結界
昼休みになったら、二年の教室に行ってみようと思っていた。
さすがに昨日の説明だけではあまりにもわけがわからなかったし。それに、本当にこの学校の「二年二組の新城さん」が、昨日出会ったあの女の子だったのか、というのをこの目で確認したくもあったから。
だが、そんな暇はなかった。
四限目の終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、昨日も聴いたばかりの、俺のケータイの着信音が鳴り響いた。教室の注目を集めてしまう。しまった、滅多に鳴らないもんだから油断して、マナーモードにしておくのを忘れてた……。
番号を確認しなくても、確信はあった。
背筋に、ぞくっとするような感覚が走る。昨日と同じだ。
まだ教室に居た教師の渋い顔に愛想笑いを浮かべつつ、通話ボタンを押す。
「ユイさん?」
『そうそう。わかった?』
「何となくね」
『えへへ、嬉しいな』
「何か御用で?」
『召喚。昨日の今日で悪いけど』
「えっ。でも俺、まだ昼飯も」
『ユイの名に於いてお願いします』
不意に口調を改め、最初の電話と同じフレーズを言った。
――ああ、なるほど。これは呪文詠唱なんだ。
ユイさんの言葉を聴くと同時に、何とも言えない義務感のようなものが、全身を覆った。何で自分がこんな風に感じているのか、不思議でならない。
――これが『魔法』の感触なんだ。
『澪里町一丁目の、分譲中の空き地に来て下さい。今回も、軍手があると便利かも。じゃ、よろしくお願いしまーす』
ユイさんの指示を訊きながら、俺は既に歩き始めていた。「どこへ行く?」と尋ねる朽木に「悪い、午後フケるわ」と言ったら、奴は「了解」と、自分から訊いた割には興味なさそうな様子で頷いて読書に戻った。
歩きながら、ふと思う。
よく考えてみたら、魔法じゃなくたって。
ちょっと変わってるけど何となく目が離せない、可愛い女の子に『お願い』されたら、授業くらいフケてもおかしくないよなぁ。
となると……今の俺は実際のところ、どのくらい魔法にかかっているのだろうか?
☆
今日の指定場所は、昨日の工事現場から何区画か離れた場所。
民家を改造しただけの隠れ家的レストランって奴や、お客なんて来た事があるのかさえ怪しいといった雰囲気の古ぼけた文具屋。壊れかけた看板。静かな午後の住宅街。
妙に寂れていて、どことなく薄暗い印象の町並みだ。
そんな路地の角に、ユイさんが居た。
最初は誰だかわからなかった。ごく普通の、セーラー服の女の子だったからだ。
こないだの、安全ヘルメット姿の印象は強すぎた……。
「あ、レイジくーん」
屈託なく手を振っているが、今は平日の正午近だ。こんな所で制服の男女がウロウロしているのはどうにも気まずい。
「一応、呼ばれたから来たけどさ」
「んー、なあに?」
「ユイさん、転校早々、授業サボっちゃって良いわけ? 魔法使いってのは、目立ったら駄目だとか言ってなかったっけ?」
「んー? ガッコは休んで大丈夫だよ」
ユイさんは言った。
「公欠扱いになるんだ」
「こうけつ?」
訊きなれない単語だ。どんな漢字が当てはまるのかわからない。
「公式の欠席、で、公欠」
「へー……」
「魔法使いが所属してる団体……間木記念社会福祉協会っていうんだけどね。公益法人っていう扱いになってて、私はそこの派遣職員だから、学校休んでも無断欠席扱いにならないの。業務内容に『魔法』って言葉も使ってなくて、公共事業補佐とかそういう口実になってるはず」
「なるほどー」
意外ときちんとした組織なんだ。
「あ、それなら。俺もその、公欠扱いになるんだよな?」
そう訊くと、ユイさんは目を丸くして口に手をやった。
しまったぁ! ってな表情だ。
「あ……ごめんなさい! 召喚した相手には公欠適用されないかも」
「えー!」
明らかに曇った俺の表情を見て、ユイさんは心底申し訳なさそうな顔になる。
「ほんとごめんなさい……使い魔の扱いがどうなるかとか、ぜんっぜん気にしてなかった……」
「んー……」
「どうしよ。今から戻ったら、先生に許してもらえる? それなら――」
「いや、いいよいいよ。友達にもフケるって宣言してきたし。用があるから呼んだんだろ? それなら、さっさと済ませちゃおう」
