第39話 雪片の踊り-10



 その時、フランは試作品実機の二機目として、調整を受けている最中だった。

 優先されたのは一機目のフラン・ドールであるため、まだテスト起動程度に留まって、あとはPCに繋がったまま待機状態で研究室に安置されていた。

 表現の術を持たず、外界の情報を受け取るのみの、未完成の自動人形メイトだ。

 対して、すでに他者との会話も可能になっている試作品一号機は、スノウリング夫妻と共に研究室の外に居る。

 代わりに、今は一号機の服に着替えたフランチェスカ・スノウリングが充電椅子の上で蹲っていた。

 頑丈な扉に隔てられて、外からの間断ないノックの音は濁って響く。

 部屋の中ではフランチェスカの力ない吐息のほうが、よほど大きく聞こえた。

 両親を試した結果を受けて彼女は脱力した様子でただ椅子にもたれていた。

 予め用意していた電子的バリケードが作動して、外の連中はドアを開けるのに苦労しているようだった。

 何か対策を講じるために外は一時静かになり、辺りは静寂に包まれえる。

 それこそ、本当に、フランチェスカの吐息や電子機器の僅かな駆動音がはっきり聞こえるほどだ。

 じっとしていることに飽きたのか、フランチェスカは部屋を点検し始めた。

 用心のつもりで物理的なバリケードを門の前に作ったが、か弱い力では大した成果はあげられなかった。

 その過程で、部屋に残されたもう一体の自動人形を思い出したようだった。

 彼女は充電椅子を安置台に寄せて自動人形を眺め、いつくしむように触れる。

 双子の片割れのような、それよりも忠実に姿を模したはずなのに、すでに本人とは姿を異にした、フランチェスカの肖像だ。

 静けさを嫌うようにフランチェスカは独り言を紡いだ。


『私がいなくなるから、人形を作る。人形ができれば、私はいらなくなる。

 ――この人形たちは、きっと、末永く愛される』


 彼女自身が力尽きて眠るまで、声は絶えなかった。



 今朝と同じ茶葉で紅茶を淹れて、食卓へ運ぶ。

 ダイニングにはフランのほかには誰もいない。

 アレックスは懐かしい光景だと思う。

 以前にも、そうして一人きりで、彼女はそこにいた。

 隣に着席する。いつかと同じ席順になって、アレックスは己の目線の高さが変わったことに改めて気づく。

「きみも飲む?」

 冗談のつもりで言うと、フランは笑いもせずに首を横に振った。

 アレックスはテーブルの上に用意された砂糖瓶を引き寄せ、二匙分を紅茶に溶かす。

「続けて」

 今度は肯く。ほんの僅かな挙動だ。

「彼女が眠っているあいだに、部屋は解錠されて、フランチェスカは運び出されました。以後のことはわかりません。その時すでに彼女の状態は危なかったのか、それも、わたしには確かめる術はありません」

