。
……ユイさんだ。
「ど、……どうしたの?」
ドアを開ける。
当然そこにはユイさんがちょこんと立っていたわけなのだけど、俺は思わず彼女に「どなたですか?」と言ってしまいそうになった。
ユイさんの私服姿、初めて見た。
おそらく、流行のファッションって奴とはだいぶ違うだろう。ごく普通の白いセーターに、茶色っぽい色合いの、チェック柄のスカート。紺色のハイソックスは、よく言えば防寒に適している感じ、悪く言えば分厚くて色っぽさが足りない感じ。それに、焦茶のローファー。
ものすごく普通の、地味な格好。
それでも、セーラー服姿しか見たことのなかった俺には、じゅうぶん新鮮に思えた。というか、もしもユイさんが、流行最先端の衣装に身を包んでそこに立っていたなら、ちょっと対応に困ってしまったと思う。
(こういうのも似合うな)
そんな、微妙に照れくさい事を思いつつ。
俺は当然の事ながら、昨日の中ノ島とユイさんのひそひそ話を思い出していた。
妙に緊張して、耳が熱くなる。
いきなり俺ん家に来るなんて。
これはもしかして、本気で、まさかの展開なのか?
「えっと、今日は何の」
「あ、あのねっ」
「あっ」
「あっ」
言葉が重なり、お互い遠慮しあって口ごもる。
やべー、気まずい。
ユイさんは、所在なさげに辺りを見回して気にしている。あぁそうだ、用件が何であろうと、玄関のドアを開け放してつっ立ったままで会話っていうのも落ち着かないよな。
「とりあえず、入って。外寒いし。お茶くらいは出せるよ」
「え、あ、うん」
だいぶ恐縮した様子のユイさんに「今、親いないから、緊張するこたないよ」と言いそうになったけど、「今、親がいない」という言葉を変に深読みされてもまずいな、と思って言い淀んだ。ていうか俺も相当混乱している。
「おじゃましますー」
ユイさんが、靴を脱いで玄関に上がる。
いちばん奥の俺の部屋に連れて行くのもちょっとどうかなーと思い、玄関から入ってすぐ右側の、和室風の居間に案内した。そもそも、俺の部屋は散らかっていて、男の友人でも今入ってこられたらちょっと困るレベルなんだけど。
「コーヒーでいい?」
「いいよ、そんな、気を使わなくても」
「いや、俺も飲むし。まぁインスタントだけどね」
「ありがと」
「で、今日は何の用なの?」
ごく自然な会話の流れを装って、さらっと軽い感じを意識して、俺のほうから切り出してみた。何だか、俺までおどおどした様子だと、このままユイさん、恐縮しっぱなしで何も言えないんじゃないかなって感じだったので。
「魔法関係の用事なら、『召喚』すればいいよね。それとは別件?」
「んー……うん」
どうも、歯切れが悪い。
ちゃぶ台にカップと、適当に見繕ったお菓子などを置いて、俺もユイさんの向かいに座る。女の子の扱いみたいなモンには全く慣れていないけど、ここで「早く言えよ」などと急かしちゃいけないって事くらいは、さすがにわかる。
「…………」
……たぶん、沈黙は一分も続かなかったと思うけど、俺には何十分にも思えた。
ようやくユイさんは、上目遣いに俺を見て、
「中ノ島さんがね」
と、ぽつりと言った。
「中ノ島? あいつに何か言われた?」
「レイジくんの家に行けばいいんじゃない?って……」
「はい?」
話が見えない。
「だからー、中ノ島さん、レイジくんといちばん仲良さそうじゃない。あぁ、朽木さんもレイジくんと仲良さそうだけど、男の人だから話しかけにくくて」
「まぁ、うん。そうだな」
「だから、中ノ島さんに聞いてみたの。どうしたらそんなに、うまく仲良くいられるの? って……」
「仲良く?」
