封印

 二週間ほど、なんとなく気まずい日が続いた。

 別に謝るようなことをした訳じゃないから、わざわざユイさんの教室まで行くのも妙かな、むしろ理由もなくただ謝られても困らせてしまうんじゃないかって気がしたし。

 そもそも俺、ユイさんとそんなに仲が良かったろうか……なんて思い出すともう駄目だ。

何もかも面倒になって、何もしないのが一番、みたいな気分になってしまう。

 登下校時や校内でユイさんっぽい人影を見ると、思わず歩く速度を調整して、すれ違わないようにしてしまう自分が、情けないとは思うんだけど。

 何もしなければこれ以上悪くならないんじゃないのかな……という気持ちがあったことは否めない。


 だから……その日曜日。

 ユイさんからの電話があったときは、心底ほっとした気持ちにもなったし――それと同時に、何とも言えない、情けない気持ちにもなったのだ。


 着信音に気付いてケータイの液晶画面を見ると「着信/ユイさん」と表示されていて、何だかひどく気恥ずかしい気分になった。

 そうか、この間『召喚』された時の帰り際、お互いの番号を登録したんだっけ。

 通話ボタンを押そうとした瞬間、背筋がぞくっとする。三度目にもなると慣れてきた。『魔法』をかけられるときの感覚だ。

 てことは、この電話の用件も『召喚』か。 

……少しがっかりしそうになるけれど、考えてみれば、ユイさんにしたって、別に俺と喧嘩したわけでもなく何か失態をおかしたわけでもない。

「何を期待してんだよ、俺」

 そんなことを、ひとりごちる。

 通話ボタンを押すと、予想通りのユイさんの台詞が聞こえてきた。

『レイジくん? 今から、お仕事お願いしていいー?』

「ああ、大丈夫だよ」

『ん、じゃあ……ユイの名に於いてお願いします』

 呪文の部分にさしかかると、歌うような調子になる。

『唐草商店街にある、ゲームセンター“FOX”の前に来てください。あ、一応、髪ぼさぼさのままとかはやめたほうがいいかも。じゃ、待ってまーす』

 ぷつり。通話終了。

 ……ゲーセンか。これはまた意外な場所を指定された。それに、髪ぼさぼさはやめてってのは何だろう?

 よくわからないが、とりあえずいそいそと鏡の前で髪を梳かす。

 鏡にうつる自分の顔は、しかし今更どうしようもなく、眼鏡ばかりが目立つ地味で大人しそうなそこらの男子、と言ったところだ。

 まぁ、生まれつきの見た目に文句言っても仕方ない。

 それに、ユイさんも、中ノ島だって、俺が見た目カッコいいから付き合ってくれてるってわけじゃない、のは判っている。

 ま、判ってはいるんだけどね。

 一応、いつも近所のコンビニに行く時の適当な服よりは多少見栄えがいいと思うセーターを着てみたりして。

 俺はユイさんに指定された場所に向かった。


     ☆


 どんよりした空模様だった。

 寒くなってきたせいなのか、最近こんな曇り空の日が多い気がする。雲は低く、彩度も低く、空をべったりと塗りつぶされたような陰気な感じがして、あまりいい気分にはならない。町行く人も心なしか、冷たい表情をしているような気がしてしまう。

 それでも、メインストリートの商店街はそれなりに賑わっており、どこからともなく陽気なBGMも聞こえてきたりする。その騒がしい通りの、特に若者がごちゃごちゃ出入りしているゲームセンターの前に、ユイさんの姿があった。

 俺に気付いて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振っている。

「あ、レイジくーん」

「ごめん、待たせたかな」

「大丈夫、私もさっき来たばかりー」

 ちょっとデートの待ち合わせっぽくもある会話が気恥ずかしい。

 日曜日の商店街は混雑していて、小さなユイさんは放っておくと人混みに流されてしまいそうにも見えた。

 服装は、いつものセーラー服。街なかで、しかも日曜日にこの格好は、少しばかり悪い意味で目立っているかも知れない。とは言え、ユイさんは特に気にしていないようだ。

 仕事をする時の制服みたいなものなのかも知れないな、と思う。

「ごめんね、せっかくの日曜にー」

「いやいや。どうせ暇してたし。それで今回は何すればいいの?」

「んっとね。まずは、こっち」

 そう言って、ユイさんはゲーセンの中に入っていった。

 ちびっ子がたむろしている、カードゲーム機やUFOキャッチャーの横を通り抜け、立ち止まったのは、プリクラの前。

 「美白」だの「目力アップ」だの、煌びやかな売り文句が煌びやかな文字で書かれており、ひとりじゃちょっとお近づきにはなりたくないキラキラオーラが漂っているその中に、ユイさんはひょい、と慣れた様子で入り、