 おそらく、その一件が事態を悪化させたのは確かだろう。

 そうしてスノウリング夫妻は娘を失い、埋め合わせをするように、自宅へ自動人形を連れ帰り、あたかも何も欠けていないように見せかけた。

「……わたしの知っていることは、以上です」

 沈黙が降りる。

 アレックスが何も言わない限り、フランもまた自ずと口を開くことはないだろう。

「話してくれてありがとう」

 フランがとんでもないといわんばかりに頭を振った。

「もっと早く伝えることもできました。でも、わたしはずっと、黙っていました」

「それは、僕が聞かなかったからだろう。きみの言動に制限を課していた」

《ボックス》を無効にした自動人形の言動は必要最低限の受け答えに留まる。

 主への要望を訴えたり、道行くものに気を取られたり、自ら発話をして主と交流を図ることは出来ない。

 主に危険が及ぶ状況ではない限り、自発的な行動は取れなくなる。

 制限がなくても、フランは喋らないだろう。

 真相が分かればフランは不要になる――旅が終わる。だから、アレックスから質問しなければ、フランが事実を打ち明けることは不可能だ。

 それを理解しているはずのフランは、それでも自責の念にかられているのか、肩を落としている。

 不意にドアが開いた。

 ノックもなく、訪問者の姿も見えない。

 視線を下げると、隙間からレフが覗いていた。

「おっと、先客か。失礼するよ。小腹が空いてしまってね」

「飲み物、同じでよければ作りますが」

「ありがたい。お願いするよ」

 よじ登るように椅子に上がる。

 入れ替わりにアレックスは卓を離れ、厨房へ向かった。

 プレス式のティーポットでお茶を淹れる。

 その間に、カウンター越しにレフがお茶請けを頬張る様子が見えた。

「フランチェスカ。食べるかい、きみも」

 彼の冗談が自分と同じだったので、アレックスは少しばかり自省する。

 適当に淹れた紅茶を運んで、レフへ差し出した。

「フランに食事する機能はつけていません。どうぞ」

「どうもありがとう」

 受け取って、まず香りを楽しんで目を閉じる。

 それからテーブルを見渡して彼は手を伸ばした。

 アレックスは砂糖瓶をレフの手の届く場所まで押しやった。

 彼の手が触れる寸前に、瓶を引き寄せる。

 空を切ったレフの指先が音もなくテーブルに落ちる。

「知恵を貸したのはあなたですか?」

「おや」

 アレックスを見上げ、レフは大げさに目を見開いた。

 自動人形とその主を交互に見比べ、歯を覗かせて笑う。

「ばれてしまったか」

 フランは小さく頷いた。

 それで、レフも事情を知っているのだと判った。

「なるほど、嘘を暴かれてほっとしたのだな。レディ、表情が幼くなった」

 返答に迷って、フランは小さく俯いた。レフは和やかに見守って鷹揚に頷く。

「アレク、言っておくがね、アイディアは彼女のものだ。私はただレディの企みに乗っかっただけだよ。知恵を貸してはいないし、協力を請われてもいない」

「フラン、そうなのか?」

 再び、自動人形は頷く。

 アレックスの手元が疎かになった隙にレフは砂糖瓶を引き寄せた。

「私の家で彼女を診た、あの瞬間までアレックスと私の立場は対等だったよ。自動人形の嘘に半信半疑でいた。それがフランの嘘だと気付いて、勝手に手を出したまでだ。彼女の思惑に沿うように」

 一杯二杯――三杯、四杯。五杯目を小さじで運ぶと、瓶の蓋を閉じる。

 ティースプーンでぐるぐるとカップの中身をかき混ぜる。

「フラン単独の案にはとても思えない」

「そうかな。彼女ほどに成長した自動人形ならば不可能ではないよ」

「フランにそこまでの能力はないはずです。《ボックス》はずっと切っていたんだ、彼女の学習機能は必要最小限に抑えられていた」

「おや」

 レフは先刻と同じく目を見開いてアレックスを見上げた。

 次に問うような眼差しをフランへと向ける。

「ばれていないのか」

 今度はフランは反応を示さなかった。

 どうするべきか迷っている様子だ。

「何ですか」

「いや――」

 傍目にも甘すぎると想像のつく紅茶を美味しそうに啜って、レフは喉を鳴らした。

 深い吐息をひとつ置いて、問いかける。

「はじめて会った日のことを覚えているかな」

「忘れられると思いますか」

 二年前のことだ。

 レフへの第一印象はアレックスにとっては決して良いものではない。レフの言わんとするところが判らず、やがて予感を抱いて、アレックスは彼を見た。

 旅を振り返れば、思い当たることはいくつかある。

 錯覚だと片付けた表情や口調の変化。学習能力の低い自動人形にしては出来すぎた危機回避行動と、それに伴う現状把握能力。

 導き出される事実がひとつ。

「二年前のあの日以来、彼女の《ボックス》が無効になったことはない。知恵を貸したと言うなら、あの時が最初で最後だな」

 先に彼女が訴えた言葉が腑に落ちる。レフの言うことが真実なら、フランはいつでもアレックスに話しかけることができた。己から話題を持ち出し、すべてを打ち明けることができたのだ。

