第40話 エピローグ/もしくは、幕間

人形歌劇団≪幕間座≫インテルメディオ・ギニョル


 木製の看板に色あせたペンキで記されている。

 それをアレックスが見つけたのは、人生で二度目に経験した葬儀のあとだ。



 遺品整理のために巣穴のような部屋を訪れ、どうやって圧縮されていたのかも見当のつかない膨大な物質に翻弄されていた。

 以前は生き物のように感じた部屋が今はひっそりと黙り込んで冷たい。

 家主を失い、部屋も同時に死んだのだ。

 セーターごとシャツを腕まくりして物品を扱う。

 マスクをつけなかったことを後悔している。

 部屋中、埃っぽいし砂っぽい。

 箱と箱の隙間にはくまなく本や布製品が埋められていた。しかも、それで均衡を保っていたらしい。だから、うかつに触ると箱の山が容易に崩れる。

 今にも、小さな悲鳴と同時に、ひとつの山が崩れた。

「フラン。無事か」

 幸いにも衣類の山だったようだ。

 布切れの下敷きになった自動人形メイトに手を貸し助け起こす。

「はい。問題ありません」

 差し出された手を取って自動人形は起き上がった。

 スカートの裾を払って、めくれた前掛けを整える。

「わ。見てください。本がぎっしり」

 衣類の山の崩れ去った奥に本棚が現れた。

 隙間なく詰められた書籍類は人間一人の財産としては充分すぎる分量に思える。

 アレックスは嘆息して、埃を吸い込んで咽た。

「なんでこんなに物質にこだわるんだ、あの爺さんは。全部データにしたら良かったのに」

 じっくりあらためれば価値のある品々が混じっているのだろう。

 想像はつくが、触る気も起きない。

「何の本でしょうか。自動人形の専門書?」

 迂闊にもフランが本に触れる。

 が、限界まで詰め込まれた本は並みの力で引き抜くことはできない。

「何の本だろう。専門書もあるけど……」

 アレックスも興味を引かれて本の背に指をかけた。

 軽く力を込めるがぴくりとも動かない。

 背表紙は埃がこびりついて、書名の判別はつかなかった。

「まあいい。これも全部箱詰めしなきゃならないんだ。あとでじっくり見ればいい」

「はい」

 今のところ、保管庫へ送るための貴重品よりも、廃棄予定の古着や日用品の量が上回っている。

「まったくさ……」

 ため息と共に愚痴がこぼれかけ、アレックスは慌てて口を噤んだ。

 悪口は言わない約束だ。

 フランは彼を好ましく思っているから。

 アレックスの自制に気付いてフランは控え目に笑った。

 崩してしまった衣類の山を手分けして《廃棄》の箱に運ぶと、久しぶりに部屋の床が見えた。

 そうして、アレックスはそれを見つけた。

「何だこれ」

 ひと目にはただの板切れに見える。

 何の気なしに裏返すと、そこに文字が記されていた。


【人形歌劇団〈幕間座〉】


「幕間座?」

 呟いたのはフランだ。

 不思議そうに文字を眺めている。

 アレックスは一言も返さず、ただじっとそれを見つめていた。

 懐かしい記憶が次々に甦る。

 一年前に終えた旅の記憶ばかりだ。

 彼らはいつも、行く先々に姿を現した。

「これって、あの幕間座のことでしょうか?」

「どう思う」

「書体は八割一致します。経年劣化を考慮すれば、同一と言って差し支えありません」

「なら、あの幕間座なんだろうな」

「ですよね。……えっ!? でも、なぜ、どうして?」

 ここは、レフ・クランコの自宅だ。

 なぜレフの家に〈幕間座〉の看板があるのか。フランはそう尋ねたいらしいのだが、喋りたい気持ちばかりが焦って、適切な言葉を選べない。

「あれ? ……アレックスは、不思議に思いませんか?」

「思っているよ。今すごくびっくりしている」

 アレックスは自動人形より感情を表に出すのが下手だ。

 今も、平素とさして変わらぬ少し冷たい容貌で、古ぼけた看板を見つめている。

「部屋の整理を続けよう。何かあるかも――」

 ようやく、無益にも思える仕事に目標が生まれた気がした。

