第三幕
裏庭
舞台中央に大木がある。
蝉時雨の中。
真由姫が所在なげに座っている。
真由姫 「ああ。びっくりした…。あんなに早く永久様がお見えになるな
んて、そんなの聞いてないし。台詞覚えるのがやっとで、急に話
しかけられてもどうしようもできないもの。みどりさんが助けて
くれたから何とかなったけど…。でも、でもやっぱり。いい
なぁ。待つ人がいるの…。ああ、勝手なことを言ってはいけない
わ。気が狂いそうなほど長い間待ち続けていらっしゃるんだも
の。わたしには待つべき人もいないし、いたとしても、あんなに
も長い間待ちつつけられる自信もない…。ううん、きっとだめ
よ。だめだわ…。でも、待てるものなら私も、待ってみたかっ
た」
久遠、登場。
久遠 「真由姫。真由姫。はて、いずこへいかれたか」
真由姫 「……」
久遠 「なんだ、こんなところにおいでか」
真由姫 「……」
久遠 「真由姫」
真由姫 「……」
久遠 「姫には私が見えませぬか」
真由姫 「いいえ」
久遠 「ああ、よかった」
真由姫 「でも、どうしてここへ」
久遠 「あなたの姿が見えぬゆえ探しておりました」
真由姫 「では琴織様は見つかりましたの」
久遠 「それは存じません。でも、琴織様のことは永久殿が一番よくご
存知のはず、きっとすぐに見つけられたことでしょう」
真由姫 「あの、侍女の方たちは」
久遠 「なにやら慌しくしておいででした」
真由姫 「そうですか。でも、私もなにも聞いておりませんでした。まし
てあなたまでお見えになるとは」
久遠 「私もこんなことになるとは思っても見なかったことです。最初
は平安朝の貴族のお供ということでしたが、実に楽しいお芝居に
なっていて、わくわくしながら出を待っておりました。いかがで
す、少しは様になっておりましたか」
真由姫 「は、はい。たいそう落ち着いて、ご立派でした」
久遠 「そうですかぁ、これでもかなり緊張していたんだけど。とて
も、立派などと…。あなたこそ楽しそうだったじゃないですか」
真由姫 「台詞を間違えないよう一生懸命でした。それに永久様ともすれ
違いのはずなのに、台本もそのようになっておりましたのに、な
ぜでしょう」
久遠 「はあ。私と永久殿はあの変り種天使の指示に従ったまでのこ
と。では、あなたは大変でしたね。しかし、どうしてこんなとこ
ろに…。ああ、あなたも会えぬ人を思っていたのですか」
真由姫 「(きつい調子で)いいえ。私にはそんな人はおりません。仮に
いたとしても、待ち続ける自信もないし、誰もが待ってもらえる
というものではありません」
久遠 「これは悪いことを聞いてしまったようで、お許しください」
真由姫 「あ、私こそ申し訳ございません。つい…」
久遠 「誰にでも言いたくないことはあるものです」
真由姫 「霊界では何事も隠さないほうがよいとされています。話し合え
る機会があれば胸のうちを出しきるようにと教えられましたの
に、男の方と間近かでお話しするなど久しくなく、口の聞き方も
忘れておりました」
久遠 「まあ、言いたくないことは言わなくてもいいですよ」
真由姫 「ありがとうございます。もう昔のことですから…。私も心中し
たのです。琴織様と違うのは私だけ霊界に来てしまったというこ
とです。天国で二人仲良く暮らせるものと思って心中したのに、
私一人だけ。それはもう、心細くて、寂しくて…。最初はあおば
さんのように見えないものがたくさんあり、修行はつらいし、泣
きたい気持ちの毎日でした。そんなとき琴織様が声をかけてくだ
さったのです。そしてはじめて知ったのです。心中しても一緒に
は住めないということを」
久遠 「そうだったのですか。で、あなたと一緒に心中し損ねた人
は?」
真由姫 「その人は、その後結婚されて平穏な一生をおくられたそうで
す」
久遠 「おくられたということは、その人も今は霊界に?」
真由姫 「はい」
久遠 「会いたいと思われませんか」
真由姫 「いいえ、今さら。もう、はるか昔のことですから」
