解放
ユイさんが着ていたのは、ごく普通の学校の制服で。
つまり、下はスカートだったわけで。
しゃがんだ俺の肩になんの躊躇もなく乗っかってきた様子からして、多分下には防寒用に、スパッツだか毛糸のパンツだか、見えても大丈夫な類のものを着用してたとは思う。思うんだけど……。
肩や首に触れる布地の感触から、ユイさんが穿いているものがなんなのかを推理するほどの余裕は、俺にはなかった。というか、そんなこと考えちゃ駄目!と、必死で自省していたように思う。別に心を読まれるわけでもないのに。
ともあれ。
肩にまたがったユイさんは、俺の予想よりもだいぶ小さくて軽かった。
御飯ちゃんと食べてんのかな、と心配になる。そう言えば、両親とは離れて暮らしてるわけだから、いま一人暮らしなのかな。こないだ屋上で見た手作り弁当、俺の目にもイマイチ上手じゃなかったのがわかったくらいだし……引っ越してきてまだ間もないから、うまいメシ屋やパン屋も知らないんだろうなぁ……。
そんなことをぐるぐる考えていると、不意に――。
風が吹いた。
強くて冷たいけれど、心地よい風だ。
同時に、重たく空を覆っていた雲が流れ、隙間から太陽が顔を出した。
光の筋が幾重にもなって、地上に差し込んでいる。陳腐な表現だけど、まるで宗教画のように綺麗な光景だ。そして、陽光はちょうど『結界』の真ん中あたりを照らしているような気がしたように思えた。
日が差すと、気分まですがすがしくなるなぁ。
……と。
そう思ったのとほとんど同時に、ユイさんが脚をぱたぱたさせた。
「ありがと、降ろしてー」
頭の上から声がする。
少々名残惜しく思いながらも、俺はユイさんを降ろした。
首周りが、まだほんのり暖かい。
耳が火照っているのは、ユイさんの脚が触れていたという理由だけではない。
「これで、終わり?」
満足そうな表情のユイさんにそう尋ねると、彼女は頷いた。
「うん、結界が機能し始めた感触はあるから、補助の呪文や追加の封印はなくてもだいじょぶだと思うー。一応、今から保育園周辺の様子を見に行ってみる。レイジくんに頼まなきゃいけない事はないから、もう帰っていいよ」
「え、うーん……」
「ん、何?」
「いや、せっかくだから最後までつきあうよ。無事仕事が成功してたら、お祝いにコーヒーくらいおごるからさ」
意外と自然に、そんな台詞を言うことが出来た。
ユイさんとプリクラ撮ったり肩車したりして、もしかすると少しだけ、強気になっていたのかもしれないし――。
あるいはさっきの強い風が、『遊動体』と一緒に、俺の心の凝りまでも、一瞬吹き飛ばしてくれていたのかも知れない。
保育園周辺は、実にごく普通の住宅街という様子にしか見えなかった。
ちょうどお迎えに来たらしき、ママチャリの母親たちの周りを、幼児たちがきゃっきゃ言いながら駆け回っている。
ユイさんが「うんうん」と満足そうに頷いているのは、『ごく普通』であることこそが正しい姿であるってことなのだと思う。
つまり、仕事はつつがなく完了したというわけだ。
いつのまにか良く晴れていた空を見上げる。
俺の目には見えないけど、ユイさんにはこの空に、五角形の大きな結界の光が見えているんだろうか。そこらに飛び交う『遊動体』を、漂う影のように見てしまうこともあるんだろうか。
そんなものが見えるのって、どんな気持ちなんだろう?