「だって私……魔法使いだから」
ユイさんは拗ねたような声で言った。自分の気持ちを、うまく伝えるのに慣れていなくて、困ってしまってるような声。
それでも、訥々と。
「自慢っぽく聞こえたら、ごめんなさいなんだけどね。私の通ってた学校って、魔法使いのエリート校みたいなところだったの。卒業したら、すぐに仕事として各地に赴任させられることになってて、けっこう選び抜かれた精鋭が集められてた。……まぁ、私はその精鋭の中で最底辺だったわけだけど」
自嘲気味に言う。
そんなことないよ、みたいな慰めの言葉でもかける事ができれば良かったのかもしれないけれど、魔法の話となると、適当な事を言っても見透かされてしまうような気がして、俺はうまく言葉にできない。
「私の住んでいた町は『魔法特区』って呼ばれてて、この辺りとは違って、魔法はもっと日常的だったの。魔法による犯罪を防止する条例もあったし、学校で魔法の理論を学ぶ授業なんかもあった。
とは言え、魔法学校に選抜されるような子は、小さいときから勘が鋭すぎたり、フツーの人から見れば奇妙な行動を取ったりして、親や近所の人から微妙に疎まれてたりするんだ。そういう子を、間木記念協会の人が、戸別訪問で学校にスカウトしていくの。
基本的に全寮制で、学費全額が公費負担で、卒業したら全国各地に「魔法使い」として即赴任していくシステムになってるから、その学校へ、大抵の親は大喜びで子供を入学させるわけ」
遠くを見るような目つきで。
「体のいい厄介払いだよねー」
「……」
「私の家もそうだった。虐待とか放置とか、そういうはっきりした悪意はなかったんだけどさ。だけど、だからこそ文句言えないっていうか。なんとなく、母さんや父さんに、心から甘えられなくて。どことなく、ここは私の居場所じゃないって感じがあって」
……うう。これもまた魔法以上に、かける言葉を見つけにくい、重たい話だ。
「だから、魔法学校って、すごく幸せそうな場所に見えたんだー。やっと、自分の居場所を見つけられて、同じ能力で競い合う仲間が出来て、理解されて、指導してもらえて、世の中の役にまで立つことができるんだもん。……でも、私はそこでも、うまく立ち回ることができなくて」
「……」
「中途半端だったんだよねー。町では、ちょっと魔力を持て余した、扱いづらい子。学校では、ちょっと平均点より低い、落ちこぼれの子で。
クラスの子は、前にも言ったかもだけど、魔法が使えない人は自分より下、魔法使いの自分たちは選ばれた者っていう意識が強いから。私は、いじめられてたって程でもないんだけど、何となく、本当に仲良しの友達が作れなくて」
「……」
「ずっと、何処にもうまく所属できずに、ひとりで生きていくのかなって。――そんな悲観的なことを、思ってたんだよねー」
ユイさんは、そこまで喋ると、ふぅ、とため息をついて、だいぶ冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
俺は……失礼な言い方かもしれないのだが、ユイさんのそういう孤独感や疎外感みたいな部分については、共感や同情はしたけれど、それほど動揺したわけではなかった。
そんな感情はたぶん、魔法には関係なく、俺だって持っている物だと思う。
むしろ、気になるポイントは、そこじゃなくて。
ユイさんが住んでいたという、魔法が日常にフツーにある街。そんな場所があるだなんて、初めて聞いた。これって、けっこう最高機密みたいなもんなんじゃないのか? こんな風に一般に喋ってしまって、いいものか?
それとも、俺が無知だっただけなんだろうか?