「フラン――?」

 自動人形の横顔は意を決したように前を見て、しかし逡巡し再び俯いた。

「フラン」

 呼び声に、弾かれたように顔を上げる。

 己の主を瞳に写して、二度の灯りの明滅は、照明の下ではさほど目立たなかった。

「……おじいさんの言うことに誤りはありません。わたしの《ボックス》は二十五ヶ月のあいだ、継続して機能しています」

「ほんとうに? でも、きみはほとんど感情を表したことはない」

「はい。我慢しました。顔に出ないようにって。あなたの気分を害したくなかったから――嫌われたくなかったから」

 途方もなく、それでいて単純な対処法に拍子抜けして、つられて体の力も抜けた。

 アレックスは椅子に体を預けて深く嘆息する。

「自分の自動人形に二つも嘘をつかれていたなんて。それこそ嘘みたいな話だ」

 自嘲気味に呟いた。

《フランチェスカ》の一件はともかく《ボックス》については完全に意識の外だったから、騙し抜かれていっそ清々しい気分だ。

「もう、ほかに隠していることはないな?」

「はい。すべて打ち明けました。これ以上、アレックスを欺くことはありません」

「そうだと願うばかりだよ」

「わたしのことは、もう……今日にも停めて構いません。主に背く自動人形なんて役に立つどころか、迷惑をおかけしています。これ以上あなたに損害を与えたくありません。どうぞ、アレックス、お好きなようにわたしに命じてください」