 日が暮れる前には、それなりの成果が上がった。

 仮面と、簡易劇場へ変形する旅行鞄。

 もっと探ると、大柄な自動人形の上半身が出てきた。

 それら全ては〈幕間座〉なる人形劇団を構成していた品々だ。

「……自動人形だったのか」

「自動人形だったんですか? あんなに上手にお芝居をしたのに?」

「遠隔操作を受ける自動人形だ。柔軟な対応が求められる局面だけ、人間が操作を加える。あとは全部プログラムで済む。それに」

「それに?」

「お芝居ならお前も得意だろう」

 途端にフランはいじめられた猫みたいに表情を歪める。一年経っても、いまだ弱みに感じていて、アレックスは時々こうやってフランを揶揄して気晴らしをする。

 意地悪な主人に、でも負い目を感じるからフランは抗議できずにいる。それから、二人はちょっとだけ笑う。

 お互いに冗談の範疇で言い合っていると理解しているのだ。

「つまり、ええっと、〈幕間座〉はおじいさんだったんですか?」

「どうだろう。操作までしていたのか、後に誰かから買い取ったのか。まあ、本人に聞くのが早いだろ」

 レフは自動人形を制作する過程でジゼルの工房に入り浸るうち、いつの間にかクロステルに住み着いていた。 

 いい加減、リルに残してきた荷物を引き取ろうと考え、今回の《遺品整理》をアレックスに頼んだのだ。

 出かけるついでと言うには重労働だ。

 対価として欲しいものがあれば何でも譲ると確約された。

「じゃあ、これは《保管》の箱ですね」

 はりきって箱に詰め、ちょうど一箱満杯になったから、粘着テープで封をする。

 一仕事やり遂げた顔で大儀そうに「ふぅ」と息を吐いた。

 それがアレックスには面白くて笑う。

 それから、伝染したようにアレックスも一息ついた。

 フランの素直な態度を楽しく思う。

 率直で、一生懸命なフランの挙動は見ていて飽きない。

 そうだと最初に気付いたのはもう随分前になる。

 この町をはじめて訪れた時のことだ。

 フランと喋るのは楽しかった。彼女に何事かを教えたり、質問を受けたり、そうして心を動かすのは楽しかった。

 それが、姉の安否もわからぬうちに、姉と経験したかもしれない喜びを共有するようで、嫌悪が募るばかりだった。姉を裏切った気がした。

 だからなるべく冷たく接して、自分を律したつもりでいた。

 本当はずっと、フランを頼もしく感じていたのに。

 ――彼女が傍に居たから寂しくなかった。

 その一点においては、フランは何よりも有用な存在だ。

 今もアレックスは、フランが傍にいるから、こうしてただの退屈な大掃除でもそれなりに楽しんでいる。

 ずっと――。

 アレックスは、思う。ずっと。

「……」

 整頓の進んだ、当初に比べると驚くほどすっきりした部屋を見渡す。

 旅の途中に何度か立ち寄り甘いお茶をご馳走になった部屋だ。

 おなじみのジンジャー・ティの香りが染み付いている。

 一年ぶりにここへ来た。

 事実の発覚から一年を待って、つい昨日、フランチェスカ・スノウリングの葬儀が終わった。ほかの誰も都合がつかなかったから、立ち会ったのはアレックスとフランだけだった。

 感情の始末はとっくに済んだつもりでいたが、空っぽの棺を見た瞬間には、胸を痛みが刺した。今こうして体を動かして単純な作業に没頭できるのはありがたいことかもしれない。余計な考え事に沈まずに済むから。

 まさかレフが承知の上で取り計らったとは思いたくないのは、単純に意地だ。

「生きいてる間に遺品整理って。ただの大掃除だよそんなのは」

 主がぼやく間にも働き者の自動人形が何かを探り当てる。

「アレックス。見て。残りも出てきました。同じ箱に入れたほうがいいですか?」

 スチール棚に雑然と積み上げられた自動人形のばらばらの部品に紛れて、それらしきズボンに包まれた脚が引きずり出されるところだった。脚ばかりが積み重なった光景は前衛芸術めいて、あまり長く見ていたいものではない。