久遠 「あの、そのことをどなたにお聞きになられたのですか」
真由姫 「なんとなくわかってきますし、天使様が教えてくれました」
久遠 「ええっ、私にはなにも教えてくれないのに」
真由姫 「なにをですの」
久遠 「実は、私にも好きな人がいましてその人と、彼女とドライブ。
ああ、わかりますか、ドライブというのは」
真由姫 「それくらいは知っております」
久遠 「そのときの事故でここに来たわけですが、あなたと違うのは二
人とも死んだのです。心中ではないけれど、同じ時刻、同じ場所
で死んだのに、彼女の姿すら見てない。これも見えないというべ
きか…。天使様にたずねても聞き流されてしまうだけで」
真由姫 「その女の方は助かったのではないでしょうか」
久遠 「いえ、それはないです。それはちゃんと確認しましたから。あ
なたの場合はどうだったか知りませんけど、私が気がついたとき
は崖の下でした。でも私はすぐに自分の体の異常に気が付いた。
軽くて体が浮いているのです。そりゃ、もっと生きていたかった
けど、こうなったら死を受け入れるしかないし、何より、体が浮
くのが楽しくて…。こんなの、やっぱり変ですよね」
真由姫 「そういうこともあるのですね。私はひたすら苦しかった。あ、
どうか、気になさらないでお続けください」
久遠 「すぐに彼女を探しましたよ。自分の家より彼女の家に先に行
き、家の中から外まで丹念に彼女を探しました。祭壇に彼女の写
真があって、それが曲がりなりにも彼女の最後の姿になりまし
た。でも、どうしてもわからない…」
真由姫 「この霊界では人間界で夫婦であっても、なかなか会えるもので
はありません」
久遠 「それは知っています。でも、消息くらい知りたいじゃないです
か」
真由姫 「その女の人はすばらしい方で、さらに上の界にいかれたのでは
ないでしょうか」
久遠 「それならどうして天使様はそのことを教えてくれないのでしょ
うか。あなただって人間界に残った人のその後を知り得たという
のに、なぜ、私にはなにも知らされないのでしょうか」
真由姫 「そうですね」
久遠 「私は霊界中を探してみました。自分の出入りできるところをす
べて。でも、だめでした」
真由姫 「その人は幸せな方ですね。あなたにずっと思われて…」
久遠 「どうですかね。この頃ひょっとしたら彼女はもっと下の界
に…」
真由姫 「そんなことはないと思います。自殺でも心中でもないのですか
ら」
久遠 「運転していたのは彼女です」
真由姫 「無理心中なんてことはないのでしょ」
久遠 「私たちの間にはなにもなかった。しかし、今になって思えば彼
女には私に言えない悩みがあったような…。だから無理心中では
ないにしても、運転に集中できずに事故を起こしてしまった…」
真由姫 「事故を起こしたことがそんなに悪いことでしょうか」
久遠 「事故が悪いのではなく彼女の悩んでいたことです。時折見せた
憂いのわけを知るのが怖かったのです。あの時、私がもっと正面
から、彼女と向き合えばよかった。それだけが心残りで…。もし
や、あの雲の中のような見えずの世界……。
真由姫 「(さえぎるように)まさか…。そのようなことは申されます
な。そんな恐ろしいこと…」
久遠 「ああ、これは申し訳ない。永久殿からあなたの話し相手になっ
てやってほしいと頼まれておりましたのに、自分のことばか
り…」
真由姫 「永久様がそのようなお気遣いを。琴織様といい、お優しい方た
ちで。でも久遠様、あなたのような方がどうして私たちと同じと
ころに。あなたならもっと幸せな場所があるのでは」
久遠 「確かに。あちこちうろついているときに、別の天使様から、住
むべき場所を定めなさいと注意され、で、一番波長の合う永久殿
のところに住むことにしました」
真由姫 「そうでしたの」
久遠 「姫のおっしゃらんとすることはわかります。しかし人間界での
私は何の苦労もしないままに霊界にやってきました。ここは心だ
けの世界です。生意気かもしれませんが、それなら人間界で使い