「ありがとー、レイジくん。『遊動体』はちゃんと浄化されてるみたい」
「そかそか、おめでとう」
そんな事を言いながら、近くの自動販売機に向かう。「私のほうが手伝ってもらったんだから、お金だすよぅ」なんて言ってるけど、気にせず小銭を投入。
「ごめんねー、ありがと」
「お祝い、お祝い」
近くの公園のベンチに二人で座った。
缶コーヒーを飲みながら、しょぼい枯れ木や鳩を眺め、ぼおっとする。
「寒くなってきたねー」
そう言ったユイさんの口から白い息が漏れる。
魔法がうまくいって安心したのか、けっこうリラックスしてる様子。
「ね、ユイさん。これ、秘密なら別に話さなくてもいいんだけどさ――」
「ん? なぁに?」
さっきの強気が、まだ俺の中に残留しているこの機会に、いくつか質問をしてみようかな、と思いたった。
「ユイさんが退治してる『遊動体』ってさ、どっかの悪の組織みたいなのが作った怪物みたいなもんなの?」
「んー……そういうんじゃないなー」
どう説明すべきか、迷っているようだ。
「無意識の集合体、みたいなものだって、教わったかな」
「無意識?」
「うん。人間って内心では色々、犯罪願望や恨みや妬みみたいなものを持ってて、でもそれを表には出さずに、我慢したり誤魔化したりして、フツーの善良な市民として暮らしてるわけ。でも、無くし切れない心の中の歪みがあって、それが実体化して外に漏れたもの、それが『遺留害意遊動体』」
「ふーん……」
わかったようなわかんないような。
「悪意とか恨みつらみって、ずーっと拘ってても、いい事ないでしょ。愚痴ったり泣いたり、大人ならお酒飲んだりして、無理矢理晴らさなきゃいけないときもある。真っ正直にそういう負の感情といつも本気で向き合ってたら、辛くて生きてけない」
「まぁ、そうだね」
「だから、そういう気持ちを捨てていくのは、正しい判断ではあると思うんだよね。でも、ごみと同じで、捨てた後きちんと後始末する人がいないと、街がごみだらけになるってことだね」
「んー。けっこう大変な仕事だよね。裏方って感じで」
「まぁねー」
「ああ、そういえばさ」
ついでに、前から思ってたことを口にしてみる。
「ユイさんの魔法って、プリクラとかぬいぐるみとか、可愛いよね」
「えっ、か、可愛い?」
「うん。女の子だなぁって感じがする」
「う、うわー」
ユイさんは照れた顔して足をばたばた。
その仕草もまた可愛いな、と思うけど、あまり繰り返して言うのも嘘くさくなりそうだし、何より俺が気恥ずかしい。
「やっぱ、魔法って、その人にあったやり方っていうのがあるのかなーって思って。ユイさんの魔法はユイさんっぽい感じがする」
「にゃー、ありがとー……確かに、魔法に使える道具には割と種類があって、自分の気持ちにしっくり来る奴を選ばせては貰えるんだけど」
「だからつまり、例えばさ。もっと『見た目カッコいい』系の魔法みたいなのもあるのかな? って思ったんだけど」
「かっこいい?」
「そう。ロボットとか武器とか」
「あー。そういうの使う人も、中にはいるかな。ケータイなんかは基本アイテムだからみんな持ってるけど……」
「あと、前にユイさん、現代の魔法はマンガみたいなのとは違う、みたいなこと言ってたろ? それなら、現代の魔法で、一番強力な術ってのはどんな感じなんだろうなーとか……ああ、いや」
ユイさんが実に微妙な表情をしたので、もしやまた地雷でも踏んだかと思った俺は、焦って言葉を継いだ。
「別に無理やり聞きたいとかじゃなくて、単に、ふと思っただけだから。何かの規則に反するような質問だったならスルーでいいよ、スルーで」
「んー……とくに、そういうんじゃないんだ……けどー」
む?
ユイさんの反応は、何かマズい事を聞かれて俺に対して怒ってるとか、隠し事をしようとしているとか、どうもそういう感じではない。
何と言うか……。
えーと、非常に下品な言い方になってしまうんだけど、例えば。
「今日の下着は何色?」みたいな……そんな方向性の『恥ずかしい』質問をされたときのような。
そういう照れ方をしているような感じ。
小さな耳朶が、真っ赤っかだ。
「強力な魔法って言うのはあるよ。私も一応、練習したし、知ってはいる。でもあれは、よっぽど必要に駆られないと使いたくない」
「……そんなに嫌な魔法なの?」
「んー、わりと喜んで使う人もいるけど、でも、あんな恥ずかしいの、私は無理!」
自分がその魔法を使っている姿でも想像したんだろうか、頬に手を当てて、だめだめ!って感じに首を振る。
そんなに恥ずかしいって、いったいどんな魔法なんだろう。
変身するときに一度全裸を余儀なくされるんだろうか?