「次の箱でいいよ。あ、いや、待って。さっきの箱を開けて」

「はい。やっぱり同じ箱に入れます?」

「いや、別の箱に。僕の部屋に送る」

「それって――」

 アレックスは箱の上に横たわる脚を見る。

「〈幕間座〉を貰う。動くかどうか、今度確かめてみよう」

 保管とも言えない雑然さで所蔵されていた自動人形だ。

 動いたところで正常に機能するかは分からない。

 だが、直す設備も技術も宛てはあった。

「使うんですか? アレックスが〈幕間座〉になるの?」

「出来そうだったら、そうしてみても良いかもな」

「じゃあ、あの子を探してあげなくちゃいけませんね。ほら、あの、小さな……」

「キャンディ・ポップか。あの子は多分、レフの傍にいるよ」

「おじいさんの――コッペリア?」

 紛らわしいからやめろと言われても、レフは頑なに、自動人形にその名をつけた。

 大衆的すぎて没個性で、識別の用も成さない、不便な名前をつけられたのは、去年のうちにレフが作り上げた小柄な少女人形だ。

 指がガラスの球体関節を持っていて、マチルダのような真っ赤な髪を伸ばして、性格は妙に高飛車で、日がな歌って愛嬌を振りまいている。

「多分そうだよ。あの子が〈幕間座〉のプリマ」

 今日の今日までそんなふうには思わなかったが、なんとなく納得できた。

「そうですか……」

 フランは心配そうな顔で思案にふける。

 どうやら、〈幕間座〉をするにあたって、プリマの不在が気がかりなようだ。

 真剣に悩む横顔を眺めていると、アレックスはふと気が緩む。

「ビスク・メイトならパブロさんが専門ですよね。作ってもらっても良いかもしれません。ですが、そうなると軽量で省スペースなメイトですから、今後わたしがアレックスに同行する機会が――減る――それは……わたしはいやだけど……アレックスにとっては負担が減るのだからそのほうが――」

 真剣な悩み事が口から漏れっぱなしだ。

「聞こえているけど」

「わっ、違うんです、あの、べつにそんな。わたしはアレックスのいかなる行動に対しても、妨げになるようなことは望みませんから――」

「ビスク・メイトを作るつもりはないよ」

「え!」

 露骨に歓喜の表情を浮かべるものだから、アレックスはつい口が滑らかになる。

「今のところは」

「……はい」

 にわかに落ち込んで肩を落とす。忙しい自動人形だ。

 思わず笑いが堪えきれず、腹を震わせる。笑われて、ちょっといじけたふうなフランが、でもそのうち一緒になって笑っていた。


 ずっと――。


 アレックスは、思う。


 ――僕はずっと、きみを大事にしたかったんだ。


 そうとも知らずにフランはまだ心配している。

 ビスク・メイトのほうがフランに比べていくつ利点があるかを指折り数えている。

 ひとつ、軽くて運びやすい。ふたつ、公共交通機関でお金がかからない。みっつ、小さくて愛らしい。

「最後のは趣味だろ」

「……だって」

 すっかり自信を失って、いじけた顔だ。

「フランがプリマになる?」

「えっ」

 励ますつもりと、半ば本気で、アレックスは問うた。

 そもそも〈幕間座〉が本当に動くのか、動いたところで人形劇を習得できるのか、不確定なことばかりだ。

 それでもフランは真剣に考えて、考えて、考えた。

「――がんばります」

「そう。頼りにしてる」

 一大決心を軽く流され、フランは焦る。

「う、うそです。それは皮肉です」

「そんなことない。本心から思っている」

「本当ですか?」

 日ごろあんまりいじめるから、最近のフランはちょっと卑屈だ。

 あんまり卑屈な性格になっても厄介だから、何か自信のつくような言葉をかけてやらなくてはならないと理解はしているのだが――

「お芝居ならフランの得意分野だろうし」

「やっぱり皮肉でした……」

 打ちひしがれて落胆する。

 その仕草は大げさで、やがてどちらともなく笑い出している。

 どんな人形劇にしようかとアレックスはおぼろげに考える。

 かつて見た〈幕間座〉のようにうまくやれるだろうか。

 そんな心配事より先に、新しいことを始める期待でわくわくしている。

 自動人形の話にしようと思う。

 女の子の自動人形だ。どんな物語かはまだ分からない。

 でもきっと、結びにはこう言うつもりだ。


《その人形は、末永く愛され、幸せに過ごしました。》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冷たい手のひら 詠野万知子 @liculuco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