きれなかった心を思う存分使ってみようと思いました。ほら、人
間界でいうでしょ、若いときの苦労は買ってでもと、その霊界版
をやってみたいだけです。私とてあのまま人間界で年をとってい
けば、さまざまな悩みや苦しみにあったことでしょう。それが何
一つできないままに霊界暮らし。だから人間界で生ききれなかっ
た分をこの霊界で生きる…。ちょっとカッコよすぎますかね、な
に、一人で力んでいるだけのことです」
真由姫 「いいえ、あなたのような方は早く人間界に帰ることができます
わ」
久遠 「そうですか。そのころの地球はどんな時代になっているのかな
あ。真由姫はこの霊界は長いのですか」
真由姫 「はい、琴織様ほどではありませんが」
久遠 「では、今の地球のことは。あ、知らなくてもいいか…。心中に
せよ、自殺にせよ、自ら命を絶つことは許されることではないけ
ど、想像以上に厳しいものですねえ」
真由姫 「はい」
見えずの女、登場。
衣装、化粧、髪の色すべて灰色。
久遠、真由姫には女の姿も見えず、声も聞こえない。
久遠 「それならば、こんな芝居を思いついたあの変り種天使は本当に
優しい天使なのだな。いや、天使様でございます。もう、すぐ芝
居ということを忘れてしまって。これでは大根どころか貝割れも
怪しいですね」
真由姫 「私も同じです。あなたは今年初めてなのに、私は十年近くやっ
ているのに、ちっともうまくなりません。最も最初は衣装担当で
した」
久遠 「衣装を」
真由姫 「はい、お針は好きですのでずっと。今年はあなたのお衣装もど
なたが着るのだろうと思いながら、ちくちく縫っておりました。
三年前からです、役者をかねて琴織様の妹のような役どころをや
らせてもらっていますの」
久遠 「それは存じませなんだ。ではあなたは十年も。いや、それ以前
から永久殿と琴織様を見てこられたのですね。私もそうですが、
待つ人のいない身は辛くないですか」
真由姫 「会える日が近づきますと琴織様は、それはお美しくなられま
す。でも、その後はものすごくお辛いだろうに、いつもと変わり
なく、気丈な方です…。しかし、多くの恋人たちが長続きしない
という現実も知っております」
久遠 「そうですか…」
二人、しばし沈黙。
見えずの女は久遠に必死で話しかけようとするが、側には近づけない。
久遠 「真由姫」
真由姫 「は、はい、何でございましょうか」
久遠 「この後、あなたに文を差し上げてもよろしいでしょうか」
真由姫 「いえ、あの、それは許されないことです」
久遠 「承知しております」
真由姫 「ならばなぜ、そのようなことを申されます。霊界での文のやり
取りは特別なことでもない限り不可能なことはあなたとてご存知
のはず」
久遠 「神様にお願いしてお許しをいただきます。だからその前にあな
たのお気持ちをお聞きしたかったのです」
真由姫 「私の気持ちなど…。あなたには思う方がいらっしゃるではない
ですか」
久遠 「彼女のことはもういいのです。とっくに踏ん切りはついていま
す。ただ、あなたが生きている人間の情報を知っていたから、
ひょっとしてと思ったまでのことです」
真由姫 「それでも神がお許しになりますか」
久遠 「それはこれからの課題です。それより私とて自信はないので
す。でも、待ってみたい。今はその思いだけです…。真由姫」
真由姫 「いくら人間界とは時の流れ方が違うとはいえ、私のようなもの
に関わっていては、あなたの人間界への復帰が遅くなるだけでは
ないですか」
久遠 「構いません。私も死んだ人間なのです。すぐに人間界に帰れる
ならともかく、いつになれば帰れるという保証もない」
真由姫 「だからこそ一日でも早く。霊のまますごすより人間として過ご
すことのほうがいいのです」
久遠 「そうでしょうか。これは皮肉ではなく、あなたは死を選択され
た。だが私にとっての死はまったくの不意で、親や友達を悲しま
せただけの短い一生でした。今度生まれ変わったとしても、その
