魔法の上手な信じかた

くまみ(冬眠中)

プロローグ 魔法使いと出会った日

 ふと、いつもは通らない道に、心惹かれることがある。

 道の先には、きっといつもと違う、見たことのない町並みが続いているだろう。

 知らない道の先に運命の女性が微笑んでいるのか、居眠り運転中の大型トラックが待ち伏せているのか、それは予測できない。このまま知らん振りして、いつもの道を進むことだってできる。

 ただ――その道へ一歩踏み出せば、きっと、何かが変わるだろう。


 そう思うと……。

ほんの一歩を踏み出す勇気。それ自体が、まるで魔法のようだと思う。


 魔法っていうのは、そんな風に、日常の中にありふれているものかも知れない。


    ☆


 とにかく眠かったので、判断力が少々鈍っていたのは否定できない。

 とは言え、それが全ての原因でもないだろう。

 その時俺は比較的ふらふらと、商店街への道を歩いていた。

 特にこれと言った用事があるわけではなく。

 そろそろアイス食うには寒い季節だなぁとか、そういや数Ⅰのノートが終わりかけてたから買わなきゃなぁとか、Tシャツ欲しいとか、実にどうでもいいことを考えていたと思う。

 風景が少し滲んでいて、かすかに目眩がする。

そろそろ眼鏡、買い替えたほうがいいのかなぁ。


 そんな隙だらけの、十月も後半の日曜の午後。


 突然、ポケットの中から音がした。


 耳慣れないメロディにびくっとする。

 俺のケータイの通話着信音だと気付くのに約二秒を要した。そういえば最近メールばかりで、通話ってあんまりしてなかったなぁ。俺のケータイ着信音ってこんな曲だったのか……と他人事のように考えつつ、再び歩き始め……いやいや。電話に出なくては。

 発信元の番号は見慣れないものだった。と言っても、電話番号なんてそうそう覚えてるわけでもなく、自宅以外の番号は全て見慣れなくて当然なんだけど。

「はい、もしもし」

『あ、お久し振りでーす』

 ……知らない女の子の声だった。

 一体どこからかけているんだろう? 声がとんでもなく反響してエコーがかかっているし、背後で絶え間なく水が流れるような音がしていて聴き取りにくい。

 そして――何故だかわからないけど、声を聴いた瞬間に、何ともいえない「ぞくっ」という感覚が背筋を走った。

 彼女の声がなまめかしかったというわけではない。むしろあどけないと言ってもいい感じだった。それとは関係なく、身体が反応したような妙な感覚。

 それにしても、誰だこの子。母さんと中ノ島以外に俺の電話番号を知っている女性なんていたっけ?

「あの、誰?」

『あぁ、私ですー。こないだ番号を教えてもらった、ユイ』

 こないだ番号を教えた「ユイさん」。知らん。

 ……間違いない、間違い電話だ。

「すいませんけど、この番号は――」

『ユイの名に於いてお願いします』

 俺が間違いを訂正するよりも早く、「ユイさん」が言葉を継いだ。急に改まったその口調に、反論のタイミングを失う。

『澪里町二丁目の角、光輪書店前の工事現場に来て下さい。もしあれば、軍手とタオルを持って来てください。それでは、待ってまーす』

「え、ちょ」

 ぷつん。

 通話は唐突に切れた。

 ……何だ、今の?

 ぼぉっと液晶画面を眺める。

 「通話時間三十八秒」という文字が消えていつもの待受画面に切り替わってから、小さく溜め息をついてケータイを閉じた。

 いたずら電話だ。そう判断するのが妥当だろう。

 ――澪里町二丁目の角、光輪書店前の工事現場。

 そこに行った所で、よくて待ちぼうけ。

 悪けりゃ影から隠し撮りされてて、あとで学校の笑い者だ。

 そう、理屈ではわかっているんだけど。

 わかってはいる筈なんだけど。


 ――ユイの名に於いて。

 ――待っています。


 頭の中に、さっきの声が谺している。

 俺は「彼女」に呼ばれたんだ。

 行かなくては……。


     ☆


 今まで知らなかったけど、軍手ってコンビニで売ってるんだな。

 駄目元で入った店内で、当たり前のように商品棚に鎮座ましましている軍手とタオルを見つけて、俺はひどくホッとした。レジで代金を支払い、通りに飛び出す。

 澪里町ってどっちだっけ?