「……だからね」
コーヒーを飲み終わって、ユイさんが言葉を継いだ。
「仲良くしよう、みたいなこと言われたの、レイジくんたちが初めてだった」
「……そうなんだ」
「嬉しかったよ。でも、そういうのって、私よくわからない」
友達とは何か、だなんて、俺もよくわからないよ。そんな茶々を入れそうになったけど、黙っていた。
「召喚して、一緒に『遊動体』を退治するっていうのは、ちょっと違うと思う。こないだ、パン買って一緒に下校したよね。あれは仲良しって感じがした。あと、屋上にいた時も少し、そんな気がした」
屋上のことを言われると、何故か照れる。
「どうやったら上手く、そんな風に振る舞えるのかなって思って。それで、レイジくんと一番仲が良さそうな、中ノ島さんに相談してみたの」
なるほど、そうつながるのか。
しかし、そこから何故、俺ん家に訪問という話になるんだ?
「中ノ島には、どういう風に相談したの?」
「えーと……『私、レイジくんともっと仲良くなりたいんだけど、どうすればいいと思う?』……って訊いたよ」
うわぁ……直球だ。
何となく嫌な予感がする。
「……で、中ノ島は何て答えたの?」
「すっごいニコニコしながら、『そういう時は、家に押しかけちゃえばいいのよ』って言ったよ。だから、今日、来てみたんだけど……」
俺は頭を抱えた。
……ユイさん。
中ノ島のそれはたぶん「ニコニコ」じゃない「ニヤニヤ」だ。
間違いなく、中ノ島は、ユイさんの相談を「恋愛相談」だと思ってる。
ユイさんと俺が、まだ「友達」にもうまくなりきれてなくて、微妙な距離を取って逡巡しているだなんて思ってないんだろう。とっくに友達で、その上で「もっと仲良くなりたい」だなんて言ってると解釈して……それで……。
ニヤニヤしながらそんな事言ったんだ。おそらく、冗談交じりで。
いや、あいつの事だ。あながち冗談でもなかったかもしれない。好きなら自分から押し倒しちゃえばいいのよ、くらいの事は言いそうだし、好きな奴ができたらさくっと実行しそうだ。そういう奴だ、あいつは。
いやいやいや。今は中ノ島のことはとりあえず、どうでもいい。
ユイさん……。
純粋培養なんだか天然なんだか知らないけど、中ノ島のアドバイス(?)を「友情の悩みに対する回答」として真に受けて、俺ん家に来ちゃったわけだ。
さて。
そんなシチュエーションで、俺はいったい、どうすればいい?
「中ノ島さんに言われて来たのはいいけど、それでどうすればいいのかまでは、実はよくわからないんだよねー」
ユイさんも、ようやく人心地ついたのか、苦笑しながら冷静な顔で、そんなことを言い出した。……今さら、何を。
「お話でも、すればいいのかな?」
こちらを見て、首をかしげるユイさんを見て。
「話は、たった今いっぱい聞かせてくれたじゃないか」
俺は、知らず知らず、少し笑ってたと思う。
「あはは、そうだねー」
ユイさんも笑った。
なんだ、中ノ島のアドバイス、結構役に立ってるんじゃないか?
「ま、せっかく遊びに来てくれたんだし、話をしようっていうのは悪くない。コーヒーもう一杯入れるよ。あと、お菓子。食べたいのがあれば、うちの戸棚に入ってる範囲で善処するけど。おやつでも食いながら、どうでもいい話とかしよう」
「それなら私、クッキーよりおせんべが好きー」
「あ、そうなんだ」
見た目のイメージで勝手に、クッキーとかマカロンとかの可愛い系お菓子が好きだと思ってた。……マカロンってどんな食べ物なのかよく知らずに言ってるけど。
「じゃ、ちょっと待ってて」
コーヒーカップをはす向かいのキッチンに持って行き、鼻唄まじりでお湯を沸かす。
ようやく「今、女の子が俺の家に遊びに来ている」という、幼稚園のお誕生日会以来とも言える状況に、少し心踊る程度の余裕もできてきた。
中ノ島が思ってるよりは、だいぶ手前の気持ちかもしれないけれど。
ゆっくりで構わないよな。
そんなことを、暢気に思っていた時。
ぴんぽーん。
本日二度目の、玄関のドアチャイムが鳴った。
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