先にあるのはやはり死なのです。死なない人間はいない。ただ、
早いか遅いかだけの違いじゃないですか。今の私は急いで人間界
に復帰したいとも思わない。今復帰したとて元の生活に戻れるわ
けではなく、親にも友達にも会えるわけではない。それに、ここ
の暮らしもそう捨てたものではない。こうしてあなたという人に
も会えましたから。人間界であれ、霊界であれ、私は私です。や
れるだけのことをやってみたい…。真由姫。即答できぬまでも後
数時間後にはお返事を!」
真由姫 「……」
久遠 「真由姫!私は二度と後悔したくない!」
真由姫 「……」
久遠 「……」
プロンプター 「待ちます、お待ちいたします」
真由姫 「……。待ちます、お待ちいたします。でも、お会いしたばかり
なのに、気の遠くなるようなお約束をするなんて、これはとんで
もないことではないでしょうか」
真由姫、次第に落ち着かなくなり、辺りを見回したりする。
久遠 「よいではないですか。ここでは誰も年をとりません。時間だっ
てそれこそ永遠にある。ああ、真由姫は人間界ではどの時代をす
ごされたのですか。私は歴史も好きで…。どうなされた」
真由姫 「何か、感じませぬか。気配のような…」
久遠 「私は別に」
真由姫 「先ほどから気になっておりました。よくはわからないのです
が、妙に気になって。あの、蝉の鳴き声も止んでおります、虫の
姿も見えません」
久遠 「言われてみれば。しかし、それがそんなに不思議とは」
真由姫 「お許しください。きっと私が舞い上がってしまったのです」
久遠 「姫が落ち着かないのでしたら場所を変えましょうか。私たちに
もそんなに時間は残されてない。その間に少しでも多くあなたの
ことを知りたい。ここが落ち着かれないのなら、山裾に小川が流
れていましたね、そこでせせらぎを聞きながら語り合いましょ
う。蝉の声は止んでも川の流れは絶えることはありません」
真由姫 「はい」
久遠 「ではまいりましょう」(ごく自然に真由姫の手をとる)
真由姫 「……」
久遠 「さ、早く」
久遠、真由姫退場。
見えずの女 「ああ、やっぱり、あの人には私が見えない。さすがに真由
姫は気配を感じ取った。そう、私の姿はだれにも見えない…。で
も、こんな姿、見られたくない。なんとおぞましい姿よ…。この
霊界で、よもやこんな姿になろうとは…。
知らなかった知らなかった。誰も教えてくれなかった。不倫がよ
くないことくらい誰でも知ってるけど、愛した男に妻子があっ
た。それだけ…。こんなの、よくあることじゃない。いけないと
思いつつ、恋愛は自由、私も自由、何もかも自由…。でも自由の
先にあるもの、身勝手な自由の先にあるものは疲れ。疲れて疲れ
てどうしようもなかった時、あの人と出会った。疲れ果てた身に
は、明るくて、まっすぐで、まぶしかった。あの人となら、やり
直せそうな気がして不倫はやめたけど、どうしても胸が痛む…。
あの日も鬱積した気持ちを追い払うように荒っぽい運転して、
ごめんなさい、私のスピードの出しすぎ。あなたまで巻き込んで
しまって。あなたは即死だったけど、私は苦しかった。当然よ
ね。でも死ぬ間際の苦しさなんて何ほどのこともない。
知らなかった知らなかった、誰も教えてくれなかった。死ねば
それで終りではなく、霊界というものがあり、そこでは人間界で
の罪を償わなければならない。人間界では殺人が一番罪が重いけ
ど、この霊界では殺人よりも不倫のほうが罪が重いだなんて。ど
うしてもっと早く教えてくれなかったのよ。知っていればこんな
目にあわなくてもすんだものを…。
今の私は何もない、色もないところにいる。そこには私と同じ
罪びとが群れを成している。常に群れて、息苦しいほどに群れ
て、みんな必死で色を探し回る。色などどこにもないのにひたす
ら歩くものだから、ほら、足はこんなに大きくなって。手は使う
ことがないから退化してしまった。だけどこの手は鏡なのよ。手
鏡。毎日この手で自分のおぞましい姿を見なければならない。髪
