第11話 火を消せ2/6
頭が痛い。最悪の目覚めだ。時計を見れば午前八時。会社に行くべく身体を起こしたが、今日が休みなことを思い出して再びベッドに寝転んだ。
広くはない部屋。脱ぎっぱなしの服が散乱し、ゴミ箱からはカップラーメンの空容器がのぞいている。一目で独身男の部屋だと分かる光景だ。部屋の隅では魔法陣作成魔道具の画面がが
記憶を整理してみる。
昨日は十三時頃に会社を出て茶屋に行き、濃いコーヒーをすすりながら上司から渡された資料を再度読んだ。
ミタライからもたらされた案件は、十年ほど前から稼働している巨大魔法陣の刷新だ。当時よりも魔法技術が発達しているため、操作性の向上、消費魔力の削減、処理時間の短縮化、それに加え、当時は技術が追いつかず断念した機能を実現することが期待されている。キナ臭さでため息しか出ない。
十七時、行きつけの呑み屋の開店と同時に入店。店長を驚かせた。まだ他に客はいない。
店長は中肉中背で黒シャツ黒パンツの黒ずくめ。最近出始めた腹を多少気にしている四十歳過ぎのおっさんだ。
「あら、ハル。今日は随分早いんだねえ。サボりかい?」
「まあな」
俺は説明するのも面倒で肯定しておく。
店の名は『プゲラ』。なんとなく眉をひそめてしまいそうな響きの名前だが、店長
六人が座れるカウンター席、四人掛けのテーブル席が三つに、二人掛けのテーブル席が一つ。タバコのヤニで汚れた壁。調理器具が整理されて並ぶカウンター内。オレンジ色の照明魔道具が店内を弱く照らす。不潔ではないが古い。そんな店だ。
ここに通うようになって三年は経っただろうか。カウンターの端の席に座り、黙々とエールを呑みながら小説を読んでいる俺に、通い初めは気を遣って話しかけてこなかった店長とも、今ではフランクに話すようになっていた。たまに邪魔に感じるが。
「浮かない顔だね。なにか愉快なことでもあったのかい?」
「ああ、絶好調に愉快なことがね」
「ほう、それはぜひ聞きたいね。ヒトの不幸は楽しいからね」
「楽しむなよ。ここにも一回来たミタライっていうツルッパゲ、覚えてる?」
「うーん……。ああ、あの冬でも半袖のヤクザ屋さんかい?」
「そう、ソイツ。一応ヤクザじゃないけどな。ソイツからまた厄介っぽい仕事が来てね」
「あらぁ。あの時もハル、すごく怒ってたよね。ハルの大声って滅多に聞かないのに、怒鳴っちゃってさ」
「その節はすまん」
「それはいいのさ。たまにならね。その仕事は断れないのかい? 面倒なことは避けて通れっていうのが、僕のスタイルさ」
「避ける手段を探してるんだけど、まあ、ダメなんだろうな……」
そこで、他の客が入店し、話は終わった。
俺は読書に戻り、時折他の常連客と軽いやり取りをしながら、エールを腹に流し込んでいった。
何時間たっただろうか。おそらく三時間程度、時刻は二十時を回ったところか。カウンター席の端に座る俺の隣に、誰かが座ってきた。チラッと視線を向けると、そこにヤツがいた。
「えへへへ。先輩、みーっけた!」
後輩ちゃんだ。
どこのホラー映画だ。
話を聞いたところによると、俺より遅く会社を出た後輩ちゃんは、前から憧れていたという『独り居酒屋』を決行したらしい。早い時間なら客も少なくて恥ずかしさも抑えられると思ったとか。
「それでですね、周りに他のお客さんが増えてくると、みんな楽しそうにおしゃべりしてるじゃないですかー? 寂しさも感じますとも。友達に連絡しても、誰も来てくれないし、どうしようかなー? と思ったわけですよ。そしたらね、先輩がよくここら辺で呑んでるって、同僚さんたちが話してるのを思い出したんですよ。この店に入ったのは偶然ですがね、当たりました!」
そしてまた「えへへへ」と笑った。
まだろれつは回っているが、口調が少しおかしい。
「……そうか、良かったな。よし、帰れ」
「来たばかりですよ! お酒もたのんでませんし! あ、そうだ。すみませーん、エール2つ下さーい!」