「レイジくんもよ。早く来て」

 俺を呼んだ。

「え、何するの?」

「決まってるでしょー、プリクラよ? 写真、撮るんだよー」

「……え?」

 状況が飲み込めない俺を横目に、ユイさんは小銭を投入。あ、こういうのって俺が出すか、せめて割り勘にすべきだったんじゃないのかな――という思いが胸をよぎったけれど、それを口に出す余裕はなかった。

「フレーム、これでいいかな?」

「あ、うん」

 どれもキラキラしていて同じに見える……。

「ほら、もうちょいこっちに寄ってくれないと、画面に入りきらない」

 そう言ってユイさんは、無造作に頬を寄せてきた。

 うわ。息がかかる。

 シャンプーか何かだろうか。嗅いだことのない、いい匂いがする。

 眼鏡の縁に、ユイさんの髪の毛が触れている。

 うわぁ。

 正直、これは……まずい。

 ユイさんにどういうつもりがあるのかはわからないけど。

 どきどきしてしまう……。

「はい、笑ってよ、レイジくん。カメラ向いて、にこって」

 ユイさんが言ったけど、それどころじゃない。そもそもカメラってどこにあるんだ? って状態だ。

 ともあれ。

 わざとらしいシャッター音が響いて、どうやら撮影に成功したらしいことがわかった。

 ふはーと息をついて、その場を離れようとしたけれど、ユイさんは俺のセーターの裾を引っ張って引き止めた。

「まだだよ。写真の上にらくがきすんの」

 そういえば、画面にたった今撮った写真が表示されていて(俺、ひどい表情だ)、その横にペンが立ててある。画面にはペンの太さやら色やら図形やらがごちゃごちゃと多機能表示され、何をどう描くか悩んでいるうちに時間切れになってしまいそうだ。

 ユイさんはどうするつもりなんだろう、と様子を見ていると、ペンを一番太いサイズにして、赤い文字で画面に躊躇なく、

「封」

 と、一文字だけ書き込み、「完了」のボタンをクリックした。

 なんだこりゃ。

 そしてまたしばらく待つと、横の取り出し口に、俺とユイさんのプリクラが出てきた。ユイさんはそれを見ながら、

「うんうん。レイジくんが妙に緊張した顔をしてるけど、上出来」

 と、満足そうだった。

 ともあれ……。

 俺とユイさんが、まるで彼氏彼女のように、頬寄せ合って写っているその小さなシールを見ていると、俺はどうにも照れくさくなってくる。

「えーと。今日の俺の仕事って、この撮影だけ、だったわけ?」

「え? 何言ってるのー。違うよ。これは、下準備。本当にお願いしたい事は、これからだよー」

 ユイさんはそんなことを言いながら、プリクラの裏手にあるベンチに座り、かばんの中から、小さく折りたたまれた紙を取り出し、広げはじめた。

 それは、この近辺の住宅地図のようだった。所々に、赤いマジックで○印が付けられている。

「これは……?」

「今日のお仕事。封印の『結界』を張るの」

「結界?」

「うん」

 頷いて、地図中央の赤い印を指差す。

「まず、ここが中心。右京山保育園の横あたりかな? 『遊動体』の悪い思念が強く残留していて、通りがかるだけで心が荒むような、呪いのスポットになっている筈」

 ああ……そういえば。「不審者に注意」みたいな張り紙が、最近目立っていたように思うけど、この辺りだったっけ。

「ここの悪い思念を散らしたいんだけど、強力な上に広範囲に広がっているから、こないだみたいに、『安全太郎くん』みたいな工事中グッズで囲うみたいなやり方が難しいの。で、ここを中心に、五芒星を描くように、背の高い建物のてっぺんに『封印のお札』を貼り付けていって、大きな結界を作って『遊動体』をやっつけようっていうのが今回のお仕事。高いっていっても、この辺高層ビル街ってわけでもないから、せいぜい四階建てくらいなんだけどね」