はごわごわ、皮膚もがさがさ、声もしゃがれてしまったけど、耳
だけはよく聞こえる。まるで自分自身が受信装置になったみたい
に。だからあの人が私のことをたずねまわっていることは知って
いた。
今もこれからもずっと歩き回るだけの毎日、季節はおろか、今
が朝なのか、夜なのか、そんな感覚すらなくしてしまい、時々ふ
る冷たい雨ですら妙に懐かしくみんなはしゃぐけど、雨がやんだ
あとの濡れた着物の気持ち悪さよ…。
それだけじゃない、ここには雪が、黒い雪がふる。あっという
間に積り、その黒い雪の中には宝物が隠れていると信じられてい
るから、我先にと押し合い、罵り合いながら探す黒い集団。でも
雪はすぐに消えてしまう。後はいつものように歩き回るだけ。宝
物なんてどこにもないのに、それでも止められない、浅ましい
姿。こんな地獄もあったのね。赤鬼青鬼が罪びとを追い回すので
はなく自分自身が鬼になっていた…」
プロンプター 「これが罪というもの」
見えずの女 「……」
プロンプター 「これが罪というもの」
見えずの女 「(投げやりに)ああ、疲れた」
プロンプター 「これが罪というもの」
見えずの女 「(気のない調子で)これが罪というもの」
数人の天使登場。
見えずの女、逃げ惑う。
天使1 「何をしているのです」
天使2 「舞台に上がってはいけません」
天使3 「客席からということでお許しをいただいたのです」
天使1 「さあ、早く」
天使2 「ここから」
天使3 「こちらへ」
見えずの女 「いやよ!ここは!ここは!」
天使1 「これ以上何を言っても誰にも聞こえません」
天使2 「これ以上ここにいるとあなたの姿が消えてしまいます」
天使3 「すべてが消滅する前に」
天使1 「さあ」
天使2 「さあ」
天使3 「さあ」
見えずの女 「へへへ、ちょっとスリルあった。やってやったあ!」
天使たち、笑い転げる見えずの女を連れて退場。
蝉が鳴き始める。風がそよぐ。
永久、琴織姫登場。
永久 「ここは涼しい。なあ、姫。姫、やっと二人きりになれました
な」
琴織姫 「……」
永久 「どうなされた。さっきからずっと黙ったまま、なにか?」
琴織姫 「いえ、いつものことです。一年ぶりのいつものことです。お会
いするまではあれも言いたい。これも聞いてほしいと思っており
ますのに、お顔を見ただけで、真っ白に…」
永久 「それでお隠れになったのか」
琴織姫 「またそのことですか」
永久 「またというほど、時はたっておらぬ」
琴織姫 「存じません」
永久 「また、存じませんか」
琴織姫 「またではございません」
永久 「またでなく」
琴織姫 「たまです」
永久 「またでなく、たまか。どちらもよしとして。姫、会いたかっ
た」
琴織姫 「私も…。でも、何かわかったような、わからないような。すっ
きりいたしません」
永久 「そういう姫のおとぼけもまたまたかわいいもので。それより
姫、こちらに向かう途中ですばらしいものを見てしまった」
琴織姫 「なぁに」
永久 「なんと地球の方角から空飛ぶ船がやってきた。久遠殿とその船
にしばらく便乗してな。久遠殿はその船のことをよくご存知で、
こんなところで実物にお目にかかれるのなら、早く死ぬのも悪く
ないものですとか言って、二人で大笑いをしながら中をのぞくと
な。船頭たちが楽しそうに宙返りをしていた」
琴織姫 「それは宇宙船というもので、船頭ではなく、宇宙飛行士という
のです」
永久 「知っておったか」
琴織姫 「これくらい知らなければ歌は詠めません」
永久 「いかにも。だが、その船頭、いや、宇宙飛行士の中に、女性が
いたことは知るまい」
琴織姫 「まあ、女の方が」
永久 「ああ、美しい方であられた」
琴織姫 「あなたという人は、ちょっと美しい人を見かけると、すぐに喜
んでしまうのだから」
永久 「また始まった。いや、姫の次に美しい方であった」
琴織姫 「では、真由様は」
永久 「今、真由姫のことはよかろうに」
