遊動体
それから二十分ほどかかって、安全太郎くんや朱色の円錐(帰ったら名前調べよう……)、土嚢や看板の数々を、昨日とそっくりの布陣に配置し終わった。
久しぶりの肉体労働にへとへとだ。
ユイさんは、満足そうな顔もそこそこに、四つの安全太郎くんの真ん中にちょこちょこ駆けて行った。
どこから取り出したのか、クマのぬいぐるみを抱いている。
胸に青いリボンをつけたテディベアだ。
ユイさんが抱いているのは、とてもよく似合う。
「そのぬいぐるみは?」
「この子は、くまったくん」
ぬいぐるみを俺の方に向け、『く・ま・っ・た・くん』の言葉のリズムに乗せて、手をぴこぴこ動かしてみせる。
「クマ太くん?」
「ううん、くまったくん。『ま』と『た』の間に、ちいさい『っ』」
「困ってるの?」
「こまったくん、じゃなくて、くまったくんだよ!」
「はぁ、くまったくんか。……いやいや、そういう事聞いてるんじゃなくて!」
ユイさんの妙に暢気な口調に誤魔化されそうになってしまった。
「何でいきなりクマのぬいぐるみが出てくるの?って訊きたかったんだよ」
「あー。これは依代だよ」
と、ユイさんは言った。
「よりしろ?」
「うん。『遊動体』を、この子の中に入り込ませて、閉じ込めて封印するの。つまり人間の身代わりだね」
喋りながらその言葉に合わせて、くまったくんの手をぴこぴこ動かし続ける。
まるで、ぬいぐるみ遊びをする幼女のようだ。
「だから、くまったくんの事は、生きてるように扱わなきゃ駄目。名前なんて間違ってたら、うまく憑依してくれなくなっちゃう。ねー」
くまったくんと自分を向き合わせて、にっこり笑いあったりしている。
微妙についていけない世界かも知れない……。
と、ユイさんが思い出したように。
「ああ、そだ。レイジくんにお願いしたかった用事はもう終わったよ。あとは私ひとりでできるから、学校に帰っちゃっていいんだけど……」
「ああ――いや」
六限ってなんだっけな、と時間割を思い出す。ああ、山元先生の数Ⅰか。あの授業に頭下げながら途中入りするくらいなら、もうこのまま放課後まで消えてる方がいいや。
「見てていいなら見ていたいんだけど、駄目かな」
「んー」
ユイさんは、視線を泳がせて少し逡巡する。
何か言うたびに、彼女を困らせているような気分になってくる。
面倒なことになるくらいなら、黙ってりゃいいんだよな……。
「まぁ、別に見られたくないなら、帰るけど」
「んー。ちょっと照れくさいって気はするんだけど」
ユイさんは、くまったくんの頭をぐりぐりしながら、
「でも、レイジくんにはこれから、色々見られちゃうことになるわけだし」
決意をかためたような口調で、言う。
『色々見られちゃう』という表現に、無駄にどきっとしてしまう。
いや。色々ってそういう意味じゃないし! 魔法とかって意味だし!
……多分。
「いいよ、見ててね。でも……笑わないでね?」
上目遣いで、とても恥じらった表情で言う。
「あ、ああ」
笑うってのがよくわからないけど、俺は頷いた。
ユイさんは俺に頷き、
「じゃ、その辺りにいてね。あんまり近寄らないでねー」
そう言って、『結界』の中心部に行った。
くまったくんを抱き上げ、その手をぱたぱたさせる。
そして。
「こんにちは、くまったくんです」
しごく真面目に、そう呟いた。
俺は思わず吹き出そうになったが、すんでのところで我慢する。
さっきの「笑わないでね?」と言ったときの表情。多分、これはユイさんにとっても、それなりに恥ずかしい行為なんだろう。
女の子に恥をかかせるわけにはいかん。
「あー、なんだかたいくつだなー。おもしろいことはないかなー、っと」
ぶつぶつ小声で、くまったくんになりきった口調で呟いている。俺のほうには、その呟きまでは聴こえていないと思っているようだ。
クマのぬいぐるみで、ごっこ遊びをしているセーラー服の女の子にしか見えない。
そこらにあった石の上に、くまったくんを座らせ、そこらで摘んだ小さな草花を、くまったくんの前に並べる。
おそらく、くまったくんを『よりしろ』と言う奴にするために、人間のように扱う儀式ってことなんだろう。時々、ポケットからコンパスを出して、角度を微調整しているところを見ると、花や石の並べ方にも、『結界』と同様の法則があるらしい。
とはいえ。
おままごとだよなぁ、これ。
なんつうか……。
やっぱ、可愛い。
そんな気分で微笑ましく眺めているうちに、どうやら、くまったくんを取り巻く石や花の配置が整ったらしい。
「よし」
満足そうに、ユイさんが頷いた、その刹那。
空気がほんの少し、冷たくなった気がした。
あれ、日が翳ったかな?