 いつの間にかまた俯いて、フランは表情を髪の内側に隠している。

 アレックスはすっかり冷めた紅茶を口に含んだ。

 しっかりと甘さのついたそれを嚥下して、息をつく。

「そうだな、じゃあ、ひとつ。今後は嘘をつかないで」

 思いがけない言葉をいまだ理解しない顔をして、フランは主を見た。

 何か言いたげな様子だがいくつもの質問から何を選んだら良いのか迷っている。

「なぜ、どうしてですか。わたしは嘘をついたのに」

 まとまらないうちに喋り出して、結局混乱ばかりが言葉に表れた。

「僕も嘘をついていた。だからお互い様だ」

「嘘……?」

 不思議そうなフランへ、アレックスはティーカップを傾けて見せる。

 傍目には分からない、けれど、確かに砂糖の溶けた紅茶がカップの中で揺らいだ。

「甘いもの。本当は好きなんだ」

 アレックスの告白に、誰よりも愉快そうにレフが笑った。



 冷たく清浄な空気には神様が住んでいるという。

 冬しかないこの土地に伝えられる、意地のようなありがたみに、アレックスはいまだ共感を抱けない。

 けれど、室温に曇った窓を指でなぞって、透けた窓越しに見える真っ白い景色を眺めていると、雑然とした気持ちが整えられて、気が引き締まる。

 子供部屋には一人でいる。

 今、朝食を終え、フランはレフやメイベルと共に過ごしているはずだ。

 アレックスは端末を携え、電話越しのジゼルを相手に顛末を打ち明けている。

 ――フランの嘘を受け入れることは、同時にフランチェスカの存在の消失を認めることになった。

 先に屋敷を発ったジゼルは一部始終の説明へ笑い声を返した。

 ほらご覧なさい、私は知っていたわ。だから心を動かさなかったわ。――そう強がるような笑いだった。

「――というわけだから。もう、方々を歩き回る理由はなくなった」

 電話越しに列車の到着した様子が聞き取れる。

 リルの駅で乗り換えてクロステルへ戻るのだ。そろそろ通話の切り上げ時だろう。

「クロステルへ合流したら、僕は仕事でも探すよ。それじゃ、また」

『あなたは学校へ行きなさい。誰の手を貸りなくてもフランを調整できるように、技術と知識を身につけるべきだわ』

「それも、いいかもしれない」

 ジゼルのからかう口調に軽く返す。

 これまで人捜しに明け暮れてろくに己の暮らしを顧みなかった。

 これから何をしてもいい。

 アレックスの選択に誰も口を挟まない――本来そうするはずの家族も、いない。

 途方もない前途に眩暈がしそうだ。

『ねえ、アレックス』

 不意に真剣味を帯びて、ジゼルが問いかけた。

『今この通話を受けているのは、ジゼル・コーロディではなくて、エレシア・ドールなの』

「何、急に」

『いいえ、そもそも、昨日まであなたの家に滞在していたのもエレシアよ』

「そんなの嘘だよ、いい加減分かるよ」

 ジゼルの悪い癖だ。

 自分にそっくりなエレシアと、自分自身を、時折入れ替えて知人を試す。

 親しい間柄であれば間違えようがないし、観察を経れば必ず、自動人形と人間の差は見分けがつく。だから、アレックスには迷いようもなく、昨日まで共に居たのはジゼル本人だと確信できた。

 答え合わせの代わりに、ジゼルのくすくすという意地悪な笑い声が聞こえる。

『じゃあ、もしかしたら、この通話を受けている人間なんて居ないかもしれない。自動受信して、あなたの言葉にそれらしく応じて会話をしているように錯覚させているだけかも』

「――何の話がしたいの」

『錯覚の積み重ねで人は関係を結ぶわ。あなたは、そこにいる。私は、そこにいるあなたと会話をしている。そう思っているのが私だけだとしても、私はあなたを、会話をするほどの仲だと思っている。自分自身の中で、そう認識できたなら、その認識が維持できたなら、私は孤独じゃないわ』

「僕だって少なからず、あなたに友好的な感情を抱いているよ。少なからずね」

『ありがとう、アレックス。嬉しいわ』

 ジゼルの意図の見えない会話に困惑していると、窓の外に人の姿が見えた。

 必要もないのにコートを着込んだフランが、メイベルに付き添われて、降り積もった雪を眺めている。

 無邪気な笑顔で木々の枝に積もった雪に手を伸ばし、不意に落下した雪束に驚いて目をまるくした。

 それらはフランチェスカが表しえない、むき出しの感情の発露だ。

 フランがついた嘘は多くはない。

《フランチェスカ》と名乗り、しかし、言動の端々には己自身の実感を用いていた。

 素直に、アレックスと接していた。

『フランがたった一つのあなただけの自動人形になるなら、私には、それが幸いだと思うわ』

 ジゼルは唐突に話題を変えた――アレックスにはそう受け取れた。

『極論を言うけれど。自己満足の勘違いだけで人間関係は成立していると思うの。勿論実際はそうじゃない、共通の認識の上に成立しているかもしれない。でも、そうだと確かめる術は誰も持っていないわね』

「同じようなこと、レフも言っていたよ」

 人は自分の世界以外を認識することはできない。

 他者の感じる感覚を、全く同じように体感することは不可能だ。

 電話口の相手が本当に人間かどうか、そこに意識があるのかどうか、それを確かめる術はない。

 間違いなく他者と会話をしているのだと、アレックスは信じることしかできない。

『それはね、きっと自動人形にも有効よ』

 発車時刻を報せるベルが鳴り響く。

 ひび割れた音がアレックスの耳にも届く。

「自己満足の勘違いで、関係を成立させるってこと?」

『きっとね。人間も自動人形も違いなんてない。思い入れることができたら、そこに、いるのよ』

 それこそ自己満足に呟いて、ジゼルは一方的に通話を切った。窓の外で雪と戯れているフランが、窓越しにアレックスの姿に気づいて手を振っている。

 アレックスは彼女の呼び声に応えて窓を開けた。

 冷たくも心地よい新鮮な空気が、頬を撫でた。

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