琴織姫 「真由様はどうなされたかしら」
永久 「はぁ、今頃になってやっと。あ、いやいや、心配せずとも久遠
殿がいるではないか」
琴織姫 「その久遠様とはどういうお方なのです。私には引き合わせてく
ださらないのですから」
永久 「何を言うか、引き合わせようにもさっさと隠れたではないか」
琴織姫 「隠れたのではなく眠ってしまったのです。久遠様がお見えにな
ると知っていたら眠ったりはいたしません」
永久 「さようか。私は歌詠みのような繊細さは持ち合わせておらぬゆ
え、女心はいと難しゅうて、手あまり、字あまり…。その久遠殿
は、一緒に事故死された女の人を探してそこらじゅう歩き回って
いるうちに、何を思われたのか、私の元に住まわれるようになら
れた、という方である」
琴織姫 「その女の方は」
永久 「それがわからずじまいで。しかし、もう吹っ切れたそうな」
琴織姫 「で、毎日どのようにお過ごしなのですか」
永久 「私とまったく同じことをされている。不足ひとつ言わない。明
るくてまじめな方だ。それで天使様が同行を許されたのだ。こち
らには真由姫もいるし」
琴織姫 「ああ…。あ、そうだったのですか。私としたことがちっとも気
づきませんで、ほほほ、そうだったのですか。それはそれは」
永久 「琴織」
琴織姫 「お許しください。またちょっとあなたを怒らせたみたいで」
永久 「……」
琴織姫 「そんな顔なさらないで、今度はちゃんとあなたのお話を聞きま
すから、ほら宇宙船の話。ねえ、背の君」
永久 「こんなときに背の君はなかろうに。まあ、それよりその宇宙船
にはかなり年配の方も乗っておられた。あのようなお年になられ
ても現役の宇宙飛行士とは実にすばらしいことだ。地球もどんど
ん変わっていくなあ」
琴織姫 「そんな方もいらっしゃるのですね。では、変わらないのは私た
ちだけ…。でもいつか、あの宇宙船がもっと進化すれば、この霊
界までたどり着くやも知れませんね」
永久 「そうなればいいな」
琴織姫 「そうなってほしいものです」
永久 「多くの人が霊界のことを知れば」
琴織姫 「人として生きることのすばらしさを知れば」
永久 「死ねばそれで終りではなかった。会うこともままならず、まし
てや夫婦になるなど…」
琴織姫 「この身も胸も張り裂けそうなつらい別れと、年に一度のあまり
にもあっけないこの逢瀬」
永久 「私も姫も長い間、同じことを繰り返してきた。この同じことを
繰り返すために、多くの時を積み重ねなければならなかった」
琴織姫 「はい、知らぬことでした。死ぬよりつらいということは死んで
からのことでした」
永久 「あ、いやいや。今さら、はるか昔の二人のおろかな行為を蒸し
返すために宇宙船の話をしたのではない。実は、実に喜ばしいこ
となのだが、いざとなると実感がわいてこず、いつ、このことを
姫に伝えようか、なかなかきっかけがつかめず、ついくだらぬ話
ばかりしてしまった。いや、宇宙船のことではなく。しかし、あ
まりに唐突であり混乱している」
琴織姫 「何があったというのです。私には何のことやら」
永久 「わからぬのも無理はない。この私とていまだ半信半疑であるゆ
え。宇宙船の話から、夢を広げてその後で…」
琴織姫 「永久様。どうぞ気を落ち着けられて」
永久 「そうだった。一刻も早く、このことを姫に」
琴織姫 「はい」
永久 「姫も気を落ち着けてな。先ほど天使様から人間界への」
琴織姫 「また生まれ変わるのですか。つらい子供時代だけをすごすのは
もういやでございます」
永久 「そうではない。今度生まれ変わったときには。二人、夫婦にな
れるのだ」
琴織姫 「……?そんなことなら、もっと早くに知らせてくださればよい
ものを」
永久 「私もつい、先ほど天使様からお聞きしたばかりで。姫は何も知
らぬ。私から姫に伝えるようにとおっしゃられてな。一刻も早く
伝えようと気は逸るのだが、いざとなるとどのように切り出せば
よいものか迷うばかりで。あまりの現実に今もこの身は震えてい
