虹色パレット

《伝説の幽霊作家倶楽部会員》とみふぅ

第1話 言の葉語り

「私ね、もうすぐ引っ越しちゃうんだ」


僕の傍らにいる少女、シィちゃんは突然そんなことを言った。


「そうなんだ」


僕は淡々と、そんな素っ気ない言葉を告げる。


「レン君、あんまり気にしてない感じ?」


彼女はそう訊ねてくるが、


「……どうだろう、分かんないや」


僕はやっぱりそんな言葉しか紡げなかった。



僕とシィちゃんが知り合ったのは、幼稚園の頃。


隣に引っ越してきた彼女の母親と僕の母親が隣同士仲良くなったのがきっかけだ。


母親達が家でお茶会を開けば、僕も彼女もお菓子を仲良く半分こした。


公園に遊びにいけば、二人で追いかけっこしたり、砂で山やトンネルを作ったり、滑り台で一緒に滑ったり、ブランコを代わりばんこに押し合ったり、楽しい日々を過ごした。


小学校に上がってからは、学校では遊ぶことはなかったが、放課後や休日には今まで通り仲良くしていた。


小学校の高学年からは周りの友達に僕と彼女の関係をからかわれることも多々あった。


別に付き合ってるわけではない。


だから最初は僕も彼女も否定していたけど、そのうち慣れていき、お互いに何も言わなくなった。


中学は家から近いということもあって、二人とも同じ学校に入った。


中学校では、男女のグループがはっきりしていて、学校では当然、話すことはなかった。


放課後は、お互いに部活があるため、都合も合わなかったし、休日に家に遊びにいくことも自然としなくなっていた。


放課後の部活終わりに、たまに顔を合わせては、どこかぎこちない雰囲気のまま、二人で帰路についた。


僕らの年齢になると情緒がはっきりしてきていて、僕自身、彼女と二人だけでいるのが恥ずかしかった。


昔から元気な彼女は、小学校のときよりもずっと、凛としていて、身長も伸びていて、女の子らしさが感じられて。


それに比べて、僕は昔とあまり変わっていない様な気がして。


自分自身、彼女に対して何を考えているのかも分からないまま、毎日を過ごしていた中学二年生から三年生にあがる直前の三月。


僕は彼女が引っ越すことを知った。


彼女がその事実を告げる数日前、顔を知っているという程度の認識である女子生徒がわざわざ教えに来てくれた。


その生徒は、彼女と仲の良い友人で、僕達が通っていた小学校の出身だったため、僕達の関係を知っていたらしい。


何故わざわざ僕にそんな話をしてくるんだ。


彼女と僕はただの幼なじみで、別に付き合ってるわけではないのに。


そう思ったものの、好意を無下にするのもどうかと思ったので、僕はただ黙ってその生徒の言葉を聞いた。



その事実を知ってからの数日間、自分と彼女の関係性を整理した。


僕と彼女は幼なじみ。


友達だと思う。


大切な人だと思う。


でも、付き合ってはいない。



そう考えながら、部活を終え、帰ろうとした矢先、彼女と偶然鉢合わせた。


気まずいので、「また明日」と言って去ろうとした僕に、彼女は「待って」と言った。


「……少し、レン君とお話がしたいな」


どこか儚げな笑みを浮かべる彼女に、僕は嫌だとも言い切れるわけもなく、普段は歩かない道を歩いた。


道で見かけた物を話題に、僕たちはとりとめもない会話をする。


彼女が口を開き、僕がそれを聞いて相槌を打ち、彼女は楽しげにまた新たな言葉を紡ぐ。



そんな時間はあっという間に過ぎ去り、気づけば僕らは町を一望できる見晴らしの良い場所に来ていた。


時刻ももうかなり遅く、夕日が沈みそうだ。


そんな場所で景色を眺めながら。


彼女は唐突にその言葉を告げた。


「私ね、もうすぐ引っ越しちゃうんだ」



「……どうだろう、分かんないや」


「ふーん、そっか……」


僕の言葉に、彼女は特に気を悪くすることもなく、ただ目の前の光景を眺めていた。


「お父さんの仕事の関係上、どうしてもこの町に住み続ける訳にもいかなくてね」


彼女はぽつり、ぽつりと区切りながら言葉を並べていく。


「私ね、反対したんだけどね。どうしても駄目なんだって」


「……」


「(だったら、この町に住む叔母さんの家に住む)って言ったら、(我が儘を言うな、叔母さんに迷惑がかかる)って聞く耳持ってもらえなくてさ。本当にまいっちゃうよね」


「……僕達はまだ子どもだから、親の言うことを聞かないといけないもんね、だったら仕方ないよ」


「……そうだね」


シィちゃんに向けて言ったはずのその言葉は。


もしかしたら、僕自身への言い訳だったのかもしれない。


「……だからさ」


彼女はそこまで言って、ふいに遠くを見ていた瞳を僕に向けてくる。


「お別れを言おうと思って。今までいろんな事でお世話になったからさ」


「……それは」


それは、僕も同じだ。