 学区内の地名ってことは記憶にあるのだけど、土地勘がない。

 ……なのに。

 何となく、どの道をまっすぐ行けばいいのかわかる気がした。

 どちらかと言えば方向音痴気味な俺が、そんな風に思うこと自体が、考えてみればとても奇妙だったんだけど、その時は深く考えてはいなかった。

 直感的に、いつもは通らない横道に入る。

 知らない景色。知らない屋根の色。

 ――そう言えば、小学生くらいの時は、脇道に入るのが大好きだったような気がする。

 毎日違う道を通って下校して、変わった色の石ころや、名前を知らない花が咲いている庭を見るだけで、宝物でも見つけたようにはしゃいでいた、ガキの頃。

 お陰で帰宅が遅れて、しょっちゅう母さんに叱られていたんだ。

 あの時の気分に似ている。悪い気分じゃない。むしろ、割と楽しい。

 何で忘れてたんだろうな。ガキったってアレからまだ十年も経ってないのに。

 もうすっかり大人ってつもりでもなかったのに。


     ☆


 その見知らぬ通りには、「不審者注意」のチラシが貼ってあった。

 地域住民の手書きらしい、妙に達筆な筆文字が、恐怖感を煽る。

 そう言や最近、この手の注意書きが多い気がする。暢気で平和な住宅街だと思っていたけれど、最近は新しい団地も随分増えてきたし、治安も悪くなってきてるのかも知れない。物騒なこった。

 そんなことを思いつつ正面を見ると、今どき珍しい個人営業の小さな書店があった。なるほど、ここが光輪書店か。

 角を曲がる。

 すると、そこはまさに、いかにもと言った工事現場だった。

 マンホールの近くに、朱色の円錐(正式名称は何て言うんだっけ?)が大量に並べられ、ヘタクソな作業員のイラストが描かれた「安全第一」の看板が、壁にベタベタ貼られている。黄色と黒のバリケードもデタラメに周囲を囲み、赤い警告灯を手に持って振り続ける人形、「安全太郎くん」なんて四体も居る。

 ……四体?

 こんな、人通りのない路地で。

マンホールを四方から囲むような配置で、安全太郎くんがリズム合わせて手を振っている。

 多すぎやしないだろうか?

 そう思って眺めていると、だんだん違和感が込み上げて来た。

 周囲に誰も居ない。何の工事現場なのかを説明する看板もない。「工事」的な記号でコーディネイトされてはいるが、「工事」の気配がない。

 ……ここだよな?

 近くの電柱の標識で、地名表示が「澪里町二丁目」であることを確認する。書店の名前も確かに「光輪書店」だ。間違いない。

 指定の場所にさえたどり着けば、何かしら「次の指令」が掲げられているものと思い込んでいたものから、次に何をすべきか目的を見失った状態だ。

 こうなってくると、影で隠しカメラ、という線も捨てがたい。

「……まいったなぁ」

 頭を掻いて周囲を見渡し、小声で呟く。


 と――。

 工事現場のど真ん中、マンホールの蓋がガタリと揺れた。

「……あけてー」

 同時に、かすかな女の子の声。

 慌てて駆け寄った。

 安全太郎くんの横をすり抜け、トラ縞のバリケードを飛び越える。

その瞬間、身体を一瞬、とても嫌な感覚が通り抜けた。

自分がひどく、背徳的なことをしでかしているような、後ろめたさと恐ろしさがない混ぜになったような……これは、罪悪感だ。

 何でこんなに俺、びびってんだ?

 そりゃまぁ、お巡りさんにでも見られたら、叱られるのかも知れないけどさ……。

 ともあれ、マンホールにたどり着き、ぴっちり閉まった蓋の下に声をかける。

「誰かいるの?」

「来てるんでしょ? あけてー」

「えっ? この蓋を? こういうのって中から自力で開かないもの?」

「封印されちゃってるんだよー。蓋、持ち上げて。ここから出してー」

 封印……?

 何を言ってるのか良くわからないが、助けを求められているのは確かだ。ここまできて拒否する理由もない。困っている人を助けるのは当然の行為だろう。

 さっそく蓋を持ち上げようと思うが……どこをどうすれば持ち上がるんだ、これ?