る」
琴織姫 「私も何か、すごい話を聞いたような気がするのですけど…。あ
あ、きれいな夕焼け。さわやかな夕焼けです」
永久 「さわやか?」
琴織姫 「はい、朝焼けも夕焼けも、変わりゆくさまが美しいものです
が、一人で眺めるには何かせつなくて。二人で見ればはるか遠い
先まで見渡せそうで」
永久 「ああ」
琴織姫 「あなた!」
永久 「どうした、姫」
琴織姫 「あの、やっと、やっと。やっと夫婦になれますのか」
永久 「そうだ。やっとな。長かったな、やっと」
琴織姫 「夫婦になれば、ずっとあなたの側で、毎日暮らせるのですね。
夢のようです。夢ではないのですね」
永久 「だが、それはまだ二十年ほど先の話。無からはじめなくてはな
らない。それまでに神様がどのような境遇をおあたえくださるの
か」
琴織姫 「そう、何もかも白紙となって生まれ変わる。でも、いつか、ど
こかで出会えるのですね」
永久 「今度生まれ変わったら、私は宇宙飛行士になりたい。そうなれ
るよう努力する。姫と一緒に宙を飛んでみたい。姫は、やっぱり
歌詠みか」
琴織姫 「はい。でも、あなたの側で」
永久 「姫、今度こそ、二人して人生を全うしようぞ」
琴織姫 「永久様」
夕焼けが落ちていく。
やがて日が暮れる。
夜、満天の星。
琴織姫 「天の川が流れています。こうしてふたりで見れば限りなく星は
美しい。いつもはあの川に隔てられていますのに」
永久 「遠くて、深くて、美しい川だ」
琴織姫 「でも、悲しい川です。天の川が見えてくればお別れのときが
迫ってくるのですから」
永久 「楽しかった」
琴織姫 「来年は。ああ、来年はないのですね」
永久 「来年はない。しばしの別れだ」
琴織姫 「別れはつらいことですけど、人間界でしか夫婦になれぬあなた
と私が、ここまで待ち続けて、やっと…。でもあと二十年くらい
は離れ離れ。それが寂しくもあり、出会えるうれしさもあり」
永久 「神様が人間界での私と姫の出会いをどのようにしてくださるの
か知る由もないが、お聞きしても答えては下さるまい。そうだ、
私たちが人間界で大人になる頃には、霊界と人間界を結ぶ連絡船
が就航されるやもしれぬ。そうなればいいな」
琴織姫 「はい、さすれば、私たちのような馬鹿なことをする人たちもい
なくなることでしょう」
永久 「そうだ、私たちは馬鹿なことをしたのだ」
琴織姫 「死んではいけなかったのですね。死んでは。つらくて、つらく
て、死ねば楽になれると思い、死んでも離れまいと赤い紐をしっ
かりと結んだのに。魚に解かれてしまって…」
永久 「会えるのは年に一度。自殺も心中も許されることではなかっ
た」
琴織姫 「悔いても悔いても、間に合うことではなく、待って待って待ち
続けて。地球ももう二十一世紀です。どんな時代なのでしょう
か。ちょっと怖くもあり、楽しみでもあります」
永久 「きっと、人間の良識が通用する時代になっているさ」
琴織姫 「その二十一世紀には、黄色い朝顔が咲きます。私が咲かせて見
せます」
永久 「黄色い朝顔。朝顔は可憐な花だが、黄色い朝顔はさぞあでやか
であろう」
琴織姫 「はい」
永久 「姫、返す返すも名残惜しいが」
琴織姫 「もうそんな刻限…。あと少しで、朝顔が咲きますのに」
久遠と真由姫登場。
久遠 「ああ、別れがこんなにつらいとものとは」
真由姫 「永久様と」
久遠 「琴織様は」
真由姫 「こんなにも長く」
久遠 「こんなにも苦しく」
真由姫 「会える楽しみの後に」
久遠 「地獄のような別れのつらさを」
真由姫 「言葉はあまりにも、無力」
久遠 「時はあまりにも、ざん、こく」
真由姫 「いやです」
久遠 「どうすればいいのだ。どうすれば」
真由姫 「このままどこかへ逃げましょう」
久遠 「どこへ行けというのか。どこへ逃げろというのだ」
真由姫 「あの空の果てまで」
久遠 「果てなどどこにもない」
真由姫 「ああ、死ぬよりつらい」
久遠 「そうだ、死ねばいいのだ」
真由姫 「いいえ、私たちは死んだ人間」
