永遠じゃない日々

「おーい、タカナシー」

 下校しようと立ち上がったタイミングで、俺は背後から声をかけられた。

 中ノ島だ。相変わらず大声。教室で目立つことこの上ない。

 まぁ、こいつの性格のお陰で、お前ら怪しいとか何とか、不要な疑いをかけられる事がないのだけは幸いなのだけど。

「何だよ、いきな……りぃ!?」

 驚いて、語尾が妙な具合に跳ね上がってしまった。

 中ノ島の横にユイさんが居た。

 二人が並ぶと、その大きさと小ささのコントラストが実によく目立つ。俺よりでかい中ノ島の胸の、灰緑色のリボンの辺りに小さな頭があり、困ったような照れたような顔をして、こちらを見ていた。

「な、何でユイさんが来るんだよ。おい中ノ島、お前まさか無理矢理……」

「いきなり人聞き悪い事言うんじゃないわよ」

 鼻を鳴らして(そういう事するから、女らしくないって言われるんだ)、中ノ島は俺を見下ろした。

「アンタ、新城先輩のこと、気にしてんでしょ」

「うっ」

 否定する余地はない。……「気にしてる」という言葉にどういうニュアンスを込めているのかまでは読み切れなかったが。

「そーんなに気になるなら、同じ学校なんだし、ちょっと様子見に行けばいいのに、むしろ避けて通ってるじゃん」

「何でそういう事まで把握してんだよ」

「あたしとアンタの仲じゃない。ばーか」

「ぐぐ」

 こいつには何故か、言い返せない。

「細かい事は知らないけどさー。気になる人が居て、でも一歩踏み出せずに居る、みたいなシチュエーションってイライラするじゃん。だから、新城先輩を呼んで来た」

「何て言って……」

「タカナシレイジと遊んでやってよ、って言って」

 あまりにも直球すぎる……。

 こいつはいつも、こうだ。

「でも、手ぇ引っ張って無理矢理連れてきたとか、遊んでくれなきゃ殺すとか、そういう無理強いは一切してないよ?」

 中ノ島は、ユイさんをちらっと見て、微笑んだ。

「『そんな感じなので、気が向いたらそのうちに』って行って、教室に戻ろうとしたら、先輩が自分から付いて来たんだから」

「……そうなの?」

 ユイさんがかすかに頷いた。


 ああ、そうか。

 もしかしてユイさんはちょっとだけ、待っていたんじゃないだろうか。

 俺がユイさんの面倒くさい領域に、踏み込んでくる時を――。

 ただ、俺と同じで、自分から踏み込む勇気がなくて。


「とりあえず、住んでる所を訊いたら、帰り道は途中まで大体同じ方向みたいだし」

 そんな俺たちの目と目の会話を気付かないような様子で、中ノ島が言う。

「みんなでなかよく一緒に下校、ってあたりから始めたらいいんじゃない?」

 あっけらかんと。


「……くそー」

 かすかに呟いたのを、耳ざとく聞きとがめられた。

「何。何か文句あるの」

「いや、全然」

 俺は少し、笑っていたと思う。

「中ノ島。お前にはかなわないよなーって思って」

「はぁ? わけわかんないし」


 傍から見ればささやか過ぎるエピソードだから、多分こいつは忘れてるだろう。

 だが俺の心には強く残っている。前にも俺は、中ノ島に助けられたのだ。

 ずっと昔のように感じるけど、ほんの数ヶ月前のことだ。夏休みの少し前。この高校に入学して二~三ヶ月ほど経ったあたりの話。

 ほんとうにささやかな、高校生活の一エピソード。


     ★


 めんどくさい。

 高校に入学してからの、俺のスタンスはそんな感じだった。

 別に人生を儚んではいない。苛められたりしていたわけでもない。

 ただ、めんどくさいな、と思っていた。

 中学では、仲間はずれにならないよう、適当にエロ話に乗ったり、笑ったりしていた。しつこくもなく、無愛想でもない程度に友人を遊びに誘い、友人からの誘いに乗る。楽しくないわけではない。悩みと言うほどの形にもならない。そんな日々。

