召喚

 翌朝。

 俺はどうにも睡眠不足のまま、ふらつく足取りで登校していた。

 あくびを噛み殺す気力もなく、大口開けてふあぁ、と声をあげる。

 まぁ、仕方ない。

ユイさんの話は少々濃すぎた。濃い上に、あまりにも突拍子がなかった。

 昨日、彼女をマンホールの下から助けた後に、彼女が話した言葉のひとつひとつを、一晩中反芻していたのだ。


     ☆


「十五歳まで、魔法の専門学校に通ってたんだ」

 ユイさんは、事もなげにそう言った。

「あ、とは言っても、呪文を唱えたら掌から焔や氷が飛び出すような、あんなアニメみたいなのとは違うよ。魔法も、時代に即して変化してるの」

 ケータイを、俺の目の前に掲げる。

「例えば、これ」

「携帯電話?」

「そう。ほら、レイジくん、さっき私が電話したら、来てくれたよね。見ず知らずの人からいきなり呼び出されたのに。普通なら、そんな怪しい電話スルーするところでしょ」

「ああ……」

 言われてみれば、確かにそうかも知れない。

 あの時、間違い電話だとは認識していた。それなのに、熱に浮かされたように歩き始めていた。わざわざ貴重な小遣いで、コンビニで軍手まで買って。その上、こんな知らない場所にある工事現場に、どうしたことか迷いもせず辿り着いていた。

 ひとつひとつの行動は、気まぐれや偶然の産物だということで、説明が付くのかも知れない。でも、確かに少しだけ、不思議な力のようなものに衝き動かされていた気は、しないでもない。

「ファンタジーで言うところの『召喚呪文』ってところ」

 ユイさんはそう言って笑った。

「召喚、か……」

 ゲームしてる時くらいにしか、聞いたことのない単語だな。

「それと、この工事現場」

 ユイさんは、ついさっき脱出したばかりのマンホールと、その周囲の安全太郎くんたちを指差さした。

 何となくわかる。改めて眺めると、ここはやっぱりちょっとおかしい。何かを工事している様子が、まったく感じられないのだ。

「これは『結界』なの」

 ユイさんはそう言った。

「街で『立ち入り禁止』の看板があると、入っちゃいけないなぁって思うよね。あれは全て『結界』のシステムを使っているものなの。――普通の人たちが使う結界システムは、形式だけなぞってる感じで、魔力はこもってないんだけど、私たち魔法使いは、それを正しく、体系的に使うことができる。看板の並べ方や、看板自体の細かい絵柄の違い、その組み合わせで、『入ってはいけない』と人に信じさせる効果を最大限に高める方法を、私たち魔法使いは学んでるってわけ」

 えっへん、という顔をした。

 偉そうな口調を気取ったつもりっぽかったけど、華奢な女の子にそんな顔されても、微笑ましいっていうか可愛らしいっていうか……そんな感じ。

「だから、この工事現場には、魔法を知らない普通の人には不法侵入できなくなっているの。レイジくんは『召喚』されたから、私からの命令が優先されて、入って来られたわけだけどね。立ち入り禁止のロープを飛び越える時、普通以上に違和感や罪悪感みたいなのを感じたはず」

「確かに、そうだ」

 バリケードを越える時の、嫌な感じを思い出す。

 あれは『魔法』の肌触りだったというわけか。

「わかってもらえた?」

「ああ、うん……これらが魔法だっていうのは、とりあえず信じる、ことにする」

 俺はそう言った。

 とは言え、それで全ての解決になってるわけではない。

 続けて質問をする。

「でも、まだわからないことは沢山残ってる。魔法使いなんて、何のために養成されてんの? ここで何してたの? そもそもこの工事現場は君が作った結界なんだよね。何でそこに、君自身が閉じ込められてたわけ?」