「どっか近くに、バールのようなものがあったりしない?」

 こちらの困惑を見透かしたように、蓋の下から彼女の声がする。

 見回すと、確かに少し離れた道路上に、L字形の金属棒らしきものがある。これこそ、何故か凶悪犯罪などで犯人が凶器として使用する率が高いという、あの伝説の「バールのようなもの」だ。……なんてことはどうでもいい。

「あったよ。これをどうするの?」

「とんがってる先をね、蓋の隅っこの窪みに差し込んで、てこの原理でぐいって持ち上げるの。栓抜きみたいな感じ?」

 ……それから十五分ほど。

マンホール越しに説明を受けつつ、慣れない道具の取り扱いと、意外と重い蓋に悪戦苦闘したくだりは、おそらく非常につまらない話だろうから省略する。

 ともあれ。

汗だく且つ両手の袖口を真っ黒に汚して涙目になりつつ、俺はようやく蓋を持ち上げることに成功した。

 ぽっかり空いた地下通路への入口(あるいは出口)の前で、

「ふへぇ……疲れた」

 間抜けな声をあげてへたり込む。

 そして。

「よっこいしょっと!」

 彼女は深い穴の中から、俺の前にようやく、姿を現した。


 少なくとも「可愛い女の子」ではあった。

 背は低く、童顔。大きな瞳にちっちゃな鼻と口。

 だけど顔の上――頭にはでっかい工事用のヘルメットが乗っかっているため、髪型はわからない。派手派手しい黄色に、真っ赤な「安全第一」の印刷が眩しい。

 服装は、古式ゆかしい白と紺のセーラー服。女子には評判の悪い、俺の高校の制服だ。臙脂色のリボンがふわりと風に揺れた。

 首には無造作にタオルをひっかけている。薄っぺらい布地に水色の「酒見工務店」という文字が印刷してある、いかにも盆暮れにおっちゃんがお得意様に配って回りそうなアレ。あちこち黒ずんだそのタオルで、汗ばんだ額を無造作にごしごし拭いたりしている。

 両手に軍手をはめ、右手にはでかいスコップを握り締め、左手には何やら土の詰まったような麻袋を抱えている。スカートはかなり短めだが、その下に学校指定のジャージを履いているので、下着が見える心配も色気もゼロだ。足元は安全靴で固めている。

 まぁそんな、女子高生か工事作業員かどっちかにしろ! とツッコミを入れたくなるような姿で、彼女は姿を現した。

 そして俺の顔をまじまじと眺め、首をかしげ……。

「あなた、誰?」

 不思議そうな顔をして、そう尋ねてきた。


「……それはこっちの台詞だよ?」

 俺の方も、おそらく彼女と同じような表情を浮かべて、そう返事をした。

「間違い電話だったんだから」

「えー。でも私、ちゃんと教えてもらった番号に電話かけたのに」

「教えてもらったって、いつ、どこで?」

「先週。右京山公園で。暇そうに座り込んでた男の子に」

 ……不良学生の溜まり場じゃねえか。

「そりゃ多分、デタラメ教えられたんだよ。そのデタラメが、偶然俺のケータイ番号だったってわけ」

「えー!」

「えー、じゃないよ。何であんな胡散臭い場所で男子に声かけてんのさ。嘘吐かれた位で済んで良かったと……」

「んー、効果が弱かったのかなぁ。駄目だなぁ私……」

 彼女はもごもご、よくわからない事を口の中で呟いている。

「あのさ」

「……ま、いいや。あなたが来てくれたんだし」

 彼女は急に、顔をまっすぐ俺に向けた。

 睫毛が、光を反射してきらきらしている。

「ありがとね」

 屈託なく言われて、微笑まれてしまった。

こう素直に反応されると、何つうかその……照れる。

「……い、いや。どうも、こちらこそ」

「私、新城結意。新しい城、結ぶ意味で、しんじょう・ゆい」

「お……俺は高梨礼志。高いに、果物の梨に、お礼と志で、たかなし・れいじ」

 彼女――ユイさんの口調につられて、同じ形式で自己紹介してしまう。

「レイジくんっていうんだ」

 ユイさんは、ポケットからケータイを出した。オレンジ色で、すこし古い機種。

「今日、来てくれたってことは、レイジくんには効いているのよね」

「効いているって、何が?」

「魔法」

 当たり前のように、ユイさんはその単語を出した。

「まほう?」

「うん」

 にっこり笑って。

「私、魔法使いだもん」


 ――魔法使いのユイさんとは、そんな出会いだった。

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