そう思ったのと、ユイさんがこう呟いたのが、同時だった。
「ここにおいで、さまよえるものよ」
ユイさんが言い終わったと同時に。
すっと、冷たい風のようなものが、足元に絡みついた気がした。
何も見えなかったし、実際には風さえ吹いていなかったかも知れない。
ただ、その瞬間、俺は確かに、
(みんな、死ねば良くね?)
そんな気持ちになっていた。
(人間なんてみんな死ねば世界は平和になる)
(俺が片っ端から人を殺せば)
(俺が殺せば)
(殺せばいいんじゃね?)
手元に凶器があって、目の前に人が居たら、ちょっと危なかったかも知れない。
そんなぞわっとした感覚が、背中から脳天に走った。
けれど――それも一瞬。
「違うよー!」
ユイさんの声。さっきまでのささやくような声じゃなくて、ちょっと慌てたような、素の叫び声だ。
「あなたを呼んだのは、こっち、この子のほうだよ!」
くまったくんを指差している。
と、同時に。
するっと、何かが通り抜けたような感触があり……同時に、身体に満ちた衝動が、嘘のように引いていった。
あれ?
何で俺が、誰かを殺すとか考えてたんだ?
「つかまえたー!」
ユイさんの歓声が聞こえた。
見ると、くまったくんを地面に押さえつけている。
すごく嬉しそうだ。
しかし、ユイさんに首を絞められた状態のくまったくんが、何となくじたばた動いているような気がするんだけど……。
目の錯覚だろうか? ユイさんが、そんな風に動かしているのかも知れない。
「レイジくん、見て見て、こっち来てー」
「おっ、おう」
あわてて、黄色と黒のロープを飛び越えてユイさんのところへ走る。
昨日と同じ、背筋にぞくっと来る『結界』の感触。
近づいてよく見てみたけれど、くまったくんはやはり、動いてはいない。ただ、何となく先刻と比べて、毛並みが悪くなったような、目つきが悪くなったような……。
いや、これも気のせいなのかもしれないけど。
「今、この中に『遊動体』が入ってる」
ユイさんは、くまったくんの首をぎゅうぎゅう締め付けたまま、そう言った。
さっきまで、お気に入りのぬいぐるみのように小脇に抱えていたというのに……くまったくんにしてみれば、とんだ手のひら返しなんじゃなかろうか。
「で、私の鞄、ちょっと見てもらっていい?」
視線で、俺の斜め後ろを示す。
空き地の隅っこに、ユイさんのものらしい、ピンク地にグレーの花柄を散らした、小さめのポーチが落ちている。
「これのこと?」
「そうそう。その中に、ライターと、オイルの壜が入ってるから、出して」
なかなか物騒なものが入ってるんだな。
言われるままに出して、ユイさんのところへ持って行く。
「オイルを、くまったくんにかけて、ライターで火をつけるの」
「え、そしたら燃えちまうよ?」
「そ、燃やすの。それで退治完了。今も昔も、焔が浄化するって発想は同じね」
「ふうん……」
名前まで付けたぬいぐるみを燃やすのは、思い入れがなくとも、何となく罪悪感がないでもないが、仕方ない
すまないね、くまったくん。安らかに眠ってくれ。
心の中で祈りつつ、言われるまま壜の中身を空けて火をつける。
元々、こうするために特別燃えやすい素材を使っていたのだろうか。予想していたよりも遥かに早く、くまったくんの全身に炎が燃え広がった。
炎の形が一瞬、何かとても禍々しいものに見えたような気がしたけれど、それもすぐに黒っぽい煙に変わって空に消えていった。
ふと横を見ると、ユイさんは神妙な顔で手を合わせて目を瞑っている。……必要な手順だったとは言え、可愛いぬいぐるみを燃してしまうのは、彼女にとってもそれなりに心痛む事だったらしい。そんなユイさんの様子を見て、俺は何となく、ほっとした。
くまったくんは、数分をかけて、ゆっくりと白い灰に変わっていった。
「ふにゃー、疲れた」
くまったくんが完全に灰になり、崩れ落ちると同時に、ユイさんもその場にへたり込んだ。緊張が一気に解けた様子だ。
「お疲れさん」
通りの向こう側を見ると、クリーニング屋の横に、自動販売機があるのに気付いた。
ちょうどいいや。
「ウーロン茶とコーヒー、どっちがいい?」
「え? あ、んっと、お茶かな」
「はいはい」
俺は自販機で、ペットボトルのウーロン茶と缶コーヒーを買い、少々ぽかーんとしているユイさんにウーロン茶を渡す。
「私、そんな事まであなたにお願いしてないよ?」
「緊張してたみたいだから、喉かわいてるかなって思って。俺も何か飲みたかったし。それに、お願いされた事しかしちゃいけない決まりがあるわけじゃないよね」
「うん……」
「ま、俺が買いたくて買ったものなので、よろしければ受け取っといてください」