そう言いながら、赤マジックの○印ポイントを、順に指差していく。

「第三ともえマンションの、一号棟と十三号棟と別館B棟。それから、タマヤ電機。最後にここ、谷本ビル……サラ金のお店が沢山入ってる雑居ビルだね」

「……なるほど」

 確かに、それらの建物はすべて、少なくとも四階建ての高さはあった筈だ。そして、五つの赤い○印を線で結ぶと、右京山保育園の周囲を包み込むように、地図上におおよそ五角形を描く。

「俺は、その結界を張る手伝いをすればいいわけだね?」

「うん、そう」

「それはわかったけど……じゃ、さっきのプリクラは何だったの?」

「え?」

 そう質問した俺を、ユイさんは意外そうに見返した。

「やだ、今説明したでしょー? 結界を作るための五箇所に、『封印のお札』を貼り付けるって」

「いや、そうだけど……」

「だから、作ったんじゃない。『封印のお札』」

 さっきのプリクラを指差す。

「……え、えええええ?」

「結界を張る私と、そのためのお札を貼っていく係のレイジくんの姿を映しこんで、魔法の伝導率を良くしてあるの。それに加えて、魔除けの効果が高まる赤色を使って『封印』の『封』の字も書き入れたし。ひとつひとつ手描きで作るより、失敗なく上手にできるし、あらかじめシールになってるから貼りやすいし……ちょ、ちょっと? どうしたの、レイジくん?」

 何だか力が抜けてしまった。

 頬を寄せられてツーショット写真撮って、思わずドキドキしちまったのに……なのに、封印グッズだったのか、これ……。

 思わず、ちょっとだけ、特別なものを期待してしまった俺が、ばかみたいだ……。

「レイジくん? だいじょぶ? ねえ……何かまずかった?」

 心配そうなユイさんの声に、俺は顔を上げた。

 ああ、そうだ。別にユイさんは何も悪い事をしていない。俺が勝手に、変な期待をしそうになっただけで。

 自業自得でへこんで、ユイさんまでしょんぼりさせるわけにはいかない。

「何でもないよ」

「本当……?」

「ああ。ほんと」

「なんか、がっかりって感じに見えた……」

「いや、それは」

 適当な言い訳を考える。

「……そんなあちこちに貼るものなら、もっといい笑顔で映れば良かったな、って思ったんだよ」

 それを聞いたら、ユイさんは少し笑ってくれた。良かった、ごまかせた。

「さ、それじゃ行こうか。急がないと」

 そう言って立ち上がる。

「暗くなる前に終わらせようと思ったら、けっこう大変かも」


     ☆


 確かにそれは、予想以上に大変な作業だった。

 五箇所の建物には、できるだけ高い場所で、結界の中央に向けて、あのプリクラシール――『封印のお札』を貼らなければいけない。

 地図の上では、近場にあるように見えたが、それぞれの建物は直線距離で二~三百メートル程度は離れている。歩く距離で考えるとさらに遠い。

 それが、五箇所。

 すこしでも高い所に貼り付けるほど、お札の効力は増すのだそうだ。それで、小さなユイさんより多少なりとも背の高い俺が『召喚』されたというわけで……つまり、ユイさんと手分けして貼るわけには行かず、五箇所全てを二人で巡回する羽目になった。各ポイントへの移動と階段の昇降だけで、軟弱な俺はへとへとだ。ユイさんも同じだけの距離を付いて来ていたから良かったものの、一人でやらされていたら、途中で投げ出していたかも知れない。

 第三ともえマンションは、ありがたい事にいまどき珍しい、エントランスチェックの甘いマンションだったので、三棟とも友人の家に遊びに来たような顔をして館内に入ることが出来た。タマヤ電機は、屋上が子供の遊技場として解放されていたので、これも問題なく進入に成功。……好奇心丸出しのガキどもの目を盗んで、壁の隅っこにプリクラを貼るのには、ちょっとだけ手間取ったけれど。