手元を見れば、俺のジョッキも空になっていた。気の利くやつだ。
エールを持ってきた店長が何かを言いたそうにイヤラシイ視線を俺に送ってきたが、手を「しっしっ」と振って追い払った。
後輩ちゃんは自分のジョッキを俺のジョッキに軽くぶつけ、「かんぱーい」と笑って、勢いよく飲んだ。
ジョッキから口を離し、「ふぅ」と息をつく横顔に、不覚にも少し見惚れてしまった。色白でキメの細かい肌の頬が少し朱がかっていた。とても柔らかそうだ。
俺は内心で舌打ちをしてから、少し後輩ちゃんの相手をしてやることにした。
「で、どうして独り居酒屋なんぞを?」
「憧れてたんですよー。かっこよくないですか?」
「そうか? 普通だ。普通」
「それに、来週からしばらく、ゆくっりお酒を飲む時間もなさそうですし」
「うん? どこかの忙しい現場に入るのか?」
「はい。今日お会いしたミタライさんのやつです」
「は? なんでお前が!?」
「実は、来週から二週間、先輩には別の仕事があるらしいです。『どうせハルを独りで行かせる予定じゃなかったからな。ルビィ、先行して場を整えてやれ』て上司さんが言ってました」
「マジか、クソ上司! 拒否権なんてねーじゃねーか!」
「『どうせハルは断らないさ。ハハハハ!』ですって」
後輩ちゃん、妙に上司のモノマネが上手い。
いや、そんなことじゃなく、俺の予想する限り、この案件は根っこの部分からボロボロなはずだ。後輩ちゃんが先行したところで、半端に優秀なコイツのことだ、ボロボロなまま、先に先に進めるに違いない。その先にゴールなんてないのに。
「分かった。先行するなら無理はするな。現状の作りと仕様を把握し、問題点を洗い出すことに重点を置いて、なるべく定時で帰れ」
「定時ですか……。善処します」
あー、無理だろうな、これ。後輩ちゃんは責任感が強い。疲弊している周りを無視して帰ることなんてできないだろう。とりあえずこうして釘を刺しておけば、後で罵ることができる。
その後、後輩ちゃんの仕事の愚痴を聞いたり、俺に対する愚痴を聞いたり、枯れた私生活について聞いたり、俺は主に聞き役だった。これもメンターの仕事と言えるのかも知れない。
「コイツ、こんなに喋るのか」と俺は若干、のけぞり気味ではあったが、これはこれでちょっと楽しいかも知れないと思った。
途中までは。
「せんぱーい! 次行きましょ、次! ハシゴ酒っていうのも憧れてたんですよー。 よーし、行きましょー!」
めんどくさい。とても。後輩ちゃんが途中からエールではなく、強めの酒に変更した時点で異変に気付くべきだった。後の祭りではあるが。
俺は会計を済ませると、なんとなく店長に謝りながら店を出た。
「ほら、帰るぞ! お前の家はどこだ!」
支えていないと今にも座り込んでしまいそうな後輩ちゃんを
「わたしのいえはオフィスです! 社畜に家なんていらんのですよ!」
「うちはそんなにブラックではない!」
そんな問答を繰り返すうちに、俺も酔いが回ってきたらしい。いい加減に思考も働かずめんどくさくなって、それから、それから……。
記憶の整理終了。
思い出せんな、とぼんやりした視線をナイトテーブルに向けると、見慣れないものが。
メガネだ。
そして、脱ぎ散らかされている服の中にも俺の部屋にあるはずのない、グレーのワンピースが。
俺は一気に覚醒して上半身を飛び起こした。ふと隣を見ると、毛布にくるまれた茶色い塊。茶色い、髪が……。
驚きに思考を停止させていると、毛布の中の物体がモゾモゾと動き出し、顔を出した。その物体は、半分開かない目で俺を見ると、口を開く。
「ふぁぁ……。あー、先輩、おはようございまひゅ……」
凍りつく時。
瞬時に覚醒した後輩ちゃんが目を見開いた。
そして。
「ぬあああああぁぁ!」
「な、なななななー!?」
俺と後輩ちゃんの悲鳴が、部屋に響くのだった。
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