 高校生になった俺は、受験から開放された脱力感と五月病のダブルコンボを喰らい……「何もかもめんどくさい」という気分になっていたのだと思う。

 中学時代に仲が良かった奴らは、皆違う高校に進学してしまった。人間関係がリセットされた状態でスタートした高校生活。また、気の合いそうな相手を見繕って適当に話しかけるという、コミュ作りを最初からやり直さなければならないのがどうにも億劫だった。何となく、教室にいる気分になれず、校舎をふらふら、人気のない方へと選んで歩き回っているうちに、あの鍵の壊れた屋上への扉を見付けたのだ。

 誰もいない屋上は、俺だけの秘密基地だ。……そんな、ガキっぽい事を思いながら、俺は時々、昼休みにそこへ行き、まつみやの菓子パンを食っていた。

 誰にも邪魔されず空を見上げてぼんやりしていると、心地よい開放感に満たされ――

(とは言え、ずっとここで暮らすわけにもいかんしなぁ)

 ――絶えずひとかけらの不安を抱えてもいた。


「タカナシ君」

 中ノ島が突然話しかけてきたのは、六月頃だったと思う。

 梅雨に入って、毎日しとしと雨模様だった。屋上に出られず、仕方なく教室でぼっち飯を食ってた時期だ。

 そうか、最初は一応、あいつも俺を君付けで呼んでたんだっけな。

「はい。……えーと?」

「同じクラスの中ノ島。中ノ島りりこ」

 名前を言われて記憶が繋がった。クラスの女子で一番背が高くて、でかいな、と印象に残っていた奴だ。

「はい。中ノ島さん、何か用です?」

「いつも菓子パン持ってるでしょ。それ、学校の売店のじゃないよね」

「……」

 良く観察してるなぁ。

「前からずっと気になってたんだけど、タカナシ君って、休み時間ってすぐ消えちゃうじゃん。やっと捕まえられた。うれしー」

 そう言って、中ノ島は本当にうれしそうに笑った。馴れ馴れしいなぁ、と思っても良かったんだけど、意外とそういう気持ちにはならなかった。

「これ、まつみやって言うパンの移動販売車で買ってるんだよ。朝と夕方に町を巡回してる」

「まじで! 気付かなかった」

「通る時間決まってし、学校の近くにはあまり来ないから、タイミング合わない人は、知らない人も多いんじゃないのかな」

「へー。今日は巡回する?」

「年中無休だよ」

「そっかぁ、ありがと」

「……どうも」


 その会話で終わりかと思っていたら、放課後、中ノ島はまた来た。

「じゃ、行こう、そのパン屋」

「……は?」

「あたし今日、部活ない日だから。パン屋が通る場所に案内して」

「何で俺が」

「毎日そのパン食べてるの、クラスでタカナシ君だけじゃない。他に誰が案内するの」

「案内なくても、変な曲流してるからすぐわかるよ。俺も巡回ルートをちゃんと覚えてるわけじゃないし」

「えー」

 中ノ島は眉根を寄せた。とは言え、本気で怒ってるという顔ではない。

「菓子パンは、誰かと食べた方が美味しいもん。付き合ってよ」

 上から見下ろされる形で言われると、何故だか断りにくい。

 というか、それほど断るつもりもなかったように思う。

 誰かと食べた方が美味いのは、俺にだって前から判っていたんだ。

「……わかったよ、行こう」

「よし。じゃ、あとは……」

 中ノ島は不意に、クラスの隅っこで黙々と本を読んでいる男子に声をかけた。

「朽木くーん!」

 予想外の名前だ。

 クラスでは俺よりずっと変人ポジションの、本ばかり読んでるメガネ男子の朽木は、顔を上げて俺たちを見た。……入学して初めて、目を合わせたんじゃないだろうか。

「何?」

「朽木君もよくタカナシ君のパン見てたじゃん。今から買いに行くから一緒に行こ」

「……」

 何をいきなり言い出すのかと思ったが、朽木は特に反論する様子も不審がる様子もなく、ふらっと立ち上がって付いて来た。

 ……後から訊いたところによると。

 俺が時々食ってたメロンパンが、校内の売店及び近所のスーパーにも取り扱っていない、自分のデータにない商品だったので、その出自を気にしていたのだそうだ。ご近所の菓子パンデータまでコンプリートしたいのかよというのと、あまり感情を露にしない朽木のそんな好奇心を、中ノ島はよくぞ気付いたもんだという事に、俺は二重に呆れた。