ユイさんを見ていると、何だか気恥ずかしくなってきて、妙にぶっきらぼうな言い方になってしまった。そんな自分の口調が、追い討ちで照れくさいという悪循環。
ユイさんは、そんな俺をしばらく眺めていると、ようやく落ち着いてきたのか、
「えへへ、じゃあもらっとく。ありがとー」
そう言って、ペットボトルの蓋をあけ、勢いよくウーロン茶を飲み始めた。
ちびっこいなー。
ペットボトルを両手で持って飲むユイさんを見て、そう思う。
これが中ノ島なら、片手を腰に当てたまま、五秒で飲み干して最後は握り潰すところだろう。
中ノ島とユイさんが並んでいるところを想像すると、知らず笑いがこみ上げる。
「レイジくん、さっきごめんねー」
いつの間にかウーロン茶を飲み終えていたユイさんが、急に俺に謝ってきた。
「へ?」
「結界に『遊動体』を封じる直前、そのの通り道にあなたがいたから。一瞬、『遊動体』がレイジくんを通り抜けたと思う。すごく、嫌な気分になっちゃったんじゃない?」
「ああ……」
そういえば。
さっき、俺に沸き起こった、破壊衝動のようなもの。
なんであんな風に思ったのか、自分でも理解できなかった。
ああ、そうか。
「ああいうのが、『魔が差す』って奴か……」
「うん」
さっきの感情。
普通なら、決して至ることが出来ないほどの激しい感情だった。
あのまま『遊動体』とやらがもうしばらく俺の中に留まっていたとしたら……。通り魔的犯行のひとつやふたつ、やってしまっていただろう。理由もわからず。ただ『ついカッとなってやった』としか言えないままに。
そして今。見回すと、この通りに来た時抱いた「何となく寂れている」という感じが、いつの間にかなくなっていることに気付く。空がすっきり晴れていて、どこかで小鳥がちゅんちゅんさえずっている。塀の上には昼寝する三毛猫。……そういえば、さっきまでこの辺りに、小鳥や野良猫なんていたっけ?
何か決定的に違うわけではないのに、何かが変わった不思議な感じ。
こういうのを『魔法』と呼んで良いのなら。
魔法ってのは、本当にあるのかも知れないな、と思わなくもない。
そんな俺の顔を覗きこんでいたユイさんは、不意にポケットをまさぐり、飴玉をふたつ取り出した。
「レモンとメロン、どっちがいい?」
「えーと、メロン」
「あい」
俺に手渡しながら、照れたような顔をした。
「お茶のお返しー」
「ありがと」
飴玉を口に放り込む。
肉体労働で疲れた身体に、甘さが心地良い。
気持ちがほぐれていく感じ。
「レイジくん」
「はい?」
「これからも、私に召喚されてくれるかな?」
とても心配そうな顔だ。
「けっこう、怖い思いさせちゃったんじゃないかと思うから……」
「ああ……いや、平気だよ」
「本当?」
「うん。いつでも……いや、今回みたいに授業中っていうのはちょっと困るけどさ。俺で構わなければ、また呼んでください」
「……よかった」
ユイさんはふにゃっと、子供みたいな顔をして笑ってくれた。
本当は「召喚もいいけど、魔法だけじゃなく、学校でもテキトーに遊んだり話したりしようよ」みたいなことを言いたかったんだけどね。
何か照れるし、もしかしてそんな風に言われても迷惑なんじゃ、なんて思っていたら、結局最後まで、うまく言葉にならなかった。
情けないなぁ……。
☆
ユイさんと別れた帰り道。
ふと思いついて、寄り道をした。
雑木林の向こう側、ちょっと見通しの悪い場所にある、空き地に砂場と鉄棒と公衆便所を設置しただけの寂れた場所。
ご近所で有名な不良の溜まり場、右京山公園だ。
ユイさんが不良男子のひとりに嘘の電話番号を教えられた――そのお陰で俺と知り合うきっかけとなった、いわば思い出の場所を、ちょっと見に行ってみようかなどと、気まぐれを起こしたというわけだ。
見ると言っても、ユイさんが声をかけた不良がどいつなのかわかるわけじゃなし、わかったところでいきなり声をかけるほど馬鹿じゃなし。とりあえず、小さなその公園を、黙って通り抜けるだけのつもりだった。
相変わらず、煙草を吸ったり缶チューハイを飲んだりしている、人生お気楽そうな連中が談笑している。
ひとつだけ、視界に違和感を覚えて視線を向けた。
スーツの男。
黒っぽい、いかにもお堅い職種ですといわんばかりの服装と髪型で全身を決めた男が、たむろしている奴らに、何か熱心に話しかけている様子だった。
質問をしているらしい。「シラネーヨ」という声が聴こえて来る。
……何だろ。
少し気になったものの、立ち止まって眺めてて、いちゃもんでも付けられたら面倒だ。
俺はそそくさと視線を外し、そのまま家へと向かった。
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