……なんていう冗談を思いついたが、さすがに口に出しはしなかった。
とはいえ、ついうっかり想像してしまった、魔法少女に変身するユイさんの姿は、なかなか脳裏から消えてくれず、その後しばらく困ってしまったのだけれど。
「日が暮れてきたね。じゃ、そろそろ帰ろうか」
コーヒーを飲み終わったユイさんが、そう言って立ち上がった。
最近は日が落ちるのも早い。まだ夕飯時には早いくらいの時間なのに、西の空は赤く色づき、目に見えるほどの勢いで紺色に色あせてきている。
「そうだね。……あ、そうだ」
俺は、ふと思い出して、言ってみた。
「ねえ。ユイさん」
「ん、何ー?」
「さっきのプリクラ……封印のお札のあれ。全部使い切ってないよね」
「ああ、うん。五枚しか使ってないからね。まだ半分くらいあるよ」
「俺にその半分、くれない? 記念にさ」
「え? これ?」
「一応仕事道具みたいなもんだろうし、問題あるなら別にいいんだけどさ……」
ユイさんと一緒に写真に写ることができて、嬉しかったから。
そう言いたかったけど、結局照れくさくて、語尾を濁してしまった。
ユイさんは、ちょっとだけ迷ったようでもあったけれど、
「ん、いいよ。どうせ、他の結界に使いまわせるものじゃないし」
そう言って、俺にプリクラを手渡してくれた。
「ただ、そこらへんの道端とかに貼らないでね。それなりに魔力が残留してるから、変な影響があるといけないし」
「ああ。どこかに貼ったり人にあげたりはしない。大切にしまっておく」
「へへ。そんな風に言われると、ちょっと照れる」
ユイさんは照れくさそうに笑っていた。
「まぁ……うん。大切にして。想い出にしてね」
その言い方は、何となく不安定なように思えて。俺は少し気になったけれど。
何か言うより早く、ユイさんは「じゃ、また学校でね」と言い、手を振りながら駆けて行ってしまった。
☆
帰宅した俺は、そのプリクラをどうするかしばし迷った。
女子がよく持ち歩いている、プリクラ専用のノートみたいな奴は持ってない。
引き出しに入れておくってのも、手帳に貼り付けるのも、何か違うしな。
誰に見せたいものでもないし。
ひとしきり迷った末……俺は、数枚の写真が繋がった状態のままのそれを、制服の上着の胸ポケットに入れた。とりあえず暫定的に、ここで。
できるだけ近くに持ち歩きたかった、だなんて言うと、きっとセンチメンタル過ぎて、中ノ島あたりにはからかわれてしまうんだろうけど。「ハッキリしなよ、ばっかじゃないの!」なんてさ。
彼女のツッコミが用意に想像できてしまうのが、我ながら情けなくはある。
まあ、ね。
ユイさんに対する俺の感情が、複雑なのは間違いない。
恋だとか愛だとか、たぶんそういうレベルに到達する以前の問題。
魔法がうまくかかった時、嬉しそうな顔をするユイさんは、可愛い。
そんな、魅力的で不思議な先輩と出会えて、愉快でイレギュラーな体験が出来て、俺って奴はなかなかラッキーな高校生活を送っているよな、と思う。
とは言え。
どうにもすっきりしない部分は、ないではない。
うまく言えないんだけど。
『魔法』とか『召喚』とか、そういう言葉で、俺の行動をひと括りにされたくない。
「召喚とか魔法みたいな言い方しなくても、呼ばれりゃ手伝いに行くよ」
そう、気軽に言ってしまいたいのだけど。
ユイさんにとって、自分が魔法を使えるということは、おそらく俺たち『使えない人』には想像できないくらい、誇りであり、拠り所なんだろう。だから俺はあまり強く主張できない。
でもさ。
不安になってしまう。
俺とユイさんを繋ぐ絆は『魔法』だけだと言われてるようで。
もし、ユイさんが魔法使いをやめたら。あるいは、どこか別な地域に転勤が決まって、転校してしまうことになったら。そこで別な『使い魔』を召喚したら。
ユイさんにとっての俺の価値って、なくなっちまうのかなぁ、って……。
でも。いや、だからこそ。
俺は、今こうして、ユイさんに召喚される日々を、忘れないように。ユイさんにも俺にも、愉快な思い出ばかりが残るように。
その不安から目を逸らして、笑おうとしていたのかも知れない。
そのくせどうしても割り切れなくて、ポケットにプリクラ忍ばせちゃったりしてさ。
あの日以来、昼休みに屋上へ行くのも、何となくためらっていた。
行けばそこには、ユイさんが居るのかも知れなかったけれど。
本当にひとりで居たいときに、邪魔するのも無粋な気がしたし。
……いや。これは言い訳だ。
多分、屋上で出会ったら、今度こそ彼女の泣き顔を見てしまうような気がして、どうしていのかわからなくて、怖がってただけだ。
触れなければこのままで居られるような気が、していただけなのだ。
触れてまで踏み込まなければならない、そんな面倒くさいことを、先送りにしたかったのだ。
俺はいつも、そんな感じだ――。
そんな不安定な平和に、ちょっとした風が吹き込んだのは、そろそろ木枯らしが身に沁みる、十二月初頭のことだった。
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