「魔法使いの役目は、街にはびこる魑魅魍魎の類――私たちは『遺留害意遊動体』とか、略して『遊動体』とかって呼んでるんだけど――それを人知れず倒して、社会を平和にすること。ここに閉じ込められてたのは――恥ずかしいんだけど、ちょっと油断して敵の返り討ちに遭っちゃったの。敵を落とすつもりの罠に、自分が引っ掛かっちゃったんだ」

 それこそ「アニメみたい」な説明を、ユイさんはさも当たり前のようにやってのけた。

 頭がくらくらする。

「そんな組織とか聞いたことないし……」

「だって、私たちの協会は秘密組織だもん、一般人には秘密で当然だよー。科学で解明できないような人間の天敵が居るだなんてあんまり広まってしまったら、世の中パニックになっちゃうかもしれないじゃない」

「はぁ……でもさ、それなら」

 多少、あきれ声だったと思う。

「そんな機密事項を、俺みたいな、それこそ単なる一般人に話しちゃったら、まずいんじゃないの?」

「レイジくんはいいんだよ」

 ユイさんは、言った。

「レイジくんは私に『召喚』されたでしょ。あなたはもう、私と契約した使い魔だもん」

「へ!?」


 この子の頭がちょっと可哀相なのだと結論付けて、さっさと逃げ帰らなかったのはどうしてだろう?

 ……後から、そう思ったりもした。

 でも多分、それは……気恥ずかしい表現ではあるけれど。

 この時点で、俺は既に、彼女の魔法にかかっていたのだろう。


「またお仕事があるときは『召喚』するから、よろしくねっ」

 そう言って。

 彼女はぶんぶん手を振りながら、夕焼けの路地を帰っていったのだ。


     ☆


 ――そんなことを考えているうちに、学校に着いた。

 私立三次高校。

 偏差値としては中の上くらい。自由な校風で共学の割には、不祥事も少なく荒れた雰囲気もないのが特長といえば特長。

 なんでも初代理事長が大のオカルト好きで、風水やらパワースポットやらの知識を総動員して建設地を決めたから、その効果で今も風紀が乱れないのだ……という噂は、まぁ眉唾すぎてどうしようもないけれど。まぁ俺としては、面倒なことにも巻き込まれないし、それなりにいい学校なんじゃないかと思っている。

 生徒たちがぞろぞろ校門に吸い込まれていき、教師がひとり、だるそうにそれを眺めている、いつもの朝の登校風景だ。

「おう、おはよ」

「おはよー」

 いつものような、朝の挨拶。

 上履きに履き替え、自分の教室、一年三組に向かう。

「おはよう、タカナシ」

「わっ」

 クラスメートの朽木永に、背後からいきなり挨拶されて、変な声が出た。

 伸びすぎた髪に眼鏡をかけ、痩せぎすの身体はクラスでも特徴的なほうだが、不思議とクラス内での存在感が薄い。わざと気配を消しているのかもしれない。

 大の読書家で博覧強記。今日も何やら小難しい本を読んでいる。

「おはよ、朽木。ところでさ」

 俺は挨拶もそこそこに、朽木に質問を投げかけた。

「俺の学校に、女子で新城っての居たっけ?」

「シンジョウなら、漢字表記は色々だが、三名いる」

 即答。さすがだ。

 こいつは分析やらデータってやつが大好きで、校内の生徒・職員すべての名前を暗記しているらしい。それを何に使うという訳ではない。記憶して、分類して、いつでも引き出せるようにする、それ自体が楽しいのだと言う。

 まぁ……あれだ。変人だ。

「どうしたタカナシ。何かあったのか」

 でかい眼鏡の弦をいじりながら、抑揚の少ない口調で訊いてくる。いまひとつ、何を考えているのかわかりにくい奴ではある。

「事件っちゃ、事件だが」

 いつもの反応に少しほっとしながら俺は言った。ここでニヤニヤしながら「気になる女子か?」などとは訊いてこない所が、朽木のいい所だと思う。

「下の名前は?」

「ああ、『ユイ』だ」

「なら二年生。二年二組、新城結意。夏休み明けに転校してきたばかり」

 一コ上、だったのか。

 そういえば、セーラー服のリボンが臙脂だったな。

 うちの学校は、制服のリボンの色で学年を区別している。一年は灰緑、二年は臙脂、三年は梔子色。ちなみに男子の制服はブレザーで、同じ色合いのネクタイを着用することになっている。