 思えば、地図上で完全な正五角形にしようと思ったら、本当はともえマンションの隣の「アーバンライフなんたら」というマンション(と言うより億ションだな、これは)の方が、正確な位置だったんじゃないだろうかとも思う。おそらくは、結界の効果が薄くなりすぎない程度に、無許可で上がりこめる建物を優先して選んだんだろう。魔法と言ってもそれなりに世間のルールには従わざるを得ないということか。

 まぁ、妙なトラブルに巻き込まれずに済むのは有難い。

 しかし、最後に行った谷本ビルだけは、少々雰囲気が違っていた。

 階段の手前に「スタッフ以外立ち入り禁止」の看板が立っており、踊り場以降は照明も付いておらず、いかにも「入っちゃいけない」感が漂っている。

「これは、困るね」

 俺はそう呟いた。

 しかし、ユイさんはそんな禁忌の意識などまったくないような調子で、ひょいっとロープを乗り越えてしまった。

「え、ちょ、大丈夫? 見つかったら叱られるんじゃない?」

「平気よ。ほら、越えてみて」

 言われて、俺もロープを飛び越す。

 誰かが見ていないか、ちょっとドキドキしたけれど。

「こないだ、工事中のハードル飛び越えてもらった時とは、違うでしょ」

 確かに。

 ユイさんをマンホールから助け出した、あの最初の時は、ハードルを越えたときに、背筋を駆け上がるような、何ともいえない嫌な感じがした。今は、見つかったら叱られるんじゃないかと気にはなるけど、あの時のような罪悪感はない。

「つまり、ここは本気で禁じてないのよ。だから入っても大丈夫。せいぜい管理人にお説教されるだけだから」

 それでも十分、嫌だけど……というか、道徳的には『大丈夫』じゃない気がしないでもない。まぁ、いいんだけど。

「じゃ、俺たちのような魔法使えない人間が、本気で誰にも来て欲しくない!って場所は、どうしてるの? 警備員とか鍵とか監視カメラとかで、地道に守るしかないってことかな?」

「うん、まぁそれもあるし……私たちに、『結界』での人除けを依頼することもあるよ。私よりもっとベテランの人の仕事になるけどねー。そういう場合の依頼主さんは、すごーく偉い人だから」

「……なるほど」

 『すごーく偉い人』が、日本でどのくらい偉い人なのかを尋ねてみようかと思ったけれど、何となく禁忌に触れそうな気がして、やめた。

 俺の知らない世界は、思ったより広いという事なのだろう。

 階段を上がって行った先にある、屋上への扉は、何とまぁ、鍵が開けっ放しだった。さすがは「本気で禁じていない」程度の立ち入り禁止区域、管理がテキトーだ。扉をあけて屋上に出ると、そこにはいくつか物干し竿があり、雑巾やシャツが干してある。端の方にはプランターが並んでいて、ちょっとしたガーデニング状態。

 なるほど、ビルの住人が個人的に、庭として使ってるわけだな。

 ……となると。

「あまりのんびりしてたら、洗濯物取り込みに、人が来るだろうね、ここ」

「そうだねー。急がなきゃ」

 そう言いながらも、ユイさんは『封印のお札』を貼る場所を決めかねているようだ。

「ここ、ほかの四つの建物より、一階分ほど低いんだよねー。ちょっとでも高い所に貼って、できるだけ高さを合わせたいところなんだけど……あっ」

 俺の背後を見上げ、これだ!という表情で指さした。

 排気とか変電とかに使うのだろうか、詳しくないので用途はよくわからないけど、コンクリート製の機械室みたいな建物がある。確かに、この壁のてっぺん近くにに貼り付ければ、他のビルと釣り合いが取れそうだ。

「でも……」

 俺は、その建造物のてっぺんを見上げながら言った。

「俺の背でも、もう一息足りないってくらいかな、これだと」

 俺が背伸びして手を伸ばしても、一番上には数十センチほど丈が足りない。ジャンプしたり棒の先に付けたりして貼っても良さそうなものだが、ユイさんいわく「斜めに貼り付けると効き目が弱くなっちゃう」のだそうで、そうも行かない。

「そうだね、仕方ないなー」

 ユイさんは、俺のほうを見た。

「こうなったら方法はひとつだね」

「え?」

「レイジくん、肩車お願い」

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