そう言おうとするも、口の中は渇き、まるでその言葉を紡がせないようにしているようだ。


「……私とたくさん遊んでくれてありがとう。私にたくさん付き合ってくれて……ありがとう」


「……っ」


「じゃあ、これ以上は遅くなるし帰ろっか。私はもう少しこの景色を見ていたいから、レン君は先に帰ってていいよ」


「シィちゃん……」


心の中で渦巻く、何とも言えない不快感。


何かを伝えたい、だけど伝える言葉が見つからないそんなもどかしさ。


結局、僕に言えたことは……。


「じゃあ、またね……シィちゃん」


そう言って、僕はシィちゃんに背を向けた。




そのとき背後から何かを呟く様な声が聞こえた気がしたが、僕はその言葉に耳を塞ぐ様に、その場を後にした。





それから更に数日後、シィちゃんは転校した。


そのことを知らなかった人達は、最初はざわざわと騒いでいたものの、しばらくすれば何事もなかったように振る舞い、学校生活に平穏が戻ってきた。


シィちゃんが消えても、周りには何の変化も起こらなかった。


僕はそんな事実を、ただ無関係であったかのように茫然と眺めていた。




それから僕は中学校卒業後、高校に通い、三年間がむしゃらに、部活も勉強も頑張った。


どこか埋まらない空虚感を、ひたすらに埋めようとするかの様に。


何度か女子に告白もされたが、僕はそれを断った。


嬉しいことなのに、だけど付き合う気にはなれなかった。


常に自分を追い込み続けた。


おかげで、地元にある目標の大学にも受かり、キャンパスライフを過ごしながら、成人式を迎え、ついに大人の仲間入りを果たした。


家族や親戚も大いに喜んでくれた。


なのに。


どうしてこんなにも、心は満たされないのだろう?



中学校を卒業したかつてのクラスメート達と共に、僕は同窓会に参加することになった。


居酒屋の大部屋を予約して借りて、僕たちは久しぶりに出会い、昔とすっかり変わった友人達と料理を分け、酒を酌み交わした。


「……すいません、遅れてしまいました」


そう言って、一人の女性が入ってきた。




その人がシィちゃんなのだと僕は見た瞬間に気づいた。




あの頃よりも更に伸びた髪、化粧された快活さの滲む顔、大きくなった胸、女性らしさ漂う気品。


あの頃とはまったく違った姿をしているのに、かつての面影を今でも僕は忘れられない。


彼女を呼んだらしい女性が名前を呼ぶと、周りの人達もやっと誰なのか気付き、転校したかつてのクラスメートの来訪に歓声が沸き起こった。



「ちょっと待って」


同窓会を終え、帰路につこうとした僕を、背後から止める声がした。


振り替えるとそこにはシィちゃんがいた。


「……少し、あなたとお話がしたいな」


まるであの頃と同じように誘ってきた彼女の言葉に、僕は嫌だとも言い切れるわけもなく、彼女と二人で夜の町を歩いた。




気づいたときには、町を一望できる、見晴らしの良い場所に着いていた。


……それはかつて二人が訪れ、別れた思い出の場所。


「久しぶりだね……レン君」


今まで一言も喋らなかった彼女が躊躇いがちにそう口にして。


僕もぎこちない声音で返事をした。


「……久しぶり、シィちゃん」



僕達は体重を預けるように柵にもたれ掛かり、暗闇で煌々と輝く町並みを見た。


彼女は話し始めた。


彼女がぽつり、ぽつりと、とりとめもなく、統一性もないくだらない話をして、僕がそれに耳を傾けて相槌を打ち、彼女は楽しげにまた新たな言葉を紡ぐ。


そして、気づけばかなりの時間がたっていた。


「あーぁ、今日の楽しい一日も終わりかぁ」


彼女がそう言って、残念そうに肩をすくめる。


「私の家ね、ここから少し距離があるんだ。だから、そろそろ行かなくちゃ」


「……そう」


「この町は私にとっての思い出の場所だから住みたいけど、大学生活もあるからさ、こっちにはまだ住めそうにないんだよねぇ」


「……そうだね」


「……レン君も大学頑張って、夢が叶えられたらいいね?」


「……うん」


「……今日は話せて楽しかったよレン君」


「……っ」


そこでふと、言葉が途切れ、辺りは静寂に包まれる。


「……じゃあ、またねレン君」


そう言って、彼女は儚げな笑みを浮かべ、背を向けて去っていこうとする。


かつての僕がそうしたように。




(……意気地無し)


ふと、頭の中でそんな言葉が木霊した。


それは、僕と彼女が別れた日、去ろうとする僕に向かって、彼女が呟いた言葉。


あのときもし、彼女を引き留めていたならば。


彼女は転校することもなく、この町に残っただろうか?


彼女があのとき、叔母の話までしたのは、そういう意味・・・・・・だったのではないのか?



ならばあの言葉には。


どれほどの想いが込められていたのだろうか?