久遠 「もう一度死ねば」
真由姫 「いいえ、死ぬなど」
久遠 「いったいどうすれば」
真由姫 「それがわかるほど」
久遠 「苦しまねばならぬということか」
真由姫 「どうしようもなく」
久遠 「何かを語らねば」
真由姫 「息、苦しく」
久遠 「何かを語れば」
真由姫 「この身が振るえ」
久遠 「すべてが狂おしく」
真由姫 「すべてがいとおしい」
久遠 「あまりに短すぎる時の中に」
真由姫 「思いを詰め込み」
久遠 「ああ、血のような汗が出るわ」
真由姫 「ああ、あなたの文を待つしかないのですね」
朝顔の鉢を持ったあおば、わかば、こずえ、みどり登場。
あおば 「ああ、夜咲く朝顔がもう咲いてしまった」
わかば 「琴織様と永久様」
みどり 「真由姫様と久遠様」
こずえ 「朝顔は明日も咲きます」
あおば 「思い出しました。私がどんな気持ちでこの芝居の稽古をしてき
たか。そして、人間界での私は親の愛さえ思いやれず、みんな人
のせいにしてきた」
わかば 「あなただけじゃないわ。私たち四人は似たもの同士。それがあ
なたにもわかったのよ」
みどり 「来年からは真由姫と久遠様。どんなお話になるのかしら」
こずえ 「さあ、静かにお見送りしましょ。それぞれに別れゆく恋人たち
の未来を祈りながら」
真由姫 「久遠様、文を、文を」
久遠 「真由姫!必ずや」
真由姫 「久遠様」
久遠 「真由姫」
真由姫 「久遠様」
久遠 「……」
プロンプター 「永久殿出立の刻限です」
久遠 「……」
プロンプター 「永久殿、出立の刻限です」
久遠 「……」
プロンプター 「永久殿」
久遠 「永久殿!出立の刻限です!真由姫」
真由姫 「久遠様」
永久 「あい、わかった!姫、名残はつきないが、しばしの別れだ。達
者でな」
琴織姫 「永久様も…。これを」
短冊を手渡す。
永久 「朝顔の 伸びゆく蔓や 先の世に
思い手繰りて 咲くや彼のもと
琴織姫!二十一世紀の地球で待っている!」
琴織姫 「永久様!」
久遠、何か言いかけるがプロンプターに制される。
永久、久遠、去っていく。
真由姫 「朝顔の 伸びゆく蔓や 先の世に
思い手繰りて 咲くや彼のもと」
琴織姫 「真由様!」
真由姫 「聞きました。琴織様は人間界へ…。それに今度こそ永久様と夫
婦になれますそうで…。よろしゅうございましたわね」
琴織姫 「真由様」
真由姫 「あの…。本当に…」
琴織姫 「真由様。私とて真由様と離れ離れになるのは寂しいことです」
真由姫 「琴織様!そのようなこと、おっしゃってはなりませぬ。やっと
おふたりの願いがかなうのではないですか」
琴織姫 「はい、私は永久様と人間界へ。そう、真由様にも久遠様がい
らっしゃるのでした。あの方なら」
真由姫 「でも、この次、いつ会えるというわけでもなく、それすら神が
お許しになりますか」
琴織姫 「真由様、信じて待つのです。さすれば神もお許しくださいま
す」
真由姫 「はい。琴織様と永久様のように」
琴織姫 「私、真由様ともいつの日にか、人間界でお会いできることを
願っております。実の姉妹になれましたら、ね」
真由姫 「お姉様!」
琴織姫 「真由様」
真由姫 「私もずっと琴織様を姉と思っておりました。実の姉妹になれま
したら、どんなにうれしいことか。私、来年も朝顔を、人間界の
お姉さまに届きますよう、その蔓を伸ばし、花も今で以上に咲か
せます。そして、いつか、いつの日にか、久遠様と夫婦になりた
く…。お姉様、お幸せに。人間界でお兄様とふたりお幸せに」
琴織姫 「ありがとう。真由様も。神様が私たちにどのような一生をご用
意くださるのでしょうか。でも、何があっても、ひとりが一人を
愛すれば。人が人を愛する…。愛があればいいのです。愛を忘れ
なければ…。ああ、もう夜が明けます。朝顔が咲きます」
終幕
天の川心中 松本恵呼 @kosmos
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