 ……うちの学校でしばしば、男子生徒の服装の乱れが問題になりがちなのは、ネクタイ的には微妙にダサいその色合いが主な理由なんじゃないかと俺は思っている。

 と。

「なになに、何話してんの? めがねーず。タカナシが年上の女子に御執心?」

 背後から大声。

 うわ。面倒なのが聴いてた……。

「中ノ島かよー」

 振り向くと、そこには、俺よりも背が高い、いかにも陸上か水泳あたりやってますってガタイの、生意気そうな顔つきの、ポニーテールの女子が、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 クラスメートの、中ノ島りりこだ。

 見た目の通り、陸上部所属。名前だけは可愛いが、性格は正反対の男勝り。

まぁ、そのお陰でこいつとは、めんどうな愛だの恋だのと言った領域とは無関係に会話ができるんだけど。

「盗み聴きしてんじゃねーよっ」

「あんな大きな声で女の子の話してりゃ丸聞こえじゃん」

「別に大声では話してねー。お前が無駄に気にしてるだけだろ。あと『めがねーず』って言うな。俺らの特徴メガネだけかよ」

「メガネだけとは言わないけどさ、黒縁眼鏡がふたり並ぶと目立つじゃん」

「俺のは言うほど黒縁じゃないだろ」

 確かにフレームは黒っぽいが、それなりにお洒落なのを選んだつもりだ。一方、朽木の眼鏡はまさに漫画にでも出てくるような黒縁のグルグルメガネ。こんなのと一緒にされては困る。

「それにしてもさ」

 にやり、と中ノ島が笑い、わざとらしく見下してみせる。何せ身長で負けているから、こうなると俺の分が悪い。

「アンタが女の子の話するとか、珍しいじゃん。友人としては気になるに決まってんでしょ。何かあったのかなぁって」

「何かって言えば、まぁ」

 おそらく、中ノ島が想像しているような『何か』とはだいぶ趣を異にしているだろうけど、あったといえばありすぎるほど、あった。

 俺がモゴモゴしていると、中ノ島は不満そうな顔になる。

「何だー、その様子じゃラブストーリーはまだこれから、って感じかぁ」

「うるせえ。それにラブじゃねえ」

「わかったわかった。進展あったら報告ね。面倒くさい途中経過とかどうでもいい」

 中ノ島はそう言い放って自分の席に戻った。

 ……まぁ、そういう奴なのだ。

「で――」

 朽木が咳払い。冷静な口調で話題を仕切りなおした。

「その、二年二組の新城がどうした?」

「いや……お前、何か詳しい事とか知ってるか?」

「いや。転校して間もないから、まだデータが揃ってない」

「そっか……」

 朽木は特にそれ以上食いつくでもなく、読書に戻った。

 変に勘繰られなくて良かったような気持ちと、朽木も中ノ島も、もうちょい興味は沸かんのか? という気持ちがない交ぜになり、俺は何とも微妙な表情をしていただろう。

 ……まぁ、いいけど。


     ☆


 女子とか恋愛とかには、今のところ興味はない。

 ああいうのは、興味があるからするものじゃなくて、まず、否応なく好きになっちゃってから、どうしたもんかと考えるべきなんじゃないかな、と思っている。甘っちょろい考えかも知れないけどさ。

 波乱万丈な事件もは、興味がないではないけれど、いきなり魔法使いや召喚なんて大物が来られても困る、という気持ちではある。

 適度に普通に、適度に愉快に、平穏に暮らせればそれでいい。

 面倒な事に、関わりたくはない。

そうやって今まで生きてきた。


 でも、それなら何故、あの時俺はユイさんに『召喚』されてしまったのだろう。

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