ユイさんが謝る声を聴いていたら、自分でも不思議なほど、さっきまでのゲンナリした気分が晴れていた。
これは魔法? それとも、友達に誠心誠意謝られたら、こんなもんだろうか。
ま、いっか。どこまでが自分の心の領域で、どこから相手に干渉されているのか、なんて考えると、世の中わかんなくなってしまう。
そもそも魔法だろうが魔法じゃなかろうが、誰かと関わりあって、お互い何の影響も与えないでいる事なんてできないわけだし……ああもう、わけがわからん。
ものごとを複雑に考えるのは苦手なんだよ……。
「ほとんどの場合、学業を優先して予定組んでもらえるんだけど、今日はちょっと急いだほうが良かったから……本当に、ごめんなさい」
「ああ、うん、もういいよ」
俺がうなずくのを見て、ユイさんは少し安心した様子で。
「じゃ、ぐずぐずしててもしょうがないよね。レイジくんを召喚した理由なんだけど」
「はいはい」
「これ」
差し出されたのは……黄色い安全ヘルメットと軍手。
「ヘルメット?」
「それと、あれ」
指差した先は、建物と建物の間の空き地だ。新しい土が露わになっていて、隅の方には「好評分譲中」と書かれた看板が立っている。
そこに、ごちゃごちゃと置かれているのは、工事現場によくある朱色の円錐(そういえば、コレの名前を調べようとおもってて忘れてた)。山積みの土嚢、そして四人の「安全太郎くん」たちだ。
「昨日のと同じ、工事中アイテムだね」
「うん」
ユイさんは、空き地の方へ歩きながら頷いた。俺も付いて行く。
「私たちの仕事は、この街でうろうろしている『遊動体』を封印して回ることだ、っていうのは昨日もちょっと言ったよね」
「ああ。魑魅魍魎みたいなもんだって」
「もうちょっと詳しく説明すると。『遊動体』というのは、はっきりした形があったり、組織だった活動をしてるわけじゃなくて、もっとぼんやりとした――そこに住む人たちの、抑圧された悪意とか憎しみとかいったマイナスの感情が、凝集したものなの」
「ふうん……」
「『遊動体』がある場所にとどまると、そこでは交通事故が起きやすくなったり、ものが壊れやすくなったりする。人間の身体の中を通りすぎることもあって、そしたらその人は、つい万引きとか、辻斬りとか、良くない行動を衝動的に取ってしまいがちになる」
「呪い、みたいなもんか」
「大体合ってるー。あと『魔が差す』って言う時の『魔』っていうのがそれだね」
ユイさんはそう言いながら、土嚢を持ち上げて運び始めた。とは言え、小さな彼女にはかなり重労働のようだ。ふらふらしている。
ふむ。
細かい理屈はよくわからないけど、つまり。この工事用品一式を、昨日と同じような布陣に並べるんだろうな。それを手伝うために、俺は召喚されたってわけか。
そう察して、軍手をはめて土嚢を手に取った。
俺もどちらかと言えば非力な文系男子ではあるけれど、ユイさんよりは遥かに軽々と持ち上げる事ができる。
「ここに並べていけばいいの?」
「わぁ、レイジくん、力持ちだ」
「あ、いや……それほどでも」
ものすごく感心されてしまった。……ちょっと、照れるな。
「この土嚢とかロープなんかは、『遊動体』を封印するための魔法アイテムね」
ポケットから小さなコンパスを出して覗き込み、四体の「安全太郎くん」の向きを微調整しながら、ユイさんが説明してくれた。
「昔なら、魔法陣とか、山羊の血とか、ドクロとか、いかにも魔法って感じの道具を使ってたんだろうけどね。そういうおどろおどろしい道具が効果を発揮したのは、当時の人たちがそれを『魔法アイテム』だと信じてたから。今の世の中では、今の人たちが信じられるものを使ったほうが、魔力の効きが良くなるの」
「んー、何となくわかるな」
現代社会では、狼煙を上げて相手を召喚するより、ケータイで呼び出すほうが『わかりやすい』し『効果がある』ってこと。……そんな理解でいいのかな、と俺が言うと、ユイさんは「合ってる、合ってる」と、にっこりした。
笑うと少し幼くて、全然先輩とは思えない。
「昨日は、この『結界』作り、ひとりでできるかなーって思ったんだけど、結構大変で、時間かかっちゃってー」