 ともあれ。

「男子二人引き連れて、あたし超もててない?」

「こういう強引なのは、モテって言わねーと思うけど……」

 俺たちはこんな感じで、何となくしょっちゅう一緒に行動をともにするようになり、そのままなし崩し気味に友人となったのだ。

 ドラマにもならない程度の、ごくありふれた出会いの話。


     ★


 中ノ島――。

 鋭いんだか鈍いんだか、ちっともわからない。ただ時折、躊躇なく大胆な行動を取ることができるのは尊敬している。コイツの言動をウザイとかお節介とか思っている人も居るだろうとは思う。大失敗することもあるようだし、うまく行くこともあるだろう。

 ただ、どちらにしても、そうと決めたら、彼女の歩みに迷いはない。

 そんなことを思いながら、自分が情けなくなる。

 俺はまた、面倒くさがって、「何もしないこと」を選ぼうとしていたんだろうな。

 いつまでも中ノ島が俺の面倒を見てくれるわけじゃない。いつも、中ノ島が、停滞した世界に優しく踏み込んでくれるわけはない。

 俺はいつか、ちゃんと自分で判断して、傷付くことも覚悟で、大切なものを守るために、動かなきゃならないんだろうなぁと、理屈ではわかっている。

 今日から、明日からってのは無理っぽいけど。

「んー……」

 ……まぁ。いつか、本当にその日が来たら考えなきゃいけないんだろうな。


     ☆


 そんなわけで。

 俺たちは学校を出た。ユイさんと中ノ島の他に、何故か朽木もついて来ている。

「お前は下校、反対の方角じゃなかったっけ?」

「興味あるので」

 朽木はユイさんをちらっと眺め、眼鏡の弦を弄りながら呟いた。

 なるほど。この機会に少しでも、謎の人物・新城結意のデータを集めたいと言う魂胆だろう。

「ともだちは沢山いた方がにぎやかでいいよね」

 中ノ島は上機嫌だ。

 ユイさんの表情はいまひとつ読めない。嫌がっているわけではないと思うのだが、何処となく落ち付かない様子ではある。

「新城先輩って、そういえばどうしてタカナシと知り合ったんです?」

「え、んーと」

 中ノ島に質問され、ユイさんは頬に指を当てて少し考えてから、言った。

「……転んで、マンホールに嵌まってるの、助けてもらって」

「ええー、何ですかそれ」

 がはははは、みたいな感じで豪快に笑う。一応口調は敬語だが、失礼な。

 まぁ、嘘は言っていない。

 『魔法』の部分は、一応暈かすのだな、と俺は思った。『使い魔』である俺と、その他の無関係の人たちの間には、やはり線引きみたいなものがあるのか。

「転校して来られたんですよね。前はどこに住んでたんです?」

「んーと、わりと田舎だったよ」

「へー。でも言葉使いとか、綺麗だし」

「おい中ノ島。あんま質問攻めはやめろよ」

「えー、別に、世間話じゃん」

「ユイさんもあんまり嬉しそうじゃないだろ」

「おー。名前で呼んでるんだ。仲良しー」

「あ、いや」

 改めて指摘されて、口ごもる。

「会った時、先輩って知らなかったもんだからさ」

 参ったなぁ。あまり喜ばしくない話の流れだ。

 友達になろうとしている同士でなら、まぁこのくらい普通レベルの質疑応答なのかもしれないけれど、その度ごとに『魔法』の部分を誤魔化し誤魔化し話さなければならないとなると、歯切れの悪い返事にもなるだろうし、その様子は、愛想の悪さみたいに思われてしまうかもしれない。