そのときの僕には当然知りようがない。




彼女にお別れを言うのが辛かった。


彼女にお礼を言うのが恥ずかしかった。


彼女に弱虫な自分を見せるのを、男のプライドゆえに許さなかった。


だが、今にして思えば。


あぁ、くだらないくだらない。


なんて幼稚で、自分勝手で、ズボラな言い訳だろうか。


この言葉も、この想いも。


相手に伝えられなければ、意味なんてないのに。




「……行かないで」


僕の呟いた言葉に、彼女はピタリと立ち止まった。


そして、顔をこちらに向けてくる。


「……お願い、もう僕の前からいなくならないで。我が儘で自分勝手で最低なのは分かっているけど……」



僕らは付き合っていない。


かつて、僕はそう言った。


だけど、付き合っていないことが、相手を好きでないことに、愛していないことになるのだろうか?


僕はただ、逃げてただけなんだ。


認めることが怖くて。


傷つくことが怖くて。


失うことが怖くて。


そして、信じることが怖かった、臆病者だったんだ。


「もう親の仕事とかそんなの関係ない。僕もシィちゃんも大人になった。誰かに振り回されることを仕方ないなんて諦める必要もなくなった。僕は、ずっとシィちゃんの側にいたいから、だからこれからもずっと……僕と一緒にいて!」


「……」


プロポーズと呼ぶにはあまりにも突飛な告白。


まったくなに考えてるんだか……。


あれから六年も経って、まだこんな風に引きずってるなんて。


あぁ、お笑い草だ。プライドも男気もあったもんじゃない。


きっと顔は林檎のごとく真っ赤だろう。


恥ずかしい。


恥ずかしい。


だけど、どこか誇らしい。


まったくなんなんだよこの気持ちは。


言葉は同じはずなのに。


どうして、親達に贈る(愛してる)って気持ちと、こんなにも感じが違うんだろうな。



でも不思議と分かるんだ。


今伝えなければ後悔するって。


昔の僕がそうだったんだから。


「……私ね、男の子と付き合ったことがあるんだ」


ふいに、シィちゃんはそんなことを言ってきた。


「その人ね、男前で優しくてかっこよかったんだけどさ。なんだかうまくいかなくてね。嫌になって、それ以降誰とも付き合ってないんだ」


「……」


「でも……」


シィちゃんが僕の近くまで寄ってくる。


「レン君は昔と変わらないんだね。あの頃からずっと逞しくなって、ずっと大人びて…………なのに、私の良く知るレン君のまま」


「シィちゃん……」


「……あなたと離れてから六年、部活や勉強に没頭して、告白してきた男子と付き合って、あなたのこと、無理矢理忘れようとしたけれど……」


やっぱり、駄目だったんだ。


そう言った彼女は今にも泣きそうな表情をしていた。


こんな彼女を見るのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。


その言葉を聞く限り、彼女も昔の僕と同じだったのかもしれないと思った。


自分に素直になれなくて。


素直な気持ちを相手に伝えることが怖かったんだ。


「……ごめんね、今すぐレン君の側に行くことはできないの。昔と今ではやっぱり私もあなたも違うだろうし、なにより私には私の叶えたい、叶えるべき夢がある。だけど……」


そう言って、彼女はそっと僕を抱き寄せた。


「私はもう、あなたの前からは消えないから。だから、いつかその時が来たら……」



瞳を開けると、目の前には真っ白な天井。


左に視線を向けると、様々な色のパックが吊るされて、心電図が動いている。


「あなた、大丈夫?」


ふと右側からそんな声が聞こえて見ると。


優しげな瞳で見つめる女性がいた。


顔は皺だらけで、髪は真っ白。


しわがれた声に、骨が浮かび上がる腕。


その姿は老婆と呼ぶにふさわしい。


あぁ、でも、だからこそ。


何よりも美しく愛おしいと思える。


「なんでもないよ……懐かしい夢を見てね」


「懐かしい夢?」


「走馬灯なのかもしれないけどね……昔のことだよ」


忘れてしまいそうな、けれども絶対に忘れられない僕と彼女の思い出。


「教えてはくれないのね?」


「それくらい、多目に見てくれ……」


「まぁ、それぐらいは許してあげるわ……」


女性は静かに微笑を浮かべて、こちらから一時も視線を外さない。


また、目蓋が重くなる。


今度はもう駄目なのだと、感覚で分かる。


あぁ、くそ、伝えたいことはいっぱいあるのに時間が惜しい。


どうして最後にあの夢を見たのか?


きっと、偶然ではないのだろう。


だったらせめて、この言葉だけでも。


恥ずかしさなんて、プライドなんて、意地なんて糞ったれだ。


今このときだけは、そんなもの全てをかなぐり捨てて、この想いを伝えたい。


「…………愛してるよ……、シィ……ちゃん」


そう言って僕は目蓋を閉じた。


「……えぇ、私も愛してるわ、レン君」


ありがとう、好きだった人。


またね、愛しい人。


そう女性が告げたとたん。


部屋に心電図のピー、ピーと甲高い音が鳴り響いた。


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