彼女は眉根を寄せて口を尖らせた。でもまぁ、そうだろう。俺にも少々きついくらいの肉体労働だ。……そういやあの時、制服や手足が随分汚れていたっけ。
「ぐずぐずしてたら、完成が間に合わなくて、呪い返しみたいな感じで、私がマンホールにに落とされちゃった」
「なるほどなー」
もっと早く俺のことを『召喚』してくれてれば良かったのに。
そんな事を考えていると、ユイさんから細かい指示が飛ぶ。
「あ、並べ方には法則があるから気を付けて。そのロープは、鬼門を避けて張ってー」
「鬼門……?」
「方角で言うと、北東。これ見て合わせてくれるかな」
さっき「安全太郎くん」を並べる時に使っていたコンパスを貸してもらう。
言われるままに向きを合わせる、
しかし鬼門ってのはまた古風な言葉だな。
「現代風の魔法っていってたけど、鬼門とかも関係するんだな。結構意外」
「えー、風水信じてる人って、年配の方には多いじゃない」
「あー……そっか」
そういえば俺の母さんも、風水的に金運がどうのとか言って、まっ黄色の妙な財布を愛用してたなぁと思い出す。
「魔法はその場所全体の雰囲気に合わせて変化するから。私たちが信じてなくても、お年寄りが沢山住んでて、風水信じてる人が多かったら、風水を取り入れた魔法は効くよ。他の国でお仕事するときは、その国の文化とか宗教とか調べなきゃいけなくて、大変」
そんな話をしながら、ユイさんの指示通りに、工事現場的結界の体裁を整えていく。
これは結界を張る作業なんだと思ってやっていると、気のせいかもしれないけど、土嚢をひとつ積むごとに、空気がぴんとはりつめていくような気がするから不思議だ。
「でも、良かったー。召喚の呪文がちゃんと効いて」
ホッとしたような口調でユイさんが呟く。
「私、『召喚』はあんまり得意じゃないから」
「そうなの? やっぱ、魔法の種類に得意不得意ってあるんだ」
「うん。呪文を言わなきゃいけないのは苦手。演技しなきゃいけないのは恥ずかしい」
そういえば、電話口で俺を『召喚』する時のユイさんは、いつもより少しかしこまった口調になっているよな。
「それにしても」
少しずつ会話が弾んで、俺も知らず、口数が多くなる。
「こうやって一緒に作業してると、魔法って感じ、あんまりしないよね」
「え?」
「いやさ、俺いま、魔法にかかってるのかどうか、わかんないだろ」
「えー、魔法だよー」
「でも、魔法が関係なくても、お願いされて呼ばれれば来るし、頼まれればこのくらいの力仕事は手伝うからさー」
「えー……」
「そう考えたらさ、今やってることは、別に魔法じゃなくても」
「……」
俺は言葉を止めた。
何となく、ユイさんの態度が何か妙だ。
ぼんやりしているというか、呆然というか、しょんぼり……?
「どうしたの、ユイさん」
「魔法じゃないとか……言われちゃうと困る」
こちらを見て、首をかしげて、不安そうな顔で言う。
非常にまずい雰囲気だ。
俺の発言が、何か地雷でも踏んだか?
調子に乗りすぎたのかと不安になる。
そうでなくとも、女の子の扱いって奴はわからないのに、よりによって話題が『魔法』だ。どう返せばいいのか、皆目見当がつかない。
俺は正直途方に暮れ――結局。
「とりあえず、早く結界張らなきゃ駄目なんだよね?」
話をそらせてその場を誤魔化すという、比較的情けない方法を選んだ。
「この三角の奴も、並べる法則が決まってるんだよな? どこに置けばいい?」
「あ、うん! それはこっち!」
奇跡的な事に、俺の判断は大正解だったらしい。
ユイさんは「ぱあああっ」という擬音が背景に付くほどに顔を輝かせ、俺にその朱色の円錐(結局正式名称が不明のままだ)の並べ方を指示し始めた。
……良かった。
俺は心底安堵した。そして、彼女の笑顔を見て、
――やっぱ、笑ってるほうがいいよな――。
そんな、当たり前の事を思う。
この気分は、魔法のせいじゃないよな、とも。
或いは。
女の子に笑いかけられて嬉しいのが魔法なら、多分、人は皆、魔法使いなのだ。
あはは、気障だね。
自分の思考に苦笑い。
ともかく今は、『結界』を張る作業に集中する。
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