 そんな事情だから、ユイさんは自分のクラスで微妙に上手く行ってないのかな……。

 俺は困って、意味もなくケータイをぱかぱかさせた。

「いま、四時五分、か」

 俺がそう言うと、横で朽木がぼそっと。

「もうすぐ来る」

 と、呟いた。

「ん? 何が来るの?」

 ユイさんが聞いた。彼女が朽木に話しかけるのはこれが初めてだ。――というか、今まで朽木がろくに言葉を発しなかったため、会話しようにも出来なかったわけだが。

「パン屋の車」

 そう言って、朽木が通りの角を指差すと。

「おいしいパンで みんながニコニコ♪」

 例の、間の抜けた音楽が聴こえてきた。

 しばらくの後、まつみやの移動販売車が、指差したその先に現れる。

 毎度の事ながら、松宮さんは几帳面だ。

 しかし朽木、まつみやの巡回ルートと時間を調べてる事は知ってたけど、それを全部暗記までしてたのか。なんつう記憶力だ。


「朽木……まつみや号の巡回時間なんて、良く覚えてるわねー。食い意地が張ってるっていうか、何ていうか」

 中ノ島は、呆れたようにそう言ってた。……言いながらも、さっそくポケットから小銭入れを取り出している。こいつ、よく食うんだよなぁ。まぁ、横じゃなく縦に成長してるんだから、幸せなことだとは思う。

 ともあれ、話を逸らすのには成功だったようで、俺はほっとした。

 朽木も、中ノ島のあとについて、パンを買おうと車に近づいていこうとしたが、

「いまの、すごーい」

 ユイさんに、真顔でそう言われ、立ち止まった。

「あなたがパン屋さんを召喚したの?」

「……まぁ、はい」

 朽木は頷いた。いや、そこは頷いていいのか?

「朽木ー。お前が呼んだわけじゃないだろが」

「同じように予測できるなら、それがデータに基づいた科学でも、魔法の力による召喚でも、どちらでもいいだろうから」

 小難しい事を言われ、煙に巻かれた気分。

「あなた、魔法が使えるの?」

 ユイさんもこんな与太を信じるなよー。

「違う違う。こいつ、パン屋の車がいつ何処に通りかかるか、全部覚えてんだ」

「えー、残念」

 朽木は、訓練された友人でなければほとんど見分けが付かない程度に不満そうな顔をしている。俺があっという間にネタをばらしたのが気に食わなかったのかも知れない。

「魔法かトリックか区別が付かないなら、魔法でもいいと思うんだが」

 そんな事を小声で言った。

 今のやりとりが、ユイさんにとって何らかの『地雷』だったら申し訳ないなぁと気になったけど、彼女はむしろ楽しそうな様子で、朽木を見ていた。

「魔法じゃないのか、残念だなー」

 そう言ってから、俺にだけ聴こえる小さな声で、耳元で。

「こういう事言うと、魔法使いとしては失格かもだけど。いっそ誰でも魔法がちょっとずつ使えるほうが、いいんじゃないかなって思う時あるんだよね」

 そう言って、ふわりと身をひるがえし。

「ね、レイジくん。オススメのパンってどれー?」

 まつみや号に向かって、スキップして行った。


 俺たち四人は時々、一緒に下校するようになった。

 中ノ島は、妙にユイさんの事を気に入ったらしく、俺や朽木が付き合わない時でも、時々勝手にユイさんを捕まえて、二人で行動している様子だった。

 いいんじゃないかな、と思う。

 生意気な物言いだけど。

 魔法使いの学校とやらでは、落ちこぼれ生徒として疎外感を覚え、赴任先の高校では、たったひとりの「魔法使い」として疎外感を覚え――。ずっと、ひとりぼっちで、ただ言われるままに仕事をこなすよりは。友達と、下校途中にパンを買い食いして馬鹿話するような、その程度の幸せくらい、誰にでもあっていいんじゃないかなって。


 そんな、のほほんとした日々、永遠じゃないんだろうけどさ。

 いつか終わるからこそ、今くらいはいいんじゃないかって思ったんだ。

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